①その出会いは偶然
「翡翠様、そのようにゆっくり歩かれますと、逆に不信に思われます」
袖口がほつれた藍色の服を着て、黒髪を頭の後ろで綺麗に一つに結んだ男が、前を歩く銀色の髪の男の耳元でそっと声をかける。
「そうか」
翡翠と呼ばれた二十歳前後だと思われるその男は、長い前髪を耳にかけながら、ゆっくり周りを見回す。アイスブルーの瞳と整った顔立ちは、ボサボサの髪で平民の装いをしていても、すれ違う人々が振り返るほど不思議な魅力を放っていた。
「やっぱり城下は賑わいがあっていいな」
隣に立つ黒髪の男に笑いかける。
切れ長な目が印象的なその男は優し気な眼差しで翡翠を見つめる。
「殿下が頑張っている国ですから」
今日はユリウス帝国内で催される、春の夜祭りの日だった。過ごしやすい気候も相まって多くの人で賑わっていた。特に川沿いにはユリウス帝国の国の花とされ、この国では一年中咲き乱れるデボラがさまざまな色で綺麗に咲き、その香りとともに夜の幻想的な雰囲気を創出していた。
城下町の中心街から川沿いまで所狭しと並ぶ屋台には、伝統料理やお菓子、おもちゃ屋など、沢山の店が並んでいた。その屋台を一つ一つ面白そうに眺める翡翠と、一歩下がって先程の黒髪の男、一回り体格の小さい御者の男の三人で歩調を合わせて一緒に歩いていた。
「夜のデボラは本当に綺麗ですね。灯りに照らされると尚更に綺麗です」
川沿いにつくと、御者がデボラの小さな花を指さして二人に笑いかける。
春の夜祭りは、見目麗しい背が高い男二人が一緒に歩いていても、周りが気にもとめないほど賑わっていた。
三人が連なって歩いていると、前から十歳くらいの少年二人組が人込みを掻き分けて走ってくるのが見えた。
咄嗟に黒髪の男は翡翠の袖をひき、二人組の進路から身を反らしたが、御者は男の子の一人とぶつかってしまい、わあっと言いながら、後ろに転がって尻もちをついた。
「ご、ごめんなさーい」
二人組は謝りながら、そそくさにどこかへ行ってしまった。
黒髪の男は御者に駆け寄ると、手を貸してゆっくり立ち上がらせる。
「大丈夫か」
「リーリエ様、すみません」
御者が困ったように服についた土を払っていると、リーリエと呼ばれた黒髪の男は、御者の首元が大きく開いてしまった上着を指さした。
「これは、やられましたね・・・」
「やられたとは・・・?」
御者がわけもわからず聞き返す。
「スリですよ。あの一瞬でこれとは・・・。手練れですね」
それを聞いた御者は真っ青になり、慌てて、紐で自身の首にかけて胸元にしまっていた小銭袋を探す。
小銭袋がないとわかると、その場にうなだれてしゃがみこんでしまった。
「きっと常習犯でしょう、夜祭りに不慣れな我々に初めから目をつけていたんじゃないでしょうか」
リーリエが少年二人が走り去って行った方を再度みると、人込みの中であきらかに異質なオーラを放つ一人の人物に目が惹きつけられた。
その人物は先ほどの少年たちより顔一つ大きいくらいの背丈で、外套を深々と頭から被って、確実にこちらに近づいてきていた。
(男か・・・女か・・・)
リーリエは翡翠たちの前に立ち、相手の出方を探る。
その人物はリーリエの前で立ち止まると、髪の色と同じ赤い鋭い瞳で睨みつけて、小さな麻袋をリーリエ目掛けて投げた。
「これ、落とし物だよ」
外套を深々と被っていたため、顔はよく見えなったが、赤い髪と赤い目、左耳に銀色のピアスが見えた。
「あれは・・・」
翡翠とリーリエはその銀色のピアスを見るなり、驚いて動きを止めた。
(赤い髪に赤い目、それにあの銀色のピアス・・・。少年たちの騒ぎ声も聞こえないし、一瞬で少年たちが気づかない方法で奪ったか。そうだとしたら、聞いていた以上にかなりの腕前だ)
「ありがとうございました。大変助かりました」
リーリエが黒髪を揺らしながら、その端正な顔立ちで笑顔をつくり、お礼を言うと、その人物は無言で三人の横を通り過ぎていこうとした。
リーリエはその人物が真横にきたとき、その左手を掴み、
「旅の方、その腕を見込んでお願いがあるのですが・・・」
と耳元で言って引きとめる。
リーリエは懐から金貨一枚を取り出すと、それを掴んでいた相手の左手に握らせた。
「私たちの旅路の護衛をお願いできませんか」