三本のプロット
私は山川出版に勤める23歳の新米編集者、
坂下修一。
今日も、作家先生との打ち合わせで、喫茶ノワールにて、先に先生を待っている。
この際、店員さんが愛想よく、おしぼりとお冷やを運んできてくれるのだが、これから、原稿を取り扱うに当たって水はご法度。万が一にでも原稿をダメにしてしまえば、自分の信頼を失うだけでなく、作家先生の作家生命さえ危険に晒すこととなる。そのため、こういう打ち合わせの際は、車の中で水分補給を済ませてから、顔合わせに臨むのが、雑誌編集者としての仕事の流儀だ。
今日は若手の先生との打ち合わせで、これが2度目の打ち合わせとなる。三本プロットを用意しているようだが、あまり、調子は良くないようだ。
電話越しに、
『今日の作品は正直にいうと、あまり出来の良いものじゃない。期待せずに見てほしい。』
とのこと。
彼女の父親は世界的に名の知れた文豪で、彼女はこの業界ではお姫様のように扱われていた、と聞く。
その彼女が、同じ業界に入るとなれば、引く手あまたであっただろうに、なぜ、うちのような、弱小出版社を選んだのかは、うちの社長も首を傾げていた。
からんころん。
喫茶店のドアが開いた。
彼女はあたりを見渡して、
『こんにちは、坂下さん。』
と、私に挨拶した。
『お疲れ様です。秋先生。』
分厚いメガネにベレー帽、
いかにも、と言う感じの見た目の彼女は、
むしろ、非現実的ですらあった。
『あの、原稿、仕上げてきました、、、』
と言って、袋から、原稿を取り出すと、
『あの、封筒に書いてある、数字の若い方から、
読んでください』
そう言って渡された封筒には、たしかに、
タイトルの前に数字が振ってあった。
『では、読ませていただきます』
一作目は恋愛小説だった。
若い小説家と、OLのラブストーリー。
先生自身が小説家であることと、この打ち合わせのシーンなど、現実で行われていることが織り込まれていて、非常に面白かった。
『いいじゃないですか。特に、この、主人公の山下という男は、小説家である先生の持つどこかリアルさを持ち合わせていて、引き込まれました。しかし、若干主人公の内面の描写に重きを置きすぎている気もします。そこだけ、改良していただければ、より、読み易く、受け入れられやすい作品になるかと思います。』
ただ良いところを褒めるだけなら、誰にでもできる。正確にかつ柔らかく改善点を指摘することが編集者の大切な仕事のひとつだ。
『そうですね、たしかに、内面に重きを置きすぎていたのかもしれません。修正します。』
『全体的には素晴らしいと思いますよ。』
『ありがとうございます。』
このような流れで、打ち合わせを進めていく。
残り2本の原稿に目を通し、意見を交わした後、
『それでは、3日後までにご連絡ください。
原稿の方、よろしくお願い致します。
それでは失礼いたします。』
先生に深々と頭を下げた後、
原稿の修正の約束を取り付け、喫茶店の会計を領収書を忘れずに終える。これが、編集としての仕事の一連の流れである。-新米編集 坂下の場合-