表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/17

舌の位置は大変重要だけど、意外と知られていないことかもしれない

 これまでの人生のなかで、最も簡単に始まり、最も長く続いていることがある。『顎関節症』だ。

 

 これは、顎関節や顎を動かすときに使う筋肉が痛んだり、音が鳴ったりするといった症状のことを指す。

 

 顎関節症とのお付き合いは、忘れもしない小学三年生のときに始まり、もう二十年以上の仲だ。

 

 馴れ初めは、当時、身体を使った一発芸が自分のなかで流行ったことだった。最初は顎ではなく、鼻に着目していた。私はなぜか鼻の穴を膨らませたり縮ませたりと自由自在に動かすことができた。練習の成果が出て、片鼻ずつそれができるようになったときは幾分か感動した。

 

 しかし、しばらく経ち、これ以上の芸当がないことに気がつくと、すっかり飽きてしまった。おまけに、笑ったときに鼻が高速でヒクヒクするようになってしまったので、恥ずかしくて迂闊に人前で笑うことすらできなくなった。それでとうとうこの芸はお蔵入りさせることにした。

 

 その次に脚光を浴びたのが顎だった。もともとは全く鳴らなかったのだが、たまたま左手で頬杖をつきながら口を開けたときに「カコンッ」という音が鳴った。最初は訳がわからなかったが、もう一度頬杖をつき直して口を開けてみると、やはり「カコンッ」といい音が鳴った。

 

 面白くなった私は、テレビを観ながら、ラジオを聴きながらなど、たびたび顎を鳴らすようになった。やり始めてから数週間ほど経ったころ、とうとう自分のなかだけにとどめておくことができなくなった私は、両親に得意げに披露した。すると父が「俺もできるよ」と言って「カコンッ」と音を立てた。

 

 私はさらに面白くなり、嬉々としてもう一度「カコンッ」と鳴らすと、見かねた母が「もうやめときなよ。開けるたびに音鳴るようになっちゃうよ」と言った。

 

 その言葉どおり、次の日から、どう開けても音が鳴るようになってしまった。母に魔法でもかけられたのかと疑いたくなるほど、無音では開けられないのである。

 

 それは翌日も、さらにその翌日も続いた。そして、もはやいつから続いているのかわからなくなってきた頃、学校の歯科検診で虫歯に引っかかり歯医者に行くことになった。

 

 そこは口腔外科も備わっていたので、私の顎の様子を見かねた先生が、その場でレントゲンを撮ってくれた。そして、夜だけマウスピースをつけて寝て、様子を見ることになった。

 

 マウスピースは、ボクシング選手が試合中につけているような、上の歯全体に覆い被せるものだったので、朝起きて外したときの不快な汚れが気になった。しかし、それはそれで面白いと思い、割と堪能していた私は、しばらくの間は毎晩つけて寝ていた。


 マウスピース生活が一ヶ月以上続いたある日、二日ほど付け忘れて寝てしまったときがあった。つけ忘れて三日目の夜、今日こそはと思ったのだが、マウスピースを見ると、外したときの汚れのことを思い出してしまった。


 連日つけ続けている分には、その不快感が面白くて毎朝の楽しみだと思えたのだが、二日もつけずにいると、その汚れがまったく別の人のもののように思えてしまい、口に含むのが億劫になってしまったのである。

 

 そうこうしているうちに月日は流れ、成長した私にはそのマウスピースが合わなくなった。かと言って新たなものを作りに行くこともなく、今度は自力で治す方向に転じていった。

 

 しかし、自力で治すと言っても、当時の私にとってネットは今ほど身近ではなかったので、有効な方法を調べることもしなかった。そのため、極力口を大きく開けないとか、思い出したときに鏡の前で口をまっすぐ縦に開ける練習をするくらいしかできなかった。

 

 そうこうしているうちに高校生になった。そこでできた友人と、たまたま顎の話になったので、自分が顎関節症であることを伝えると、その友人も同じだと言った。


 その人はとても美人で可愛らしいのだが、性格は気取らずさっぱりしていて面白く、私は密かに憧れを抱いていた。その憧れの人が自分と同じ顎関節症だと知り、再び私のなかで顎関節症が脚光を浴びた。


 悪しき存在だった顎関節症は、再び魅力的なものに変わり、わざと鳴らすことはしなかったものの、音が鳴っても嫌悪感を感じることはなくなった。

 

 ところが、大学生になってしばらく経ったころ、美男子な彼氏ができた。自分もなるべく美人に見られたいと思った私にとって、デート中にたまに鳴ってしまう「カコンッ」という音がまたもや恥ずかしいものに変わった。


 早急に治さなくてはと思った私は、自力で治すよりも、マウスピースを作り直して治療に臨んだほうが有効だと考えた。そうと決まればすぐに口腔外科を予約し、今度こそは毎日つけることを固く誓った。


 そして、とうとうマウスピースを作り直してもらった。今度は二日つけ忘れたくらいでやめたくならないように、消毒液に浸しておくようにした(医師からは水洗いで済ませるようにと言われており、マウスピースのことを考えると良くないと思うので、参考にはなさらないように)。


 二ヶ月ほど続いたころ、友人たちと連泊で旅行することになった。旅行から帰ってきた私は、楽しかった思い出と、つけずに寝ることに慣れ親しんだせいで、マウスピースのことなどすっかり忘れていた。ようやく思い出したときにはすでに一週間ほど経過していた。


 そうすると、今度は、マウスピース単体だったときよりも汚く思えた。消毒液がひどく汚水に思えて、入っている容器すら洗いたくないと思う始末だった。結局手付かずのまま二週間ほど放置していた。


 それから数週間経ち、一日中予定がなかった私は洗面台の掃除をすることにした。ひとしきり掃除し終えたあとでマウスピースを見ると、汚れたものを触っていたからか、それほど汚く見えなかった。


 「やるなら今しかない」と思い、その消毒液をザーッと流し、入れ物を入念に洗い、マウスピースも丁寧に洗って干しておいた。


 しかし、掃除を終えて綺麗に手を洗い、お菓子などを食べるなどして、汚いものを触っていたという感覚がなくなってから改めてマウスピースを見ると、いくら洗ったとはいえ数週間も汚水に浸されたマウスピースの記憶が蘇り、やはり口に含むことはできず、そのままマウスピース生活が終了した。

 

 顎関節症との関係はその後も続いていった。大学院に入学したころには、もう一生の付き合いになることを覚悟していた。


 しかし、入学と同時期に始めたバイト先で「舌の位置は大事だ」という話を聞いた。舌先があるべき場所におさまっていると、顎関節症にも、ほかのことにも良いと言う。舌の位置なら今からでも気をつけられると思った私は、日常生活を送りながら、なるべく舌先に意識を向けるようにした。


 最初の数日は、舌の筋肉がなかったのか、数分で舌のつけ根あたりが痛くなっていたが、慣れてくると大して気にならなくなった。


 一週間ほど続けると、以前より音の鳴る回数が激減した。おまけに、横顔も、以前は気が緩んでいるときに下唇が出ていたのだが、無意識下でも綺麗に収まるようになった。


 しかし、そのまま一気に治せばいいものを、怠け者な私は、「これほど簡単に、短期間でいつでも治せるなら、とりあえず今はいいや」と思うようになった。


 いまのところは、あまりにも顎が鳴りすぎたり痛んで仕方がないときと、写真を撮る予定ができたときだけ気をつけるようにしている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