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#2 光の世界

テニス…その響きが、俺の中で鳴り止まなかった。


ボールを打ち合う音、駆け引き、そして奴らの笑顔。それは、俺の知る地獄の風景とはまるで異質なものだった。こんな世界が存在するなんて、俺の常識を完全に覆す光景だ。光に包まれたその舞台には、痛みも苦しみもなかった。そこにあったのは、ただ純粋な動きと、何かを超えるための力。それは、俺がずっと望んでいたものだったのかもしれない。


「これが…テニスなのか?」


俺の触手は震えていた。恐怖からではなく、興奮だ。俺は今まで、絶望と屈辱にまみれていた。俺という存在は、他者にとってただの遊び道具に過ぎなかった。しかし、今、目の前に広がるこの光景は、俺にも何かを変えるチャンスがあると教えてくれているようだった。


だが、それは簡単ではない。


この海の底に生まれ、育ち、俺の身体は深海の重圧に順応していた。だが、光の世界で「テニス」をやるには、どうやってあの舞台に上がればいいのか、全く想像もつかない。俺の触手はあまりにも醜く、異形だ。あの笑顔を浮かべる奴らと比べれば、俺はただの怪物に過ぎないだろう。


それでも、俺はどうしてもやってみたかった。自分を貪り食うだけの世界を捨て、光の中で自由に動き回りたかった。光に包まれた世界で、俺自身が新しい何かを見つけられるのではないかという期待が、俺を突き動かしていた。


ある夜、俺は再び「テニス」の音に導かれた。だが今回は違う。光は遥か彼方にあったが、その音はより近く、より鮮明に聞こえていた。俺は音を頼りに進んでいく。すると、まるで俺を待ち構えていたかのように、巨大な「それ」が目の前に現れた。


「…何だ、これは?」


その姿は明らかに異質で、俺が今まで見たどの深海の生物とも異なっていた。巨大でありながらも、滑らかで硬い外殻を持ち、4本の脚が地面に吸いつくように動いていた。触手でもヒレでもない、その奇妙な動きに俺は目を奪われた。


「お前…テニスを知っているのか?」


俺は、その存在に問いかけた。言葉は届かないかもしれないが、俺は今までこの世界にいて感じたことのない感覚を、その異形の存在から感じていた。それは俺と同じく、この光に惹かれた何か、もっと強く生き延びようとする意思だ。


「フフ…」不気味な笑い声が、俺の意識に直接響いた。


俺は驚き、その存在の目を見つめた。どこに目があるのかさえわからなかったが、確かに俺を見ているという感覚があった。そして、その声はさらに深く俺の意識に語りかけてきた。


「お前も、テニスに興味があるのか?」


まさか、俺の思考を読まれたのか!? 

俺は驚愕した。

だが、もうすでにその存在に対してどうしようもない好奇心が沸き起こっていた。

俺は本能のまま頷いた。

たとえ自分が醜くても、たとえ光の世界に受け入れられなくても、俺はテニスをやりたかった。

あのボールを打ち、駆け引きを楽しみたい。

何かを勝ち取りたい。

何かを。

それが何なのか、俺にはまだわからないが、その感情が俺の中で燻っていた。


「ならば…ついて来い」


その存在が、俺にそう言った瞬間、俺の心は迷うことなく決まった。俺はこの怪物と共に、光の世界に飛び込むことを決めた。今までの俺の人生はただ耐え忍ぶだけだったが、これからは違う。俺は自らの意思で、新しい道を進む。


巨大な存在に導かれ、俺は暗闇の中を進んでいった。深海から浮上するたびに、俺の身体は圧力から解放され、自由を感じていた。俺の触手は再び再生し、光の世界での新たな挑戦に備え始めた。


そして、ついに俺たちは光の下に到達した。


そこには、広大なコートがあった。白い線が引かれ、あの時のボールが宙を舞っていた。俺の心臓は高鳴った。俺はこれから、あのボールを自分の触手で打つ。自分の力で、何かを変えることができる。深海で俺を弄んだ生物たちに復讐するのではなく、俺は自分の未来を掴み取るために、このコートに立つのだ。


「ここが…ウィンブルドンか?」


俺は、目の前の光景に感嘆した。この広大なコートが、俺の新しい戦場だ。俺はこれから、ここで自分を証明し、何かを勝ち取るために戦う。


しかし、俺がその広大なコートを前に、まだ手にしていないものがあった。


「どうすれば…テニスを始められる?」


俺の問いに、導いてくれた存在は微笑んだように見えた。


「お前には、まず『ラケット』が必要だ」


ラケット?

それが何なのか、俺はまだ理解していなかった。

でも、それを手にしない限り、俺はこのコートに立つ資格がないことはわかった。


「お前に、その道を示してやろう。だが、覚悟しろよ。光の世界は、ただ楽しいだけではない。お前が味わった深海の痛みなど、取るに足らないものになるかもしれない」


俺は、その言葉を噛み締めた。だが、俺はもう後戻りできない。深海の絶望と孤独から逃れるために、俺は光の中で戦うことを決めたのだ。たとえどんな困難が待ち受けていようとも、俺はこの手でテニスを掴み取る。


「俺は、やる」


そう宣言し、俺は新たな決意を胸に光の中に歩み出した。

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