③その帝国
シュバルツ州での秘密裏の内部調査を終えた翡翠たちは、ユリウス帝国の王宮に戻ってきていた。王宮についてからというもの、キルティアは毎日とにかく忙しかった。
帝国は女性騎士を認めており、女性も才能があれば、騎士になれる制度が整っており、キルティアは平民のティアという名前で、女性騎士団に入団して、午前中は訓練をした。
午後は、公爵であるリーリエ騎士団長の遠い親戚の伯爵の娘という身分をもらいうけ、妃候補として王宮で淑女教育を受けていた。王宮の淑女教育機関には本来なら三~五人の妃候補の令嬢が一緒に寝泊まりをして、淑女教育を受けいくのが慣例らしいが、現皇太子である翡翠の妃候補として、新しく入ったキルティアが一人いるだけだった。
「はぁ~~~」
キルティアは初夏に近い日差しの中で、ひとりで倉庫の後片付けをしていた。午前の女性騎士訓練は平民のティアが妃候補だと気づく者はおらず、特別扱いなどは一切なかった。本来なら新人騎士全員で訓練場を後片付けをするのも、中途半端な時期に入団したため、同期がおらず、一人で片付けをしていた。なかなか慣れない王宮生活も相まって、キルティアはしゃがみこんで、大きくため息をついていた。
「随分大きなため息だな」
キルティアが驚いて顔をあげると、涼やかな顔をした翡翠が立っていた。
新緑と正午の日差しが翡翠の銀髪に反射して眩しい。
「翡翠殿下!!」
キルティアは、驚いて立ち上がる。
(気配を全く感じなかった・・・。翡翠殿下も相当な腕の達人というのは本当のようだ・・・)
キルティアはぎこちなく、おじぎをして、臣下の礼をする。
長い銀髪を綺麗に一つに束ねて、両耳に金色のピアスをした正装姿の翡翠が放つ、神々しさに思わず見惚れてしまいそうになる。
「で・・・殿下はおひとりですか・・・?」
翡翠が護衛をつけていないことを不思議に思って尋ねると、
「仕事をこっそり抜けてきた。たまには息抜きしないとな」
と笑いながら答える。よく手入れされた銀髪が初夏の風にたなびき、アイスブルーの瞳が笑いかけてくると、キルティアは思わずドキリとしてしまう。
「王宮での暮らしには慣れてきたか」
「まだこちらにきて二週間ですよ?慣れるわけありません!」
翡翠の質問にキルティアが被せ気味に回答すると、
「ははは。それだけ元気があれば、まだ大丈夫のようだな」
正装した翡翠が笑う。周りにまばゆいばかりの宝石がちりばめられたようにキラキラして、さすがのキルティアも顔を赤くして見惚れてしまう。
(これが皇族・・・なんというオーラ・・・おそろしい)
「私も少し身体がなまっていてな、お手合わせをお願いできないかな」
「えっ」
キルティアは翡翠の突然の申出に驚いたが、女性騎士団の訓練ばかりで、より実践に向けて男性剣士とも訓練をしたいと考えていたキルティアには嬉しい話だった。
「それは是非!」
お互いの剣が交錯する音が訓練場に響く。
(殿下と手合わせができるなんて、なんて幸運!)
