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風がふいて~短編集~風が吹いて始まる4つの物語  ★第4話:「本当に欲しいもの」

作者: 秋月 レイ


 清々しい風が、巻き毛をふわりと吹き流していく。

 心地よい春の日差し、梢のざわめき。


 空は青くて――そう、魂を吸い込まれそうな程透き通った――たぶんこんな色。


 どこかで小鳥達の鳴き声がする。

 あれは――コジュケイに、カーディナル。

 知ってるわ、だって、百科事典で何度も聴いたもの。

 それからもう一つ、微かに遠くで聞こ えるのは……


 どん。


 突然、大きな暖かい物がぶつかってきて、湿ったものが顔をなめ回す。

 びっくりして触ると、ふわふわの毛皮が全身で喜びを表現して波打っている。

 ああ、デビーね。 この悪戯者。


 そう、デビーはいつも、あたしをこうやって遊びに誘うの。

 色は金色。叱 ってやりたいけど、今日はピクニックなんだもの。

 いつもよりはしゃぐのは当然かしらね。

 そして、そして……樹々の向こうからは。


 パパが、微笑みながらやってくるの。

 そうよ、パパの笑顔は素敵なんだから――お口を開けて、目をきゅっとさせるのよね?


 ――いつもの様にあたしを、そのがっしりした暖かい腕で抱き上げてくれるの……


 キュピルル……カチャッ

「お嬢様、お勉強のお時間です」


 いきなり、ヘンリ2世の無粋な声が邪魔に入った。

 硬い腕で、あたしを傷つけない様に注意しつつ、でも情け容赦なく、装置から引きずり出す。

「ヘンリ、やぁよ。いいとこだったのに。もうちょっとだけ……」


「長時間のバーチャル・トリップはお体に障ります」

「でも……」

「良い子にしていただかないと困ります。特に、今日は旦那様がお帰りになりますから、早く今日の課題を終わらせて着替えて頂かないと」

「え! ……パパが帰ってくるの? 何でそれを先に言わないのよ」


 メイベルは、金色の柔らかい巻き毛に絡まったコードを、乱暴に外しながら立ち上がった。

 そのまま勝手知ったる室内を、危なげ無く自室へ向かって走っていく。

 父が久しぶりに帰ってくるのなら、やっておくことは沢山あるのだ。

 まずはとっておきの服に着替えて……


 机の上の課題は、黙殺された。


 メイベルが意気揚々と居間へ戻ると、ヴィジホンでヘンリ2世が応対している声が 聞こえた。

「はい……はい。それでは、お帰りは来月になるのでございますね。はい、承知致しました」

『荷物は転送しておくから……』

 相手は、宇宙港の雑踏を背景に、せわしなく2、3の指示をヘンリ2世に与えていたが、ふと画面越しのアンドロイドの後ろに小さな影を認めて、目を上げた。

『あぁ、メイベル。いい子にしているかね?』

「はい、お父さま」

 少女は、ヘンリ2世の背後から顔を半分だけ覗かせて、おずおずと答えた。

『そうか、それならいい』

 しばしの会話の後、通話は途切れた。


 少女は、しばらく黙ってうつむいていたが、不意に面を上げて問いを発した。

「ヘンリ……いい子にしていると、サンタさんが願いを叶えてくれるって、本当なの かしら?」

  

         ※ ☆ ※


 「何、クリスマス? どこでそんなものを覚えたんだ」

 出張から帰って聞くヘンリ2世の報告に、男はディスプレイから目を上げた。


 クリスマス。地球の時代から飽きもせずに毎年繰り返される下らない習慣。

 出生率が厳密に管理されるようになって以来、ハロウィンも端午の節句も、ありと あらゆる子供に関する行事が、国や宗教を問わず廃れていったというのに、どうしてクリスマスだけがいつまでも無くならないのだ。

