真実の私に戻ったら
私は茫然としていた。
アラメアがフェブアリスであることはわかったが、そのフェブアリスこそもう一つの何かに巣くわれているようなのだ。
私は自分と同じ聖女だったはずの相手に尋ねていた。
「あなたは一体何者なの?」
「知らないよ、知らない。あはは、こいつに聞いてみたらどうだ?」
フェブアリスが頭を振ると、魚みたいな無感情だった瞳に人間らしい輝きが戻った。その光は戻らない方が良かったというものだが。
彼女が私に向ける瞳には、憎しみしか見えないのだ。
「どうしてあなたが最初に聖女に選ばれたの?どうしてあなたは彼が助けに来てくれたの?どうして私が選ばれないのよおおおおお」
「黙れ、お前はそればかりか!ああ、ああ、お前こそアプリリスに捧げられれば良かったものを。この色情魔が!!」
フェブアリスは自分で自分の頬を叩いた。
すると顔は再び魚のあれに戻り、サメのような感情の無い瞳を私に向けた。
フェブアリスは私に腕を伸ばす。
彼女が伸ばした腕の手の平には、水晶玉みたいな水の球が浮いている。
「重水だ。生き物を殺す水。圧力をかけると大きく爆発する死の水だ。抗うなよ、抗わねば、われはこれをここに使わない」
「何を望んでいるの?」
「そりゃあ、私達の解放だ。ようやく我らの重石が外されたのだ」
「ではそのまま逃げればいいじゃないの。私に何を望むのよ!!」
「可哀想な友達にも生きていくためのお洋服が必要だろう?」
「うひゅひゅひゅひゅ」
アプリリスは彼女の盟友らしきフェブアリスに、私が殺されるだろう期待にうち震え、肉体が無いくせに、ぶよぶよと体を艶めかしく動かす。
私が肉体をアプリリスに明け渡さねば、この城を、いいえ、この領地ごとフェブアリスは滅ぼすと言っているのだ。
私とクラインを襲ったあの爆発と同じもので。
フェブアリスの手から水の球が宙へと浮き上がり、彼女は私に両手を伸ばした。
私は次に来ることを覚悟しながら目を瞑った。
恐怖?
そんなものは無い。
歓喜ばかりよ。
私はリイラを殺していない、私こそリイラだったのだもの。
「ぐっ」
フェブアリスの両手が私の首にかかった。
私の首を絞めて、私を殺してしまおうとして。
「お前は今世紀最高の聖女になりたいんだろう?聖女を受けいれれば、最高の聖女になることができるだろう。このアラメアのようにな」
私は自分の首を絞める相手の手を掴み、この化け物を燃やし尽してしまおうと集中した。
!!
アラメアに重なるように頬骨の高い美女の幻影が浮かび、彼女達の胸元にはあの魚の顔が浮かんでいる。
私はアラメアの手から自分の手を外すや、右手に拳を握った、
そして、そして。
「眉間を狙え」
「ええ、兄さん!!」
私は思い出の中のクラインの助言通りに、魚の顔に自分の拳を叩きこんでいた。
その感触は魚というよりはウナギかアンコウを殴った感触である。
いいえ、イソギンチャクとかナマコなどの軟体生物かしら。
「うぎゃ」
魚顔は叫び、私の首から両手は外れ、アラメアは大きく床に倒れた。
アラメアの胸元からシュルっと、蛇のようなものが飛び出す。
すぐにそれは私に向かって飛んできた。
私はそれを燃やし尽そうと手を翳し、しかし、私の視界が大きく横へと移動した。
クラインが私を押し倒し、私に覆いかぶさっている。
彼は右手を大きく振った。
「ギュメ―ルの名により命ずる。哀れなる精霊レガレスクよ、海に還れ」
襲い掛かって来た魚の影が、シュパンと音を立てて消えた。
彼はその次に私達を悩まして来たアプリリスへと右手を向けた。
「ひゅお」
人差し指と中指を立てただけの指先で彼女を指し示し、クラインに指さされたアプリリスが壁に飛ばされて貼りついた。
「やばいな」
「倒せないの?」
「名前が思い出せない」
「え?」
「お前は覚えていないか?」
「わ、私が覚えているはずは無いでしょう」
「使えない。炎系精霊はお前の守備範囲だろうに。もう適当にって」
しゅるるるん。
クラインが化け物に対して腕で何かをしようと振ったその時、化け物がとても速い速度で動き出したのだ。その動きは、蜘蛛によく似たソリフガエによく似ている。似ているどころか人の気配を感じてすっと石の裏や隙間に潜る行動そっくりに、壁を這う影となった化け物は閉じ切った窓枠の隙間に逃げ込んだのである。
「太っていても姿の無い化け物でしか無いからあんな動きができるのね。うわあ、ソリフガエそっくりな動きで鳥肌が立つわ」
「くっそ、それだ!!」
クラインは大きく舌打ちをして、持ち上げていた右腕を下ろす。
それから彼は私を抱えながら起き上がり、ようやくという風に私に顔を向けた。
彼のその顔は私に郷愁ばかりを引き起こした。
不貞腐れた様なその表情は、大物だと持ち上げた釣り竿に蛸しか引っかかっていなかった時の顔で、私は思い出した自分の記憶に呑み込まれるばかりである。
私はクラインのシャツをぎゅっと掴んだ。
それで、彼に何かを言おうとしたのに、私から声が出なかった。
自分がリイラだったという喜びと、彼への愛で胸がいっぱいで声が出ないのだ。
「ラブ?どうした?」
温かくて優しい声。
子供の頃の彼には出せやしない、大人になったクラインの声だ。
「わた、私はり、」
「ん?」
私はさらに彼のシャツを強くつかんでいた。
クラインへの想いに感極まった私に、私の頭の中では断片だった、あの夜の記憶が急に襲い掛かってきたのである。私はあの夜も思い出したのだ。思い出さねば良かったと一瞬で思ってしまった記憶を。
私と再会するために聖騎士になったと言ったクラインは、その次にそこまでした本当の理由を語ったのだ。
「お前が俺を兄と呼ぶ限り、俺はお前の兄だ。兄は妹を助けるものだ。そうだろ?」
クラインはリイラに愛を持っていたが、それは家族愛だった。
私が知らない女に見えるのが嫌、と彼が言っていたのは、妹が色気づいたら兄は嫌がるものだからじゃないの?