キルティアはワクワクした気持ちを抑えながら、翡翠と剣を交える。
互いに一歩も引かない交戦が続く。剣と剣がぶつかり、剣を挟んでお互いの顔が間近に見えたとき、キルティアは翡翠のアイスブルーの瞳に自分が映っていることに見入ってしまった。
(殿下の剣は基礎に忠実だな。・・・まるで師匠と対戦しているようだ)
翡翠によってキルティアの剣が弾かれる。
(しまった・・・)
「何を考えている?考え事なんて随分と余裕だな」
翡翠の剣が頭上から振り下ろされると、キルティアは素早い身のこなしで、ギリギリのラインで一回転しながらかわすと、翡翠の脇を狙って剣を打ち込もうとする。翡翠は先を読んでいたかのような動きで、キルティアの剣を横で受け止めてしまった。キルティアは攻撃の体制が崩れ、次の翡翠の攻撃を避けるために、跳躍して後ろに下がり、距離をとった。
(なかなか一筋縄ではいかないか・・・)
翡翠とキルティアは互いに剣を構えなおし、対峙しなおす。
お互いににらみ合い、次の一手を待つ。
翡翠とキルティアの踏み込んだ足元からはわずかに砂埃がたっていた。
どちらが先に動くかわからない状況の中で、お互いに一歩踏み出そうとしたところ、後ろの倉庫の奥から、
「ティア~!片付け終わったか~」
と先輩の女性騎士の声が聞こえてきた。
翡翠とキルティアは目を合わせ、互いに構えた体制から直立になおす。
翡翠はゆっくりと剣をしまうと、
「先に失礼するよ」
にこりと笑って、風にように目の前から去っていってしまった。
キルティアの一つに束ねた赤い髪はその風で大きく揺れた。
(ユリウス帝国の皇族には魔力が受け継がれており、殿下は風の使い手と聞いたことがあるけど・・・)
キルティアは翡翠が消えた方角をずっと見ていた。
※※※※※※※※
午後の淑女教育では、主にユリウス帝国の歴史を学んでいた。
凶悪な魔物からこの地を守ったのが現在の皇帝の先祖で、先祖である兄弟は二人とも魔力が非常に強く、二人が魔力を駆使してこの地を救った後には大きな虹が出来たとの逸話があり、今も市井では建国の祖として『虹の二人』が語り継がれているという。その子孫である皇族には代々その魔力が受け継がれているが、現代では魔物があまり出現しなくなったことに比例して、皇族の魔力も衰えている。専ら、今の帝国内部の問題は、有力な貴族同士の争いであり、それに起因する政治の不安定さであることも学んでいた。
政治が不安定になる一番の原因は、王位継承権についてで、今の帝国には皇位継承権のある直系男子が三名いたが、全員が腹違いの皇子だった。皇帝と皇后の子である第一皇子は生まれたときから身体が弱く、今も病に臥せっていた。公爵家の妃の子である第二皇子は五年前に逝去、小国の姫であった妃の子である第三皇子の翡翠が皇太子になったが、母親が小国の姫であること毛嫌いする者や現在の皇后の第一皇子を推す声も根強く、多くの派閥ができてしまっていた。
「近頃の皇族は近親婚が多くなりすぎて、身体の弱い子が生まれてる可能性が高いんです」
淑女教育を担当してくれているシュトレーゼン夫人はキルティアの前の教壇に立って、大きな家系図を見せながら、熱心に説明してくれていた。
白髪になった髪の毛を頭の上で一つのお団子にして丸めて、赤い眼鏡をかけた姿は教育熱心な先生を体現しているかのような姿だった。
「何か疑問に思ったことがあるのなら、この場で聞きなさい。あとでわからなくて恥ずかしい思いをするのはあなたなんだから」
そう言って、シュトレーゼン夫人は座っているキルティアの机の前まできて、鋭い目をキルティアに向けた。
キルティアはその姿にたじろぎながらも、何か質問しなくてはいけない雰囲気になり、
「翡翠殿下の妃候補は今まで誰もいなかったのですか?」
とあまり興味もなかったが、妃候補が他にいないせいで一対一で授業を受けるはめになっていることに疑問を持っていたので、意を決して聞いた。
シュトレーゼン夫人はキルティアから目を離し、後ろを向きながら、教壇に上がった。
「翡翠殿下は呪われているとして、誰も妃候補になりたがらなかったのです」
「え・・・?呪われている・・・?シュヴァルツ州では、領主の娘から随分とアタックを受けていたようだけど・・・?」
