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祝福が地味すぎるので、毎日少しだけ改良します

作者: 星渡リン
掲載日:2026/02/09

 目を開けた瞬間、知らない天井があった。


 木の梁。白い布。

 薬草の匂いがして、遠くで鐘が鳴っている。


「……ここ、どこ?」


 声が自分のものじゃないみたいに軽かった。喉が乾いている。


 起き上がろうとして、自分の手を見た。


 細い。白い。爪が短い。

 袖は白い布で、神殿の制服みたいだった。


 心臓がどくんと鳴る。


 最後に覚えているのは、残業終わりの駅の階段。

 足を踏み外しそうになって、手すりをつかんで。

 そこで視界が白くなった。


 ……白いのは今も同じ。

 ただし、駅じゃない。


「目が覚めましたか」


 カーテンの隙間から、少女が顔を覗かせた。

 十六、七くらい。焦げ茶の髪を一本に結び、首から小さな飾りを下げている。


「よかった……! 突然倒れたから、びっくりして。えっと、わたしはミル。神官見習いです」


 ミルはほっとしたあと、すぐ真面目な顔になった。


「あなた、昨日“呼ばれた”んです。女神さまのところから」


「呼ばれた……?」


 言葉が、頭の中で変な回転をする。


 呼ばれた。女神。神殿。見習い。


 それをつなげると、ひとつの結論に行き着いてしまう。


「……私、死んだの?」


 ミルは一瞬だけ目を伏せて、やさしく言った。


「こちらの言い方だと、“前の世界を終えて、こちらへ来た”です」


 胸の奥が、ふっと空いた。

 悲しみより先に、静けさが来る。信じきれないから、心が追いつかない。


「……私、どうなるの?」


「女神さまの祝福を受けます。それで、この世界で生きられるようになります」


 ミルが手を取る。

 手のひらがあたたかい。


「大丈夫。怖いのは最初だけです。祝福は……あなたに合ったものが授けられますから」


 合ったもの。

 その言葉だけが、少し救いに聞こえた。



 神殿の奥、白い光の差し込む小さな祭壇。


 年配の神官が穏やかに告げる。


「転生者リナ。女神の御前にて、祝福を授ける」


 リナ。

 そう呼ばれた瞬間、違和感はなかった。名前が体に馴染んでいる。


 私は膝をつく。

 祭壇の光がゆっくり揺れて、呼吸みたいに規則正しい。

 つられて息が整う。


 そして頭の中に、言葉が降ってきた。


『祝福:微改良』


 ……び、かいりょう?


