溺れる女
クラインは私を揶揄って機嫌が良くなったのか、鼻歌を歌いながら体を石鹸で洗いだした。
何が、私が恥ずかしがり屋なのは見せられない体だからだろう、ですか。
本当の意味での恥ずかしがり屋はどちらかしら?
私は無防備な後ろ向きの男を睨みつけながら、怒りの気持ちが高ぶったそのままカーテンだったドレスを脱ぎ棄てた。それだけじゃない。シュミーズの肩紐だって肩から落とし、足元に落ちたそれを踏み越え、次には膝丈程度のドロワーズだってずり下げて足から抜いたのだ。
よし、私だってまる出しの裸になったわよ。
私は大きく息を吸うと、シャワーを浴びているクラインへと歩きだした。
「俺を殴り殺しに来た――か」
斜め後ろに並んだ私に振り向いたクラインは、私の姿がどのような状態であるか知ったそこで、時間が止まったように固まってしまった。
彼の優美な目元は丸ボタンぐらいに真ん丸となり、しなやかに動けるはずの彼は人形みたいに微動だにしなくなった。彼の頭や体についている石鹸の泡とシャワーヘッドから流れるお湯だけが、ここに時間の流れが存在していると教えるように彼の体を流れていくのである。
シャワーの滝に打たれたまま、自分の体から泡が消えさっても固まり続ける彼に私は微笑むと、石化魔法状態の彼を押しのけ、自分こそお湯のカーテンの中心となる位置に入った。それから、光を受けるように腕を開き、顔をお湯に向け、少しだけ背中を反らしたのである。
こうすると胸が綺麗に見えるかな、というだけだったのだが、初めてのシャワーは私が考えていたよりも、こんなにも心地の良いものだった、とは!
クラインがどうとかを忘れ、私は本気で楽しい気持ちに変わっていた。
「ふう。シャワーって気持ちがいいのね」
「あ、ああ。ゆっくり好きなように使ってくれ。俺はバスタブに逃げる事にした」
「逃げるの?」
「自分の体が恥ずかしくなったんだ。君の体は綺麗だよ」
今度は私が硬直してしまった。
クラインが私の右肩に小鳥みたいなキスをしたのだ。
私が動けなくなったことを知ったからか、彼は喉で響かせる笑い声を立てた。
その後は、彼は当たり前のように私から離れていった。
けれど、彼の足音はバスタブではなく、バスルームのドアへと向かっていった。
ドアの開閉音がする。
クラインはバスルームから出ていった?
そこで私はようやく動けるようになり、止めていた息を大きく吐いた。
クラインは嫌らしい冗談をいくらでも言うが、本当の意味で嫌らしいことを私が望まない限り私にしてこない。
だから、私が全裸になったら彼こそ恥ずかしがる、と考えての自分の行動だったが、勝ったと思うよりも心の中はむなしさばかりとなってしまった。
色とりどりの花を浮かべたバスタブがあるのに、そこには誰もいない。
あなたは私と一緒に入るために、天国みたいに花だらけにしたのでは無いの?
私は自分の体を見下ろした。
クラインが以前に評したとおりに、痩せっぽちで骨だって浮き出ている体。
「綺麗って言ってくれたけど、その気にならない体だったのでしょうね。ええと、その気になられても困る、けど、いや、ええと。もう。入る!」
私は大股でバスタブまで歩くと、湯船に浮かぶ花々が溢れるお湯と一緒に無くなってしまうぐらいに乱暴にバスタブの中に入った。
クラインが私の裸を見てもその気にならなかった本当の理由など、私は考えたくなかったのである。
いいえ、答えは分かっている。
彼が愛しているのはリイラであって私では無いだけ。
だから彼は逃げたのだ。そうでしょう、と。
知らない女に見える時って、そうね、リイラと私が違うって思った時よね。
あなたが救いたかったのは、愛しているのは、リイラだったのですものね
涙が出てきた私は、花びらの世界で涙を隠してしまおうと水面に顔を沈めた。
「!!」
私の頭は上から押さえ付けられた。
驚いたために私はごぶっと息を吐き出してしまった。
私の頭に両手をかけてお湯の中に引きずり込もうとするモノは、お湯の中で私を血走った眼で見返して、笑った。私を捕らえたこの白い化け物は、ロセアに憑いていたあの女だった。
私は引きずり込まれまいと両手でバスタブの縁を掴み、体を持ち上げようとしたが、私の頭を沈めようとする腕の力の方が強かった。
「あぐ、ぐぶ」
「死になさい。その体は私が貰う」
「えさなんだよ。えさがあばれるんじゃないよ。えさでしかないんだよ」
私を沈めようとする化け物のベタベタした声に重なるようにして、別の女のしゃがれた声が重なった。その声は私の後ろから、私の耳に囁くように聞こえた。
「人の体はすぐに駄目になる。だからこうして取り替える必要があるんだよ」
女の台詞を証明するかのようにして、バスタブを掴む私の右手がぐちゃと崩れた。
野菜が腐って潰れるようにして。
そこからどんどんと肘にむかって、私の右腕が腐っていく、のだ。
ああ、腐れ落ちる代わりに別の腕が生えた。
私の腕じゃない、真っ白で細い腕。
私の腕じゃないその腕が私の顔を掴み、私の目玉に親指を入れた。
「いやあああ」
私の頭は恐怖によって真っ白になり、叫んで叫んでいた。
実際は湯の中に沈んでいる私が声を出せるわけもなく、ごぼごぼと水を飲むだけ飲んで肺の空気を全部出しきっただけだった、が。




