第21話 小さな悪魔
暗い――
……暗い、地下の一室……。
床に、魔法陣が描かれ……
高い位置に蝋燭が置かれ、儀式のように薄暗い中に、三人の男達がいた。
壁には拷問にでも使うような、恐ろしい器具がいくつも掲げられている。
さほど大きくもない魔法陣の中心に――
少女のユウが、いた。
ユウは目を閉じ、身体からすべての力を失い、意識が無かった。
長い藤紫色の髪を無造作に床へ広げ、身の片方だけを地に付けて、倒れるように横たわる。
大きな大人用の灰色のフードは、半ば脱ぎ掛けのように羽織り、膝下まである長いスカートは、乱雑な形を取っていた。
「これが……”湖面の魔女”か……」
「幼い少女の姿で騙そうとは……おぞましい」
「まずは真の姿を暴き、その上で我らの糧にしてくれようぞ」
男達は”湖面の魔女”――ユウを中心とした魔法陣を囲み、低い声で詠唱を始める。
魔法陣の外側には楔が打ち付けられ、媒体となる魔力を秘めた石が置かれていた。
この部屋全体に、魔力が充満していく……。
「真の姿を現せ、小さな悪魔め!!」
冷たい空気が渦を巻くようにユウを取り囲み、魔法陣から黒い光が放たれた。
すべての魔法効果を打ち消す邪悪な禁術魔法……対象の命まで、削り取る。
「…………ッ」
僅かに、顔を歪める。
命の灯を抉り取られるような苦しさに、ユウはうっすらと意識を戻しかけた。
「莫迦な……! 禁術魔法を用いても、真の姿を現さないだと……!?」
「おぞましい悪魔め……それ程までに高い魔力を、どうやって手に入れた?」
「この者からは桁違いの死の匂いがする……魂に刻まれた業は、隠し通せない。恐らく数千人の命を喰っているのだろう」
「この悪魔自体が”賢者の石”という事か……!」
「この者の血を飲み、肉体を我が身と融合させれば……その力を得る事が出来よう……」
「少女の姿をしているのが運の尽きだ……ククク……我が身をもって、浄化してやろう」
男達は、明らかに邪悪な笑みをして”湖面の魔女”を見た。
……どちらが”悪魔”か、判らない。
幼気な少女に迫る、卑猥で邪な武骨な手――
朦朧とした意識の中で、ユウは垣間見る。
己に迫る……危機を感じた。
ゴードンは日が沈み、暗くなった湖面の畔で、精神を集中していた。
……以前、ユウから聞いた事がある。
この世界は、生体エネルギーである”魔力”に満ちている。
ゴードンやユウが”転生”前に居た、過去の滅びた世界には……滅びの道ゆえか、存在しなかった力だ。
その力は”契約”という段階を経た術者の力となり、奇跡を生み出す。
それが「魔法」――だ。
『根本は同じ力だけど、彼らの方が基本能力値が低い』
『魔法は発動条件がある。演算とか地形とか生贄とか』
以前聞いた、ユウの言葉を思い出す。
あの時は、なにを言っているのか、全然判らなかった。
ユウは難しい言葉を、よく使う。
聞き流していただけに過ぎない、難しい言葉を、
今……必要に駆られて、理解する。
――魔法と超能力は、根本は同じ力なんだ……。
そして、この世界で”魔法”を使っている人々は、ユウどころか、恐らくゴードンよりも、ずっと弱い力しか持っていない。
探査能力は、複数の超能力を使って行う、高等技だ。
そのひとつとして、ゴードンは持っていない。
しかし”魔法”なら――
この世界に溢れる生体エネルギー
”魔力”を補佐として、何かの媒体を得て、発動させれば……。
『演算とか、地形とか、生贄とか』
正確に適した発動条件など、知る訳がない。
それを無視して発動させるという事は、危険性を伴うという事だろう。
……構わない。
ユウを失う位なら、この命が失われようとも、どうでも良い……。
精神を、集中する。
……ユウを求めて……。
藤紫色の、どこにもいない……たった一つの……唯一の存在。
……――愛する「妻」を――……。
「…………ッ」
見つけた……!!
どこだか判らない。
感覚だけが、伝わって来る。
命を抉り取られる、苦しい感覚……
ユウが危ない!
どこだ……ここは、どこだ……!?
――朦朧とした意識のユウに、能力を使う力はない。
……ただ、されるがままにしている……。
邪悪なイメージしか伝わって来ない三人の男達は、幼気な少女のユウを囲って押さえつけ、左の手を掬う。
下に、ガラスのような半透明に透けるワイングラスのようなものを、置いた。
「痛っ……!」
身を切り裂く強烈な痛みに、顔を顰め、びくんと震えた。
身体から失われていく”命”…………。
驚愕の表情で、ゴードンは自分の左手首をみつめた。
そこには、何の傷跡もない。
……だが確かに、今……。
怒りに奮え、許し難い憎悪が沸き上がる。
瞳に冷たい非情な光を宿し、心も消えていった。
誰も見た事がない、
表情のない、冷淡無情なゴードンが……そこに居た。
静かに目を閉じ、冷静に場所を把握する。
地下……。
ここから、そう遠くない廃墟の地下……。
そこに、ユウがいる。
無情な瞳を携え、ゴードンは身体に力を漲らせる。
先日、街中での戦闘で使った……念動力を拳に乗せたあの技。
……身体中に、その力を漲らせ、通常では有り得ない身体能力を引き出す。
全力で走ると、先ほど湖まで走ったのとは比べようもないスピードで突き進んだ。
木や岩などの障害物が邪魔で空中へ跳ぶと、遥か上空にまで身を翻した。
瞬間移動には及ばなかったが、このスピードならすぐに廃墟へ辿り着ける。
許さない。
――絶対に、許さない――!!
