表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/55

#3 ウィンブルドン

俺は、その場で凍りついた。これが、テニスの頂点――ウィンブルドンなのか?


見渡す限りの芝のコート、四方を埋め尽くす観客たち。彼らは熱狂し、歓声をあげ、拍手を惜しまない。その中心に立つ二人の男――ナダルとジョコビッチ――まるで神々が戦っているようだった。俺は何もかもが圧倒的すぎて、触手を震わせることしかできなかった。


「…これが、テニスだ」


ナダルは土の王者、ジョコビッチは不屈の精神を持つ男だと説明を聞かされていた。けれど、そんな肩書きなどどうでもよかった。目の前の戦いは、何か特別な意味を持っている――そう感じたからだ。


二人のラケットがボールを打つたび、空気が震え、芝が揺れる。ジョコビッチのサーブが放たれた瞬間、俺の心臓は鼓動を忘れたかのように止まりかけた。ボールはまるで銃弾のような速度でナダルのコートへ突き刺さったが、ナダルはそれを触手のように柔らかな動きで返してみせた。


「すげえ…」


俺の触手が反射的に動いた。あれだ。俺もあのように――いや、もっと凄まじい動きでボールを打ち返したい。俺の体は深海で培った筋肉と柔軟性を持っている。もし俺がこのコートに立てたら、彼らを超えることも夢じゃないんじゃないか。


だが、今の俺はただの観客だ。触手を引っ込め、静かに試合を見守るしかない。


試合の熱狂と孤独。

ジョコビッチのバックハンドは、まるで鋭い刃のように相手の隙を突く。ナダルも負けじと回り込み、フォアハンドを力強く叩き込む。二人の戦いは単なる運動ではなかった。これまで積み上げた歴史、努力、痛み、苦しみ――全てが詰まっていた。


「俺は…この戦いに加わりたい」


そう思った瞬間、心にかつての絶望がちらついた。お前みたいなタコが、この輝かしい世界に立てるわけがない、と。


俺はただのタコだ。深海の底で見下され、弄ばれた存在。なのに、どうしてこんな光の舞台に立ちたいだなんて思ってしまうのか?


ジョコビッチのラケットが芝を叩く音が、俺の迷いをかき消した。ナダルの咆哮が、俺に突き刺さった。


「そうだ、俺にはテニスがある…!」


他の誰も信用できなくても、俺の触手がある限り、俺はテニスを掴み取れる。あのボールを、ナダルやジョコビッチのように打ち返せる日が来るはずだ。俺は自分に言い聞かせた。


ジョコビッチが試合の最後のポイントを決め、勝者の歓声がスタジアムに響き渡る。ナダルも笑顔で握手を交わすが、その背中には敗者の孤独が滲んでいた。それでも、二人は輝いていた。


「あれが、俺の目指す場所だ」


俺は心の底からそう確信した。


――この舞台に立つ。必ず、立ってみせる。


触手がうずくのを感じながら、俺はこのウィンブルドンを去る準備をした。これから何をすべきかはもうわかっている。ラケットを手に入れ、練習を積み、試合に出場する。そして、あの神々と肩を並べて戦うのだ。


俺の物語は、まだ始まったばかりだ。


「ウィンブルドンで待っていろ、ジョコビッチ、ナダル…!!」


俺の触手は再び動き出した。絶望の淵から這い上がった俺が、次に目指すのはこの輝かしい光の舞台――そして、必ずや勝者の座だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