祝福が地味すぎるので、毎日少しだけ改良します
目を開けた瞬間、知らない天井があった。
木の梁。白い布。
薬草の匂いがして、遠くで鐘が鳴っている。
「……ここ、どこ?」
声が自分のものじゃないみたいに軽かった。喉が乾いている。
起き上がろうとして、自分の手を見た。
細い。白い。爪が短い。
袖は白い布で、神殿の制服みたいだった。
心臓がどくんと鳴る。
最後に覚えているのは、残業終わりの駅の階段。
足を踏み外しそうになって、手すりをつかんで。
そこで視界が白くなった。
……白いのは今も同じ。
ただし、駅じゃない。
「目が覚めましたか」
カーテンの隙間から、少女が顔を覗かせた。
十六、七くらい。焦げ茶の髪を一本に結び、首から小さな飾りを下げている。
「よかった……! 突然倒れたから、びっくりして。えっと、わたしはミル。神官見習いです」
ミルはほっとしたあと、すぐ真面目な顔になった。
「あなた、昨日“呼ばれた”んです。女神さまのところから」
「呼ばれた……?」
言葉が、頭の中で変な回転をする。
呼ばれた。女神。神殿。見習い。
それをつなげると、ひとつの結論に行き着いてしまう。
「……私、死んだの?」
ミルは一瞬だけ目を伏せて、やさしく言った。
「こちらの言い方だと、“前の世界を終えて、こちらへ来た”です」
胸の奥が、ふっと空いた。
悲しみより先に、静けさが来る。信じきれないから、心が追いつかない。
「……私、どうなるの?」
「女神さまの祝福を受けます。それで、この世界で生きられるようになります」
ミルが手を取る。
手のひらがあたたかい。
「大丈夫。怖いのは最初だけです。祝福は……あなたに合ったものが授けられますから」
合ったもの。
その言葉だけが、少し救いに聞こえた。
⸻
神殿の奥、白い光の差し込む小さな祭壇。
年配の神官が穏やかに告げる。
「転生者リナ。女神の御前にて、祝福を授ける」
リナ。
そう呼ばれた瞬間、違和感はなかった。名前が体に馴染んでいる。
私は膝をつく。
祭壇の光がゆっくり揺れて、呼吸みたいに規則正しい。
つられて息が整う。
そして頭の中に、言葉が降ってきた。
『祝福:微改良』
……び、かいりょう?
さらに説明が続く。
『触れた対象を、ほんの少しだけ良くする』
ほんの少し。
炎も雷も剣も回復もない。
良くする、だけ。
私は思わず口にした。
「……地味すぎません?」
「リナさんっ」
ミルが慌てて小声で止める。
神官も少し驚いた顔をしたが、怒らなかった。
「祝福は本人の資質に沿うものです。あなたには……小さな改善を積み重ねる力があるのでしょう」
改善。
会社の会議室で何度も聞いた言葉だ。
数字と期限が並ぶ、空気が薄い場所の言葉。
ミルが耳打ちしてくる。
「……その、“微”って、外れじゃ……」
「言うな」
口では強く言い返したけれど、胸の奥が少し悔しい。
異世界転生。祝福。
もっと分かりやすい“すごい何か”を期待するのが、人の性だと思う。
神官は私の表情を見て、付け加えた。
「焦らず、まずは村で暮らしなさい。祝福は“使い方”で姿を変えます」
姿を変える。
それが本当なら、私にもまだ道はある。
私は胸の中で小さく決めた。
地味なら、地味でいい。
毎日、少しだけ良くしていけばいい。
⸻
村の名前はリーフ村。
山のふもとの、小さな場所だった。
住まいとして用意された空き家は、風がよく通る木造で、窓が少しがたつく。
でも屋根はしっかりしているし、暖炉もある。
ミルが言った。
「ここ、前の住人がお年寄りで、あちこちが“ちょっとずつ”困る家なんです。リナさんの祝福にぴったりかも」
「……褒めてる?」
「褒めてます!」
勢いよく言い切るから、笑ってしまった。
家の中を見回す。
ドアが少しきしむ。
椅子が少しガタつく。
鍋のふたが少し合っていない。
困るほどじゃない。
でも毎日だと、地味に心が削れるタイプ。
