ケレウス・アトロフスカ
クラインに連れ込まれた豪勢な部屋。
こんな素敵な場所に連れてきてくれたクラインに、私はお礼のようにして彼の唇に口づけていた。
いいえ、理由をつけて彼にキスがしたかっただけ。
「人の私室で不埒な事をするのは止めてくれないかな?」
突然の声に私は驚き、小さく叫んで声がした方へと視線を動かした。
視線の先には、飾りのない白いシャツに茶色のパンツという、下男風の服装をした三十代前半ぐらいの男性が腕を組んで立っていた。
男の顔の第一印象は硬質的だった。
真っ直ぐな鼻筋としっかりした顎で、線が太く感じるのであろう。だがよくよく見つめれば、目鼻立ちは実に優美で良いものである。緑がかったアッシュブラウンの肩までの長い髪は私の薄茶色の髪よりも艶やかであり、無造作に後ろへと流しているところは退廃的と表現するべきか。
体型は一言で言えば大柄でがっちりしている。彼はクラインと同じぐらいに背が高く、クラインよりも筋肉質で体の幅があるのだ。
そんな彼が身に着けている衣服が下男風でも、彼を下男と見做す人はいないであろう。それは、シャツもパンツも上質な素材だからではなく、彼の顔立ちや立ち姿に一種の気品が見えるからだ。
私達を向ける眼差しが少々尊大で、深い緑色の瞳に知略の煌きも見えるのであれば、彼の名前など聞くまでも無い。
「よお、ケレウス。この可愛いのが俺の女房。お前の部屋を借りるぞ。文句はジョーゼフに言って。帰ろっかな、な俺達を引き止めたのはあいつだ」
「ジョーゼフめ。普段は私に余計な縁談を持ってくる癖に!」
「やっぱ、お前誑かされた?弟の春を奪っちゃった?」
「……下品な。どうしてお前がセニリスの兄なんだろう」
「あいつより先に生まれたからだろ。で、奪ったのか?」
「お前は――。ああ、どうしてジョーゼフはこいつを引き止めたんだ。こいつを見つけたら追い払えが鉄則だろうに。あいつも耄碌してしまったんだろうか」
「いや。未だに鋭すぎるじいや様だと思うな。で、ジョーゼフが問題視してるのがセニリスの銀髪女だよな。お堅いお前が大事な弟分から奪いたくなるぐらいにそいつはいい女だったのか?」
「お前と違う。私はセニリスが連れてきた女性を、セニリスの為に、匿ってやっているだけだ。結婚前の男女を別々にしてどこが悪い。預け先だってお前達が大事にしているロセアの家を提案したんだ!」
ロセアの家に銀髪の女性などいなかったと言い返そうとしたが、クラインに少々乱暴に床に下ろされたことで息を飲んでしまって言葉が出なかった。クラインが私に軽く片目を瞑って見せたので、黙れってことだろう。
そしてクラインは私の口を閉じさせた代りと言う風に、自分こそがケレウスに質問を重ねていた。いつもの軽い調子で。
「それで弟を俺に派遣したのか。女を回収する目的と俺への交渉の為に。あいつが俺に突きつけた要求一つは結局は達成できたかな。ほら、俺の女をお前の所に連れて来たぞ」
ケレウスは、ああ、と声を上げて両手で自分の顔を覆った。そしてすぐに顔から手を下ろすと、私に対して頷くぐらいのものだが頭を下げた。
「すまなかった。知らなかったとはいえ君を危険な目に遭わせてしまった。聖女を私の所に連れて来いは、クラインとの昔からの隠語なんだ。緊急事態発生、だ。セニリスもびっくりした事だろう、君がいて、そして私が放った兵士も突入してきたのだから」
「めっちゃ怒ってたな、あいつ。で、あいつはあいつで自分の女の回収か?」
「いいや。匿うべき人がいる場所に兵を向かわせるわけなど無いだろう。大体、ロセアに預ける前にノヅチの異常があったからな、彼女はここにいるよ」
「それであの展開じゃ、あいつはお前に裏切られた気持ちで一杯だな。で、ジョーゼフさんは、ここにいるその彼女の存在が嫌だと?俺を引き止めたのは俺に彼女を紹介するつもりだったのかな」
「君の奥方がここにいれば付添い人がいたという面目はたつだろ?私が責任を取る必要は無いって考えだろう。全く、ジョーゼフは彼女に関して何が気に入らないのか、彼女を追い出すまで私に対して業務放棄だそうだ。そこに聖務局の襲撃。全く聖務局め。間が悪い時に!!」
「それでお前は丁度良く俺がいるからって、俺を使う事にしたんだな」
「殺しても死なないお前一人だと思ったのだ。ジアーナ夫人、改めてあなたを巻き込んだ事は謝罪いたします」
私は、気になさらないで、と常識的な男性に笑顔で答えていた。
クライン一人だと思ったから面倒をクラインに被せてしまった、というケレウスの主張は、いいえ、その気持がよくわかるもの。私もクラインにウンザリしてしまったら、そんな機会があたったらやってしまいそうだなって。
「きゃあ」
私の考えがクラインに伝わってしまったのか、彼は私のお尻を叩いたのだ。
再び荷物にするみたいに彼の肩に担ぎ直してから!
「もう、あなたは!」
「うるさいよ。君の大事な旦那が親友に酷い目に遭ったというのに、何が気になさらないで、だ。いいか?俺をあの崖下の陰険な罠に誘導したのは、まさに、目の前のケレウスさんだよ。あそこを燃やせば凍えさせられたノヅチが少しは活動できるだろうってな」
「ま、まあ!それであなたはどうして魔法使いが炎属性の人達しかいないんだろうねって言っていたのね。すごいわ。魔法交信しなくてもお互いの意志の疎通が図れるぐらいのお友達ですのね!じゃ、じゃあ、セニリスが靴をあなたに渡したのは、地面が凍えているってあなたに伝えるためなのね、ってきゃあ!」
またお尻を叩いて来るなんて。
私は上半身を起こすと、悔しさを思いっ切り込めて、クラインの髪の毛を両手でぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
「わる、悪かった。ちょっとやめて。ああケレウス。俺に妻への可愛がりをさせてくれないかな。こいつはかまってやる時間が空くと、こうして暴れるんだ」
「なによそれ!髪の毛を全部抜いてやる!」
「やめ、やめてって。たすけて、ケレウス」
城主ケレウス・アトロフスカ伯爵様は、両目をぐるりと回したあと、全てを諦めた様にして大きな溜息を吐いた。
「――お前の願い通りに私は自分の部屋から出るよ。奥方への服はあとでメイドに持って来させよう。お前は、――勝手に私の服を着るんだろうな」
「俺の服も用意してくれると嬉しい。お前の服じゃデカすぎるよ」
「はあ。妻を迎えれば男は落ち着くというのに、こいつは増長するだけとは」
城主は物凄くがっかりした声でぼそぼそ呟くように話すと、肩を落とした姿で自分の部屋を出ていってしまった。
いいの?
え、本当に彼の部屋で私達に好き勝手にしろと?
「何ていい人。聖人だわ」
「俺もそう思うよ。だから君もたまには聖女の仮面を被ってくれないかな」
「あら。あなたは私が聖女ぶるのが嫌だったのではないの?」
「俺が嫌なのは、お前が知らない女に見える時だよ」
どういうこと?




