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⑸『蜃気楼的、解体文章考察』
⑸『蜃気楼的、解体文章考察』
㈠
停滞する気圧にも、俺は随分参っていた。それでも、気圧と雨風の関係から、自己の主張を押し通そうとする、芸術一派に靡いて、蜃気楼を創り上げたんだ。蜃気楼を創るには、一つには、自分でない自分を、自分として規定することから始まった、という訳である。
㈡
それでも、その蜃気楼も、いつかは解体されるだろうし、それが文章で成り立っているなら、尚更、解体の対象になるだろう。いつだって、知識と偏見は、往々に世情に蔓延るのが落ちで、そこから、意味の解体的考察が始まるのであるから。
㈢
自己申告して、自分の小説ノ数やテリトリーを表出する時、其処には、敢えて、自己の状態を申告しないという方法論だって、有り得るのである。全てを話す必要はないのであって、時には、少ない情報量で、自己を神聖化することだって、一つの小説的蜃気楼になるだろう、そう思っている。