「うん。確かに、ぴったりかも」
私は鍋のふたに触れた。
頭の中で祝福が反応する。
手のひらが、ほんのり温かい。
次の瞬間、ふたの歪みが少しだけ整った。
がたん、という音が消えて、すっと閉まる。
……地味だ。
でも、気持ちいい。
「え、なにそれ」
ミルが目をぱちぱちさせる。
「今、ふたが静かになった……」
「うん。ちょっとだけ良くする、らしい」
私はふたを何度か開け閉めした。
指先に残っていた小さなストレスが、消える。
ミルは驚きと納得が混ざった顔で頷いた。
「……すごい。地味だけど、すごい」
「“地味”は一回までね」
「はい……」
でもミルは、ちょっと笑っていた。
⸻
村の困りごとは、派手じゃない。
パン屋のオルドは、毎朝早くから窯に火を入れている。
焼きたての香りは最高なのに、本人の顔色が薄い。
「燃料が高くてな。薪が足りない日もある。焦がさないように気を張ると、肩が凝る」
私は店の奥で、窯の扉の蝶番を見た。
きし、と嫌な音がする。
「それ、毎日聞いてるの?」
「聞く。慣れたけど、慣れただけだ」
オルドが苦笑する。
慣れただけ。
その言葉が、胸に刺さった。
私は蝶番に触れた。
微改良。
ほんの少しだけ、良くする。
きし、が、しゅる、に変わる。
扉の動きが滑らかになった。
オルドは一瞬黙って、それから短く息を吐く。
「……助かる」
たった二文字が、妙に重かった。
私は胸の奥が温かくなる。
井戸水は冷たすぎて、冬の朝は手がかじかむ。
子どもが咳をして眠れない夜がある。
羊小屋の扉がちゃんと閉まらず、風が入り込む。
私はそれらに、ひとつずつ触れていった。
少しだけ、良くする。
歓声は上がらない。
派手な光も出ない。
でも、人の顔の力が少し抜ける。
「ありがとう」と言う声が柔らかい。
それが、私の中の焦りを薄くしていった。
派手に救うことはできない。
でも、今日を少し楽にできる。
……それは、意外と強い。
⸻
夜。
私はランプの灯りの下で、小さなノートを開いた。
ミルが用意してくれた紙は少し粗い。
でも字を書くには十分だ。
私は題名を書いた。
『改善ノート』
「……ダサい。でも、これでいい」
前の世界で私は、改善提案を何度も書いた。
でもそれは数字と期限のためだった。
今は違う。
誰かの生活のために書く。
今日触れたもの。
変わったこと。
変わらなかったこと。
村の人が言った一言。
書いていくうちに、頭の中が整っていく。
私はこの作業が好きだ。自分でも驚くくらい。
ミルが戸を叩いて入ってきた。
「リナさん。祝福って……伸びるんですか?」
「伸びる?」
「神官長が言ってました。転生者の祝福は、使い方で変わるって」
私はペンを止めて、自分の感覚を探った。
祝福を使うとき、頭の中に“選択肢”みたいなものが浮かぶ。
まだぼんやりしてるけど、確かにある。
「たぶん……毎日一回だけ、方向を選べる」
「方向?」
「効果の大きさとか、持続とか、対象とか、範囲とか……どれか一つを、ほんの少しだけ伸ばす感じ」
ミルの目がぱっと明るくなる。
「それ、すごく大事じゃないですか」
「うん。だから、明日からやってみる」
私はノートを閉じた。
「毎日、少しだけ改良する」
ミルは頷いて、少しだけ笑った。
「リナさん、祝福の名前通りですね」
その言い方は、もう“外れ”じゃなかった。
⸻
翌朝。
神殿の庭で冷たい空気を吸い込む。
息が白い。指先が痛い。
でも、心は落ち着いていた。
目を閉じて祝福に意識を向けると、頭の中に短い言葉が浮かぶ。
『本日の改良:持続』
持続。
良くなった状態を、ほんの少し長くする。
「よし。それでいこう」
私はパン屋へ向かった。
オルドはいつも通り窯の前で腕を組んでいた。
顔が眠そうだ。
「今日も早いな」
「オルドもね。スープ作ってる?」
「売れ残ったパンで作る。捨てるよりいい」
