No.10「トカゲのジッポ」
深夜2時。来店客もまばらでゆったりとした時間が流れるコンビニエンスストアのフードコートに、一人の男がこの世の絶望を一身に背負ったかのように意気消沈しながら一杯のコーヒーをすすっている。
男の名前は正一。製造業の仕事をしている傍ら、暇を見つけては漫画を執筆しているアマチュア作家だ。
そんな彼がなぜ場末のコンビニで空虚な時間を過ごしているのかは理由があった。
「嘘だろ……ページが……足りない!? 」
来る夏のコミックイベントに向けて執筆中の漫画現行を1ページ分、彼は紛失してしまっていたのだ。しかもそれに気が付いたのは、締め切りを翌日に控えた深夜で今から描き直す時間も無い。
探せど見つからない原稿の行方に半ば諦めかけた彼は、もうどうにでもなれ! と、開き直って外出し、ふらふらとこのコンビニにたどり着いたというワケだった。
「ハァ……」
無愛想な店員から手渡された紙コップにセルフサービスのコーヒーマシンで煎れた深煎りコーヒーを飲み干し、露骨なため息をこぼす正一。
これを機に、もう執筆をやめちまおうか? そんな考えまで頭によぎっていた。
正一は「トカゲのジッポ」というペンネームで同人活動を行っていたが、特に爆発的な人気があるワケでなく、細々とした活躍を10年間続けていた。
そんな彼は近頃になって「こんな生活を続けて10年……結婚どころか彼女すらいないオレの漫画なんかがなくなっても……誰も損はしないかもな……」などと卑屈になってしまう日が多くなっていた。
そんな時にこのページ紛失の失態。もはや彼は引導を渡された気持ちになっていた。
「あの……」
そんな鬱屈なオーラを発散していた彼に、とある女性が近寄り、突然後ろから声をかけてきた。正一はまさかこんな自分に対して話しかける女性などいないだろうと思い、その言葉に対して返事をすることなく、ボーっとカップのそこに染まった茶色いシミを見続けていた。
「あの! すみません! 」
女性はさっきよりも声を張り上げて彼に再び声をかけた。正一はようやくその声が自分に対して向けられたものだと認知し、視線を泳がせながら声の主の方へと体を向けた。
「え? あ……はい? オレ? 」
「はい……」
そこにはまだ10代と思われるほどに若々しく、一緒にいれば気持ちが高ぶることが間違いないほどに、愛らしい雰囲気の女の子が立っていた。正一は思わず生やしっぱなしの無精ひげを手で覆い隠す。
「なんか用? 」
動揺して無愛想な返事をしてしまった正一に対し、その女の子はお菓子のパッケージに載っているかのようなとびきりの笑顔を向けつつ、こう言った。
「ひょっとして……捜し物をしてたりしてますか? 」
「へ? 」
そして女の子はイタズラっぽく笑いながら、肩から下げたトートバックに手を突っ込み、一枚の紙を取り出して見せた。
「まさか!! 」
そのまさかだった。彼女が正一に手渡した紙こそ、彼が紛失してしまったと思っていた原稿用紙だったのだ。
行き分かれた息子と再会したかのように喜ばしい場面で彼女に泣いて感謝の意を伝えたかった正一。
しかし、彼は彼女の善意を台無しにするかのように、原稿用紙をひったくってフードコートのテーブルに伏せて置いた。
ひどい仕打ちだと思われるが、それもしょうがなかった……
なぜならその原稿に描かれていたのは、豊満な女性があられもない格好で情事を営んでいる場面だったからだ……
「どこでこれを……? 」
正一は顔を真っ赤に染めながら、まるで殺人犯が犯罪に使った凶器を特定した探偵に投げかけれるような言葉を彼女に発した。
「コピー機に置き忘れてありましたよ」
「あ! そうか……! 」
正一はこの時になってようやく前日にこのコンビニのコピー機を使って原稿を複製していたことを思い出す。彼は機械の読みとり部分にこれをそのまま置きっぱなしにしてしまっていたのだ。
