⑦そのような素敵な人は私の前には現れなかった
「えっ!何それ。どういうこと?」
キルティアが鏡台の前に座り、騎士訓練を受けるための身支度を侍女のサビナに手伝ってもらっていた。サビナはキルティアの髪を綺麗に一つに結いながら、先日、城下に買い物に行った際に手に入れたも物の話をした。
「今、城下街ではキルティア様の姿絵が大変人気でして・・・。先日、私もやっと手に入れることが出来たんです!」
サビナはキルティアの前に買ったというその姿絵を出して、自身の二つにした三つ編みの髪を跳ねさせながら、顔を赤らめてキャピキャピしながら話す。
「皇太子殿下の唯一の妃候補ですもんね!街での人気もうなぎのぼりですよ!」
「な・・・何、これ!!」
キルティアはその姿絵を見るなり、目が飛び出るほど驚き、王宮の外にも響くような大声で叫ぶしかなかった。
※※※※※※※※
「街に出たい?」
淑女教育後にお手伝いをしているいつもの執務室で、資料の仕分けをしながら、外出伺いの話をすると、翡翠は意外そうな顔をした。キルティアは連日の翡翠の積極的すぎる行動もあり、あまり翡翠と目を合わせられないでいたが、給金をもらっている身のため、仕事をないがしろにせずにいた。
「キルティアのことだから、時間があれば勝手に抜け出して、街に出て行ってるんじゃないかと思ったけど」
キルティアは思い当たる節があったのか少しギクッとした表情をしたが、すぐに気を取り直して、姿絵のことを話した。
「実は、サビナから来たのですが、私の姿絵が街で売られているようでして・・・」
「自分の姿絵を買いたいのか?」
リーリエが二人の会話に腹を抱えながら笑っている。
「そうではなくて。本当に私の姿絵が売られているのか自分の目で確認したいのです!」
キルティアは真面目な顔つきで言いながら、横で笑っているリーリエを睨みつける。
「私は王宮内でしか生活してませんし、王宮御用達の画家にも姿絵を描いてもらったことはありません。それなのに、私の姿絵が出回るなんて・・・!」
翡翠はリーリエと顔を見合わせた。
「今日はこの後丁度、商会の馬車が沢山来ますから、少し一緒に街に出てみましょうか」
皇后陛下が贔屓にしているという商会の馬車が十台も王宮から出ていくのに乗じて、騎士団の格好をして外套をまとった三人の人影が王宮の門からこっそり抜け出した。
「なんで殿下までついてくるんですか」
「いいじゃないか。私も城下を散策するのは好きなんだ」
キルティアが怪訝そうな顔をして翡翠を見た。
「そんなに警戒しなくても平気ですよ。姿絵といっても、所詮は絵です。まさか本物が近くを歩いているとは誰も思いません。皇族の顔だって、本当に見たことある人なんて、ほとんどいません」
(そういう意味じゃないんですけど・・・)
とキルティアは言いかけたが、再度説明するのが面倒くさいし、何より、楽しそうにウキウキした翡翠を見て、言わないでおいた。
屋台が多く並んだ広場に出ると、夕飯の準備をする時刻だからか、沢山の人が買い物に来ていた。誰も三人の姿に疑問も持たず、楽しげに買い物をしている。
キルティアは目当ての屋台を見つけると、二人から一目散に離れ、屋台へ駆け寄った。
姿絵が売られている屋台では、風景画の他に街で人気の役者や、この帝国の建国物語に登場する『虹の二人』の挿絵や、その他の歴史上の人物など、多数の姿絵が売られていた。そしてその真ん中には皇帝陛下、皇后陛下、皇太子殿下、リーリエ騎士団長など王城に住まう人々の姿絵も売られており、やはりキルティアの姿絵も売られていた。
その姿絵は今朝、サビアが見せてくれたものとは違ったものだったが、顔の特徴がよく捉えられていて、とても似ており、キルティアが夜会用のドレスを着て、凛々しく微笑んでいるものだった。
「なぜ・・・」
怖くなって外套の襟をたて、顔を隠す仕草をして、がっくり項垂れる。