シュトレーゼン夫人は目を見開いて、驚いていたが、
「まあ、噂も下火になっていたというのもあるし、あそこの侯爵夫妻は社交の場にはほとんど出てこないから、単純に噂を知らなかっただけかもしれないですけど・・・、翡翠殿下は純粋にかっこいいからね。正妃になりたいと思ってくれたのかもしれないね」
すごく嬉しそうな顔をしてくすくすと笑いながら言った。
「で、呪いというのは・・・?」
「翡翠殿下の生母であるミア妃は、殿下出産時の事故で亡くなっています。また、殿下の幼少期に決まっていた婚約者は十歳で病死してしまいました。次に決まった婚約者は父親が謀反を企てたとして一家離散。・・・・・・噂が噂をよんで、殿下が呪われているとして、誰も次の妃候補になりたがらなかったのです」
「それで、二十歳にもなって、皇太子殿下の妃候補が誰もいないのか・・・」
キルティアは納得したようにうなずく。確かに話だけ聞いているとツイてない。呪われているように見える。
「そうですね。あんなに背が高くて、イケメンで、声が麗しい次期皇帝の正妃という立場なれるのに、呪われていると噂されているせいで、その座に可愛い娘を差し出すことを躊躇ってしまう貴族も多いようです。それもあって、いまだに第一皇子を皇太子にと考える貴族が多いのも事実です。第一皇子の許嫁の妃はご健在ですから」
「なんとなく・・・シュトレーゼン夫人が随分、第三皇子の肩を持っているような話聞こえますが・・・」
「私は第三皇子の乳母でもありますからね。私が翡翠殿下の母親がわりです」
シュトレーゼン夫人は嬉しそうに笑って自身の胸をたたいた。
翌日、キルティアは騎士訓練の後に、翡翠が手配してくれた侍女のサビナのお手製サンドウィッチを大急ぎで頬張ると、夜会用ドレスを着せてもらい、教育係のシュトレーゼン夫人とダンスホールに来ていた。淑女教育の延長でダンスの練習をするとのことで、キルティアは人生で初めてダンスホールなるものに足を踏み入れた。
シュトレーゼン夫人はいきなり音楽をかけ、キルティアに踊るよう指示したが、キルティアはダンスなど全くしたことがなく、ぎこちない動きしか出来なかった。
「まぁー、キルティア様、全く才能がないですわね。ドレスが勿体ないですわ」
シュトレーゼン夫人のバッサリとした物言いはこの淑女教育の中では通常のことなので、キルティアは苦笑いするしかなかった。折角、サビナに用意してもらったドレスも、今のキルティアには猫に小判状態だった。
「音感がないんですね。センスなしです」
さすがのキルティアもそこまで言われると、がっくりくる。そもそも、淑女教育なんて、キルティアは受けたくなかったわけだから、やる気もおきない。早く終わらないかと、どうにか逃げ出せないかと、視線を扉に向けると、その扉を開けて、護衛騎士二人をつれた翡翠が入ってきた。
夫人は驚いて、翡翠に近寄り、恋する乙女のような表情で淑女の挨拶をする。
「まさか、翡翠殿下がおいでになるとは思いませんでしたわ」
感激ともいわんばかりに、夫人は赤い丸い眼鏡をかけた目の奥に涙をにじませて、少女のように顔を真っ赤にして胸の前で両手を組んで翡翠に近づく。
「やっとできた、私の唯一の妃候補なんだ、あんまりいじめてくれるなよ」
と翡翠は笑って返す。
最近は翡翠と面と向かって話す機会などほとんどなかった夫人は、久しぶりに見る翡翠の笑顔とその声に完全にのぼせてしまっている。
「まぁ、どうしましょう」
少女のように顔を赤らめ、頬を両手で抑える夫人を横目に、翡翠がキルティアに近寄る。
「訓練場以来だね。ドレス似合ってるよ」
実に爽やかな笑顔でキルティアに声をかける。キルティアが疲れ切った顔でお辞儀をすると、
「キルティア様、淑女の礼がなってないですわ!さぁ、もう一度!」
と夫人から厳しい指導が入ってしまった。キルティアは気を取り直し、シュトレーゼン夫人に習った通りに淑女の礼をする。
「見違えたな。さすがシュトレーゼン夫人の指導だ。キルティア、是非、私と一曲踊ってくれないか」
翡翠がキルティアに手を差し出すと、キルティアはかなり困惑した表情を見せるしかなかった。
(え・・・。絶対足踏んでしまうから、嫌だ。そしたら夫人に絶対怒られるじゃないか!!)
