アトロフスカ城塞のキープにはためく旗は何色か
クラインはアトロフスカ城を目指すと言い切った。
襲撃されている私達こそが、その襲撃者を襲撃に行くだなんて。
「セニリスを裏切ったからアトロフスカ伯爵を殴りに行くの?」
「あいつが籠城しているだけなのか、人質になっちまったのか、それを確認するにもぶっこんでいかなきゃなあ」
「籠城?人質?」
「恐らくも何も聖務局の襲撃に遭っていたはずだ」
そういえばと、私が見過ごしていた事に思い当たった。
私達は母の家がある造成地内をしばらく走っているが、立ち並ぶ家々から顔を出す住人の姿もないどころか、街路を歩く人影さえも一切ないのだ。
母の家の敷地を出てからは、私達の足を止めようとする兵士さえ出てこない。
「人がいないのはアトロフスカ城がある大キープに住人が避難したから?」
「それを祈ろう。道を外れるぞ」
「え、ええ?」
私達は裸足よ?
綺麗に見える石畳の道でさえ小石や小さな何かが落ちているから、私の足の裏はそれらを踏んで痛くなっているのだ。それなのに、整備されていない山の道に入るというの?
「きゃ」
クラインは私を引き寄せて肩に担ぎ、彼が言っていた通りに道を外れた。
本当にぴょんという風に飛んで、道どころか何も無い崖下に彼は落ちたのだ。
私を道連れにするようにして。
「きゃああああ」
クラインの腕の中で私は大声を上げていた。
守られていながら悲鳴をあげるなんてと思うが、自由がないまま奈落の底に引き摺り込まれるような落下を体験中なのだ。
それに、私が悲鳴を上げているのは、落ちていくこの状況にだけではない。
私達がいたはずの場所で小爆発も起きていたのだ。
私はクラインの足元がしっかりしたところで、私達を狙った爆発で自分が思った事を彼に告げていた。
「物理的な砲撃じゃない。火属性魔法だったわ。このアトロフスカは魔法禁止の治外法権では無かったの?」
「ようやく気が付いたか。そうだよ、使えないはずだった。それが使えた。セニリスが魔法で扉を閉じたところで考えるべきだった。この襲撃はケレウスがセニリスを裏切ってのものなのか、聖務局にケレウスの身柄こそ握られてのセニリスのへたな踊りだったのか。それを確かめるぞ」
クラインは私を左腕だけで抱くと、右手の指先を祈るように額に当てた。
ギュメールを呼び出すのね。
でもそこで私の鼻が異臭を感じた。
潮の匂いの中に腐った卵の匂いが混じっている気がするのだ。
魔法干渉が起きた?
「クライン。腐った卵の匂いがする。あなたは違うものを呼び出したの?」
クラインはハッと何かに気が付いた顔で私を見返すと、私を抱き直したそのまま思いっ切り地面を蹴りつけて飛び上った。
ドオオオオオン。
私達が瞬間前にいた場所は大きな爆発を伴った火柱が立ち上がっている。
その炎の柱は、まるで逃げた私達を捕まえようと伸ばされた手のようだ。
クラインの機転と天使のように空高く舞い上がれる彼の能力のお陰で、私達は死の炎に捕まらずに済んだのだ。
「あと少し遅かったらいくら私達でも消し炭だったわね」
ほんの少し前まで私達がいたはずの崖下は、今や大爆発によってできた黒い煙と業火が渦巻くごった煮鍋の中身のような有様だ。
私を抱いたまま空へと飛んだクラインは、すぐに安全といえる高い木の枝に足場を確保している。こうして自分が無事でいられるのはクラインのお陰だと、私はクラインにしがみ付く両腕に力を込め、頭を彼の首筋になすりつけた。
「あなたは本当にすごいわ」
「すごいのは君の鼻だな。よく硫黄の匂いに気が付いた。もう少し遅ければ毒のガスで動けなくなった俺達は、止めとばかりに爆破されていただろう。ハハハ。俺達が動いたからと慌てて火を点けたんだな。勿体無い。せっかくの罠なのに、無駄遣いしやがって」
「罠、だったの」
「ああ。俺の動きは読まれていた。いや、誘導されただけか。毒ガスが溜まっている崖下に逃げるようにと、ね。これはケレウスの指揮じゃない。あいつは辞書の例えに載るぐらいの吝嗇家だ。せっかく仕掛けた罠の無駄遣いはしないのさ」
「では、聖務局の仕業?どうしてこんなに積極的に私を捕まえに、いいえ殺しに来たの?私が死ねば守り石が爆発してしまうのよ。フェブアリスの悲劇が起こってしまうのよ。それに、聖女は火山活動を抑えてこの国を守っているはずでしょう?国民が殺せと唱えたからと言って殺していたら、この国に災害が確実に起きるのよ。どうして」
「首都で聖女の死を煽ってる男はね、この国が欲しい国に唆された阿呆なんだ。侵略したい国の内政を混乱させる。よくある戦術だ。そして聖務局は、ロバート・ピエールに聖女の秘密を囁いた裏切り者の聖騎士を殺したい、だな」
「クライン――」
私はその続きが言えなかった。
結果としてフェブアリスが殺されてしまった事。
ロバート・ピエールの台頭で沢山の人の血が流されてしまった事。
それは取り返しがつかないどころか、人として償い切れない重すぎる罪だ。
そんな罪をクラインは犯してしまったというのか。でもそれが、全部リイラを救うためなのだと思いつめての行動ならば、リイラを殺していた私がどうして彼を責める事が出来ようか。
「という事にして俺を抹殺して口を拭いたいらしい。ハハハ、世に名高いサルバド聖務局長様の愛人がロバートの叔母様だって知られたくないらしいよ。いや、ロバートこそ局長様とその叔母様のお子様だったかな」
「うげ」
「俺がその情報をもとにサルバドに要求したのは、俺への聖騎士授与とアプリリス神殿に配属されるように、だけかな」
「聖騎士の授与?聖騎士になったのは廃嫡されてすぐじゃなかったの?」
「三年前のリイラ奪還失敗で俺は聖騎士をはく奪されていた。聖女神殿で好きに動くには聖騎士じゃないと駄目みたいだよって弟が言うからさ、サルバドの寝込みを襲ってお願いしたんだよ。聖騎士をおかわりさせてって」
「ははは」
乾いた笑い声しか出ない私に対し、クラインはとっても悪そうに微笑んだ。
それから彼は私を再び抱きしめると、思いっ切り木の枝を蹴り飛ばして私達を再び空高く舞い上がらせたのである。
人間に仕掛けた悪戯が成功した妖精があげるみたいな笑い声と共に。
お読みいただきありがとうございます。
聖職者なのに子供作ったサルバドは、自分の子供のせいで進退窮まっております。
そして、腐った親の子供として生まれるという不幸を背負った真っ当すぎる感性の子供は、公正でクリーンであろうとするばかりに片寄り過ぎ、悪意ばかりの他者に利用されてしまった、です。
クラインこそロバートを操って、となっていないところで小物と思われたかもしれませんが、ハッピーエンドのためにはこれに関しては小物で良いのです。
無辜の民を殺した人は幸せになってはいけません。




