No.03「ウサギとライオン」
「なぁ、凛音。ちょっと聞きたいことがある」
「はぁ、なんでしょうか塩崎様? 」
ダリを思わせるカイゼル髭をツヤツヤと撫でながら、塩崎は痩身の執事に問いかけた。
「番台って知ってるよな? あの、銭湯で会計だとか見張りをする……」
「ええ、存じ上げております。ただ、旦那様……何度も申し上げておりますが、私のことは凛音でなく『ライオン』と呼んでいただけますでしょうか? 」
塩崎は日本を代表するソフトウェア企業の社長であり、彼の傍らには常に執事の「日下部凛音」と呼ばれる男が立っている。
冷静沈着、どんな時も主人である塩崎を適切にサポートする彼だが、「凛音」と女性的なイメージを抱かせる本名で呼ばれることを極端に嫌う為、周囲には「ライオン」と猛々しいあだ名で呼ぶことを半ば強要している。それは親愛なる主人、塩崎に対しても例外ではなかった。
「すまんすまん……で、ワシは一つ番台について気になったことがあってな」
「はぁ……一体どんな疑問でしょうか? 」
「番台ってのは、男湯と女湯を仕切る衝立の中心にあるだろ? で、番台に座っている番頭はその両側を覗くことが出来る」
「私の知る限りでもそうですね」
「それで思ったんだが、もしワシが番頭として番台に座ったとしたら、片側から覗く女湯の光景が気になって仕事にならないぞ……と、そう思ったワケだ」
「はぁ……」
「だってそうだろう? 常に片側からは女の裸が目に映るんだろ? 妙な気を起こしかねない」
「まぁ……」
塩崎はこのように度々突飛な質問を執事に投げつけてくる。しかしライオンは慣れたもので、そんな思春期の男子がつまらない授業中に抱く妄想のような疑問をいなすように、主人のテーブルに淹れたてのコーヒーが注がれたカップを置いた。
塩崎はそのコーヒーを一口飲みつつ、話を続けた。
「番頭はそんな状況をどうやって打破していたのかちょっと考えてみたんだがね、ワシが思いつく限りではこの答えしか生まれなかったよ」
「へぇ……それは一体どんなモノでしょうか? 」
「簡単さ、番頭は情報を相殺していたのさ」
「は……はぁ……」
ライオンはやや呆れた口調で塩崎に相づちを打つ。
「片方には男の裸……そしてもう片方には女の裸……つまり、マイナスとプラスだ。左目で男の汚いケツを見て右脳に情報を送り、右目で女のナイスバディを見て左脳に送る……視覚情報を得て、電気信号として脳神経を行き交う内に、マイナス情報とプラス情報がぶつかり合い、結果『0』となる……だから番頭は無我の境地で仕事に向き合えるワケだ! 」
「なるほど……」
ライオンは自身の爪の白い半月部分に目をやった。それはどうでもいい気分の時、興ざめした時に彼がよくやる仕草だった。
「ライオン! お前の考えはどうだ? 」
ライオンは主人に振られた質問に対し、数秒間を空けてこう答えた。
「私が考えるに、番頭が女湯側を見ても平静でいられるのは、単純に仕事をしているからだと思います」
「仕事を……!? 」
「塩崎様、考えてみてくださいよ。男の医者だって女性の裸体を目にすることが多いですよ? 彼らはそのたびに欲情しているとお思いですか? 」
「そ……それは……」
「そんなことをしていたら仕事どころではないですよ。ようは慣れです。番頭の仕事は、女性の身体に興奮することではありません。女湯を含め、銭湯全体を監視するためです」
「そ……そういうものなのか? 」
「そういうものです」
「男はみんな、女の裸が好きじゃないのか? 」
「ケースバイケースです……ですから社長。男性の気持ちを知ろうとする心意気は買いますが、私は男を知るということはそういうモノではないと思っています」
「しかし……」
「だからもう、その付け髭は外して下さい」
「わ……わかったわい! 」
「そのワザとらしい男言葉もです」
「ワザとらしくて悪かったわね! 馬鹿ライオン! 」
「はいはい」
ライオンの主人の名前は「塩崎美兎」……僅か15歳にして、祖父である先代社長からその地位を引き継いだ、女子中学生社長である。
「そして塩崎様……あなたの仕事は私とこんな話をすることではありません。我が社をよりよく発展させ、拡大させること……それ以外はありません」
「わたってるわよ! この意地悪! 変態! 」
「お好きなようにおっしゃってください」
塩崎美兎は今日もふてくされながらスケジュール表とにらめっこをする。
重圧のかかる社長業と、20歳以上年の離れた執事への恋心を相殺させて……
THE END
(お題)
1「ライオン」
2「執事」
3「番頭」
執筆時間【1時間5分】
今回もなかなか大変だった(^^;)