手を繋いで歩くしかない、だろ?
私がリイラを食べたアプリリスでしかないと断罪した青年は、半年前に私に魔法馬車を売りつけに来た人だった。
もちろんあの日の彼は変装していたと思うが、ゴーグル付きの布製の飛行用兜を装着している姿のせいか、あの日の彼と同一人物だと一瞬でわかった。個性を消す変装をしているがために、かえって彼自身と言える部分が目立つのだろうか。
「にいさん!聞けよ!このくそったれ!」
セニリスは怒りを感じたそのまま、彼が被る兜を投げ付けてきた。
兜が無くなって表に出たセニリスの素顔は、クラインと違って色白の肌に少年っぽさが残る顔立ち、そして髪もやはりクラインと違う巻き毛の金色であった。
けれども、少しずつ違っても、兄弟だからか彼の瞳の色はクラインと全く同じ青だった。海のような青だ。
だからか、セニリスの第一印象は、クラインに似ているわね、それだった。
それだけだった。
セニリスに対面して過去の記憶も何も戻らないのは、私が彼の言う通りに彼らのリイラを食べた化け物でしか無いという事なのだろうか。
それをセニリスに問いかける事は出来ない。
クラインはセニリスに兜をぶつけられる気など無かった。
彼は私に口づけたそのまま、彼得意の移動術を使ったのだ。
移動先はどこかの誰かの農園の納屋の中だった。
そこにも荷物袋が置いてあったことから、クラインはかなり計画的に私を、いいえ、彼のリイラを救いに来ていたのだろう。
そして当の彼は、納屋に移動し終わるや宙に水球を作り上げ、それで私達が逃げた後の弟の様子を探っているのだ。
セニリスは私達が消えた後、忌々しそうに自分が投げ捨てた兜を拾い、それを被りながら彼が乗って来たガンダルの方へと駆けて行った。
セニリスが乗り込んだガンダルは、聖務局のガンダルでは無かった。
「下から見えた時は白かったのに」
「リイラはトビエイが海面を跳ねるのが好きだった。セニリスはそれで機体の背面をトビエイカラーに塗り直した。これでリイラを迎えに行くからって。バカな奴だろう?」
私に覚えているかでも、君がでもなく、リイラがとクラインは言った。
私にはそんな権利など無いだろうに、彼がリイラを想う事に胸が痛んだ。
いいえ。
水球を覗いているからだとしても、いつもの軽口風の口調でいながらも、彼がいつものように私を見る事が無いからかもしれない。
「セニリスへの悪口は許せないわ、兄さん、か?」
クラインの言葉に再び胸が痛んだが、今度の痛みは彼が口にした言葉の記憶など自分には無いと認めるしかない悲しみだ。私はセニリスが言った通りに、リイラを食べてしまった化け物だったのかもしれない。
「アプリリス?」
「あ、その。聖務局がよくそんな我儘を許したわねってびっくりして声が出なかっただけ。個を主張する事こそ傲慢だと断罪されるでしょう」
「弟は聖務局と関係ない。あれは個人の持ちものだ」
「ガンダルを個人で?魔法馬車の発明で財を成したのね」
「それも違う。いいや、そっちはそうとも言えるか」
何のことだとクラインの横顔を見つめると、彼は頬骨の当たりをピクリと痙攣させた後に忌々しそうに舌打ちをした。
「そういうことか」
クラインは吐き捨てるように呟いた。
彼が何を見たのかと彼の水球を覗くと、ガンダルの操縦席に座るセニリスの隣に、銀色に輝く美女が並んでいたのである。
「風属性しかないあのガキが俺の真似が出来たってことに違和感しかねえと思ったら、やっぱりだ。全く、女を知らないガキは女で失敗しやがる」
「どういうこと?」
私の質問にこれが答えと言う風に、クラインは右手を振って水球を消した。
つまり、私に答える気など無いってことだ。
「移動するぞ。とりあえず俺にあのバカは砲撃してこないと思うがな、女が間に入ってくると話が変わることもある」
「あの人の事をご存じなの?それで、あなたはいいの?私は弟さんが言うには、あなた方の大事なリイラを食べた化け物なのでしょう?」
「銀髪女の素性は知らないが、兄より秀でいている弟がいないのは周知の事実だ。俺達を襲ったあの爆発は風属性一本の弟一人では不可能だ。と、すると、あの銀髪女が弟に干渉しているからだって話になる」
あの爆破をクラインが起こせると今知った事実に震えるべきか、弟に対して酷い言いぐさの彼に唖然とするべきか。
私はまじまじとクラインを見つめるしか出来なくなった。
すると彼は鼻を鳴らして、ぶっきらぼうに言い放った。
「安心しろ。カラバリに君を連れて行くのは変わらない」
「いいの?」
クラインは右手のひとさし指で地面を指し示した。
土下座してありがたがれ、と?
「もう一度君の天使サラマンダーを書いてくれ」
私はクラインを見返した。
何のふざけも無い真面目な顔で私を真っ直ぐに見ている。
その顔付を以前にも見た事があると思った瞬間、誰かが私に囁いた。
「人の心は誰にも見えないもんだろ?押しつけられた神様の顔をお前の神様に塗り替えてだな、お前はそれに祈りを捧げてりゃいいのさ」
喋り方はクラインでしか無いが、たった今私の頭に響いた声は、クラインどころか彼の弟のセニリスよりも若いという少年のものだった。
私は今の記憶を自分の物だと信じたかった。
そうに違いないとしがみ付きたかった。
だから、もう一つ聞こえた声に導かれるようにして、私は向かい合わせた両手を胸のあたりに掲げたのである。
「お前は火を絶やすな。そうすりゃ船は港を間違えない。絶対に助けに行く」
私の手と手の間に火花が散った。
私が作り出した炎は、私が以前に地面に描いたものと同じ絵をそこに描いた。
天使の顔の輪郭は丸く、目と目の間は大きく開いている。
今までおかしいとも何とも思っていなかったけれど、私が奉じているサラマンダーは、ヒンメルやクラボニカと違って人の顔などしていなかった。
クラインが揶揄って来たとおり、邪竜サラマンダーと呼ぶにふさわしい、丸みを帯びたトカゲ顔なのだ。
「これは私があなたのリイラを食べた証拠なの?私がリイラかもしれない証拠なの?あなたは」
「目の前の君はリイラかもしれない。あるいはリイラを食べた聖女でしかないのかもしれない。だがどちらにしろ、俺は君をカラバリに連れて行く。リイラに約束したことを俺は守る。それだけだ」
「ク、クライン」
私は零れてきた涙を右腕で拭った。
腕の中は空っぽ。
私をカラバリに連れて行く行為は、そのまま彼のリイラに対する弔いだった。
「お前のケツは好みだしな」
「え?」
クラインはにやっと笑った。
いつも見せる海賊みたいな悪い笑みだ。
「お前はリイラかもしれないんだろ?リイラだったら俺の嫁だ」
「え?」
「さあ移動だ!」
クラインは掛け声をあげると、着ていた服を破るようにして脱ぎ棄てた。
何の柵も彼には無いような勢いで。