「知らなかったのですか?シュトレーゼン夫人はダンスも上手いのですが、絵の才能もありまして、こうして、時々、皇族の姿絵を描いて、街に卸しているのです。ま、これは、複製ですがね」
リーリエの言葉にキルティアは絶句して、フラフラした足取りで屋台を後にすると、突然リーリエを睨みつけて、小声で詰め寄った。
「こんなものが、売れるんですか」
「売れゆきは上々ですよ。それはもう、皇太子殿下の唯一の妃候補ですからね」
「だからって、これでは・・・!私の顔がばれてしまっては、今の護衛の仕事そうですし、この仕事が終わったあとも身動きがとりにくいではないですか!」
リーリエは前をゆっくり歩いて屋台を見物している翡翠を見つめた後、視線をキルティアに戻して、大真面目に言う。
「そうですね。護衛目的だけであるなら、顔は晒さない方が良いと考えています。しかし、私たちは今後もあなたを逃がしたくないんです」
「なっ・・・」
キルティアはリーリエにきっぱり言い切られ、動けなくなる。
「わざとですか」
夕日を浴びたリーリエの黒髪はより際立って、黒々しているように見えた。そのリーリエが眩しそうに目を細めながら笑い、詰め寄ってきていたキルティアの肩を掴んで、適切な距離を保て、というようにキルティアを後ろに押し戻す。
「民衆からの人気も大切ですからね」
「人気も何も・・・」
「あなたはユリウス帝国の皇太子殿下の唯一の妃候補です。妃の人気が殿下の人気にもつながります」
「妃の人気って・・・私は護衛が終わり次第、また旅人に戻るんですよ!」
「おや、その護衛はいつまでとか契約期間がありましたか」
キルティアは絶句した。確かに契約期間の定めもなく、そもそも契約書自体がなかった。いわゆる口約束だったが、給金が現物でしっかり支払われており、旅人としてしか生きたことがないキルティアとしては疑いようもなかった。
(もしかして、永遠に殿下の護衛をしろってことなのか・・・?)
キルティアは真っ青になって、固まるしかなかった。
翡翠は二人の会話に気がついていないのか、まだ他の屋台を楽しそうに見ながらゆっくり歩いていた。
※※※※※※※※
帰り道にリーリエが少し寄りたい所があるというので、三人で向かうことになった。そこはリーリエが資金援助をしているという孤児院が併設されている教会だった。教会は王宮近くの森林を少し入ったところにあり、教会自体は質素な造りだが、白い外壁とステンドガラスが夕日を浴びて、神々しくみえた。教会前には噴水があり、民衆の憩いの場となっていた。
リーリエが孤児院の門を開けると、
「リーリエ様!」
三歳から十歳くらいまでの男女の子どもたちが数人、リーリエに駆け寄ってきた。
リーリエは屋台で買ったのであろう、大きな飴をひとりひとりに笑顔で頭を撫でながら渡すと、子どもたちは飛び上がって喜んだ。翡翠とリーリエが司教と話している間、キルティアは自分と同い年くらいで、修道女の格好をした茉央と呼ばれる女性に教会の中を案内してもらっていた。廊下にはリーリエの姿絵が豪華な額に入れられて飾られていた。
「リーリエ様も信仰の対象なのですか」
「いいえ。でも、私たちにとって、リーリエ様は神様のような方なんです」
茉央はリーリエの姿絵を見つめたあと、窓の外で翡翠たちと話しているリーリエを愛しそうに見つめた。
「この孤児院は五年前の事件で孤児になった子どもたちのためにリーリエ様がつくって下さったものなのです」
(また五年前か・・・)
キルティアはリーリエを見つめる茉央を見やった。茉央の髪も爪も綺麗に整えられており、健康状態に問題なさそうだった。また、修道服も比較的新しめのものが支給されているようで、それはこの教会と孤児院に金銭的余裕がある証だった。
「親を火事でなくして、逃げ回っているところを、攫われそうになって・・・」
茉央が当時の状況を思い出したのか、窓枠に手を当てて涙ぐみながら話はじめる。
「危ないところをリーリエ様が助けってくださったのです。それで、今、私はこちらの教会で修道女をしているのです」
