第6章
取引先は郊外の幹線道路沿いに鉄筋三階建ての大きな店舗
を構えていた。平日の午前中、開店したばかりの時間なので、
まだほとんど客はいない。約束の時間より十五分早く着いて、
売り場の女性店員に来意を告げていると、奥から男性店員と
一緒に現れた平田主任が先に私を見つけて大声で呼んだ。
「遅いよ、もう! 何やってんの! こっちこっち!」
あわてて駆け寄った私は挨拶もそこそこに先日の不手際を
詫び始めたが、平田はろくに目も合わせようとはせず、顎で
ついてくるように指図した。店員とは目が合ったので会釈し
たが無視された。おずおずとついていくと、裏の倉庫だった。
段ボール箱がいくつもうず高く積まれている。すぐに意味が
分かった。
「一応、これで在庫全部のはずだわ。伝票、そこにあっから。
御社あてに着払いで。こんなことにこれ以上、うちの人手は
割けないからさ。じゃ、よろしく」
ある程度は覚悟していたが、いざ実際にやられるとさすが
に焦った。店内に戻ろうとする平田に必死に取りすがる。
「それだけは何とかご容赦願えませんか。このとおりです!」
分厚い眼鏡越しに私を睨みつけて、平田が唸った。
「何だよ、痛いな。あ?」
無意識のうちに平田の二の腕を必要以上に強く掴んでいた
ことに気づいて、あわてて手を放し、飛びのいた。
「失礼しました」
「自分から取り付けた約束を勝手にすっぽかしておきながら、
ろくに謝罪もせず、返品だけはお断りって、ちょっと身勝手
過ぎるだろ? そりゃあんたが入社したての新人だったら、
私だって教育だと思って、もう少し寛容にもなれるけどさ」
「申し訳ございませんでした。このとおりです!」
倉庫の床に両手をついて、平伏した。平田は段ボール箱に
腰掛けて、私を見下ろしていた。平田の横に立つ男性店員も
興味深げに私を眺め、店内に戻る様子はない。這いつくばる
私の上に、平田の言葉が容赦なく降り注いだ。
「本当なら、店に来てすぐそうするよね。誠意を見せるって
そういうことじゃない? 中西さんには、どう言われてきた
の? 謝るのはとりあえず二の次でいいから、とにかく取引
だけは死守してこいって?」
確かにそれに近いことは言われていた。
「いえ、そのようなことは」
「じゃ何なのよ、その態度は?」
こめかみに青筋が浮いていた
「うちが大手じゃないから、舐めてんだろ? どうなんだ、
おい? 答えろや、図星か? あん?」
低く静かな声が、かえって剣呑な空気を醸し出す。
「けっして、けっしてそのようなことは!」
ひたすら床に頭を擦りつけていたが、なぜ平田がここまで
態度を硬化させるのか、正直よく分からなかった。ネチネチ
と嫌味を言われ、埋め合わせに不利な仕入れ値か破格の接待
を要求されるくらいのことは覚悟していたが、こちらの謝罪
も待たず、いきなりの取引打ち切りに在庫返品とは、いくら
何でも極端で厳しすぎる気がする。もちろん、そんなことは
口が裂けても言えるものではない。とにかく、平田の怒りを
静めなければ、会社は大事な取引先のひとつを失ってしまう。
何をどのように言ったものか、必死に考えていると、あっけ
ないくらいあっさりと、平田が答を口にした。
「悪いけど、あんたじゃもう話にならんわ。次は中西さんと
一緒に、なるべく早く出直してきてよ。そのときにじっくり
と話し合おうじゃない。どう?」
感情の高ぶりが収まったのか、口調はさっきよりもかなり
和らいでいた。私は全身の力が抜けるのを感じた。安堵でも
なんでもない。無力感だった。確かに平田と旧知の仲の中西
が現場に顔を出し、詫びを入れて諸々を取り成せば、平田の
機嫌も直って、取引停止は避けられるかもしれない。しかし、
この歳になって仕事以前の問題でここまで関係をこじれさせ、
上司に尻拭いをさせるなんて、それこそ入社したての新人と
同じレベルだ。今からもう部長の嫌味が聞こえてくるような
気がして、私は肩を落とした。
「じゃ、そういうことで」
平田は腰をあげると店員を伴い倉庫を出て行こうとした。
私はまだ床に正座していたが、おずおずと頭を上げた。
「あの、すいません。では、この在庫は?」
平田はゆっくりと振り返ると、くわっと目を見開いた。
「返品に決まってるだろう、馬鹿野郎!」
耳の奥がジンと震えるような大声だった。
「部長を連れて謝りに来るからそれまで預かっとけってか?
それはそれ、これはこれだ。甘えるな。伝票を書くのが面倒
なら上等だ! 全部自分で抱えて持って帰れ!」
焦って再び床に額を押し付けた。渾身の勢いで押し付けた。
打ちっぱなしのコンクリートが冷たかった。
結局、返送作業には昼過ぎまで掛かってしまった。途中、
報告のために会社に電話を入れた。部長に、平田との接見が
不首尾に終わった旨を告げる。あらん限りの罵倒を覚悟して
いたが、意外にも部長は「仕方ないな」とつぶやいただけで、
平田には自分から直に電話して後の段取りを組むから作業を
終えたら速やかに帰社するようにと指示された。
「まあ、気にするなよ」
どういう風の吹き回しだろう。とてもあの部長の言葉とは
思えない。嫌な予感がしたが、かといってどうこう言える話
でもなかった。記入し終えた伝票の束を持って店内の事務室
に向かう。平田は電話中だったが、頭を下げる私を見ると、
邪険に手で追い払う仕草をした。あの店員が、平田の向かい
のデスクから無遠慮に私を凝視していた。冷たい顔だった。
いたたまれなくなって、挨拶もそこそこに店を出た。




