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6、本日開店です【2】

「いい匂いがしますね」


 軽やかにウィンドチャイムを鳴らしながら、食堂に入ってきたのは透真だ。月灯り図書館は、まだ開館時間ではなさそうだ。


「透真さんもお昼はこちらで召しあがるんですよね」

「はい。昼休憩の時間は図書館も閉めていますので。まぁ短い時間ですが」


 キッチンの方をちらっと見た透真はすぐに、背中を向けてしまった。手には本を数冊持っている。


「ランチのメニューが気になりますが。訊かない方が楽しみが増えていいかもしれません」


 そう言いつつも、透真は肩越しにキッチンを見遣る。


「……エビの匂いがします」


「はい。瀬戸内海直送の小エビです。軽く蒸して、これから殻を外します」


 三日月湖は高原にあるが、海も近いので新鮮な魚介も手に入る。修道院に魚を持ってきてくれる業者さんに、月光食堂の魚もお願いしている。「この魚を」との指定はせずに、旬の魚やよく獲れたものを買っている。

 その方が仕入れ値を抑えることができるし、量もたっぷりだ。


「蒸したてをそのまま食べても美味しいんですけど。海水の塩味がほどよくて。でもせっかくですからハーブのディルで風味をつけて――」

「ストップ、です。琴音さん。メニューが推測できてしまうではありませんか」


 ならどうして食堂に来たのだろう。琴音はそう考えたが、透真が本を持っていることで閃いた。


「もしかして療養院の帰りですか?」

「お、察しがいいですね。琴音さんは」


 透真は手にした本の中から、ハードカバーの単行本を掲げた。琴音もよく知る児童書で、威勢のいい黒猫が印象的な表紙だ。


「『ルドルフとイッパイアッテナ』じゃないですか!」


 うわぁ、と頰が緩むのが自分でも分かる。


「おや、琴音さんもご存じですか?」と、透真はいたずらっ子のように笑った。


「ご存じですよ」


 言葉が怪しくなっているのにも気づかず、琴音は透真の側へと寄る。

 大好きな飼い主のいる家に帰れなくなってしまった猫のルドルフが、逞しく生きていく物語だ。

 表紙の絵もだが、この本には迫力がある。力とも言うべきだろうか。


 透真はぱらぱらと本をめくった。


「ぼくも好きでよく読んでいた本です。本が友達とはよく言いますが、ぼくにとってルドルフは幼なじみかもしれません」


 大き目の文字を眺めているだけで、琴音も詳細な内容を思い出した。


 イッパイアッテナに文字の読み書きを教えてもらうルドルフ。大好きなリエちゃんの家に戻る(すべ)を必死に模索する姿と、凶暴な犬デビルとの対決がまるで映像のように甦る。


 強くあらねばならない野良猫の矜持。そして教養と美学とでも言うのだろうか。ルドルフとイッパイアッテナの深い絆に、琴音も引きこまれたものだ。


 幼なじみというほどなのだから、透真は琴音よりもこの本を何度も読み返したことだろう。


「この本は、長く入院している女の子が借りていたんです。返却日なので、療養院まで取り来てほしいと連絡をいただいて……」


 透真は古びた『ルドルフとイッパイアッテナ』を愛おしそうに見つめた。店内だからなのか、郷愁なのか、それとも別の理由があるのか。瞳の琥珀色が深さを増した。


 透真が他にも持っていた古い絵本に琴音は視線を向けた。小さい頃に読んだ記憶がある。

 その絵本の表紙はくすんだ紫の縁に、石造りの街並み。他の本に隠されてタイトルは見えない。


 確か主人公の動物が真っ黒な影で描かれていて、とても寂しい内容だったのは覚えている。


 飼い主の元に帰るために頑張るルドルフと対照的に、その絵本の主人公は帰る家すら、帰りたい家すらなかったのではないか?


「では、ぼくはこれで。またお昼に来ます」


 琴音が絵本のタイトルを尋ねる前に、透真は店を出ていった。


「お待ちしています」


 琴音は手を振って透真を見送った。


 絵本のことを考えていたせいか、透真の一人称が「私」から「ぼく」へと変化していたことにも気づかなかった。


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