#6 フォアハンド
夜が深く、風が冷たくなっても俺はコートに立ち続けた。ババロフは黙々とボールをバスケットから取り出し、一定のテンポで俺に打ち返してくる。
「またフォアハンドか…」
俺は触手でラケットを握りしめ、低くつぶやいた。何十回、何百回と同じ動作を繰り返している。もはや頭の中が空っぽになるほど。だが、フォアハンドの感覚はまだ掴みきれない。
「いいか、タコ。テニスは反復だ。頭じゃなく、体で覚えるんだ」
ババロフの声は冷静で、それが逆に重くのしかかる。
「くるぞ!」
ボールが飛ぶ。俺は触手を思いきりしならせ、ラケットを振り抜いた。
パコンッ!
芯にかすった音がした。だが、ボールはサイドアウト――またしても失敗だ。
「くそ……」
失敗の数が増えるたび、苛立ちが募る。しかし、俺は諦めない。これが俺の戦いだ。ラケットを握り直し、触手をしならせる。
限界の先に
――もう何時間やっているのかわからない。触手が重く、動きが鈍くなってきた。けれど、ババロフは休ませてくれない。俺の疲労など無視するように、次々とボールを打ち込んでくる。
「疲れたか?」
ババロフの言葉には一切の情がない。それが俺を逆に奮い立たせた。
「俺は……やる。俺がやらなきゃ、誰がやるんだ」
触手を握り直し、深く息を吸い込む。痛む筋肉が警鐘を鳴らしているのがわかるが、俺はそれを無視する。
フォアハンドを――もっと完璧に。
「もう一球だ。来い!」
ババロフは無言でボールを放つ。俺の体が反射的に反応し、自然にラケットが動く。
――その瞬間、触手とラケット、そしてボールの軌道が完全に一つに重なった。
パァンッ!!
音が違う。今度の音は力強く、純粋だった。ボールはコートの中に綺麗に収まり、低く弾んだ。
「……今のは…?」
俺は息を呑む。この一瞬の感覚――これが、俺の求めていたものか?
ババロフが微かに微笑む。
「そうだ、それがフォアハンドだ。今の感覚を、絶対に忘れるな」
フォアハンドにすべてを賭ける
俺はもう一度ラケットを構えた。この感覚を手放さないために、何度でも反復する。
「続けるぞ、ババロフ。限界なんて、俺にはない!」
ババロフは言葉なく頷き、再びボールを打ち込んでくる。俺はひたすら、フォアハンドを振り抜く。触手がどれだけ痛もうとも、俺は進む。
フォアハンド――これが俺の武器だ。
俺はこの武器を、使いこなしてやる。
そのために、俺はこの夜を越える。終わりなき反復を、俺の存在の証として。
「打つ、何度でも――俺は、打つんだ!」
触手が覚えたリズム
俺はすでに疲労も痛みも忘れ、ただ一心にラケットを振り続けた。ババロフとの静かな闘いの中で、俺の触手は一つのリズムを刻み始めていた。
このリズムは、俺の武器になる――絶対に。