第2話 魔女
ユウが、この理想郷へ降り立ってから、およそ一か月が経った。
ただの子供じゃなくて、良かったかもしれない。
いいや初めから、転生なら転生らしく、ユウが望んだ通りに――
一般家庭へ普通の子供として、赤ちゃんとして、生まれていれば問題ない話だが。
何が”今、流行り”なのか判らない形の、八歳からスタート。
前身の記憶を受け継ぐ形で降り立ってしまった故に、ユウは一人で苦労をしていた。
生活の基盤を基礎から作るなんて、八歳の子供のする事じゃない。
しかも姿は、愛らしい少女だ。
慣れない女の子だし、環境は今迄の記憶とは全く違うし――
何を食べたら良いのか、果たしてこの湖の水も飲んで良いのか……そこから”解析”しなければ、ならなかった。
こんな時、ユウの類稀な数多の能力は役に立つ。
探査能力で食べられるもの、飲めるものを探し、念動力などを使って収穫して来る。
とりあえず食料は、これで何とかなる。
拠点となる家も必要だ。
やはり能力を使って木を切り倒し、蔓を使って固定していく。
意外と器用に小さなコテージを作り上げた。
キッチン、リビング、寝室、風呂……と、必要な部屋割りをして、きっちり作ってある所が几帳面なユウらしい。
何かの役に立つかもと得た知識が、こんな所で役に立ったようだ。
この世界へ一人で降り立たなければ、必要なかった知識だが。
近くに人が住む街や村がある事は知っていたが、どうにも入りにくい。
言葉が判らない訳ではなかったが、元々人の輪の中に自分から入って行くタイプではないユウだ。
入り損ねて、今に至る。
そんなユウを、いつの間にか湖近くの森に住み着いた、幼気な少女の姿をした魔女がいる――
と、人々の間では噂になっていた。
夜な夜なホウキに乗って空を飛び、生贄を探しているとまで聞こえてくる。
「……どうしてこう僕は、悪者になりやすいの」
フードを被って目立たない格好をして、街の様子を見に来たら、とんでもない事になっていた。
人と関わらないからといって、何故、いつの間にか悪者にされているのか。
不思議な事にこの世界でも、藤紫の髪色は珍しい類のようだった。
腰まであるロングストレートなので、余計人の目に付きやすい。
しかも”魔女”だ。
「……悪魔と、大して変わらない気が……」
転生といっても、記憶を抹消されず引き継いでしまっているので、何千人も殺した記憶が、ユウにはある。
”小さな悪魔”と呼ばれていた、この業も引き継がねばならないのは、全然ボーナスになっていない気がする。
人と交流する事がなくても、情報は必要だ。
探査能力で探るだけが、方法ではない。
ユウは精鋭部隊で得た隠密行動の方式で、ひっそりと街へ侵入する。
人にみつかる事なく行動するのは、容易い。
この世界へ降り立った直後にも、一度見に来た。
愛らしい少女の姿をしていても、やる事は同じだ。
「うちの家畜が朝起きたら全部いなくなってたの。魔女の仕業に違いないわ、生贄にするのよ!」
「うちの畑も朝起きたら全滅していた。きっと魔女が儀式で使うに違いない!」
「近くの川で魚が捕れなくなった。きっと魔女のせいだ!」
路地に潜み、大通りで噂話をする大人達の声を聞いて、ユウは頭を抱える。
「身に覚えがない……。なんでも僕のせいにしないで……」
俯くと、さらり……と、長い髪が目に入る。
流れるような見事な髪は、切ってしまうには惜しい。
しかし長髪に慣れていないので、邪魔なのも確かだ。
髪を弄ぶように、くるくると人差し指に絡めてみる。
するするっと解けてしまう、しなやかな髪……。
とりあえず街へ来たのには、目的がある。
情報収集もそうだが、生活に足りないものがある。
――布地だ。
この世界へ降り立った時から着ている服を、洗っては着て、洗っては着てを繰り返しているが、流石に一着では足りない。
最初から着ているのが謎ではあったが、服を着ているのだ、この世界には布地があると見た。
