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No.08「冥土の記憶」





「なあ、浩一……」



「ん? どうした兄貴? 」



 病室のベッドで横たわる老人は、掠れる声で傍らの椅子に座っている弟の名を呼んだ。



「浩一……俺はもう先は長くないだろうな……多分……この夏が人生最後の夏になる……」



「そんなコト言うなって」



「すまんな……ははっ! 軽く聞き流してくれよ……」



 老人は精一杯広角を上げて笑顔を弟に向けた。浩一もそれに応え、皺だらけの顔をひしゃげるように作り笑いを返した。



「浩一……一つ聞きたいことがあるんだがな」



 老人は窓の外に映る青空を眺めながら弟に尋ねた。



「なんだ? 言ってみろよ」



「……まだ若い頃……覚えてるか? 俺、一度死にかけただろう? 」



「ああ。インフルエンザで高熱出した時か……」



 浩一は苦い表情を作ってその当時の記憶を掘り返した。









 浩一の兄は、20歳の頃にインフルエンザに感染してしまい、体温が40℃に達するほどの窮地に追い込まれていた。



 その病状は、担当医が浩一を含む彼の家族に「もしかしたら最悪の事態を迎えるかもしれません……」と告げるほどに深刻なものだった。



 その時浩一の兄は死を覚悟したらしい。訪れていた弟だけに、全身の力を振り絞ってこう伝えていた。



「浩一……お前に……頼みがある……俺はもう……駄目かもしれん……だから……お願いだ……今すぐ俺の部屋にあるパソコンのハードディスクを叩き壊し……そしてベッド下に隠した段ボール箱を……中身を見ずに捨ててくれ……頼む……これはお前にしか……頼めないんだ……」



「分かった! 任せてくれ兄貴! 」



 兄は浩一にその言葉を告げると、安心して力が抜けてしまったのか、そのまま意識を失ってしまった。



「兄貴!! 」



 浩一は兄を医者に任せると、彼の遺言になるかもしれない言葉どおり、すぐさま帰宅してハードディスクと段ボール箱を処分した。



「これで大丈夫だぜ……兄貴」



 浩一は兄の想いを完遂した。



 しかし、彼のその迅速な行動が、後に思いも寄らぬ面倒な事態を引き起こしてしまうことになるとは……その時は微塵にも予想することが出来なかった。



 そう、兄は奇跡的に生還したのだ…………一つ重大な問題を抱えて。



 彼は記憶喪失になっていた。



 基本的な生活に関わる言葉や能力に関わる記憶は残っていたが、自分自身の名前や歩んだ人生……そして関わった人々……家族や兄弟、クラスメイトといった人間関係の思い出だけがスッポリと抜け落ちていたのだ。



 どうにか彼の過去に関わる写真や動画といった記憶媒体を探してみるも、それを大事に保存していたパソコンのハードディスクは浩一が壊してしまった為、過去を探ることが不可能になってしまっていた。



 結局彼は元の記憶を取り戻すことなく、0から人間関係をスタートして今に至っている。








「で? その時のことを何で今? 」



 浩一がそう言葉を投げかけると、兄は弱り切ったうつろな目を天井に向けて少しの間だけ沈黙を作った後……意を決したかのように口を開いた。



「実はな……俺……失う前の記憶……らしきものを少しだけ覚えているんだ……」



「え!? 」



 浩一は思わず大声を発して身を乗り出してしまう。そしてここが病室ということを思いだしつつ、ゆっくりと椅子に着席した。



「これは……妻にも、子供達にも言えないことだが……お前だけには聞いておきたいんだ……秘密を守れるか? 」



 ゆっくりと首を曲げて弟の瞳をのぞき込んだ兄の真剣な眼差しに、浩一は息をのみながら「守れる」としっかりとした口調で伝えた。



「……それじゃあ……教えよう……その記憶というのはな……」



「どんな記憶なんだ? 」



「メイドだ……」



「メイド? 」



「そうだ……フリルの付いたカチューシャをつけた……十代くらいの若い女の子のメイドが……どういうワケか俺の部屋にいてな……キンキンに冷えて旨そうなバニラアイスをスプーンですくって……『あ~ん』って俺に食わせてくれようとしている……そんな記憶なんだ……」



「……兄貴……それは幻覚かなんかじゃないのか……? 」



「違う。とはっきり断言できるよ。なぜならその時メイドが着ている服装の生地の質感……装飾の細部……そして甘い匂い……全てがリアルに思い起こせるんだ……俺が記憶を失う前……確かにあの場に可愛いメイドがいたんだよ……」



 浩一は兄の言葉に対し、返答せずに腕を組んで……そのまま黙り込んでしまった。



「アホなコトを言っている……そう思われてもしかたがない……でも確かに残っているんだ……その記憶が。なぁ浩一……その当時……俺はそんな雰囲気の彼女とつき合ってたりしてなかったか? 」



「……そん時兄貴には……彼女はいなかった……」



「そうか……それじゃあ……そういうことを専門にしている訪問サービスを利用したのかも……」



「兄貴……そん時はあんた……実家に住んでたんだぜ……それは無いだろうよ……」



「そ……そうだよな……」



 兄は少し赤面しつつ、再び窓の外をゆっくり眺めた。その姿だけで浩一には分かっていた。



 自分の兄は……その幻のメイドに恋心を抱いている……と。



「兄貴……多分ゲームかアニメか……はたまた……まぁその類のビデオを見た記憶がごっちゃになった映像を、過去の出来事だと勘違いしてるんじゃないか? 」


「……やっぱりそうかな……」



 兄は掠れる声でそう言った後……そのまま黙り込んでしまった。その様子を見た浩一は急に居心地が悪くなり、この場を立ち去ることに決めて席を立った。



「……兄貴……そんじゃオレはもう帰るわ……また来るよ」



「おう……ありがとうな」



 そして何事もなかったかのように、病院を後にした浩一は、マイカーの中でタバコの煙をくゆらせながら葛藤を続けていた……



 言うべきか……



 言わないべきか……



 実を言うと浩一は例のメイド服の女の子の真相を全て知っていたのだ……



 その女の子の正体……



 それは女装した兄本人だった。



 浩一は兄にハードディスクと箱の処分を頼まれた際、しっかりとその中身を確認していたのだ。



 その中身を見た浩一は、兄が決死の思いで処分を託した理由をハッキリ理解した。



 ハードディスクには大量に保存された女装姿の兄。そしてベッド下の箱にはその衣装や化粧道具がしまわれていたのだ。



 つまり、兄の脳内に残っている記憶は『メイド服に女装し、鏡に向かって小芝居小芝居をしていた記憶』ということであることは浩一には容易に想像出来た。



「さて……こりゃまいったなぁ……」



 墓場まで持って行くつもりだった兄の秘密だが、ここに来て打ち明けるか否かの決断に迷う日が来るとは思っていなかった。



 夢は夢のままにしておくべきか……



 それとも真実を伝えるべきか……



 浩一はルームミラーに映った自分自身に語りかけるように、何度も何度も自分自身と相談し続けたのであった。





THE END

(お題)

1「幻覚」

2「スプーン」

3「メイド」


 執筆時間【1時間15分】


 日を跨ぎましたが、偶然にもお題に「メイド」が出されましたので5月10日のメイドの日にちなんだ作品を投稿できて僕満足!

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