「じゃあ、今日の祝福はそれに使わせて。温かさが長く残るように」
オルドは一瞬眉を上げて、それから頷いた。
「やってみろ」
私は鍋に手を当てた。
いつも通りの微改良。
でも今日は“持続”方向に整える。
鍋の中の湯気が、ほんの少し濃くなる。
温かさが逃げにくくなる感覚。
派手な光はない。
でも、手のひらの温度が確かに変わった。
オルドがスープをひと口飲んで、目を細める。
「……冷めにくいな」
「うん。しばらく温かいはず」
「助かる」
その短い言葉が、胸に落ちる。
ミルが小さく言った。
「地味じゃないですよ。これ、すごいです」
「地味は悪口じゃないって、最近分かってきた」
私は笑って返した。
その日、スープは最後まで温かく、村の人が手を温めながら飲んでいった。
大げさな歓声はない。
でも、「はぁ」と息を吐く顔がある。
それで十分だった。
⸻
そこから数日は、同じように過ぎた。
毎日ひとつ、改良の方向を選ぶ。
毎日ひとつ、困りごとに触れる。
ある日は“安定”。効き目がぶれないように。
ある日は“対象”。一つから二つへ。
ある日は“範囲”。蝶番だけでなく、扉全体の閉まりへ。
少し。少し。少し。
ノートは少しずつ厚くなる。
ミルは覗くのが日課になった。
「リナさん、観察が細かい……。ここ、原因まで書いてる」
「細かいの、得意だったから」
前の世界では“面倒な人”と思われたこともある。
でもここでは、それが誰かの助けになる。
村長のハンナが、ある日訪ねてきた。
「転生者さん。話は聞いてる。派手ではないが、確実らしいね」
「確実に“少しだけ”です」
「少しでいい。村は“少しのズレ”で壊れるから」
現実を知っている目だった。
「冬が強くなる。薪も薬草も余裕がない年だ。頼れるものは、頼りたい」
「はい」
頼られる重さが怖いより先に、できることがある、と心が言った。
私は改良を続けた。
毎日少しだけ。
⸻
そして、a寒波が来た。
朝、窓の外が白い壁みたいになっていた。
雪じゃない。風だ。空気が鳴っている。
ミルが息を切らして飛び込んでくる。
「リナさん! 外……すごいです。村の北側が吹き溜まりで、道が……」
「怪我人は?」
「今のところは。でも……子どもたちと、お年寄りが」
私はすぐ厚いコートを羽織った。
頭の中で、今日の改良を選ぶ。
『本日の改良:範囲』
ひとり分じゃ足りない。
村の夜を越えるために、今日は範囲だ。
私はまずパン屋へ走った。
オルドの窯は、村で一番“火”が強い。
「オルド! 今日、スープを多めに作れる?」
「薪が……」
「節約する。窯の効率を少しだけ良くする。今まで積み重ねた分を使う」
オルドは私の目を見て、短く頷いた。
「分かった。やる」
私たちは大鍋を並べた。
ミルは器を集め、村の人が運ぶ。
私は鍋に触れる。
温かさが逃げないように。
そして今日は、範囲を広げる。
鍋だけじゃない。器にも。運ぶ手にも。
触れたものから、温度が落ちる速度を少しだけ遅くする。
派手な奇跡じゃない。
でも、スープが冷めにくい。
温かさが、次の手へ渡っていく。
村長ハンナが現れ、的確に指示を出した。
「子どもと老人を集会所へ。扉は隙間を埋めろ。風を止めろ」
私は集会所へ走った。
扉の閉まりを整える。
蝶番、木枠、隙間。
ほんの少しだけ。風の入り込みが減る。
布団に触れる。毛布に触れる。
冷えを“少しだけ”遠ざける。
ミルが震える声で言った。
「リナさん……これ、間に合いますか」
「間に合わせる。派手じゃないけど、積み重ねてきた」
「……はい」
ミルは頷き、子どもたちにお椀を配った。
「温かい……」
子どもがそう言って、少し笑う。
その笑いが、灯りみたいに見えた。
外は風が唸る。窓が鳴る。雪が叩く。
村は小さく、弱い。
でも集会所の中には、温かい湯気があった。
白かった息が、やがて透明になる。