 さらに説明が続く。


『触れた対象を、ほんの少しだけ良くする』


 ほんの少し。

 炎も雷も剣も回復もない。

 良くする、だけ。


 私は思わず口にした。


「……地味すぎません?」


「リナさんっ」


 ミルが慌てて小声で止める。

 神官も少し驚いた顔をしたが、怒らなかった。


「祝福は本人の資質に沿うものです。あなたには……小さな改善を積み重ねる力があるのでしょう」


 改善。

 会社の会議室で何度も聞いた言葉だ。

 数字と期限が並ぶ、空気が薄い場所の言葉。


 ミルが耳打ちしてくる。


「……その、“微”って、外れじゃ……」


「言うな」


 口では強く言い返したけれど、胸の奥が少し悔しい。


 異世界転生。祝福。

 もっと分かりやすい“すごい何か”を期待するのが、人の性だと思う。


 神官は私の表情を見て、付け加えた。


「焦らず、まずは村で暮らしなさい。祝福は“使い方”で姿を変えます」


 姿を変える。

 それが本当なら、私にもまだ道はある。


 私は胸の中で小さく決めた。


 地味なら、地味でいい。

 毎日、少しだけ良くしていけばいい。



 村の名前はリーフ村。

 山のふもとの、小さな場所だった。


 住まいとして用意された空き家は、風がよく通る木造で、窓が少しがたつく。

 でも屋根はしっかりしているし、暖炉もある。


 ミルが言った。


「ここ、前の住人がお年寄りで、あちこちが“ちょっとずつ”困る家なんです。リナさんの祝福にぴったりかも」


「……褒めてる?」


「褒めてます!」


 勢いよく言い切るから、笑ってしまった。


 家の中を見回す。


 ドアが少しきしむ。

 椅子が少しガタつく。

 鍋のふたが少し合っていない。


 困るほどじゃない。

 でも毎日だと、地味に心が削れるタイプ。


「うん。確かに、ぴったりかも」


 私は鍋のふたに触れた。


 頭の中で祝福が反応する。

 手のひらが、ほんのり温かい。


 次の瞬間、ふたの歪みが少しだけ整った。

 がたん、という音が消えて、すっと閉まる。


 ……地味だ。

 でも、気持ちいい。


「え、なにそれ」


 ミルが目をぱちぱちさせる。


「今、ふたが静かになった……」


「うん。ちょっとだけ良くする、らしい」


 私はふたを何度か開け閉めした。

 指先に残っていた小さなストレスが、消える。


 ミルは驚きと納得が混ざった顔で頷いた。


「……すごい。地味だけど、すごい」


「“地味”は一回までね」


「はい……」


 でもミルは、ちょっと笑っていた。



 村の困りごとは、派手じゃない。


 パン屋のオルドは、毎朝早くから窯に火を入れている。

 焼きたての香りは最高なのに、本人の顔色が薄い。


「燃料が高くてな。薪が足りない日もある。焦がさないように気を張ると、肩が凝る」


 私は店の奥で、窯の扉の蝶番を見た。

 きし、と嫌な音がする。


「それ、毎日聞いてるの?」


「聞く。慣れたけど、慣れただけだ」


 オルドが苦笑する。


 慣れただけ。

 その言葉が、胸に刺さった。


 私は蝶番に触れた。


 微改良。

 ほんの少しだけ、良くする。


 きし、が、しゅる、に変わる。

 扉の動きが滑らかになった。


 オルドは一瞬黙って、それから短く息を吐く。


「……助かる」


 たった二文字が、妙に重かった。

 私は胸の奥が温かくなる。


 井戸水は冷たすぎて、冬の朝は手がかじかむ。

 子どもが咳をして眠れない夜がある。

 羊小屋の扉がちゃんと閉まらず、風が入り込む。


 私はそれらに、ひとつずつ触れていった。


 少しだけ、良くする。


 歓声は上がらない。

 派手な光も出ない。


 でも、人の顔の力が少し抜ける。

 「ありがとう」と言う声が柔らかい。


 それが、私の中の焦りを薄くしていった。


 派手に救うことはできない。

 でも、今日を少し楽にできる。


 ……それは、意外と強い。



 夜。

 私はランプの灯りの下で、小さなノートを開いた。


 ミルが用意してくれた紙は少し粗い。

 でも字を書くには十分だ。


 私は題名を書いた。


『改善ノート』


「……ダサい。でも、これでいい」


 前の世界で私は、改善提案を何度も書いた。

 でもそれは数字と期限のためだった。


 今は違う。

 誰かの生活のために書く。


 今日触れたもの。

 変わったこと。

 変わらなかったこと。

 村の人が言った一言。


 書いていくうちに、頭の中が整っていく。

 私はこの作業が好きだ。自分でも驚くくらい。


 ミルが戸を叩いて入ってきた。


「リナさん。祝福って……伸びるんですか?」


「伸びる?」


「神官長が言ってました。転生者の祝福は、使い方で変わるって」


 私はペンを止めて、自分の感覚を探った。


