愛犬はサイボーグ
動物病院から帰ってきたモリオがサイボーク化していた。
モリオはパタパタとしっぽを振りながら、俺を見上げている。見た目はいつものモリオそのものだった。ごく普通の柴犬だ。しかしこいつはサイボーグなのだ。その証拠に人の言葉をしゃべりやがる。
「それでどういう経緯でそうなったんだ?」
俺はリビングのソファに腰かけると、大きなため息をついた。
「えー? どうって言われても……気が付いたらこうなってなんだよ」
「おまえ去勢手術で入院してたはずだろ……。なんでこうなるんだよ」
「だからボクに言われても……」
モリオはしょんぼりとした様子で首をうなだれた。ふとモリオのおなかを見ると、乳首の部分に色とりどりのボタン状のスイッチが、八つくらい均等に付いていた。
「おい、モリオ。そのスイッチのようなものはなんだ?」
「ああ、これ? これはね……」
モリオそう言うなり、おなかのボタンを前足でぐいっと押した。しばらくすると、プシュウウと音を立てながら、モリオのわき腹から、水筒くらいの大きさのミサイルが二基飛び出てきた。
「なにその殺人兵器……。おまえ何と戦う気なんだよ」
「えー? そんなのボクに言われたってわかんないよ」
モリオはクゥーン、と喉の奥から情けない鳴き声をもらして、かなしげな瞳で俺を見る。
「とりあえず、その動物病院に行って、元に戻してもらおう。親父たちに見つかったらえらいことだ」
そう言って俺が立ち上がろうとしたとき、視界の隅で何か黒いものがカサカサっと動いた。俺は五秒ほどその場で硬直した。そしてゆっくりと、ゆっくりとその黒い物体へと視線を移す。
「おいモリオ、アレを倒せ」
「えっ? あれって?」
「アレだよ、台所の壁に張り付いてるだろ! 黒くてカサカサ動くアレだ!」
「あーゴキブリ。坊ちゃんは大学生になっても、ゴキブリが嫌いなんだね。かわいいなぁ」
「その単語を発音するな!」
「あ、ごめんなさい……」
「そんなことより早く! お前サイボーグだから、目から光線とか出せるんだろ?」
俺は適当に言ったつもりだったが、モリオは「なんで知ってるの?」と目を見開いた。
「うん、まあこれでも飼い主だしな」
俺はそうごまかしながら「ホラ早く出せよ」とモリオの背中を叩いて、ソファの陰に隠れた。
「仕方ないなぁ」とモリオはつぶやきながら、ゴキブリのほうを向いた。次の瞬間ヴォン! という何かが始
動する音が聞こえ、モリオの両目がカッと光った。同時に青白い光線が、バシュッという音を立てながら、アレに向かって一直線に伸びていった。
「すごいぞ、モリオ!」
台所の壁に小さな穴を残して、アレは跡形もなく消滅した。
「でしょ?」
モリオは両目から光線を出したまま、うれしそうに俺の方を向いた。
その瞬間、俺の右耳がジュっと嫌な音を立てた。そして俺の後ろにあったプラズマテレビがボン、と音を立てて爆発する。
俺は右耳に両手を当てた。しかしそこにあるはずの耳はなく、生暖かい血が俺の手のひらからドバっとあふれ出し、肩を伝って床にこぼれ落ちた。右耳が焼けるようにじんじん熱い。
「ぐあぁああああ耳がああああ! 俺の耳が! 溶けたァ!」
「ぼ、坊ちゃん、ごめんなさい!、フルオートのままになってた!」
モリオはあわてておなかのスイッチを押して光線を消す。
俺は耳を押さえてうずくまった。マズい、このままだと確実に死ぬ。俺は救急車を呼ぼうとポケットから携帯電話を取り出そうとしたが、手にまとわりついた血で滑らせて、携帯を床に落としてしまった。さらには手が痙攣してきて、携帯を拾おうにも、うまくつかめない。
「坊っちゃん、動かないで!」
モリオはそう言うと、俺の耳元に鼻先を近づけた。よく見ると左の鼻の穴から小さなマジックハンドのような物が何個か飛び出していて、俺の耳元でウィィィンと金属音を立てながら動き始めた。俺は一瞬肩をすくめた。
「大丈夫だよ、痛くないし。怖がらないで」
モリオの右の鼻の穴からはオレンジ色のやわらかい光が出てきた。その光が俺の耳に当たる。
数分後、何の痛みも感触もなく俺の耳は再生した。
「モリオ、お前はとんでもない犬だな」
俺は新しく生えてきた耳を手鏡で確認しながら言った。まぎれもない俺の耳だった。伸びきったうぶ毛やほくろの位置まで正確に再生されている。
「ごめんなさい……坊ちゃんの耳を焼いてしまうなんて……」
「いや、いいんだ、気にするなモリオ。それより他にどんな機能があるんだ?」
俺は手鏡を放り投げると、モリオの肩をゆさぶった。最初は驚いたが、よくよく考えてみれば、これほど面白いペットは世界中さがしてもいない。
