嘘つき呼ばわりされた私に非があるのかもしれないという話
私は幼いころ母に「本当のことがわからないとちゃんと守ることができない。本当のことがわかれば、それがどんな内容だったとしても最後まで味方でいる」と言われたことがあり、それ以来、叱られるようなことをしたとしても、嘘をつかずに正直に話していた。
もちろん叱られることに変わりはないのだが、その言葉どおり、私が人として大切なものを欠かないような形で味方になってくれて、歳を重ねていけばいくほど、そういった経験からその言葉の意味がより重く深く刻まれるようになった。
こうして自分を護るための正直さを身につけ、嘘に対してとりわけ嫌悪感を抱くようになった。そうした、大嫌いな『嘘』をついていると勘違いされたときのことを書こうと思う。
まずは、小学三年生になってしばらく経ったある日、授業中に起こったことが、わだかまりとして心に残ってしまった。
その授業中、文字を書いている途中で鉛筆の芯が折れてしまったのだが、そういうときに限って鉛筆削りを家に忘れてきてしまった。困った私は色鉛筆の入った缶ケースを取り出し、そこに付帯している鉛筆削りを使うことにした。
ただ、鉛筆削り単体で売られているものと違い、削りかすを溜めておく機能がなく、削ったかすがそのまま出てきてしまう。そのため、このような鉛筆削りを使うときはティッシュなどを広げてその上で削り、削り終えたらティッシュを丸めて捨てるのがスマートだと思うが、その日はティッシュも持ち合わせていなかった。
仕方がないので机の上で直に削り、授業が終わったらノートに乗せてゴミ箱に捨てにいこうと考え、ひとまず机の隅においやった。ノートをおもむろに置き直し、とにかく削りかすが飛ばないように細心の注意を払った。
しかし、一遍授業に集中してしまえば、削りかすの存在などすっかり忘れてしまった。すると、国語の教科書を片手に持ち、それを歩きながら読み上げていた先生が、突然私の横で立ち止まり、床を見つめながら「この鉛筆削りのかすを床に捨てたのは誰ですか」と訊いた。
私は捨てたつもりがなかったのと、先生の『捨てた』という言葉をそのまま受け取っていたので、まさか自分の削りかすが下に落ちているとは思わず、てっきり、誰かが同じように削って、そのかすを悪意を持って捨てたのだと思った。
ところが先生は、私のほうを見ながら「あなたの削りかすではないのかしら」と訊いてきた。
そう問われても、捨てたという意識がないので、いまだに削りかすが机の上に残っているという自信を持っていた私は、それを確認することをせずに、先生の目と、近くの生徒の机と、床に散らかった削りかすを見た。
しかし、先生は相変わらず自身ありげな眼で見ているし、近くの生徒の机の上には削りかすの欠片もなかった。私はただぼんやりと削りかすを見つめることしかできなかった。
そして、覚えのないことで疑われて何が何だかわからなくなっている私は、か細い声で「…いいえ、違うかと…思います」と呟いた。
三十秒ほどの沈黙が流れ、俯いていた顔を上げた私は、ここでようやく、先生が私の机の隅を見つめていることに気がついた。
私も同じように先生の視線の先に目をやると、そこにはほんの少しだけ削りかすが残っており、先ほどまではもっとあったことを証明するかのように、鉛の粉が飛び散っていた。
机の隅一点をしばらく見つめる私に、先生は「本当に違うのかしら」と訊いた。
たしかに、落ちているのは私のものだろう。しかし、故意に落としたわけではないので『捨てた』とは認めたくなかった。それに、これを認めたら嘘をついたことになってしまう。
いろいろなことを考えているうちに気が動転してしまい、絞り出すように出た言葉が「…多分そうだと思います」だった。
先生はそれを聞くと「多分ってごまかすことは卑怯者のやることだ」と言った。
おそらく、先生のなかではずっと、捨てたという前提のもと話を展開しているので、捨てたことを問われて違うと嘘をつき、逃げ場がなくなっても『多分』などと曖昧な言葉で誤魔化したかのように映ったのだろう。
「私のだ。でも捨てたつもりはなかったので私のものだとは思わなかった」と堂々と言えば良かったのかもしれないが、あの言葉を振り絞るように言った私には、それ以上何も言えなかった。
もうほとんど忘れかけている出来事だが、たまに地元の会報などで先生の名前を目にすると、ほかの生徒たちの前で、嘘つき卑怯者認定された日のことを思い出し、胸が痛むことがある。
二つ目は、学生時代の実習でのことである。その実習中、実習先近辺の公民館で催し物が開かれており、見る側として出席することがあった。
その際、主催者からアンケートを渡されて記入していたときのことだったのだが、アンケートのなかに、『今日はどこから来ましたか』という質問があった。
その質問にはいくつかの選択肢があり、いずれも公民館や実習先を含む同市内の地域周辺で、それと『その他( )』と書かれていた。
そこで私は、今日全体を通してどこからきたのか、つまり、その他の欄に自宅のある場所を書くべきなのか、それとも、この公民館にどこから来たのか、つまり、実習先の機関のある場所を選択すべきなのかで悩んだ。
選択肢を見る限り、その市内の人が来ることを想定して作られたようなアンケートなので、その他の欄にほかの市町村名が書かれることも珍しいだろう。
そして、私の自宅は都道府県名すら異なるので、公民館側としてもそのような場所が記載されたところで参考にならないだろうと考え、数分止まっていた手をようやく動かし、実習先の機関がある場所に丸をつけた。
すると、横で見ていた実習先の職員に「嘘を書かない」と注意された。
私にとっては嘘をついたつもりはなく、それどころか、だいぶ悩みに悩んで選択したものだった。それに、丸をつけてすぐにそう言われたことを考えると、数分手を止めていたことにだって気がついていたかもしれない。
それでも、その職員は『嘘』という重たい言葉を投げかけてきた。もしかしたら、職員にとっては『嘘』はそれほど重たい言葉ではなく『冗談』などと同じ感覚で使っているのかもしれないが、その場で嘘をついたつもりはなく、悩んだうえでの判断だったと伝えたものの、話が流れてしまい、今でも忘れられずに心に残っている。
以上が、嘘つき呼ばわりされた話である。
これに限らず、自分が相手に嘘をつかれたと怒ったこともあるし、相手に正直さを求めすぎて追い詰めてしまい、逆に多くの嘘をつかせてしまったこともある。
さらには、子どもの頃、友人に、とあることの真相を訊かれたとき、焦って咄嗟に嘘をついてしまったことがあり、心の弱い私は他人にその罪をなすりつけてしまったこともある。もう二十年近く前のことだが、今でも思い出すたびに自責の念に苛まれる。
しかし、自責の念を持っているとはいえ、やってしまったことを考えると、本来の私は、気をつけていなければ咄嗟に嘘をついてしまうような人間なのだと思う。
相手の目を見ると、その人がいかに慈悲深いかや、常に他者を欺くような人かなど判ることが多にしてあるが、私は相手の目に、咄嗟に嘘をついてしまうような人間だと映されているのかもしれない。それが、私が人生で二度も嘘つき呼ばわりされた原因だったりするのだろうか。
それにしても、二度も疑われたのにもかかわらず、今日まで「ならばいっそ、本当に嘘つきになってやる」などと開き直らなかった自分のことは褒めてやりたいと思う。