⑤その画策
リーリエ率いる帝国騎士団が昼前にカーライル州に到着してから、カーライル州の反乱は半日で制圧された。
反乱に参加していた民衆の動きは、帝国騎士団が到着するとすぐに、それまでの勢いはなくなり、統率のとれた動きを見せなくなった。すぐに壊滅状態に陥った民衆たちは帝国騎士団に包囲され、降伏せざる負えなかった。
捕らえられた民衆たちは、何かタガが外れたように、絶叫したり、会話ができる状態ではない者が多数いた。たまに正気を保っており、会話ができる者でも、この反乱の扇動者の名前しか口にしなかった。
「デボラ様は無事なのか?」
「デボラ様はどこにいったんだ」
「デボラ様がいないんじゃ・・・俺たちはこれからどうなるのか・・・」
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「リーリエ騎士団長、本当にありがとうございました」
カーライル州の領主である公爵夫妻と騎士団長であるリーリエは領主館の応接室で向かい合って座っていた。いかにも文官らしい、線の細い領主は白髪がまじった髪を隠すことなく、疲れ切った顔で簡素な長椅子に座っていた。その領主の実直さを体現したかのように、応接室には華美な装飾はなかった。
「お二人にお怪我がなくて良かったです」
リーリエは二人を気遣わしげに笑顔を向けた。
「まさかこんなに早く鎮圧できるとは・・・さすが帝国騎士団ですね」
現皇帝の歳の離れた姉である公爵夫人は涙を見せながら、隣に座る夫であるカーライルの領主にもたれかかって泣いている。
夫人はこの数日の籠城生活で精神的に参っており、夫から離れられないでいた。
それもそのはずで、民衆の反乱の勢いが優勢だった戦いの中で、明日をもわからない命だったのだ。夫である領主の顔には以前見たときよりも皺が増えたような気がした。
「帝国騎士団が到着するとすぐに、この反乱の扇動者がいなくなったようです。おかげで簡単に鎮圧できました。帝国騎士団にはほとんど怪我人も出ませんでした」
「そうでしたか。民衆の要求は『税を減らせ』でしたが、このカーライルでは、この十年、税を高くしていませんし、弾圧などもしていません」
「はい・・・。少し不可解な点がある要求なので、捕らえた民衆から事情聴取しているのですが、呂律が回っていないものが多く・・・。洗脳状態のような気がして・・・」
「教会の熱心な信者がこの反乱に多く関わっていると聞きました・・・。五年前の教会事件と同じでしょうか」
カーライル領主は暗い顔をして、そこで話すのをやめてしまった。
「五年前の事件と関連しているとなると、またアヘンが帝国内に入り込んでいるということですね・・・。アヘンについては、五年前からかなり厳重に規制していたのですが・・・」
リーリエは眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
アヘンを製造するにしても、密輸するにしても、お金がかかる。そのような資金をどこから得ていたかも疑問に思えてくる。リーリエは、最近頻出していた盗賊が奪った荷物がどこへ消えていったのかも気になっていた。
「領主様におかれましては、このあとの事後処理の方が大変でしょうから、我々騎士団は明日にも王宮へ帰還しようと思っています」
「そんなに急いで帰らなくても・・・」
領主が力なく、リーリエに心配そうに声をかけると、リーリエは首を横に振り、
「・・・殿下が心配ですので」
と言って膝の上で置いていた手を更に力をこめて握った。
※※※※※※※※
(これはやはり、罠だったんだろうな・・・)
その夜、案内された領主館の客間で着替えながら、リーリエは深いため息をついた。
(今回の反乱に参加していた民衆の動きは、寄せ集めの衆とは思えないほど、統率がとれていると報告を受けていた。長期戦を覚悟していたが、我々が到着した途端、扇動者がいなくなり、あんなにも統率がなくなるとは・・・)
リーリエは座った椅子から窓の外に浮かぶ月を静かに見つめた。
(翡翠様、どうかご無事で)
※※※※※※※※
真夜中の王城は静まりかえっていた。
翡翠の部屋の前の扉に護衛が二人立っている以外、王城内で動いている人物はいなかった。
翡翠の部屋の中を除いては・・・。
灯りが一切ついていない翡翠の部屋では、二人の男女が小声で話していた。
「隣に座ってよ」
簡易服を着た翡翠が寝台に座り、左手で寝台をポンポンとたたきながら、キルティアに隣に座るよう促す。
「殿下、私の仕事は護衛ですよ?一緒には休みませんって!」
キルティアが顔を真っ赤にして、翡翠からとりあえず距離をとろうとすると、翡翠はキルティアの右手を引っ張り、自分に引き寄せて、隣に座らせてしまった。
「こんなに積極的な服を着てるのに?」
左腕はキルティアの細い腰に回して、逃げられないようにしっかり抑えて、右手の指で今にも脱げそうな薄いキルティアの服の紐をなぞる。
「なっ・・・!!!」
キルティアは反射的に後ろに仰け反ってしまい、二人は寝台の上に倒れこんでしまう。
キルティアが顔を真っ赤にして硬直していると、翡翠がふふっと笑う。
翡翠が身体を起こすと、キルティアもホッとしながら寝台の上に座りなおす。
「大体、なんで毎回こんな夜間着しかないんですか、この王城は!」
キルティアが真っ赤な顔で文句を言うと、翡翠は余裕のある落ち着いた声で笑う。
キルティアが夕飯後に軽く湯につかってから、着替えようとすると、侍女のサビナに元々着ていた服は回収されており、代わりにこの服しか置いてなかった。
(嵌められてる!!)
