好きなことは時間を割いてでもやるし、時間を割いてまでやることは相当好きなことだろう(あくまで概ねであって全てではない)
暇な時間はいつの間にかできていることもあれば、忙しくてもわざわざ作ることがある。今回は後者について触れようと思う。
これは私の考えだが、とりわけ忙しい日々が続いていても、その忙しさに負けないくらい好きなことがあれば、なんらかの時間を割いてでも遂行するものだと思う。
私はこの考えをさまざまな場面で活用している。たとえば、異性とやりとりをしているときに「今月は忙しいからほとんど連絡が取れない」という男性もいれば、誰がどう見ても忙しそうなのに長電話に付き合ってくれる男性もいる。この違いは、概ね『相手に自分の時間を割きたいかどうか』に依存すると私は思っている。
もちろん、相手に時間を割きたいかどうかだけではなく、本当に忙しくて連絡が取れない場合もあれば、反対に、キャパシティが大きいから多くのタスクをこなしてさらに長電話に付き合える場合もあるだろう。
それでも私の考えは、冒頭に書いたとおり『忙しさに負けないくらいの好きなことにはどうにか時間を割く』というのが多くを占めるで、仮にたとえその先に発展させたいと思った場合、前者はつい尻込みしてしまうが、後者なら、交際関係に発展できるような気がしてつい期待してしまう。
しかし、この考えを当人に伝えることは、私としてはナンセンスだと思っている。もし伝えたら、本当に忙しかった場合は相手を信頼していないと言っているようなものだろうし、たとえ本当に忙しかろうが実は忙しくなかろうが、相手に後ろめたい気持ちを背負わせてしまうということも考えられる。
実際にそういうことがあった。保険に入る手続きをしているとき、営業マンに「保険もいいが、それよりも、サポートをするから投資にしたほうがいいのではないか。サポートは数年に一回、五分程度の電話で見直すだけなので、時間もとらずに済む」と提案された。
しかし、私も夫も、投資をしたらサポートの五分以外の時間も常に気がかりになってしまうと思い、それが嫌で断った。
しかし、常に気がかりになるということがうまく伝わらなかったのか、相手はサポート時間に関して言及してきた。「五分って作ろうと思えばいくらでも作れる時間だと思うが、それでも作れないと言うならそれは作りたくないということだと思う」と言うのだ。
ここで大事なのは、常に気がかりになるということがうまく伝わらなかったことではなく、『五分でさえ割きたくない』ということについて、わざわざ言及してきた点である。仮に私が「五分割くのも惜しい」としか言わなかったとしても、それに対して言及してほしくないと言いたい。
実際に相手の主張を聞いた私は、まるで自分が投資をやりたくないからと駄々をこねているように思えてきて、あたかも自分が悪いことをしているかのような後ろめたい気持ちにさせられた。
そういった経験も含め、相手の時間の割き方に思うところがあったとしてもそこには言及せず、あくまで胸中におさめておいたほうがいいのではないかと思っている。
話を戻すが、冒頭にある『好きなことであれば時間を割いてでもやる』という主張は、逆に言えば『忙しいときでもどうにか時間を作って取り組むことは相当好きなこと』ということだろう。
産後、目まぐるしく時間が過ぎていくなかで、大好きだったピアノはほとんど弾けずにいた。「弾かなきゃ指が鈍る」と言いながらも、どうしても時間がないと諦めていた。
しかし、最近、とあるきっかけからニンテンドー『大乱闘 スマッシュブラザーズSP』に再燃し、毎晩子どもを寝かしつけてから二時間ほどやるようになった。
七時間半というまともな睡眠時間を確保しつつも、毎晩ゲームを堪能しているんだからと、日中の家事にも以前より気合が入るようになった。我ながら、いい時間の使い方をしていると感心していたのだが、そういえば、あれほど時間がなくて弾けずにいたピアノはどうしたことかと、ふと思い出した。
しかし、上記の考え方に沿うと、ピアノは、忙しいときでもどうにか時間を作って取り組むほど好きなものではなかったということになる。時間がないことで諦めたのではなく、それを言い訳にしていたことに気がついた。そして私がいま、時間を割いてまでやりたい好きなことは『大乱闘 スマッシュブラザーズSP』である。