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第1話 ある粗末な男の最期 上

 世界は大衆の認識で成り立つという話をご存知か?


 それは見習い過程の魔術師が師から先んじて刷り込まれる常識であり——いわく、世界は大衆の認識が形作り、大衆が在ると認識する物が在り、無いと認識した物は世界に根差さない主観的理屈。


 それが安定かつ自若とした静的現実と呼ばれる世界。

 そこへ己が欲と思考で介入するのが魔術師だ——


◆◆◆◆


 気怠げに寝転がる女は、ふと、掲げた右手に這い回る一匹の蜘蛛を見咎めた。


 手首から親指側へ周り、手の甲を通って小指側に。そして掌へ至る円に似た道筋。


 黄と黒の蜂に似た縞模様で5ミリに達する体長はコガネグモの特徴……

 彼女はぼんやり、そんな事を考える。


 そしてウロチョロ手のひらを行き来する様を眺め、と、それはピタリ。急に動きを止め、死んでしまった。


 それ以上身じろぎ一つ無く静止した蜘蛛の死骸。

 安いおもちゃの様なそれを女は身を起こし薄く開けていた車窓から捨てる。


 彼女は今、青いハイエースの後部座席で寝転がっていた。

 都心から郊外へ、景色は人気ない区域へ移って行く。


「そろそろ着くぞ」


 疲れ気味の中年男の覇気の無い声。

 この声の主が車の運転手。

 ボサボサの髪に黒いベンチコートの出立ちはどこか薄汚れた印象を与える。歳の頃は若く見積もっても30後半か。

 で、女はそれを聞き取りつつも、受け答えせず風にさらわれた蜘蛛の死骸を眺めた。


「聞いてんのか?」


 いぶかしむ声。


「はいはい、聞いてますとも」


 怠そうにそう言って前に向き直り、座席下のスニーカーに足を通す。


「今回もキチンと全員殺しますよ」


「なら良いが……一応今回の標的と目的の廃ビルの造りは頭に叩き込んでるだろうな」


「もちろん。んで、敵に同情するな必要以上に知ろうとするな、でしょ?」


「その通り、殺す相手を知りすぎる奴は生き残れねぇ。仕事だから殺す。そのプロ意識を忘れるな」


「はいはい」


 そう適当に返事して窓へと首を傾げた。

 中途半端に開いた車窓からは冬の夜風が頬に当たる。肩まで伸ばした女の黒髪が吹き込んだ風に撫でられた。


◆◆◆◆


——話を変える


 ある粗末な男の話だ。


 彼の現状をザックリ語るなら、チャチな叛逆者と言ったところ。


 しかし多くの人間が自分の意思で人生を選ばない様に、彼もかつては他者や状況に流され、無気力な日々を過ごしていた。


 何せ彼はある組織の下っ端。

 さらに役割が使い捨ての鉄砲玉も同然で、標的を殺しては寝ぐらに帰る、いつ死ぬとも知れぬ日々。同僚と呼べる浅い関係の連中は全員死んでしまった。


 ただ、それでも彼が生き残り続けたのは、ある特別な力に目覚めたからだ。

 特別な力——そのあらましは後に回すとして、そんな彼はこううそぶき続けた。


「なに、運が良かっただけさ」


 頑なに、そう言い続けた。

 その日眠る瞬間に、明日も生きていける確信が持てない。

 なら自分が特別だと信じ、自分に期待する事に意味はなく、ただ、コインの裏と表に託す様に、その日その日命を賭金に(ベット)してやり過ごす。

 そんな日々が死ぬまで続く。


 だが、経験を積めば単に「あいつ殺せ、こいつ殺せ」と言われる以外の職務も任される。

 要は自分と同じ仕事を負わされた新人に芸を仕込む役割を押し付けられた。

 そして、割り切れば良かった物の、彼は自分で育てた新人()が無惨に損耗され、その都度新顔が補充される一連のサイクルにほとほと嫌気が差したのだ。


 面倒を見ればそいつに情が湧く。

 それこそが彼を人間たらしめる非合理性、弱点と言えて、だから彼はチャチな叛逆者となった。


 手始めに自分と自分の育てた部下を顎でコキ使い、死地へ送り込んだ上役(クソ野郎)共をぶち殺した。

 報復を招かない為極めて慎重に、禍根を残さない為徹底的に、標的の親類、家族に至るまで余さずあの世(同じ所)へ送ってやった。


 それだけ恨み辛みが溜まっていたのだが、それ以前に彼とその部下達は過酷な日々の中、精神が擦り切れ、頭のネジが消し飛んでいた。


◆◆◆◆


「さみいなぁ」


「ええ、そうですね」


 吐く息が白い。

 一通り防寒具は身に付けていたが、それらを突き抜け夜の冷気が体を冷やす。


 こんな、窓に水滴の張り付く寒い日は、ストーブの熱があまりに恋しい。だが、こんな場所、この状況で求めるには贅沢過ぎた。


 場所は、郊外の廃ビル。

 都心から離れたここら一帯では、かつて希望に溢れた再開発が進められていたが、親会社の倒産やら局所的なデフレが続いたせいで建築会社は取り壊しの費用も無いまま作り掛けのビルを雨風に晒した。


 ただ、廃ビルといってもキッチリ作業を進めた名残か、劣化の度合いが薄く、倒壊の心配はまるで無い。

 後は窓ガラスが嵌まり風が凌げたら言うことはなかった。


 で、こんな場所は海外なら間違いなくホームレスの根城と化すが、そうならないのは日本の治安が良いせいか。


(治安が良い……ね)


