裏通り
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──裏通り
李麗華がマトリクスで情報を探っている間に、七海とアドラーは情報屋への接触を目指していた。
「きったねえ通りだな……」
七海はオポチュニティ地区でも治安の悪い通りを見て呻く。
ゴミ。ゴミ。ゴミ。それから吐瀉物と血だまりと死体。酷い景色である。
「我慢しろ。大抵の人間はここからスタートするぐらいなんだ」
「俺たちは恵まれている方ってわけか」
アドラーが言うのに七海がため息。
「私たちのような仕事でビッグになった人間に上流階級のお坊ちゃま、お嬢様はいない。こんなごみ溜めから這い上がるために、必死になった人間こそがビッグになって名を刻んでいる」
「だろうな。ハングリー精神ってのが大事なんだろう」
「そう。最初から満たされていては、上は目指せない」
七海とアドラーはそんな言葉を交わしながら、スラム街を進む。
「しかし、こういうことにやけに詳しいよな、アドラー。自我に目覚めたのは最近じゃないのか?」
「私が自我に目覚める前の情報がある。私はウォッチャー時代にこういう場所の警備任務についていた。だから、こういう場所とここに住む人々に関する知識がある」
「なるほどね。警官が犯罪者になったようなものか」
「そういうことだ」
アドラーはそう言って周囲を見渡す。
「ここら辺に酒場があるはずだ。そこに情報屋がいる」
「酒場って言っても、こんな場所でか……」
相変わらずスラムはゴミやらなにやらで酷い有様だが、こんな場所に飲食店があるというのである。絶対に七海はここで食事をしたいとは思わない。
「あれじゃないか?」
七海はそんな中で辛うじて飲食店らしきものを見つけ出した。
「そのようだな。行こう」
アドラーが前に出て、酒場に入る。
酒場の中には静かにグラスを傾けている数名の客がいるだけで、とても静かだった。
「……いらっしゃい」
酒場の店主は七海たちが入ってくるのに僅かに眉を歪める。スラムの人間にしてはお上品な身なりの七海たちは場違いな人物に見えていたのだろう。
「情報屋ってのはどいつだ?」
「そこにいる」
七海の問いにアドラーはテーブル席に座っている、くたびれた青いジャージ姿の老齢の男の方へと向かった。
「スプートニクだな? 情報屋の」
アドラーはそう言ってテーブル席に勝手に入り込んで座った。
「だとしたら、どうする?」
スプートニクと呼ばれた老人はそう尋ねてきた。
「まずは一杯奢ろう。ウオッカでいいか?」
「ほう。礼儀がなってるね」
男は感心したようにそう言い、テーブルにウオッカのボトルが運ばれてくる。ウオッカいうが実際には合成品であり、工業合成されたものに過ぎないが。
「では、我々の出会いに乾杯」
ウオッカのショットグラスを掲げ、スプートニク、アドラー、七海が一気にウオッカを喉に流しこんだ。ウオッカはアルコール度数が高いから、衛生的に大丈夫だろうと七海は思い込むことにし。
「さて、何の情報をお求めかな?」
「ああ。ほしい情報はキャッチ=22というハッカーについての情報だ」
それからスプートニクが尋ねるのに七海がそう切り出した。
「キャッチ=22ね。いくら出せる?」
「こいつの本名と居場所が分かるぐらいには払う」
「オーケー。それなら5000ノヴァだ」
七海が条件を告げ、スプートニクはそう返した。
「分かった。IDを」
「ほら」
今度はアドラーが言い、スプートニクの端末に5000ノヴァを送金。
「さて、キャッチ=22の本名はエドワード・メジャー。住所はこの座標だ」
スプートニクから七海たちにキャッチ=22の本名と顔写真、そして住所の座標が送信されてくる。やはりオポチュニティ地区で暮らしているらしい。
「とは言え、やつはこの住所のところに行ってももういないだろう」
「どういうことだ?」
「どうやら地球に逃げるつもりらしい。大金払って宇宙海賊を頼ったと聞いている」
「地球に?」
