聖女と騎士と
私は周囲から、いえ、この建物全体から人が全て消えていなくなったと確認すると、焦燥感に駆られるまま走っていた。
自分が籠っていた隠れ家であった小さな物入れから飛び出して、必要なはずの男物の衣服を胸に抱え、地下にある遺体処理室へと走っていたのだ。
急がなきゃ、生きたまま彼が燃やされてしまう!
「もう!バカ!私を逃がす為だからって、あんな馬鹿な事をしちゃうなんて!」
私は処刑される予定だった。
だから彼は私を逃がすために自らが疫病患者となった。そんな彼は誰もの注目を浴びながら絶命してみせたから、今や地下の遺体処理室に送られている。
全く、思い切った事をしすぎるわ。
私の所に配属されて初めて顔を合わせた時なんて、私に対して不敬この上ない素振りをしたじゃないの。私の外見に失望したと口に出して言えちゃうくらいデリカシーのない男だったはずでしょう!
「私を見捨てれば良かったじゃ無いの!この大馬鹿者!」
宗教国家である我が国アランダルは、国を守るための聖女が六人いる。それぞれは世界を作る元素を体現しているからと国境線近くにある六か所の神殿に一人ずつ配置されており、そんな聖女の仕事は、神に祈りを捧げて民の健康を見守るというものだ。
つまり、聖女の大体の仕事は、神殿に併設されている治療院での病人怪我人の看護と治療なのだ。
平和的に黙って毎日の重労働をこなしている私達なのよ!
そんな聖女に処刑命令が出たのは、首都で民が暴徒化した事によって王族貴族が首都から逃げ出す羽目になり、ついでにその暴動の扇動者となった男、ロバート・ピエールが、彼が考える聖女の真実とやらを信奉者達に演説をしてしまったからだ。
「聖女は君達を守る聖人ではない。彼女らの魔力は単なる兵器だ。意に添わぬ我々の頭上に振りかぶる死の鎌なのだ!」
半分真実で半分違う。
確かに私達は人を害する魔法だって使える。
でも、それは自国の民に向けるものでは無くて、全て侵略者に向けられるものだ。だから聖女の誰も暴動の中でも動かず、いつものように治療院に運ばれる患者の手当てをしていたのだ。
だから、私達を知っている民こそ、ピエールの煽動に誰一人惑わされる行動など起こさなかった。
三日前までは。
三日前に何が起きたか。
アランダルの北東の神殿に住まう聖女、フェブアリスが無法者に襲われ、彼女は持てる力を全て使ってこの世を去ってしまったのだ。つまり、汚されるよりはと自爆してしまったのだが、彼女は神殿と治療院、そして周囲の三つの村を含んだ全てを自分と一緒に破壊してしまったのである。
聖女が起こせる実際を知った民は、ピエールが唱える聖女の処刑に迎合した。
私達を守るはずの聖騎士団だって、自分達が守るのは神であり民であるって、さっさと裏切ってくれたのよ。
けれど、私が守る地の民の一握りは私を守りたいと考えたのか、武装して治療院に閉じこもってくれたのである。
私の為に人間の壁を作ったのかもしれないが、これこそ私を治療院に縛り付けるという鎖そのものとなったのは皮肉な話だ。
これで、私こそ逃げるも死ぬも選べない膠着状態だ。
私が死んでもこの人達は殺される。
私が勝手に逃げてもこの人達は私を逃がした咎で殺される。
「だな。お前を守りたいって奴らの行動こそ、誰かの入れ知恵によるものだろうな。とりあえずお前と一緒に燃やされるって未来は考えていないだろうが」
「私が分かりやすく逃げたら、彼らは見逃して貰える?」
「まだあいつらのバリケード行動はどこにも知られていない。とりあえず、こっから消えて貰えばいいのかな。俺に任せておけ」
「任せておけって、え?あなたこそ逃げなさいよ」
「俺は聖女を守る聖騎士だろうが。俺を無職にするつもりか?酷い女だな」
「いや、だから、その聖騎士団が聖女を見限ったから、私を助けたらあなたは破門されるでしょう?」
「聖騎士は聖女を守るから聖騎士じゃないのか?俺はただの騎士になりたくないんだけど?」
「神様は?」
「信じてないから」
「え?」
この状況にも関わらず私を守ると決めた男は、私をとりあえず治療院の適当な場所に隠れていろと指示した。その後、彼は毒を飲んだのだ。
「自分の命を掛けるなんて!」
彼の作戦は成功だ。
目の前で全身を真っ黒く染め上げていく患者の姿に誰もが恐れおののき、入院していた患者も、治療にあたっていた看護師達も、私の盾になろうとしていた人々でさえ、全員が全員、こんな死に方をしたくないと蜘蛛の子を散らすようにして治療院から逃げ去ったのである。
寝たきりの患者が一人もいない時で良かったわ。
その後の今、建物内に誰もいないのに、どうして私がこんなにも必死になって地下へと走っているのか?
死体を遺体処理室に送り出す自動魔法がこの治療院にはあるのよ。
聖女が治療を失敗する事などありえない。
失敗した結果の遺体は直ぐに燃やしてしまえ。
前前代のアプリリスが自分の失敗を隠すために構築した魔法である。
私が自動魔法を消して置かなかったせいで!
毒薬を飲んで仮死状態に陥った私の守り手は、その自動魔法によって意識が無いまま焼却炉のある遺体処理室へと運ばれてしまったのだ。
「ああ!本当の疫病の時には役立つからって見逃していた私の馬鹿!」
最後の階段を降りきり、地下の床に足を下ろした瞬間、私の体は宙に浮いた。
私の腰に誰かの腕が回され、そのまま持ち上げられたのである。
「遅いぞ!アプリリス!」
顔じゅう汚れで真っ黒な人は、暗闇を照らす星の様な真っ青な瞳を輝かせ、子供が笑うようにして口をパカッと開けて笑みを作った。
私の胸はキュウと締め付けられ、無事であった彼の姿に泣きそうになった。
でも、私の口から出たのは彼への罵倒だった。
「この大馬鹿男!」




