あなたはあなたの物語の主人公であり、誰かの物語の主人公になんかなれやしない。モブキャラでしかないのだ
延々と悩み続ける私だが、夫に言われて少し心が軽くなった言葉がある。
「おやびんはモブキャラだから」
この言葉の意味を要約すると『周りはそれほど気にしていない』である。
夫曰く「おやびんは自分の言動が周りに絶大な影響を及ぼしていると思い込み、その言動を何年経っても憶えられてしまっていると考えているかもしれないが、実際、他人からすればおやびんは主人公キャラではなく、あくまでモブキャラなので、他人にとっておやびんの言動など些細なものだ」ということだ。
続けて「おやびんはRPGで主人公に話しかけてきた街の人の言葉が『こんにちは!』だろうが『こんにちは』だろうが、いちいち気に留めず、Aボタン連打して話を進めるやろ。おやびんが気にしてることはこの程度のもんやで」と言った。
たしかにそのとおりかもしれない。自分も、思い返してみれば嫌なことを言われたりしたこともあるが、なにかきっかけがない限り、いちいち思い返すことなく人生を進めている。
相手も同じように、その場でずっと立ち止まって気に留めているほど暇を持て余すことはなく、常にAボタンを連打しているような気がしてきた。
これがもし、無理やり引き止められた挙句、ボコボコにされたともなれば、嫌でも忘れられなくなりそうだが、そこまでひどい話ではない限り、以前出会ったモブキャラのことなど、忘れるなりどうでもいい存在になっていくなりして、物語を進めていっているのだろう。そう考えるとだいぶ気持ちがすっきりする。
夫はさらに続けて「おやびんは主人公キャラじゃないから、そもそもおやびん自体覚えられてないよ。おやびん?誰だっけ。みんなそう思ってる」と言った。
その言葉を聴いて、心底ホッとした。自分の存在を覚えていてほしいと思っていた学生時代と比べ、いまはなるべく忘れてほしいと思って生きているので、自分ではない誰かに、存在を忘れられていると言ってもらえたことで安心したのである。
学生時代の交友関係は『広く浅く』で、いかに友達として認識してもらえるかということに注力していたのだが、年齢を重ねるごとに、いつの間にか『狭く深く』という考えに変わっていった。
しかし『狭く深く』で広がった考え方や価値観でこれまでの人生を振り返ってみたら『広く浅く』のころの交友関係でたくさんやらかしていたことに気がついた。非常に恥ずかしくなり、どうか私の存在を忘れてくれますようにと願うようになった。
そう願うことが癖になっていき、その願いは学生時代の友人にとどまらず、たとえば先週庭の手入れをしにきてくれた業者や、昨日入ったレストランのウェイトレスなど、最近出会った人たちにも向けられるようになった。
このように、モブキャラとして生きられる自分に喜びを覚え、存在を忘れられることを切に願う私なので、今の目標は(こういったネット上の出会いを除き、対面で)極力新しい人間関係をつくらないことである。
この目標を先に掲げていたら、ずいぶん悲しい人生を歩んできたのかしら、と心配されることになっていたかもしれないが、ここまで読んでいただければわかるように、あくまで悩み症な自分を守るためである。いまある人間関係を大切にすることだけに注力したい。