かの男の二番目の夢は冒険者であった
クラインが補助魔法の為に唱えた神の名は、私達の神様ではなく海竜王様という民間伝承の神様だった。
唯一神サーレの名を気軽に呼ぶなと聖典にあるけれど、だからこそ人間が名前を唱えやすい存在となる、神を補助する天使は沢山いる。
なのにどうしてクラインは、戦天使で有名どころの天使の名前を唱えないの。
そもそも、海竜王ギュメールは、宗教違いでしょう。
聖務局に知られたら、あなたは普通に異教徒として処罰されるわよ。
「どうして。戦いの為の祈りだったら、守護天使の方でしょう。ヒンメルやクラボニカとか、私達の神様の有名どころはどうしたのよ」
呆気に取られてしまったが、私の目の前の騎士は海竜王の加護らしき青い輝きを身に纏うと、石に向かって大きく飛び上った。
高く、高く。
私は彼の姿に、青い空を舞う真っ白なカモメをイメージした。
そのイメージは直ぐに消えたけれど。
クラインが剣を守り石へと振りかざしたそこで、私の脳みそは彼について違うイメージを頭の中で描いたのである。
剣を両手で持ち振り被ったクラインの姿は、天使の様な聖騎士というよりも、吟遊詩人が語る竜と戦う英雄の姿を彷彿とさせた。
「クライン、あなたって……ハッ」
私の鼻が潮の香りを嗅いだことで私は嫌な事に気が付いた。
気が付かなきゃ良かった、とまで思った。
気が付いたから命拾いなのかもしれないけれど。
「まって!大水を熱した石に当てたら水蒸気!水蒸気爆発が起きるかもなの!」
ただ守り石が壊れて神殿が破壊されるだけならば、天災を抑える重石が一つ消えるだけだけど、大き過ぎる破壊で天災こそ引き起こされちゃったら?
それに、彼が唱えたのは水魔法による人体強化補助魔法であるらしいが、彼が魔法を引き出すために彼が召喚したのは海竜王様だ。
真水でもこの状況では危険極まりないのに、不純物いっぱいの海水が守り石にかかってしまったら?
「だめだめ!クライン、下がって!どきなさい!」
クラインに世界を滅ぼさせちゃいけないと、私は自分の持てる力を石に思いっ切りに当てていた。そうよ、クラインがしようとしたみたいに、外から圧をかければ良かっただけの話なのよ。
水蒸気爆発が起こらない、温められた空気という圧力でね。
私の意図を知った男は、空中で身を捩って私の視界から消えた。
私はそこで思いっきりの魔法を放った。
がごおおおおん。
私の最大火力で押された石は大きな音をさせてしっかりと動き、もともとの位置に嵌り直したようである。
「ふう、なんとか」
「あっぶな。俺を熱波で殺す気か!」
「水蒸気爆発を起こすよりもいいでしょう!」
私はクラインの怒り声に振り向いて怒鳴り返していた。
視界から消えていた男は、室内の端の方に着地していたようだ。
怒り心頭らしき彼は、そこから私の方へとずんずんと歩いてくる。
あの日のように怒った顔をしたクラインに脅えるべきなのに、私は自分に向かってくるクラインが怪我一つない事が嬉しくて堪らなかった。
だから彼を見つめていたのに、私の視界はぼやけて真っ白になった。
いいえ、真っ暗になった。
後頭部にクラインの大きな手を感じたそこで、涙顔の私はクラインの胸に押し付けられていた。
聖女は男性と肉体接触を持ってはいけない。
だから私の顔を自分の胸に押し付けているだけ、という格好なのだろうか。
「お前は俺が情けなるぐらいにいつも凄いよ」
褒めた?
「あ、ありがとう」
私は訳が分からないクラインに訳が分からなくされてばかりだ。
だから、そうよ、胸がドキドキするのはそのせいよ。
聖女がこれ以上男に惑わされるべきじゃ無いと顔を上げてクラインから一歩下がったその時、クラインの体から潮の香りがした。
海竜王を召喚したからね。
「っじゃない。どうして聖騎士が海竜王に祈りを捧げているのよ」
クラインは軽く肩を竦めた後、とっても軽薄な笑顔を見せた。
「俺の将来の二番目の夢が冒険者だったからかな」
「では一番目が聖騎士でしたの?」
「それは夢でも何でも無くて、生きるための都合上の選択って奴かな」
「聖騎士はなりたくて簡単になれるものじゃないでしょう!」
「そうか?割と広き門だったぞ。なりたい?ハイどうぞってやつだった」
私は嘘だろうと思いながら聖騎士職を愚弄する聖騎士を見返した。
にやっと笑い返した男は、真っ青な瞳を持つ金色に輝く美丈夫でしかなく、聖女の私よりも数倍魅力的で神々しく見えた。
外見は、……最高。
聖騎士に求められる身体能力は先ほどの動きを見れば最上な事を否定できないし、補助魔法を器用に使えるならばそれなりの魔力を持っていると推察される。
素晴らしき魔法能力で召喚するのが海竜王という異教徒ぶりですけれど。
「聖騎士試験は大変だったでしょう?分厚い聖典を記憶するのは大変だわ」
聖騎士試験には聖典の暗唱がある。突然にどこを暗唱させられるかわからないので、聖騎士候補生は必死に聖典の丸暗記をするのだと聞いている。
「別に。出るところは毎回同じだろ。ところがさ、集団面接で俺だけには別ページを指示してきやがったのよ。嫌がらせかよって。それで、暗い夜道は気を付けろ的な脅しをかけてからな、俺こそ俺が好きな場所を試験官どもに暗唱させてやったんだ。そしたらさあ、奴ら泣きだしてさあ。合格です許してくださいってな。どうよ、広き門だろって……冗談だけどな。冗談」
うわあ、冗談じゃなくてやったわよね、絶対に。
普段の振る舞いから凄く納得しちゃったわ。
「どうした?アプリリス。だから冗談だって。うそうそ」
「嘘つき」
「ハハ」
「笑えないわよ。それでそんな聖騎士が楽勝なあなた様の一番なりたかった夢は何でございましょうか?」
「故郷に錦を飾る、だな。それで親父の跡を継ぐ、か」
「聖騎士就任したことで、あなたは故郷の誉れとなったのではないの?」
「言っただろ?俺の故郷はカラバリだって。あそこで聖騎士なんつっても、だあれも尊敬なんかしないね」
「カラバリはどんな人が尊敬されるの?」
クラインはとっても悪そうににやっと笑みを作ると、軽く左目を閉じた。
私は自分の頬が熱くなった気がした。
海の香りがするせいで、彼が聖騎士じゃなくて海賊のように見えたのだ。
「良い女を略奪してきた男かな」
この答えになぜ私が胸をドキンと高鳴らせているの!
お読みいただきありがとうございます。
あとがき、次話のあとがきを書いていましたので修正削除しました。(2023/3/31)
プロローグの方ではクラインは聖騎士職に拘っていましたが、
それは、聖騎士職が聖女を守る職務だからであります。