そして人がいて、同じように服を着て、生活を営んでいる。
どこかで布地自体を調達出来れば、解決する。
裁縫道具なら、ユウの能力で何とかなりそうだ。
とはいっても、物々交換が出来るものを持っている訳でもない。
盗むのも気が引ける。
能力を使っての労働力も考えたが、既に”魔女”として名を馳せてしまっている。
……もはや、どうにもならない気がして来た。
布地を、繊維の元となる最初から作るしか方法はないのか……。
気が長い話だが、仕方がなかった。
農耕なんて、した事がない……破壊しか……。
誰もいない、街外れ――
小さな噴水を囲む縁石へ座って、ユウは途方に暮れる。
膝の上に肘を乗せ、両手で顎を支えるようにして、溜息をつく。
……それでも、良いのかもしれない。
のんびりと、時間を掛けて何かを育むなんて、した事はないが……。
この際だから、やってみよう。
人と関わる事は難しくなってしまったけれど、探査能力やテレパシーを使えば、布地の元になる植物も判るだろう。
一人でいる事に慣れてしまったユウには、この状況はそれほど悲観するものでもなかった。
サバイバルの知識はある。なんとかなるだろう。
目を閉じ、一息つく――
敵陣に乗り込む時と同じで、”防御結界”は張ってある。
”防御結界”は、その名の通り、敵から受けるダメージを緩和させるものだ。
ユウの防御結界は、ユウ自身の破滅的能力攻撃すら、通さない。
つまりは例え今、魔女を討ち取ろうと不意打ちを掛けられても、少女のユウを殺すことは出来ないだろう。
――みんなは、どうしているだろうか。
あの世界で、今も……戦いに明け暮れ、血を流す命のやり取りを、毎日しているのだろうか。
この、青空を見る事もない、僕のいない世界で――
それは考えるだけ無駄で、答えは決まっている。
ユウが居ようと居まいと、世界の在り方が変わるわけではない。
愚問というものだ――
もう帰る事はない家を思い出すかのように、ユウは少し寂しい気持ちになった。
瞼を開けると、すぐ近くに小さな男の子がいた。
……少し、気を緩め過ぎたかもしれない。
接近に気付かなかった事を、後悔した。
しかし男の子は、少女のユウを見て、にこりと微笑む。
「お姉ちゃん……藤紫色の髪……。魔女?」
「……さぁ?」
自分が、そう呼ばれている事は知っている。
かといって、その二つ名を認めるつもりはない。
ユウは自分より小さい……五歳位だろうか……男の子を見て、答えた。
「大人は、みんなお姉ちゃんのこと怖がっているけど……ボクはね、会ってみたかったんだ」
「どうして?」
「だってお姉ちゃんの髪、すっごく綺麗だもん。前にも見たことあるよ。その時から、ずっと思ってた。お姉ちゃんと会いたいって。ボク、お姉ちゃんが好きだ」
頬を染めて、男の子はユウを見る。
……好意……恋心……?
ユウに……?
「ボクの名前はミト。お姉ちゃんは?」
「……ユウ」
お姉ちゃん、と呼ばれる事に違和感を感じて、名前を教えた。
この世界へ来て、初めての会話……。
つくづく人と縁がない事に、ユウは苦笑する。
「ミト……教えて。僕はなにも知らない。この世界の事……この街の事、ここの人達の事……」
「ユウって、もしかして異世界転生して来た人?」
まさかその単語を聞くとは思っていなかったユウは、立ち上がって驚いた。
「知ってるの!?」
「あ……やっぱりそうなんだ。ボクもだよ。だからかな……ユウに魅かれたのは」
「ミト……も?」
「結構いるよ、ボクのお爺ちゃんもそう。ふたりで一緒に来たの……ここに。ユウは誰と一緒?」
「僕は……ひとり」
寂しそうな顔をするユウに、ミトは頬を染めて満面の笑顔を見せた。
そして……ユウの手を取る。
「なんでも教えてあげる……ボクが。ユウはボクだけのものだ。その唇も、その身体も……全部ボクだけのものだ」
「……え?」