「私は殿下の護衛なんですから、こんな服は必要ありません!」
「でも、唯一の妃候補でもある」
翡翠はキルティアの顎を左の指先でふれながら、まっすぐに見つめる。キルティアは思わず後ずさる。確かにリーリエから翡翠の妃候補として護衛するようにと、給金をもらっているが、翡翠においては、何か大きな誤解が生じている気がした。
(唯一の妃候補なら、殿下の近くにいつも居ても不自然ではないから、妃候補として護衛しろと言われているんだと思っていたけど・・・。殿下は妃の務めを求めている気がする・・・)
「私は嬉しいんだ。キルティアが私の妃候補になってくれて・・・」
「・・・・・・・」
翡翠の顔がキルティアの顔にゆっくり近づいてきて、鼻と鼻が触れ合う距離まで縮まってしまっていた。キルティアはまたしても、昔見たことがあるような、吸い込まれそうな淡いアイスブルーの瞳に映る自分を凝視する形で翡翠の目を見入ってしまった。
『翡翠殿下は呪われているという噂が・・・』
シュトレーゼン夫人の講義の内容を思い出し、翡翠からゆっくり視線をそらした。
(呪いか・・・。師匠も同じ色の瞳をしていたな。今もどこかで生きているのだろうか)
キルティアが真顔で昔のことを思い出していると、翡翠は右手でキルティアの左耳の銀色のピアスを優しくなぞると、再度キルティアに顔を近づけ、自分の唇をキルティアのそれに押し付けた。
キルティアは何が起こったわからず、固まることしかできなかった。
翡翠は吐息がかかる距離で、熱のある憂いをもった瞳でキルティアをまっすぐ見つめると、
「唯一の妃には私だけをみてほしいな・・・」
と自嘲気味に笑った。
キルティアは知らない。男女の駆け引きなど。ずっと旅をしていて、いろいろな人の人生を広く浅く垣間見てきたが、自分には全く関係のないことだと思っていた。家族や友達、ましてや恋慕の類など。だから、誰かが憂いを持ちながら、自分を見つめてくる意味もよくわからないし、知りたくもなかった。誰かに自分を大切にされた記憶などないに等しいから、自分以外の誰かが優しく触れてくる意味もよくわからなかった。よくわからないことは、少し怖い。
「ふっ不謹慎です!こんな非常事態の時に!」
キルティアはまた顔を真っ赤にして、翡翠の肩を両手で押して寝台から立ち上がろうとすると、寝台の後ろの大きな窓に人影が見えた。
翡翠もそれに気が付いたのか、すぐに寝台横に立てかけられていた二つの剣をとると、一つをキルティアに投げた。
それと同時に、この部屋の唯一の入口である扉の前からドターンと人が倒れる大きな音がした。
翡翠は扉方向に、キルティアは窓方向にお互いに剣を構え、背中を合わせる。
突然、窓ガラスがガチャンと大きく割られ、黒いローブを着た人物が部屋に入ってきた。
キルティアが大腿付近にレース紐で隠していたタガーナイフを投げると、その人物は軽々避けて、跳躍しながら、寝台から遠く離れた部屋の隅に立った。
顔を隠すように深く被ったローブからから赤い髪が見え、キルティアはドキリとする。
(私と同じ赤髪・・・?)
もう少しよく見たいと、足を一歩前に出したとき、翡翠の部屋の扉が大きくバタンと開き、複数のタガーナイフが投げ込まれた。キルティアと翡翠は後ろ向きで寝台のほうへ戻るように避けて、扉の方を見やると、扉の前には護衛騎士の二人が床に倒れていた。
(扉側から左右に一人ずつか・・・あの部屋の隅の人物と合わせて全部で三人かな・・・)
「殿下、ここはまかせてください」
キルティアは翡翠に声をかけながら、侵入者の人数を確認すると、隣にいる翡翠を守るように、次々と投げられるタガーナイフを寝台の掛布団で全て受け止めながら、先程投げた自身のタガーナイフを素早く床から拾った。
黒いローブを纏った人物は部屋の隅から動かなかったが、扉から入ってきた二人は黒いローブを被ったままキルティアと翡翠に飛び掛かってきた。
キルティアは手早くタガーナイフを二人の間に向かって投げ、そのタガーナイフに続くように二人の侵入者の間に入りこみ、二人がタガーナイフを避ける動きを利用して、右の侵入者を剣でなぎ倒し、左の侵入者を両足で蹴った。
部屋の隅に立つ黒いローブの人物がにわかに笑ったように見えた。
その人物は懐から小さな黒い筒を取り出し、キルティア目掛けてそれを投げた。
キルティアはそれをかわすように後退して翡翠の方に戻ると、投げられた筒は床で割れて、白い煙を出して、部屋中を煙で充満させてしまった。
「ゴホ、酷い臭いの煙だな」
「殿下、大丈夫ですか」
「私は大丈夫だ。しかし、逃げられたみたいだな」
「そうですね・・・」
白煙は部屋に一旦充満したあとは、開いた扉や割れた窓から外に出ていき、それが薄れていくとともに、侵入者たちが部屋からいなくなったことがわかった。
「狙いはやはり私だったようだな・・・」
翡翠が少量の鼻血を出しながら、気遣わしげに薄着すぎるキルティアに自身の上着をかけながら、ひとり言のようにつぶやいた。