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ある男  作者: トリカブト
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第8部

「藤代くんどうだった?」

「あいつもいろいろ」

 私は藤代のことを母に話してやった。

「大変だわね。でもお嫁さんがいて良かったじゃない。あんたも今頃結婚していたらどうだったか、、お嫁さんが助けてくれてたかもね」

「都合のいい想像すんなよ」

 私はしゃべり続けようとする母から逃れた。

 彼女の話はいつも仮定の夢や希望に満ちていて、願っていればいつか彼女の夢が叶うと思っているようだ。

 お経のように同じ話題をぐるぐると繰り返す。

 私は母の願いを叶えてやれないことで、繰り言からは永久に逃れられないだろう。

 次の日は鬱陶しいくらいの雨が降っていた。

 休日なので職探しをしても仕方ないと、家で寝転がっていた。

 だが昼過ぎに、ふと何か思いたって、久しぶりに同じ職場だった同僚に電話をかけることにした。

 私の後輩の男だが、二人の子供がおり、倒産する前に巧く違う会社にもぐりこんだ。

 だからと言って羨ましいとも、妬ましいとも思ってはいない。

 独り身の私の見通しが甘かっただけで、育ち盛りの子供を抱える彼の選択が正しかったのだ。

 休みの日にどこかに出掛けていたらアウトだなと、思いながら電話を掛けたら細君が出た。

 彼が在宅なのかと問い掛けると、はじめ彼女は言葉に詰まったようだったが、しばらくたって静に言った。

「主人は入院中です」

「えつ?病気ですか」

「暴行されて、、脳内出血で」

 彼女の言葉が最初は理解出来なかった。

 現実のことだとは思えなかったのだ。

 しばらくの沈黙のあと、じわりと頭の中に入ってくる。

 だが、それと同時に思考が凍り付いてしまった。

 何をすればいいとか、次に何を言うべきか頭に浮かばない。

「お見舞いにいけますか?」

 やっと言葉を絞り出した。

「集中治療室にいます。今は面会謝絶ですが、またお知らせします」

 細君は子供のこともあり家に戻ってきたところらしかった。

 重苦しい雰囲気にそれ以上は聞けずに電話を切った。

 嘘だと思いたい。

 巧く不運をのがれたはずの彼がこんな不運にあうとは、予想もできなかった。

 運命は社会的に貧しい者には、特別残忍な鎌を振うのか?

 それから一週間して小田の訃報が届いた。

「明日は小田の葬式に行ってくる」

「小田くん?どうしたの」

「このあいだ入院していたらしい、見舞いにいこうと思っていたんだが。詳しいことは分からないが」

「まだ若いんじゃなかった?子供さん小さいでしょ」

「下は生まれたばかりの筈だ」

「そう」

 長いため息が母の口から漏れた。

 暗い運命の暗示。

 全てが不安におののき、黄昏が世界を覆い尽くしている。

 崩壊の予兆があちらこちらに見えている。

 葬儀には元の同僚も何人かいた。

 小田は性格が明るく職場でも好かれていたそんな人物が死んで、仕事もなく妻子もなく、無用の長物と化した私はまだ呼吸している。

 数人の同僚と久しぶりに言葉を交わし、近況を聞くが、あまりぱっとしたものではなかった。

 彼らもまた最後までどろ船に乗った者達だったからだ。

「小田、、おやじ狩りでやられたらしい」

 元同僚の言葉に私は衝撃を受けた。

 おやじと言う年でもないだろう小田を、殺すほど打ちのめして、たいして持っていないだろう金を取る。

 その野蛮な行為に怒りを覚えた。

 犯人はまだ捕まってないが、高校生くらいの若者らしい。

 どうしてまじめな者がこんな目に遇うのだろう。

 悲しみと暗い運命に私が憤っていても、空は青く世界はすがすがしく明るかった。

 世界は私の悲しみでは動くことなどないのだ。

 

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