手が温まり、肩が少し落ちる。
私は何度も触れた。
何度も少しだけ良くした。
限界が見える瞬間もあった。
祝福は万能じゃない。私の体力も無限じゃない。
それでも、積み重ねた“少し”は確かに効いていた。
スープが最後まで温かい。
隙間風が弱い。
布団の冷えが少し和らぐ。
村の夜が、ほんの少しだけ越えやすくなる。
オルドがふっと笑う。
「……奇跡って、光るもんだと思ってた」
「光らない奇跡もあるよ」
私が言うと、オルドは頷いた。
「そうだな。……この方が、腹に落ちる」
派手じゃないからこそ、残るものがある。
私はそれを、体で分かった。
夜は長かった。
でも、朝は来た。
風の音が弱まり、空が薄く明るくなる。
集会所の中に、安堵が広がる。
ミルが窓の外を見て呟く。
「……越えましたね」
「うん。越えた」
ハンナが私のところへ来て、短く言った。
「助かった。村は、今日を越えた」
そして少しだけ、言葉を柔らかくする。
「“少しだけ”を笑う人は、この村にはいない。あんたが増やしたからだ」
私は言葉が出なくて、ただ深く頷いた。
⸻
寒波の翌日。
空は澄み、雪が光っていた。
村の道にできた踏み跡が、昨日までの必死を静かに語っている。
でも人の顔には、妙な明るさがあった。
私は神殿へ呼ばれた。
祭壇の光は、最初の日と同じように揺れている。
神官が穏やかに言う。
「リナ。女神の声がある」
光が静かに胸へ落ちてくる。
『より強い祝福を望むか』
強い祝福。
分かりやすい力。派手な奇跡。
一瞬、迷いかけて。
でも、私は首を振った。
「いえ。これでいいです」
ミルが隣で息を呑む。
「……いいんですか? もっと、すごい力が」
私は笑った。
「すごい力って、きっと扱うのが難しい。私は、毎日少しだけでいい」
「毎日少しだけ……」
「うん。昨日より少しだけ良くする。これが、私の得意なやり方」
光が揺れて、頷いたみたいに見えた。
神官が静かに言う。
「ならば、その道を行きなさい。積み重ねる者の祝福は、積み重ねた分だけ強い」
私は胸に手を当てた。
派手じゃない温かさが、そこにある。
神殿を出ると、ミルが小さく笑った。
「リナさん。……外れじゃなかったですね」
「外れって言ったの、ミルだよ」
「すみません。でも今なら言えます。あの祝福、うらやましい」
その言葉が、嬉しかった。
家に戻って、私は改善ノートを開く。
ページの端が少し丸まっている。使った証拠だ。
私は一行書いた。
『明日は、安定性を少し上げる』
ペンを置いて、窓の外を見る。
村の子どもが雪を踏んで走っている。
転ばない速度で。
でも、楽しそうに。
私はその音を聞きながら息を整えた。
祝福は地味だ。
でも地味だからこそ、毎日使える。
毎日、少しだけ良くできる。
今日も生きる。
明日も生きる。
私はノートを閉じて、外へ出た。
村の空気は冷たい。けれど、どこか柔らかい。
「おはよう、リナ!」
誰かが呼ぶ。
私は手を振って、笑った。
「おはよう。今日も、少しだけね」
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
このお話で描きたかったのは、「派手さがない=弱い」ではない、ということです。
生活の困りごとは、だいたいが大事件ではありません。けれど小さな不具合が毎日続くと、静かに心と体を削っていきます。だからこそ、リナの祝福は“毎日使える”こと自体が強みで、少しずつ積み重ねるほど、確かな力になっていきます。
「助かる」と言われる場面を、私は大切にしました。歓声ではなく、肩の力が抜ける瞬間。息が戻る瞬間。そういう静かな救いが、いちばん長く残る気がするからです。
もし今、あなたの毎日にも「ちょっと困る」が積もっているなら。
今日ひとつだけ、少しだけ良くしてみてください。
それはきっと、光らないけれど確かな奇跡になります。




