夢みたいなバスルームにて
クラインが嫌なことは、私が彼にとって知らない女に見えること?
一体どういう意味なのかと私がクラインを見返すと、彼はにやりと笑った。
「実は打たれ弱かった奴なんて知ったら、俺は単なる弱い者いじめじゃないか」
「え、弱いわよ?あなたにお尻を叩かれて傷ついているし、いっつも酷いこと言われてるわって、あなたへの仕返しを考えているほどなのよ」
「ハハハ。ぜんぜん弱くねえ。罰を与える日が待ち遠しいぐらいだよ」
「そうよ、罰。罰加算とか。あなたは一体何を私に与えるつもりなの?」
彼はそれには答えずに、再び私を運び始めた。
領主の部屋のお風呂場へと。
「うわあ」
思わずため息が零れた。
なんて明るくてきれいなお風呂場だろう、と。
ロセアに与えられた客間ぐらいの大きさがあるお風呂場だった。
私は素敵なものを見つけたと、クラインの腕から飛び出ていた。
そして、大きな窓に駆け寄っていた。
「わあ、ここから街並みを全部見渡せるのね。ねえ、あの建物の隙間から見える光っているのは海ね!夕日が輝く海ね。この窓から海も見えるのね」
「あんなちっこい、それもオレンジ色でしかないのに、君はひと目で海だってわかるんだな。君は海も湖も無い場所の聖女だったのに」
クラインは私の横に立ち、白いレースのカーテンを掴むや一気に締めた。
夕日が落ちようとしている窓の景色に、半透明の白い世界が重なった。
海を知らない私が海を知っているのは、リイラを食べた証拠だから?
だからクラインはカーテンを締めてしまったの?
それとも、私がリイラじゃない私という知らない女に見えたから?
「クライン、あの」
「ここから見えるという事は、あちらからも見えるということだ。これから外が真っ暗になるなら尚更ね」
「大事なことを思い出させて下さり感謝します」
私はくるっと振り返り、バスルームに意識を戻した。
外からの明かりが無くとも、外の明りなど必要としないぐらいに、天井の真ん中で突き出している円筒状のガラス照明が太陽のように煌々と輝くのだから。
室内の壁と床にはタイルが貼られている。壁のタイルは薄い水色で空みたいだし、床のタイルなんて、白地に紺色で描いた蔦模様が連続模様になるように配置されているわ。
真っ白な陶器製のバスタブはとても大きく、夏の空に浮かぶ大きな雲だわ。
「こんなに素敵なバスルームがこの世に存在していたのね」
「ケレウスのお袋さんと君は仲良くなれただろうね」
クラインは窓辺を離れると、部屋の中心に置いてあるバスタブに向かった。
バスタブの奥となる壁には、金属と陶器でできた花やウサギの飾りがバスタブを飾るように貼り付けられている。
クラインは飾りの中にあった金色のレバーを上げた。
すると、中央の金属でできたライオンの口からお湯が溢れ出てきた。
「ロセアの家でも驚いたけど、アトロフスカはどの家にも水道設備があるだけじゃなくて、薪で沸かさなくてもお湯がいつでも出てくるのね」
「ここは綺麗な水どころか、地熱で温められたお湯まで地下から湧き出てくるんだ。ガンダルで財を成したアトロフスカ一族がここを占拠してしまったのはそれが理由だよ」
「アトロフスカがガンダルで財を成した?」
「ケレウスの祖父がガンダルの発明者。それでアトロフスカ家は金と伯爵位を手にいれたのさ。ケレウスもなかなかの発明家でね、同じ様に機械いじりが好きな弟の面倒をよく見てくれているよ」
「それでセニリスの師匠ってことなのね」
「ああ」
「でもって、あなたの面倒まで見て下さった方なのね」
「それは違う。面倒なんか見て貰っていないよ、俺の面倒を押しつけてるだけ」
「ひどい」
「ひどくないよ。家族がいないあいつは、俺達兄弟の兄のような気持ちなんだよ。俺はあいつのそんな気持ちを大事にしているってだけだ」
私は、そうなの、とだけ答えた。
クラインは、適当な女、と笑い声で呟いた。
私はクラインに言い返しはしなかった。なぜならば、クラインが湯船に何かを浮かべ始め、私は彼がしていることから目が離せなくなって、心あらずという状態になってしまったのだもの。
「お風呂に花びらを浮かべるなんて、なんてきれい。なんていい香り」
「鼻の奥まで腐葉土臭いからな、今の俺達は」
「確かに!」
ライオンの口から湯船に注ぐ湯が止まった代わりに、湯面には赤やピンク、そして紫色の花びらが私を誘う様に浮かんでいる。
綺麗なお風呂に今すぐ入りたい。
はっ。
もしかして、二人で入るの?
そのためのクラインの準備だった?
「ええと、お、お風呂に入るのは私が先、かな?」
「いいや。まだまだ。先にシャワーを浴びて泥を落としてからだ」
「シャワー?」
クラインは私ににっこりと、それはもう太陽みたいな笑顔を見せた。
私の心臓がそれで三回ぐらいジャンプしちゃった、なんて!
「使い方はわからないだろ?俺が手取り足取り教えてあげるよ」
「嫌らしい言い方!あなたって自分を台無しにするのが本当に上手ね」
クラインは、ふふん、と憎たらしい笑顔を見せると、――脱いだ。
体から泥まみれのシーツだった布を剥ぎ、そのままぺたぺた歩きながら下履きをも脱ぎ去った。私の目の前で。そして全裸となった男は、バスルームの端まで歩いて行き、そこで何かのレバーを動かしたのである。
湯気の立った水が雨のようにして天井近くから流れ出した。
その雫は、クラインを頭の天辺から清めていく。
「ああ気持がいいよ。シャワーってこれのこと。使い方はわかったかな?」
「ご親切にありがとう」
クラインは私にシャワーの使い方を実演してくれただけだが、私に全裸の男の後ろ側も披露してくれていると、そこに気付いているのであろうか。
前は隠してくれてありがとうと、こちらも感謝を述べるべきかしら。
それとも、えくぼのあるきゅっとしたお尻で素敵ね、と褒めるべきかしら。
すぐに裸になる彼に慣れすぎて、裸の彼に恥ずかしさをちっとも感じなくなってしまっただなんて。
「聖女サマは俺の体に見惚れて動けなくなったかな」
「見慣れちゃって見惚れなくなったなって残念に思っていたところ。あなたはすぐ脱いじゃうけど、羞恥心も脱ぎ棄ててしまっているの?」
「見られて恥ずかしい体じゃないもんで。そうか。君が恥ずかしがり屋なのは、見せられない体だったからか」
本当に下品でデリカシーが無くてムカつく男だ。
機嫌よく鼻歌を歌いながら泡塗れになって行く後ろ姿の完璧な裸体を忌々しく眺めながら、私は腕を組んで彼への仕返しを考え始めた。
それほど考えるまでも無かったけれど。
私は、絶対にこれだ、という方法を思いついたと思いながら、自分が作り上げたチュニック風ドレスに手を掛けた。