 笑わせる。

 それも所詮表向きの事実と、男とその部下達は事情を弁える。

 所詮どんな国も生皮剥げば中身は同じという皮肉な事実。


 そうでなければ、自分たちが半ばヤケに、上役連中を殺してまわる必要は無かった。


「にしても、ここ、なんで電気通ってないんすかね?」


 広々としてるが、仕切りがなく、剥き出しの支柱が目に留まる内装は無駄に風が通る。

 暖房器具は持ち込めず、彼らは貼るカイロと防寒具で耐え凌いでいた。


 彼ら——この話し合う男と部下1人を含めた計12人がこのフロア、6階でたむろしている。


「そりゃ、しゃあねぇだろ。誰も電気代払ってねんだから」


 しかし、ほんの数日潜むだけならこんな場所も悪く無いのだ。


 彼らは日を空け数人ずつ海外へ高飛びキメてる真っ只中。もちろんパスポートは偽造。

 だからここに居るメンツも近い内、空港に赴き逃亡を済ませる。


 そんな見立て。


 だが、やはりと言えばやはりだが計画は甘かったらしく、ただ1人の刺客に全てが突き崩された。


 その予兆。

 不意に、男が駄弁だべりの傍ら視線をあげ、周囲を見回した。

 この行動理由は虫の知らせと言う他ない。

 悪寒が脊髄を撫でた。


「……」


 ここに居る12人のうち、約半数が床に伏している。


(寝て……いや、)


 暗く、詳しい把握は望めない。

 ただ、トサッと、静かな音を立てまた1人倒れた。


——何か起こっている


 そう判断したのは視界の端で僅かに動く影を捉えたから。彼がこの瞬間まで見逃した事実が、その手合いの洗練を物語る。

 この場において居る筈のない人間

 気配は薄いが何処かに……


「……っ」


 しかし、冷静だった。

 倒れた部下達の生死は確かめようがない。

 それより突如現れた人影へ対処。


 速やかに足元へ備えた短機関銃(UZI)に手を伸ばし、傍ら、空いてる手で今、この瞬間まで喋っていた部下に目立たないハンドサイン。

 他愛ない会話を続けつつ、侵入者へ撃てる準備を整えるよう指示。


 それを把握しつつ極めて自然な動作で懐の拳銃に手を伸ばす部下。


「でも、なんで水道は通ってんのかなぁ」


 会話の途切れから間を置かず、そのまま流れで続きを話し、周囲の確認を同時進行。


 また1人、静かに倒れ、そのすぐ側に例の人影を見た、その瞬間。


 狙いは正確に、姿勢は安定して速やかに男は引き金を引いた。


 夜闇を切り裂き鳴り響いた炸裂音は戦闘開始の合図。

 部下もまた同時に自動拳銃をハジく。

 セミオートとフルオートの弾幕。

 ただ、抜き撃ちの速さと両者着弾位置が標的へまとまっていたあたり、手際の良さをうかがわし、


 誤る事なく標的を捉え撃ち抜くはずの弾は、予期されていた様に躱された。


「……」


 その人影の身のこなしは異次元の強さを表す。

 当たり前だが、人は飛翔する弾丸より速く動けない。

 銃を『撃つ』という『意』を察し挙動を始める必要。

 それを為す連中を相手取り、見事狩り獲った経験は男達にあったが、紙一重の勝利ならざるを得なかった。


 そして、思考にかまけては隙を生む。

 銃口の向きを固定、ストックを肩で抑え射撃姿勢を安定化、そして部下共々移動を開始し、常に標的と一定の距離を保ち2人で射線を交差さす十字砲火の要領で火力を集中。

 標的の逃げ場を取り去ってゆく。


 続々マズルフラッシュの火が散る中で、まとを小さく低い姿勢かつ動作を読ませない足運びで機敏に逃げ回る標的。


 合理性を極めたその先の境地。


 だが、壁際に追い詰められ、丁度男の銃口から放った一発が逃れようなく、その脇腹へ到達する途上をスローに、極限の集中で見て、


(獲った)


 と思ったのは一瞬。

 あろうことか標的はその軌道に右掌を割り込まし、


(何を……)


 その一連の思考は、むしろ全て結果を見て早回しに流れたもの。

 ただ、標的が飛ぶ弾丸に触れた瞬間、ボロボロ先端から崩れ、砂状に床へ散らばった光景を見た。

 弾丸が灰のように散らされた。


 「魔術師……」


 驚きと共に男がもらした一言。


 『魔術師』


 あまりにオカルトであり、ファンタジーな呼称のソレは実際に存在する。

 いささか夢も希望もなく、その零落した在り方はフィクションからかけ離れていたが。


 だが、ここで重要なのは男が標的の危険度を数割り増しに引き上げた事だ。

 理由は

 

——何をしてくるか分からない


 いや違う。

 魔術師を相手取るなら、それも重要だが、戦闘慣れしてない相手は恐るるに足らず。

 詰まる所、ここまで超人的な身のこなしと戦闘技術を誇りながら出来る限り手札を隠す判断をする魔術師が、命を獲りに来た事実が重要なのだ。


「逃げるぞ」


 その危険は承知。

 なぜならこの男も他ならぬ『魔術師』だから。


「相手、『魔術師』だ」


 その言葉で全てを察し、部下は牽制射撃を続けたまま階段へ歩を進めた。


 これでは一方的な『狩り』となり得ない。

 その冷静な判断。

 標的が柱に隠れた頃合いで、ようやく男は短機関銃《UZI》のマガジン交換に移る。


 詰まるところ、この一連の出来事は男が弾倉1つ撃ち終えるまで、短い出来事だった。

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全体に緻密な語り口と冷徹な空気感が漂い、読者を一瞬で物語の底へ引きずり込む力があります。序盤の魔術理論による世界観の提示から始まり、廃ビルに潜むアウトローたちの姿が静かに、しかし確実に破滅へ向かってい…
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