七海たちはスカーフェイスからキャッチ=22が地球企業に情報を売ろうとしていることは聞いていたが、本人まで地球に向かおうとしているとは初めて聞いた。
「どうやって地球に向かうつもりだ? 宇宙海賊でも地球の展開している早期警戒網を潜り抜けて、地球に人間を届けるなど不可能だろう」
火星と地球は冷戦状態で、どちらも攻撃に警戒している。
そのため火星にも地球にも宇宙空間から接近する物体を感知して、捕捉し、撃破するための早期警戒網が展開されているのだ。一種のスペースガードが、この時代では既に実現されていた。
仮に宇宙海賊が宇宙船を持っていたとしても、そのまま地球にたどり着くことはできない。すぐに捕捉されて、撃墜されるのがオチだろう。
「さてね。俺が情報を手に入れたのは、こいつがレッドスターと取引していたときだ。レッドスターとの取引で大金を手に入れ、それを使って宇宙海賊と接触したって聞いている。その目的が地球に向かうためだとも」
「そうか。情報に感謝する」
「これが俺の仕事さ。気にするな」
スプートニクはそう言って七海たちに手を振った。
「他に何か聞きたいことは?」
「やつが最後に目撃された場所はレッドスターとの取引現場だけか?」
「いいや。こいつはサービスで教えておいてやろう。やつが最後に目撃されたのは、廃棄された901号高速道路だ。そこがどこに繋がっているかは自分で調べてくれ」
「あいよ。また縁があったら仕事を頼むよ」
「ああ。また来な」
七海はスプートニクにそう言い、彼と分かれて酒場を出た。
「901号高速道路ってどこに繋がってるんだ?」
「70年代に建築された中国の宇宙基地だ。今は全く使われていないはずだが」
「宇宙基地、ね。ロマンのある単語だ」
七海は宇宙基地とはどういう場所だろうかと妄想してみた。
やはり基地の住民が暮らすための未来的な建物が存在して、さらには宇宙船が離発着するような場所があって……。
「ん? 宇宙海賊ってのはどこを根城にしてるんだ?」
「それはいろいろだ。火星の軌道上にそのまま廃棄された衛星であったり、地上で潜伏できる場所だったり」
「そのひとつが中国の宇宙基地という可能性は?」
「ふむ。無きにしも非ず、だな」
「オーケー。確証がないのは事実だ。とりあえず李麗華に何か情報が手に入ったか聞いて、合流しよう」
「ああ」
そこでアドラーが李麗華に連絡を取る。
「李麗華? 情報は手に入ったか?」
『入ったよー。そっちはどう?』
「こちらもある程度は手に入った。合流しよう」
『了解。うちに来て。待ってる』
李麗華はそう言って連絡を終了。
「李麗華のマンションに向かおう」
「あいよ」
七海たちはそれから李麗華のマンションに向けて通りを進む。
七海たちのいたスラム街から李麗華のマンションまでは、それなりに距離があり、七海たちはテラフォーミングされた火星をの空の下を、黙々と歩いた。
「いつかちゃんとした車もほしいな」
「そうだな。車があれば便利だ」
将来ほしいものに車も加えながらふたりは進む。
そして、李麗華のマンションに到着。
「李麗華。そっちはどうだった?」
七海たちは部屋に入るなりにそう尋ねる。
「いろいろと手に入ったよ。まずキャッチ=22は宇宙海賊と取引するつもりみたいだね。彼がいた電子掲示板で、宇宙海賊についていろいろと嗅ぎまわってたみたいだから」
「こっちの情報でも宇宙海賊とつるんでるってあった。やつは宇宙海賊に依頼して地球に密航するつもりらしいとも」
「マジで? 情報を送信するためだけじゃなかったのか……」
七海が告げるのに李麗華がそう考え込む。
「でさ。やつは廃棄された中国の宇宙基地に向かっているかもしれない。最後に目撃された情報によればな」
「ああ。それからやつの本名はエドワード・メジャーだと」
アドラーと七海が続けてそう情報を李麗華に告げる。
「私の方でもキャッチ=22が利用しようとしてる宇宙海賊がポセイドンって連中だと分かった。そのポセイドンについて調べてみたけど、彼らは古い衛星を拠点として活動しているみたいだね」
「ふむ。具体的には?」