「よかった。持ち主が見つかって」
「……あ……ありがとう。助かったよ」
どうにか精一杯の言葉を振り絞り、彼女に感謝を伝えた正一……本当なら何かお礼の品を送ってあげたいほどに感激していた彼だったが、上手くその気持ちが伝えられない自分自身に歯がゆさを感じていた。
「そ……それじゃ! 」と、そっけなくこの場を立ち去ろうとした正一。しかし、そんな彼を引き留めるように、彼女は「待って! 」と一声かける。
「な……なにか? 」
「あの……あなた……『トカゲのジッポ』さんですよね!? 」
その言葉を耳に入れた瞬間。正一は全身の血液が何倍ものスピードで巡り回る感覚を覚えた。
「嘘……知ってるの? オレのこと」
「はい……ファンなんです。いつも楽しみにしてます……」
「ホントに? 」
「ええ」
彼女は照れくさそうに正一にはにかみ、そして正一から逃げるように小走りで出入口の自動ドアに向かい、振り返って……
「次回作も楽しみにしてます! がんばってください! 」
と正一を鼓舞してそのまま闇夜に消えていった。その動きはまるで映画のワンシーンのようにドラマチックで、正一はしばしその余韻に浸っていた。
オレの漫画に……ファンが……
そして我に返った正一は急いで自宅へと戻り、手中に戻ったページを含めて原稿の仕上げへと取りかかった。
誰も期待してない……誰の心にも残っていない……そう思ってた……
だけど……今日分かった……
こんなオレの作品にも……あんなすてきな笑顔を持った人が好きでいてくれている……
その事実が分かっただけで……オレの人生が誰にも負けないほどに上等なのだと、今は胸を張って言える!
まだまだ……がんばって描き続けよう!
こうして正一は入稿を終え、コミックイベントでの参加を無事に果たせることとなった。
しかし、彼はあの時深夜に出会った女性と再会することは無かった。
何度となく同じ時間にコンビニに足を運んでも、彼女の姿は無かった……
せめて、名前だけでも聞いておくべきだったと後悔した彼だったが、幻のような彼女の存在をそのまま神秘的な存在として心にとどめて置くのもいいかもしれない……前向きな諦めとなり、そのうち彼女を探すことをやめた。
こんなオレでも、あんな体験が出来たんだ……
そして彼女との経験が正一の心に一本芯を通したようで……その後の彼の作品は多くの支持を集めるようになった。
「今回もトカゲ先生は流石だな……すばらしいよ……」
正一が女性と出会ったコンビニの従業員控え室にて、独特の薄い装丁によって作られた冊子を1ページ1ページ食い入るように読み込む一人の男の姿……
やっぱりあの時思い切って良かったよ……先生の迷いも吹っ切れてくれたみたいだし……
その男はこのコンビニの主に深夜帯にてバイトをしていている若者で……彼には誰にも言えない「少し変わった趣味」を持ち合わせていた。
それは女装である。
彼はその界隈では少しだけ名のしれた女装コスプレイヤーであり、多くのファンがいる。
そして同時に同人作家である正一の熱烈な支持者であり、思い悩んでいる彼が勤務先のコピー機に原稿を置き忘れていたことは運命としか言いようのない偶然だった。
彼は正一にどこか迷いがあることを作品の中から察して、どうか一つ元気にして上げたい思いで、女性の姿で置き去りにされた原稿を手渡すことに決めたのだ。
「いらっしゃいませー」
そして今夜も彼は、幻の少女の正体が目の前にいることに気が付かず。深夜にコーヒーを買いに訪れる正一の姿を見てほくそ笑む。
彼は正一の思い出を汚すことなく、ただの平凡な漫画好きとして、トカゲのジッポという作家の活躍をこれからも応援しつづけるのでった。
THE END
(お題)
1「コーヒー」
2「同人誌」
3「トカゲ」
執筆時間【1時間30分】
女装オチが続いてしまった……猛省。