 祝福を使うとき、頭の中に“選択肢”みたいなものが浮かぶ。

 まだぼんやりしてるけど、確かにある。


「たぶん……毎日一回だけ、方向を選べる」


「方向?」


「効果の大きさとか、持続とか、対象とか、範囲とか……どれか一つを、ほんの少しだけ伸ばす感じ」


 ミルの目がぱっと明るくなる。


「それ、すごく大事じゃないですか」


「うん。だから、明日からやってみる」


 私はノートを閉じた。


「毎日、少しだけ改良する」


 ミルは頷いて、少しだけ笑った。


「リナさん、祝福の名前通りですね」


 その言い方は、もう“外れ”じゃなかった。



 翌朝。

 神殿の庭で冷たい空気を吸い込む。

 息が白い。指先が痛い。


 でも、心は落ち着いていた。


 目を閉じて祝福に意識を向けると、頭の中に短い言葉が浮かぶ。


『本日の改良:持続』


 持続。

 良くなった状態を、ほんの少し長くする。


「よし。それでいこう」


 私はパン屋へ向かった。


 オルドはいつも通り窯の前で腕を組んでいた。

 顔が眠そうだ。


「今日も早いな」


「オルドもね。スープ作ってる?」


「売れ残ったパンで作る。捨てるよりいい」


「じゃあ、今日の祝福はそれに使わせて。温かさが長く残るように」


 オルドは一瞬眉を上げて、それから頷いた。


「やってみろ」


 私は鍋に手を当てた。


 いつも通りの微改良。

 でも今日は“持続”方向に整える。


 鍋の中の湯気が、ほんの少し濃くなる。

 温かさが逃げにくくなる感覚。


 派手な光はない。

 でも、手のひらの温度が確かに変わった。


 オルドがスープをひと口飲んで、目を細める。


「……冷めにくいな」


「うん。しばらく温かいはず」


「助かる」


 その短い言葉が、胸に落ちる。


 ミルが小さく言った。


「地味じゃないですよ。これ、すごいです」


「地味は悪口じゃないって、最近分かってきた」


 私は笑って返した。


 その日、スープは最後まで温かく、村の人が手を温めながら飲んでいった。

 大げさな歓声はない。


 でも、「はぁ」と息を吐く顔がある。


 それで十分だった。



 そこから数日は、同じように過ぎた。


 毎日ひとつ、改良の方向を選ぶ。

 毎日ひとつ、困りごとに触れる。


 ある日は“安定”。効き目がぶれないように。

 ある日は“対象”。一つから二つへ。

 ある日は“範囲”。蝶番だけでなく、扉全体の閉まりへ。


 少し。少し。少し。


 ノートは少しずつ厚くなる。

 ミルは覗くのが日課になった。


「リナさん、観察が細かい……。ここ、原因まで書いてる」


「細かいの、得意だったから」


 前の世界では“面倒な人”と思われたこともある。

 でもここでは、それが誰かの助けになる。


 村長のハンナが、ある日訪ねてきた。


「転生者さん。話は聞いてる。派手ではないが、確実らしいね」


「確実に“少しだけ”です」


「少しでいい。村は“少しのズレ”で壊れるから」


 現実を知っている目だった。


「冬が強くなる。薪も薬草も余裕がない年だ。頼れるものは、頼りたい」


「はい」


 頼られる重さが怖いより先に、できることがある、と心が言った。


 私は改良を続けた。

 毎日少しだけ。



 そして、a寒波が来た。


 朝、窓の外が白い壁みたいになっていた。

 雪じゃない。風だ。空気が鳴っている。


 ミルが息を切らして飛び込んでくる。


「リナさん! 外……すごいです。村の北側が吹き溜まりで、道が……」


「怪我人は?」


「今のところは。でも……子どもたちと、お年寄りが」


 私はすぐ厚いコートを羽織った。

 頭の中で、今日の改良を選ぶ。


『本日の改良:範囲』


 ひとり分じゃ足りない。

 村の夜を越えるために、今日は範囲だ。


 私はまずパン屋へ走った。

 オルドの窯は、村で一番“火”が強い。


「オルド! 今日、スープを多めに作れる?」


「薪が……」


「節約する。窯の効率を少しだけ良くする。今まで積み重ねた分を使う」


 オルドは私の目を見て、短く頷いた。


「分かった。やる」


 私たちは大鍋を並べた。

 ミルは器を集め、村の人が運ぶ。


 私は鍋に触れる。


 温かさが逃げないように。

 そして今日は、範囲を広げる。


 鍋だけじゃない。器にも。運ぶ手にも。

 触れたものから、温度が落ちる速度を少しだけ遅くする。


 派手な奇跡じゃない。

 でも、スープが冷めにくい。

 温かさが、次の手へ渡っていく。


 村長ハンナが現れ、的確に指示を出した。


「子どもと老人を集会所へ。扉は隙間を埋めろ。風を止めろ」


 私は集会所へ走った。


 扉の閉まりを整える。

 蝶番、木枠、隙間。

 ほんの少しだけ。風の入り込みが減る。