 人々が「聖なるイヴ」と呼び、街に色とりどりの電飾が燦然と輝く日。――だが、その日はウィルソン家にとっては忌むべき日であった。


 8年前、若く美しい妻が帰らぬ者と成った日。

 盲目の少女が生まれた日。

 そもそも、遺伝子的に最先端に特化されている科学者である彼等の子を、旧態依然とした方法で産むなどと言うことは、最初から無理があったのだ。

 その上、あまりにも華奢な妻の体。――最初から、無理だったのだ。


 彼に似た金色の髪。妻に似たすみれ色の瞳。

 確かに二人の特徴を受け継いで生まれた娘――だが、その瞳に映る筈の、母の笑顔はどこに有る?  久々に蘇った苦い感覚に、彼は唇を噛みながら言った。

「……それで? 何が欲しいと言っているんだ。不自由はさせていない筈だぞ」

「……微笑みを、と」

 「何?」

 「ここ半年のお嬢様の言動を検索にかけましたところ、候補に挙がったのは『お父上の笑顔が見たい』この一件のみとなっておりますが」


 アンドロイドは、生真面目な口調でそう答えた。



     ※ ☆ ※  


 そして、数ケ月。

 机の上には、部下の目を盗んで改良を加えたギミック・アイ。

 思えば、娘に改めて何か贈り物をしたことなど、無かった様な気がする。

 強いて言えば、3才の頃に買い与えた疑似感覚装置と、付録の良くできたゴールデ ン・リトリバーのバーチャル・ペットぐらいのものだったか。


 それとて、分別の付く前のこと故、記憶には有るまい。

 分別といえば、メイベルは有る意味で気味の悪い程大人びた娘だ。

 いつも聞き分けが良く、父親の自分にさえわがままを言ったことは一度もない。

 勉強も順調で、先日中等教育課程を修了したとの報告が届いていた。

 成績も申し分無く、彼自身の経歴と比較しても、なんら遜色はなかった。頭は悪くないのだ。

 いっそ、高等教育課程への進学を機に、外の世界にも馴染める様、アカデミーへやってもいいかも知れない。  


 彼自身、医療器具メーカーで開発を担当する傍ら、今企画中の大規模なメディカル・タウンの顧問担当を依頼されている。

 今までより更に娘に会う回数は減ることになるだろう。

 ちょうどいい機会かもしれない。

 ――珍しく欲しい物があるというから、何かと思えば。随分難しい注文だと思った。


 だが ……今の自分なら、不可能ではない筈だ。

 娘の目に光を取り戻すことも、笑顔を見せてやることも。


 不思議なことに、この秘密の作業を始める様になってから、彼自身の中である種の暖かい感情が育っていった様な気がする。

 もう8年にもなるんだ。いい加減、あの子の上に戻らぬ面影を重ねるのはやめて、父親らしいことをしてみてもいいんじゃないだろうか。

 以前なら思いつきもしなかった感傷的な想いが、脳裏を横切るようになった――あるいは歳を取ったせいかもしれ ないが。


 彼は最後の作業に取り掛かった。

 問題は、脳の視覚部位へのプログラミングなのだ。

 事故や病気で失った視力なら、損傷した器官だけをギミックで補って調整すれば済むことなのだが。生まれてから一 度も、視覚という刺激を受けたことのない脳には、今までそれは不可能とされてき た。――いや、今でも表向きは不可能とされているのだが。


 疑似感覚装置にしても、そうだ。

 本来は、リラックスして好みの夢をリアルに見るための装置だが、メイベルの場合は視覚領域のメニューはOFFにしてある。

 それでも、のめり込む程に彼女が熱中できるのは、敏感な聴力や触覚によるものだろう。

 い や、もしかしたら。本来は見えない物を見ているのかもしれない。

 幼い娘が、うっとりと異形の夢を見ている様を想像して、彼は身震いした。

 いや、よそう。これさえ成功すれば、万事上手くいくのだから……


 彼は、長年勤め上げて得た高い実績と、それに見合う評価に対して最近与えられた 権利を行使した。 

 ――そして、まだ許されていない行為をも。


 後は、例のプログラムだけなのだ。


 震える指で、リターンキーを叩く。パスワードは……ちっ、担当者はキリスト教徒と見えるな。こんなんじゃ、私でなくても侵入出来るぞ。

      ―――― Merry Christmas ―――― ロック解除


       ※ ☆ ※


「さあ、目を開けてご覧」

 パパが優しく声を掛ける。

 まだふらふらするけれど、もう大丈夫。パパを心配させちゃいけないわ。

 だって、こんなに嬉しいんだもの。こんな暖かいパパの声、聞いたことないんだもの。

 目の上から、柔らかい物が取り払われる。

「メイベル……? 何か感じたら言ってくれ。……もし、変わらない様なら……今度は手術の方もしなくてはならん」

 パパの声が少し心配そうに震える。ダメよ、そんな声しないで。あたしなら、大丈 夫だから。

 そっと、瞼をあけてみる。

 ……不思議な、感覚……

 くらり、と貧血の様な感じがした後、頭の後ろの方で、パチパチと何かが弾ける様な、むずがゆい様な感じがした。


 しばらくぼうっとして。

 あ、見えるって、こういう感じなんだ。

 突然、あたしは理解した。

 瞬きをして、前を向く。

『マブシイ』

 耳にはめた、補助装置が説明する。

 ああ、このくらくらする感じが、そうなのね。

 目の前に、何かある。

『ハナ。イロハ、ピンク』

 ああ、花。これが――


「メイベル?」

 声がした方を向く。

『チチオヤ』

 ……? ……ち・ち・お・や? ……パパ?

「見えるのか?」  

 良く解らないけど、この人がパパ。――うん、間違いない。この優しい声。


 こくり、とうなずく。

「そうみたい……です」

 抱きつかれた。力強い腕で抱き上げられる。ああ、やっぱり暖かいわ。

 あれ、なんだろこれ。あたし……涙? 

 そっか、嬉しいときでも涙が出ることがあるって、聞いたことあったっけ。

 

 シューン……ンン――

 扉の開く音がして、何かが入ってきた気配。

『アンドロイド』

 あっヘンリ2世ね。

「旦那様、緊急メールが入っております……解雇通知だそうです」


 一瞬の沈黙の後。

「そうか。……メイベル、これからはずっと一緒だぞ」

 ああ、サンタさん、一番のお願いをかなえてくれたのですね。これからは毎日、パパの笑顔を見ることができるのですね。


 パパは、頬ずりしてくれた。

 思っていたより、チクチクして痛い。

「これは……もういらなくなったな」

 パパの、手のひらの上に乗っている物。

『メダマ。ヒトミの色はハスミレイロ』  


 耳元で、説明する声がした。


 ――――本当に欲しかったのは、パパの笑顔。別に、目で見ることに、拘りはなかったんだけどね。


                  - fin -

お父さん、圧倒的に会話が足りませんね。

娘の願いを叶えてやるつもりで、職を失ってどうするんだっていう。

世のお父様方は、こんな事になりませんよう。

ご家族との会話を大事になさってくださいませ。

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