「え? ええと、えーっと、なんだっけな、あ、そうだ、後は空を飛べるよ」
「何おまえ空飛べんの! ぜひ見せてくれ!」
「でもそれけっこう燃料食うんだよね……空飛ぶのってすごく燃費が悪いんだよ」
「いいじゃん! ちょっとくらいならいいじゃん!」
「じゃあ、ちょっとだけだよ……」
モリオはやれやれと首を振りながら庭に出ると、真ん中にちょこんと座った。俺は縁側でワクワクしながらモリオを見守った。
「あ、坊っちゃん、ちょっとあっち向いててくれる?」
「え? なんで?」
「いいから早く」
何故か恥ずかしそうにモリオがそう言うので、俺はよくわからないままに後ろを向く。向くと同時にシュアアアアというスプレーを噴射するような音がした。驚いて振り向くと、モリオは尻から白い煙を大量に噴出して、一直線に浮かび上がっていった。そしてそのまま大空へとロケットのように飛び上がっていく。
モリオの尻から出た白煙に辺りはもうもうと包まれ、俺はその煙にまかれながらしばらく呆然としていた。
「すっげぇ……」
数分後、モリオはちんちんのようなポーズを取りながら、ゆっくりと降りてきた。
モリオが庭に着地するなり、俺はモリオにかけよって背中にしがみつくと、「飛べモリオ!」と叫んだ。
「えっ、ダメだよ! あぶないよ!」
「いいから! 俺を乗せて飛べ、モリオ!」
「だからあぶないってば!」
「あの大空のかなたに向かって 飛ぶんだ、モリオ!」
俺は空を指差すと、モリオの尻をバンバン叩いた。
「痛い! やめてよ!」
「いやだ! 飛ぶまでやめないぞ!」
俺は空を飛ぶのがずっと夢だったのだ。
「どうやったら空を飛べるの?」
はるか昔、俺がまだ小学生だったころ親父にそう聞いたことがある。
「トリ肉をたくさん食べたら空を飛べるぞ」
親父はニヤニヤしながら言った。あれはまぎれもない冗談だった。だがしかし、あのとき俺はまだ幼かった。親父の言葉を本気にした俺は、それから小遣いのすべてをケンタッキーにそそぎこむはめになった。
だまされたと気づいたのはずいぶんと後になってからだった。おかげで俺は今でも白ひげ白スーツのおっさんを見ると、胸のあたりがきゅんとなる。
「しょうがないなぁ……。ちょっとだけだよ」
モリオはそう言うと、再び尻から白い煙を噴射し始めた。モリオの腹の中から低いモーター音が響いてくる。
「いいぞ! モリオ! その調子だ!」
モリオの体が細かく振動しはじめ、俺たちはゆっくりと浮かび上がった。俺は両脚と両腕をモリオの体にしっかりとまきつけた。
「どうしたモリオ、動きがにぶいぞ!」
「そりゃ、坊っちゃんを乗せてるから……というか、坊っちゃん太ったよね……」
「がんばれ! がんばるんだ、モリオ!」
やがて俺たちはじわじわと屋根まで浮かび上がった。
「ボク真っ直ぐしか飛べないから、坊ちゃんが行きたい方向に体重をかけて操作して」
「よしきた!」
俺は両手足をからみつけたまま、前方に体重をかけて、垂直方向から水平方向へとシフトさせた。
「おなかのボタンの左の列の上から三番目の赤いボタンが加速、四番目の青いボタンが減速だよ」
モリオのおなかに手をまわして、赤いボタンを押した。するとモリオの腹のモーターが激しく振動し、一気に加速した。風がバリバリと痛いほど吹きつけてくる。
「ちょっと右に傾いてるから、体重を左にかけて!」
モリオの声に従い、しっかりとしがみついたまま、体を左に傾けた。モリオの両耳が風圧でパタパタとゆらめく。
「そうそう、そんな感じ! いいね!」
眼下に流れる景色が、早送りした映像のように通り過ぎていく。俺たちは鳥の群れを追い越して、雲の中を突っ切った。
「いやほおおおぉぉぉ!」
実際に空を飛ぶのは想像以上の気持ち良さだった。あまりの爽快感になぜか無性に可笑しくなって、俺はモリオの背中にしがみつきながら、ゲラゲラと笑い声をあげた。
「アハハハ! 最高ぉ! 最高ぉ!」
「ねえ、もういいでしょ! 帰るよ!」
「最高ぉおおおおお!」
「ねぇ、聞いてるの!」
モリオが体毛を風でゆらしながら叫ぶ。
「ダメだ! もうちょっと飛ぼう!」
俺はモリオの耳元で叫ぶと、赤いボタンをさらに押した。その瞬間、体全体がぐっと後ろに引き戻されそうになった。俺は四肢に力をこめてしがみつくと、モリオの後頭部に顔をうずめた。
「わっ! これ以上の加速は危険だよ!」
モリオが口をパクパクさせてそう叫んだが、激しい風切り音のせいでうまく聞きとれない。眼下の景色はさらに倍速のスピードで流れていく。
「ぼ、坊っちゃん! 目の前! 目の前!」