「よかったですわ、実戦あるのみですわ!」
てっきり夫人がまだ二人でダンスなんて時期尚早と断ってくれるものと思っていたキルティアは、夫人の快諾に驚き、開いた口が塞がらなくなってしまった。キルティアはあれこれ弁明して、なんとか翡翠とのダンスは避けたかったが、意外にものり気の夫人によって強制的に二人でダンスすることになってしまった。
夫人が曲をかけると、翡翠の手がキルティアの手をとり、腰に手を回す。
男性があまりにも近くにいることへの緊張なのか、ダンスへの緊張なのか、はたまた絶対に夫人に怒られるであろう緊張なのか、キルティアはあまりの緊張で目線をどこに向けてよいかわからず、目を瞑ってしまった。
「目を瞑ってダンスができるのか?さすがだな」
翡翠は笑いをこらえながら、キルティアをリードしつつ、ステップをふむ。その後も二曲続けて踊ったが、キルティアが何度、翡翠の足を踏んでしまっても、翡翠はまったく動じず、キルティアをリードしてくれた。
(殿下はすごいな。こんなにリードしてくれるんじゃ、私がダンスなんて覚えなくてもいいんじゃないか?)
なんて甘い考えをしていると、翡翠が帰ったあとに、キルティアが想像していたとおり、夫人から一時間ほど説教されてお開きとなった。
キルティアは履きなれないハイヒールでダンスの練習をしたため、ふくらはぎが筋肉痛になり、足をプルプルさせながら、ダンスホールの扉を開けると、先に帰った翡翠が声をかけておいてくれたのだろう、侍女のサビナが廊下で待っていてくれた。
サビナはキルティアより二歳ほど若く、二つにした三つ編みが良く似合う、小柄で可愛い女の子だった。キルティアはサビナの顔を見て、ホッとすると、肩を貸してもらうことにした。
「迎えにきてくれたの?」
「はい。翡翠様からキルティア様のことはなんでもするよう、仰せつかっておりますから」
サビナはにこっと笑うと、キルティアを連れて歩き出した。
(王宮は広いから、サビナに案内してもらわないと、初めて来た場所だと迷子になってしまう)
サビナの肩を借りてキルティアが歩いていると、やけに大きい大きな部屋の扉があった。
キルティアが凝視しながら歩いていると、
「ここは第一皇子殿下のお部屋ですよ」
とサビナが説明してくれた。
「キルティア様はあまり近づかない方がいいですね・・・」
と耳元でこっそり忠告してくれた。
※※※※※※※※
「随分とご機嫌ですね。顔がにやけすぎですよ」
翡翠と一緒に執務室で仕事をしていたリーリエが、翡翠の顔があまりに崩れすぎているので、一声かけた。
翡翠は作業している手を止めて、リーリエの方に顔を向ける。
「顔に出てるか?」
リーリエは無言で頷くと、手元に目線を戻しやりかけの書類にサインをする。
「私にまた妃候補ができるなんて・・・な」
翡翠は自分の執務机の後ろにある窓に目線を向けて、外をぼんやり見つめる。
窓から差し込む夕日が翡翠の銀色の髪を赤色にしていた。
「私ももう、何も出来なくて、守れなった子どもじゃない」
リーリエは視線を翡翠に向ける。
「しかも、この帝国にとって、最良の妃候補だと思う」
翡翠の顔は少し笑ったように見えた。