 布団に触れる。毛布に触れる。

 冷えを“少しだけ”遠ざける。


 ミルが震える声で言った。


「リナさん……これ、間に合いますか」


「間に合わせる。派手じゃないけど、積み重ねてきた」


「……はい」


 ミルは頷き、子どもたちにお椀を配った。


「温かい……」


 子どもがそう言って、少し笑う。

 その笑いが、灯りみたいに見えた。


 外は風が唸る。窓が鳴る。雪が叩く。

 村は小さく、弱い。


 でも集会所の中には、温かい湯気があった。

 白かった息が、やがて透明になる。


 手が温まり、肩が少し落ちる。


 私は何度も触れた。

 何度も少しだけ良くした。


 限界が見える瞬間もあった。

 祝福は万能じゃない。私の体力も無限じゃない。


 それでも、積み重ねた“少し”は確かに効いていた。


 スープが最後まで温かい。

 隙間風が弱い。

 布団の冷えが少し和らぐ。


 村の夜が、ほんの少しだけ越えやすくなる。


 オルドがふっと笑う。


「……奇跡って、光るもんだと思ってた」


「光らない奇跡もあるよ」


 私が言うと、オルドは頷いた。


「そうだな。……この方が、腹に落ちる」


 派手じゃないからこそ、残るものがある。

 私はそれを、体で分かった。


 夜は長かった。

 でも、朝は来た。


 風の音が弱まり、空が薄く明るくなる。

 集会所の中に、安堵が広がる。


 ミルが窓の外を見て呟く。


「……越えましたね」


「うん。越えた」


 ハンナが私のところへ来て、短く言った。


「助かった。村は、今日を越えた」


 そして少しだけ、言葉を柔らかくする。


「“少しだけ”を笑う人は、この村にはいない。あんたが増やしたからだ」


 私は言葉が出なくて、ただ深く頷いた。



 寒波の翌日。

 空は澄み、雪が光っていた。


 村の道にできた踏み跡が、昨日までの必死を静かに語っている。

 でも人の顔には、妙な明るさがあった。


 私は神殿へ呼ばれた。


 祭壇の光は、最初の日と同じように揺れている。

 神官が穏やかに言う。


「リナ。女神の声がある」


 光が静かに胸へ落ちてくる。


『より強い祝福を望むか』


 強い祝福。

 分かりやすい力。派手な奇跡。


 一瞬、迷いかけて。

 でも、私は首を振った。


「いえ。これでいいです」


 ミルが隣で息を呑む。


「……いいんですか? もっと、すごい力が」


 私は笑った。


「すごい力って、きっと扱うのが難しい。私は、毎日少しだけでいい」


「毎日少しだけ……」


「うん。昨日より少しだけ良くする。これが、私の得意なやり方」


 光が揺れて、頷いたみたいに見えた。


 神官が静かに言う。


「ならば、その道を行きなさい。積み重ねる者の祝福は、積み重ねた分だけ強い」


 私は胸に手を当てた。

 派手じゃない温かさが、そこにある。


 神殿を出ると、ミルが小さく笑った。


「リナさん。……外れじゃなかったですね」


「外れって言ったの、ミルだよ」


「すみません。でも今なら言えます。あの祝福、うらやましい」


 その言葉が、嬉しかった。


 家に戻って、私は改善ノートを開く。

 ページの端が少し丸まっている。使った証拠だ。


 私は一行書いた。


『明日は、安定性を少し上げる』


 ペンを置いて、窓の外を見る。

 村の子どもが雪を踏んで走っている。


 転ばない速度で。

 でも、楽しそうに。


 私はその音を聞きながら息を整えた。


 祝福は地味だ。

 でも地味だからこそ、毎日使える。

 毎日、少しだけ良くできる。


 今日も生きる。

 明日も生きる。


 私はノートを閉じて、外へ出た。

 村の空気は冷たい。けれど、どこか柔らかい。


「おはよう、リナ!」


 誰かが呼ぶ。

 私は手を振って、笑った。


「おはよう。今日も、少しだけね」

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


このお話で描きたかったのは、「派手さがない=弱い」ではない、ということです。

生活の困りごとは、だいたいが大事件ではありません。けれど小さな不具合が毎日続くと、静かに心と体を削っていきます。だからこそ、リナの祝福は“毎日使える”こと自体が強みで、少しずつ積み重ねるほど、確かな力になっていきます。


「助かる」と言われる場面を、私は大切にしました。歓声ではなく、肩の力が抜ける瞬間。息が戻る瞬間。そういう静かな救いが、いちばん長く残る気がするからです。


もし今、あなたの毎日にも「ちょっと困る」が積もっているなら。

今日ひとつだけ、少しだけ良くしてみてください。

それはきっと、光らないけれど確かな奇跡になります。

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