血が沸き立ち、沸騰するような怒りと、
冷たく消えた、心の狭間で――
ゴードンは、ユウの無事だけを祈る。
……二度と失う事だけは、許さない。
誰を――
――自分を……ユウを――
ゴードンから、ユウを奪う、すべてのものを。
男達は、”湖面の魔女”の血を掲げる。
ワイングラスのような半透明な柄のある器に、
数千人を殺した、人ならざる者の命の源を、なみなみと注ぎ……
栄光ある、強大な魔力を手に入れるべく……天へ捧げるように、掲げた。
邪悪な笑み、狂気に似た、眼……。
正常な精神を持つ人間が、正体が判らない存在の血を飲むなど、ある筈がない。
既に正気を失った、人間とは別の生き物となっていた。
至高の飲み物のように、飲み干す。
……口の端から、鮮やかな色が垂れていく。
その味に、満足したように、嗤った――
ワイングラスのような器を用済みのように、抓んでいた指から分離させ……器は、重力に引き寄せられて落下していき、粉々に砕け散った。
魔法陣の上には、手首を裂かれ、今もまだ……鮮やかな命の色を広げていくユウがいた。
朦朧とした意識は、現実を帯びない。
光のない瞳に映る光景は、何も脳へ伝える事はなかった。
男達の邪悪な手が、少女へ向けられた。
三人の男達は、手に、手に……
少女の、その細く、たおやかな手足を、身体を……押さえ込む。
儀式の締めは、少女の身との融合――
心が伴わない意識の隅で、押さえられる感覚だけが、ユウへと伝わる。
――その時、轟音と共に扉が破壊された。
男達は、見る。
薄暗い影の中に、ひとつの小さな姿を。
――瞳に無情な光をしたためた、幼い子供の姿――
何が起ころうとしているのか、男達には理解が出来なかった。
冷たい光を放つ子供の金の髪が、僅かな光源である蝋燭に照らされる。
次の瞬間に光は糸となって消え、
ユウを押さえつけている一人の男の命を、吹き飛ばしていた。
吹き飛んだ男の身体が、地へ着くよりも速く――
もうひとりの男も、ユウから引き剥がされた。
ただ引き剥がされたのではない。
二度と呼吸が出来ぬ身体となって、魔法陣の外へと突き出された。
最後に残った男は、既にあった狂気の中で、悪夢を見る。
……小さな、年端もいかない、子供が……
未来を携えるような、金の髪をした子供が……!
刹那の中で、すべてが終わった――
動かない躯が三つ転がり、ゴードンは命の色を広げるユウの手首に、自分の服を切り裂いて布を巻き付けた。
じわりと布が、鮮やかな色を染み出す……。
ユウの光のない瞳に映るゴードンの姿は、何も脳へも心へも伝えてはおらず、なにか話し掛けられた気がするのに、ただ空虚に流れ去り……。
ユウはそのまま瞼を閉じ、意識を失うように、身体からすべての力を喪失した。
コテージのベッドの上で、死の淵を彷徨うように、ユウは冷たく白い肌を見せる。
布が巻き付けられた左手首からは、今も絶えず命の色が広がっている。
ベッドのシーツも、掛けてある布地も、徐々に同じ色に染め上げていく……。
ゴードンは冷めた瞳の中にそれを映し、堪え切れない心の叫びを、祈りに変える――
魔法……もしも、あるのなら……。
俺の命を差し出すから、ユウを俺から奪わないでくれ。
俺の命も、お前に分けてやるから……
帰って来い、ユウ……。
……――俺の元へ――……
まばゆい光が、祈りを込めるゴードンと、死の淵にいるユウへ舞い降りた気がした。
温かく優しい、水の中にいるように、包み込む――
それはまるで母の胎内にいるかのように
この世に、改めて生を受けるかのように……。
ゴードンも、ユウも、母を知らない。
ユウは元々、人の手で作られた存在であり、母の胎内から愛を受けて生まれた訳ではない。
ゴードンも気が付いたら父も母もなく、地下施設にいた。
親があって生まれて来たのは確かな筈なのに、
何も覚えていない……何も残っては、いない。
地下施設には、そんな子供達は多くいたので、気にした事はなかった。
ゴードンが、ユウの生まれを知る事はない……。
もしかすると、いつか失った過去も笑って話せるようになった少女のユウが、ゴードンにその出生を話してくれる時が来るかもしれない。
それは、あるかないか判らない、未来の話で――
その未来も、今ここに奇跡のように生み出された再誕を、三度失うことなく繋げられた時の事であり……。
それは簡単なようで、難しい……。
それでも、必ずゴードンが守り続ける。
ユウが”転生”前、既に犯した罪の重さに対し、
その僅かにも、満たない業を……
この世界で、ゴードンも同じく背負っていく。
ユウを守る為に、その数は、これからも増えていくだろう。
決して誰の命も奪わない、恐怖の対象”湖面の魔女”……ユウ。
それを守る、輝く未来を灯した金の光を持つ、殺戮者となった、ゴードン。
相反する信念と運命は交差し、混じり合っていく。
”小さな悪魔”の異名は、もはやユウだけのものではない。
……ゴードンもまた、そう呼ばれるようになるのだ……。