「茉央はリーリエ様が好きなんだよな。いつもリーリエ様~だもんな」
いつの間にか近寄ってきていた十歳くらいの前歯が抜けた男の子が茶化しながら、二人の会話に入ってきた。茉央はその男の子を半目で睨んだ。
「私は一生懸命良いことしていれば、必ず良いことがあるって信じているんです」
心酔したように窓の外にいるリーリエを頬を染めてずっと見つめている。
まるで、リーリエのために、この教会で一生懸命に修道女をしていれば、リーリエに認めてもらえる、あるいは見初めてもらえるかのような口ぶりだ。
「リーリエ様って素敵ですよね」
茉央は隣に立つキルティアに笑いかける。
茉央の眩しい笑顔を見て、キルティアは自分の中にあった暗闇の部分が自身を侵食していくように感じていた。
その暗闇はキルティアに過去のことを思い出させ、村が火事になった光景、目の前でバサっと人が斬られた光景、父親が森にキルティアと妹を連れて行く光景がフラッシュバックして、キルティアは思わず身震いしてしまった。
(私には私たちを助けてくれるような、そんな素敵な人、現れなかった)
キルティアは震えてしまった自分自身を抱きしめ、壁に背中をもたれかけると、俯いて呼吸を整えた。
「雨も降りそうだし、暗くなってきましたから、急いで帰りますよ」
「そうだな、秘密裏に来てるからな。あまり長い時間不在だと、騒ぎになる」
三人は孤児院の皆に挨拶をして、門を出ると足早に歩き始める。
外はすっかり暗くなり始めていた。
「帰りはこの裏の森を抜けて、王宮に戻ります」
「え!そんな抜け道があるんですか」
「殿下と私はよくこの森で遊びましたから。こちらの方が近道です」
リーリエが来た道とは違う、教会の裏の森を小走りで進む。目印もないのに、森の中をどんどん進む。三人が森の中を黙々と足早に歩いていると、わずかに三人以外の人物の影響で草木が揺れる音がした。
「リーリエ・・・」
翡翠が前を歩くリーリエに声をかける。リーリエは歩くのをやめて、後ろをゆっくり振り向いた
「・・・後をつけられていますね」
森の木の陰から無数のキラッと光るものが背後から投げられると、すぐにキルティアとリーリエは腰の剣を抜き、翡翠を守るようにして、互いに交差して投げられたタガーナイフを弾く。
「相手は一人のようですね・・・」
二人の間から翡翠が胸に隠していたタガーナイフを飛んできた方角に向かって投げる。相手が別の木の陰に逃げたときに、わずかに長い赤い髪が見えた気がした。
「深追いはするな」
気がついたときにはリーリエの制止を無視して、一人でキルティアはその相手を追っていた。
雨が先程からぱらぱらと降っていたが、木が傘となって、森の中では濡れなかった。
二人は森の木と木の間を近すぎない距離で、同じ速さですり抜けて、川沿いに出た。その大きく太い川の岸辺には木がないため、雨が二人に直接降り注いで、キルティアは自身の手で顔を拭った。お互いに向き合って対峙しながら、次の動きを探っていると、相手は深く被って顔を隠していたローブを自らとって、ニヤリと笑った。
雨の中でもよくわかる赤い長い髪と口元の右下にあるホクロが印象的だった。
「オヒサシブリデス。オゲンキデシタカ・・・」
その人物が異国語で話しかけてきた。キルティアが絶句していると、後ろから翡翠とリーリエが走ってきていた。
「デハ、マタ」
赤い髪の人物は翡翠たちが来る方とは逆の方向に足早に去って行ってしまった。
「先日、私の部屋にきた侵入者と同一人物のようだな」
翡翠がキルティアに声をかけたが、キルティアはただ黙っていた。
雨足がどんどんひどくなってくる。
「とりあえず、雨がひどい。この先に崖があって、その下に洞窟があり、雨宿りができる。そこに逃げるぞ」
リーリエはキルティアの肩をポンとたたくと、洞窟に向かって走り出した。
翡翠は隣を走るキルティアをただ心配そうに見つめていた。