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11、ベーコンとブルグルのサラダ

 三日月湖周辺は別荘を自宅として暮らしている人も多いから、あまり気にならないが。療養院や月灯り図書館を訪れる人は、下界の暑さに参っているとよく口にする。


『この辺りは扇風機だけで過ごせるんですよ。ああ、寝る時は窓を開けない方がいいですね』


 食堂に来た初日に、透真が琴音に教えてくれた。


『防犯ですか?』

『いえ、寒いんですよ。夜間はむしろ冷えますから、風邪を引かないように気をつけてください』


 瀬戸内海に面した町では、五月からもう夏の気配に満ちていた。まさか寒いなんてと訝しんだが、琴音はすぐに透真が正しかったことを実感した。


 夕暮れまでは涼しくていい、むしろ心地よい。だが夜更けは冷える。夜半に喉が渇いて起きた時、琴音は慌ててパジャマの上にカーディガンをはおった。


「これ、捨てられなかったな……」


 少し焦げの残ったカーディガンの表を、琴音はさすった。火事の日、木綿のカーディガンを着ていたから琴音は無事だった。


 手を火傷するかもしれないのに火の粉を払い、スーツを羽織らせてくれた透真を思い出すと、胸の奥がほわっと温かくなる。

 営業事務も作文や小論文の添削も、何もかもうまくいかなかった琴音に、透真は未来を与えてくれた。


「わたしも月光食堂を訪れる人に安らぎを与えたい」


 階段を降り、一階のキッチンへと向かう。テラスへと続く窓からは月光をたたえた三日月湖が見える。夜風も吹いていないのだろう、波音も聞こえない。


 冷蔵庫の音がジーと鳴っている。琴音は、冷凍庫の扉に手を触れた。中には今日仕入れた天然氷が入っている。


 天気予報によれば、しばらく暑さが続くという。療養院や図書館から歩いて月光食堂に来れば、避暑地とはいえ汗をかくこともあるだろう。離れた場所の民家や別荘からなら、尚のこと。


 明日からは小さめのかき氷もカフェメニューに加えることにした。

 シロップはすでに作ってある。知夏のイダ・ファームでは少量ではあるが果物も育てているので、購入したのだ。

 夜の静けさの中で、棚に並んだ蜜の入った壜に琴音は目を向けた。


「えっとスモモ蜜と、レモン蜜。まずはこの二つね」


 盛夏になれば旬の果物も変わってくる。それらを使うのが楽しみだ。


 翌日のランチには、久しぶりに百花の予約が入った。土曜日だから、見舞いなのだろう。母親の電話では百花だけで、自分は売店でパンを買うとのことだ。


「百花ちゃんの飲み物をどうしよう」


 三日月湖の浜の掃除をしながら、琴音は考えを巡らせた。高い位置で結んだ髪を、心地よい風が撫でていく。

 許可を取っているとはいえ、店の外を使わせてもらうのだから掃除は欠かせない。来た時よりも美しく――ではないけれど、営業前と同じ状態を保つのは大事だ。


 朝から入道雲がわきたつ青空で、気温が上がっている。山の麓はさぞや暑いことだろう。


「夕暮れのジュースは氷が入っているし。かき氷なんて、さらに無理よね」


 ラベンダー色のエプロンをつけた琴音は、野菜を水洗いしながらため息をこぼした。ランチのメニューはガスパチョを用意した。スペイン南部、アンダルシア地方の冷たいスープで日本でも人気がある。


 よく熟れたトマトは今日もずっしりと重く、赤が濃い。ガスパチョにはピーマンときゅうり、にんにくとオリーブオイルを用いる。さらにバゲットなどのパンをちぎり、水と共にブレンダーでがーっと混ぜる。

 火を使わない、簡単で栄養価も高い夏のスープだ。


 涼しい音を立ててウィンドチャイムが鳴った。


「こんにちは、今日のメニューは何ですか?」と、透真が月光食堂に入ってくる。


 やはりアロハシャツが好きなのだろう。透真はかすれた青地に大きな葉が描かれたシャツに、白い細身の足首までのパンツスタイルだ。軽そうな服装なのに、仕事でかけている眼鏡のままだから知的さとのギャップがある。


「ガスパチョと、あとは厚切りベーコンとブルグルのサラダです。サラダといっても、お肉が入るのでメインになるんですよ」


 挨拶を返しながら、琴音はメニューの説明をした。


「ブルグルって聞いたことがありませんが」

「えっと、クスクスに似ていますよ。ただ製法が違います。ブルグルはパスタに使うデュラム小麦を挽き割にしたもので、クスクスは世界で一番小さいパスタですね」


 修道院ではたんぱく質やミネラルが豊富なブルグルを使用することがあったから、琴音には珍しい食材ではないのだが。

 確かに一人暮らしをしていた頃は、クスクスは売っていてもブルグルはスーパーで見かけたことはない。


 まだ月灯り図書館は開館前で、透真は興味深そうにキッチンに立つ琴音を眺めている。


 お湯を沸かしてブルグルを茹で、その間にベーコンの塊を厚切りにする。薄いベーコンではいけない。しっかりと肉の存在感があるからこそ、サラダがメイン料理を張れる。

 そして今日のパンはバゲットだ。バターもたっぷりと添える。


 月光食堂を訪れる客は、普段から健康に気を付けている人が多いようだ。でなければ、修道院で培った琴音の料理を何度も食べにくるはずがない。

 とはいえ、あっさりと素材を重視しただけではおいしさも半減だ。


 せっかくの外食なのだから、特別感も必要。それがバターであり、かき氷であり、夜のカクテルだ。

 じゅうっとフライパンが音を立てる。ベーコンの脂がしみだして、いい匂いがキッチンに広がった。


「う、ダメです。急に空腹になりました。琴音さんの料理は危険です」


 拍子切りにしたベーコンの表面の色が変わり、軽い焦げ目がつく。透真は「これ以上は無理みたいです、失礼します」と去っていった。


「あ、あとでお待ちしています」


 透真の背中に向かって、琴音は声をかける。

 夏の時期に大量に採れるズッキーニと茄子を切り、こちらもオリーブオイルで炒める。

 旬の時期の野菜は、しばらく同じものが続く。露地栽培の野菜や果物は栄養もあり美味しいが、お客さまが飽きないように味や料理法を変えなければならない。

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