同居人と母
アオさんは母子家庭です。
僕が小学生の頃、母は数年間消息を絶った。仕事が入ったと言って、数日後には母の弟である叔父の家に預けられ、それっきり何の連絡もなく月日は過ぎた。
居なくなったときと同じようにさりげなく帰ってきた母は、その間に何をしていたのか僕へ教えなかった。聞いてはいけないことだとそれまでの経験から学んでいたから、僕からも訊かない。
叔父のコウは僕より少しだけ年上の少女の面倒も見ていた。彼の子供ではなくて、僕の母である彼の姉に押し付けられたらしい。よもや僕の姉ではないかと疑ったこともあったが母はそれを明確に否定したし、コウも違うらしいと言っていたからそうなのだろうと思うことにした。
「母さん」
僕が中学へ上がった後にも母が長く家を留守にすることはたびたびあったが、コウのもとへ預けられることはなく、僕は一人暮らしの術を徐々に身に着けていった。コウの家はそれほど離れていないから、たまに彼が様子を見に来たり、こちらから遊びに行ったりすることもあった。
学校卒業後は仕事を始めては辞めたり、貯金を切り崩しながら生活しては仕事を探したり、安定しない日々を送っていた。ソレというのも、僕は金銭面では母の援助で成り立っていたからお金を稼ぐことへの意欲に乏しかったのだ。容姿へのコンプレックスから職場選びにはうるさかったし、体調を崩すことも珍しくなかった。定期的な通院へも理解を得られた職場は人間関係が面倒になって辞めてしまったのだったっけ。
「帰ってくるなら、連絡入れてよ」
母はしばらくぶりに帰宅した。
その日はもう何もしないことを決めて床に寝そべっていたら、突然鍵を回す音がしたから驚いた。玄関の方へ視線を向ければ母がいた。
「死んでんのかと思った」
僕が動かないからか顔を見下ろしてきて、開口一番そう言ったんだ。
上半身を起こすと髪が背にまとわりついた。
「手紙だすとこなくってさ」
この家には固定電話がない。僕は携帯電話も所持していない。だから連絡と言えばひとに言伝を頼むか手紙しかなかった。
ここに母が来たのは何年ぶりだろう。いないのが当たり前になっていたから、この人の家であるはずなのに来客を迎えたような気分だ。
コウからも何も聞いていないから、きっと用件を終えてまっさきにここへ来たのだろう。
「それに、ここは私の家だよ」
きつくまとめていた長髪を解いて肩におろした母は、鞄ひとつしかない荷物を台所の前におろすと洗面所へ向かう。
「食事の用意とか、布団の準備とか、しておいてほしくないの?」
「あるだけマシでしょ」
「……食材買ってくるよ」
まだ昼前。この日は一日晴れ予報。
母用の布団をベランダの手すりに干してからUVカットパーカーを羽織り、露出している首から上と肘から先へ入念に日焼け止めを塗って外へ出た。
鍵を閉めようとしたら薄化粧を施して鞄から出した服へ着替えた母が玄関を開ける。それなりの勢いだったからぶつかったら一大事だったかもしれない。
「私も行く」
馴染みの八百屋でおすすめされるがままに季節の野菜を調達して、肉屋で総菜を買えば懐かしい顔だとおまけをされ、花屋の前を通ったら注文ミスで余ったと言って小さな生花のブーケを貰った。
「みんなよく、覚えてるよね」
「客商売だからね」
帰り際には商店街の端にある公衆電話からどこかへ一報を入れていた。
もしかするとコウのところだろうか。言われなければ聞かないのが暗黙のルールだ。
帰宅すると、買ってきたものを調理する前に、切子のグラスにブーケを差して玄関わきに置いておく。
「何か、注文は?」
「お米に合うもの」
「ご飯、冷凍のでいい?」
「面倒なら私が炊くから炊き立てがいい」
「よろしく」