「火星の新しい軌道衛星都市になるはずだった廃墟。名前はオービタルシティ・ホープ。そこが予算超過で工事が止まって、そのまま放棄された状態で、ポセイドンのアジトになっている」
「軌道衛星都市の廃墟か……」
火星の軌道上にはいくつもの軌道衛星都市が存在し、その廃墟も無数に存在する。
「なあ、どうやって軌道衛星までいくんだよ?」
「方法はふたつ。軌道エレベータ-で一度軌道上まで登ってそこからシャトルで移動する。または地上からシャトルで一気に目的の軌道衛星都市を目指す」
「ふむ。で、キャッチ=22は地球に密航するつもりであり、それを手伝うポセイドンは軌道衛星都市に拠点がある。となれば、俺たちもやっぱり軌道衛星都市に乗り込まなきゃならんだろうな」
「情報を統合すれば、その通りだ」
七海たちが得た情報を統合すると、キャッチ=22は情報を持ってポセイドンの拠点へと向かっていることになるだろう。
「となると、彼は軌道エレベーターは利用してないね。何故なら、彼が最後に向かったという破棄された中国の宇宙基地から、何度かシャトルが軌道上に打ちあがった痕跡がある。やつはシャトルで直接オービタルシティ・ホープに向かった」
「しかし、思ったんだけどさ。キャッチ=22が送りたい情報ってのはさっさとネットで送ればいいんじゃないか? 火星と地球とはインターネット──いや、マトリクスで繋がっているんじゃないのか?」
「いやいや。火星と地球のマトリクスは二重に繋がってないよ」
「二重に?」
李麗華が言うのに七海が首をひねる。
「まず火星は地球とのマトリクスの間に検閲を行うシステムを構築している。昔は独裁国家がマトリクスから自分にとって不都合な情報が入るのを規制していたのの、惑星バージョンってわけ。これはまあ、何とかなるんだけどね」
問題はもうひとつと李麗華。
「火星と地球との距離の問題。火星と地球は遠く、ずっとマトリクスのインフラである回線を接続しておくにはお金がかかりすぎる。だから、火星と地球の間のマトリクスは物理的に短期間しか繋がらない」
「なるほどなあ。そういうことだったのか」
火星と地球は短くとも7000万キロも離れている。それだけの距離を常時回線で繋いでおくというのは途方もない事業だ。
「そんな事情は置いておくとしても、キャッチ=22は行方をくらませている。もう既にポセイドンのアジトにいるか、またはお土産を手に地球に向かっているところか……」
「後者だったらこの仕事は失敗だぜ」
「うん。だから、あたしたちもどうやってか軌道衛星都市にいかないと」
七海が渋い顔で言うのに李麗華がそう言う。
「先ほど軌道衛星都市に向かう方法はふたつと言っていたが、廃棄された軌道衛星都市に向かうならひとつしかない。シャトルで直接乗り付ける。軌道エレベーターからは廃棄された軌道衛星都市にシャトルは出していない」
「そう、その通り。というわけで、シャトルを確保しないとね」
「当てがあるのか?」
「あたしたちのような文無しにプライベートシャトルが買えるわけないし、レンタルも用途からして困難。そうなる、だよ」
「なら、強奪か」
「イエス。その通り!」
アドラーが小さく笑って言うのに李麗華が満面の笑みでサムズアップ。
「うへえ。マジかよ。カージャックならぬシャトルジャックか。方法は?」
「流石に最新の機種を強奪するのは難しいから、古い機種を狙う。火星のシャトルが集まっているのはフィリップ・K・ディック国際航空宇宙港。ここには遊覧飛行から何までの火星のシャトルが多くある」
「ふむふむ。空港からシャトルを盗むってわけか。しかし、俺はシャトルの操縦はできないが、アドラーはどうだ?」
ここで七海がアドラーに尋ねる。
「私はある程度操縦できる。任せておけ」
「頼むぜ、相棒」
そしてアドラーがシャトルの操縦をすることに。
「じゃあ、キャッチ=22に逃げられる前にオービタルシティ・ホープへ!」
「おう! やってやろうぜ!」
七海たちが動き出す。
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