モリオが何か叫んでいたので、ふと顔をあげると正面に巨大な鉄塔が迫っていた。
「よけて! よけて!」
「おわあ!」
モリオに言われるまでもなく俺はモリオの体をひっぱるようにして、全体重を右にかけた。
「ぎゃあ!」
鉄塔を交わす瞬間、モリオの体が鉄塔と接触した。バッと火花が散って、モリオの脇腹に亀裂が走った。
俺はあわてて青いボタンを押して減速する。
「モリオ! 大丈夫か! モリオ!」
「う、うん、自動修復装置が働いてるし、なんとかなりそう……、でももうこれで満足したでしょ? 帰るよ」
「そ、そうだな」
少し調子に乗りすぎたと反省した俺は、モリオの体を大きくUターンさせた。
そのときモリオの体全体が、ピコピコと甲高い音を発しながら、赤く点滅しだした。
「おい、なにごとだ?」
「あ、燃料が切れそう……」
モリオは申し訳なさそうにそう言うと、俺を振り返った。
「お前の燃料は何だ?」
「しいて言えば、ガソリンかな……」
「ガソリン?」
俺は目をこらして、眼下の街なみを見渡した。
「あったぞ! ガソリンスタンドだ!」
俺は前方に体重をかけて、モリオを急下降させていく。
「え、ちょっと、まさかこのまま給油するんじゃあ……」
「だって燃料切れたら、墜落しちゃうじゃん」
「そこは坊ちゃんが抱きかかえて帰ってくれるとか……」
「やだよ、お前重いじゃん」
「でも、ガソリンスタンドで給油するなんて恥ずかしいよ」
「堂々としてればいいんだよ。おい着くぞ」
俺はもう一度青いボタンを押して、スピードをゆるめ、着地態勢に入った。
モリオは白い煙をまきちらしながら、ゆっくりと停止した。
ガソリンスタンドの店員のおっさんが口をぽかんとあけてこちらを見ている。
「うわああ、恥ずかしいよぉ……」
モリオは両耳をぺたっとふせて、恥ずかしそうにうつむいている。
「なにあの犬、超光ってる……」
隣に止まっていたプリウスの助手席で、高校生くらいの女の子が、俺たちを指さしながら声をあげた。
「おいモリオ、油種はどれだ?」
「油種? えーっと、じゃあハイオクで……」
「ハイオクね。すいませーん!」
俺は手を挙げて、店員を呼ぶ。店員はハッと我に返ると、おずおずとこちらに歩み寄ってきた。
「ハイオク満タンで」
「か、かしこまりました……」
あきらかに店員は困惑していた。
「おい、モリオ。給油口はどこだ? 尻か?」
俺がそう言うと、モリオはむっとしたような顔で口をぱかっと開けた。
「ここから、お願いします」
俺はモリオの背中から離れると、モリオの口の中を指差した。
「あの……」と店員が困った顔で俺とモリオを交互に見た。
「あの……これって犬ですよね……?」
「そうですね、まあ厳密には犬のようなものですが、犬と言ってもいいんじゃないかと思います」
「犬にハイオクはマズイんじゃ?」
「大丈夫です。こいつは犬型の自家用ジェットです。その証拠にほら」
俺は先ほど鉄塔と接触したモリオのわき腹をあごでしゃくった。茶色い毛がはげて、むき出しの配線と回転するファンのようなものが見えていた。
「はぁ……」と言いながらも、その店員はまだ釈然としない様子だった。
俺は店員の肩をたたくと「そういう時代ですから」と言って親指をぐっと突き立てた。
モリオがハイオクをごきゅごきゅと飲み干している間、俺は隣にあったバイクショップでフルフェイスのヘルメットと、グローブ、それにライダースジャケットを購入した。色はモリオに合わせて茶系で統一した。我ながら素晴らしいコーディネートだった。
俺はガソリン代を店員に渡すと、先ほど買ったバイク用品一式を身にまとった。
「またそんな無駄使いして……ほんと坊ちゃんは凝り性なんだから」
ブツブツと文句を言いはじめたモリオにまたがって、おなかをぽんと叩く。モリオは情けなさそうな顔でうつむきながら白い煙を噴射させた。俺は店員に「アディオス!」と別れのあいさつすると、赤いボタンを押して発進する。
俺を乗せたモリオは空高く舞いあがった。空はもう夕焼け色に染まっていた。雲がすぐそこにあった。風が気持ちいい。このままどこまでも飛んでいけそうだ。俺はさらに赤いボタンを押して加速する。
「あの、家に帰るんじゃなかったの?」
「このまま世界の果てまで行こう」
「えっ?」
俺は赤いボタンを連打した。モリオの体が激しく震動し、風圧と重力が俺の体にのしかかる。俺はぎゅっと力をこめてモリオにしがみついた。
モリオが口をぱくぱくさせて何事か叫んだが、もはや吹き付ける風の轟音で何も聞こえない。
俺たちは一筋の流れ星のように、どこまでも大空を駆けていく。そう、どこまでも。