山を登る
※病気での『死』を扱っております。
山を登る。
と言っても、二時間ほどで頂上につく初心者コースの登山だ。近所の方は散歩コースにもするらしい、そんなホテイさんと呼ばれる山。山の形が七福神の布袋さんが寝そべっているように見えるからそう呼ばれるらしい。
「こんにちは」
「こんにちは」
すれ違う登山者に挨拶をすると、上の様子を教えてくれた。
「今日は綺麗に晴れていますから、海まで眺められますよ」
「ありがとうございます」
テンポ良く登り続ける。歩く度にリュックについている鈴が鳴る。
鈴が付いているのはアルミのコップだ。あいつの使っていたもの。
「良くなったら登ろうと言っていたのにな」
その鈴の音が「悪いな……」と言っているように聞こえた。
本当に散歩コースとしても楽しめそうな山だ。右手を覗くと小川が流れていて、ちゃんと柵も設けられている。一時間もすれば体がちょうどよくぬくもってくるから、上着を脱いで腰に結わえた。汗かきはこういう時、辛い。
あいつの体は冷たくなっていったのにな……。
だけど、奴はいつも俺と同じような気持ちで登っていたのだろう。
奴とは山登りという共通の趣味もあって気の合う友人だった。
そして、鈴の音を鳴らしながら良く歩いていたものだ。
その度にこう言っていた。
「いつか、富士山に連れて行ってやろうと思っているんだ。誰よりも早くに初日の出を見るんだ」
富士山かぁ……。
一度、体を壊して入院したことのある俺には、まだ先の夢のような話だった。山登りを始めたのも、実はリハビリを兼ねて。だから、本当の登山ではなく、ハイキングコースが用意されているような場所ばかりだった。
「大丈夫だよ。すずもゆっくり低い山からじゃないと、……」
俺を励ましてくれているはずの奴の言葉には、いつも曖昧にしか笑えなかった。
木々の木漏れ日が道に落ちてきていた。小川を覗くと、やはり、きらきらと輝いていた。
「色々なものを一緒に見たくてさ」
奴はこうして立ち止まることが多かった。紅葉の頃はそれこそ騒がしいくらいに寄り道をする。そんなんで、富士登山なんて出来るのか?と尋ねれば、ここは富士じゃないから、とにこやかに笑っていた。
小径は続く。そして、山特有の涼しさに、汗を乾かす。差し込んで来る光は、どこか神聖なものにも思える。確かに、一緒に歩いていると思っていられる。
すずはさ、子どもが好きで。でも体が弱くて。結婚した後に、心臓悪くしてさ。
でも、元気になったら子ども作ろうって、御守りまで買ってたんだけどね。
でさ、家族が増えたら一緒に色々なところへ遊びに行くんだ。
山登りだって、一緒にさ。
七色に色づけされた真鍮の鈴は、子どもを授かるための御守り。
黒い礼服に黒いネクタイ。
奴は淡々と喪主を務め、ただ小さくなる一方だった。
それから奴は鈴とともに登山をまた始めたんだ。
五十を過ぎて、そろそろ俺なんかに付き合ってないで、一人で富士山に登っておけよ、と言った次の年に、奴は人間ドックで引っかかった。
「胃、だって」
要精密検査と書かれてあるものを見ながら、よく分からない数字を見せられた。少し寂しそうに笑いながら。
癌だった。
癌にとって五十は若い。
「なぁ、俺とすず、富士山に連れて行ってくれないか?」
馬鹿なこと言うなよ。
笑って返すと、奴も笑って「だよな」と言っていた。
お前が連れて行かなければ、意味がないだろう?
通夜の日に、奴と同じような黒い礼服の弟に頼み込んだ。
「お兄さん夫婦を富士山へ連れて行ってあげる約束をしたんです」
山頂は拓けた場所だった。
ほんとうに、綺麗に海も見える。澄み渡った空。
「綺麗だな」
そう言いながら、鈴の付いたアルミのコップにコーヒーを注ぐ。
魔法瓶に入っていたコーヒーは湯気を立てていた。
適当な石の上にそれを置き、景色を眺めながら、自分のコップの湯気の香りを吸い込んだ。
山頂でさ、熱いコーヒーを飲んでさ、大人の一服って洒落込むのって、なんか良い感じじゃないか?
奴はそう言いながら、山頂でいつもコーヒーを飲んでいた。
※日本で一番最初に見られる初日の出は南鳥島。
平地では北海道の犬吠埼らしいです。
お読みくださりありがとうございました。
この作者他にはどんなの書くの?と思われたら、広告を飛び越えて読み回りリンク集へどうぞ。
お好みのボタンを押してみてくださいね。