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《旅路にて》

 取り敢えず今日中に食料などの準備を済ませ、明日の乗合馬車で出発する。

 リチャードが下した判断は、既に夕方に差し掛かろうとしていたことも有り、時刻的にも的確だった。

 アスパーンには特に準備することも無かったので、シルファーンとともに食料調達を買って出ることにした。

 目指すは九人分の食料を十日間分。帰りも乗合馬車を使うとしても、往復で三日掛かるので、遺跡そのものへの滞在予定は、目星をつけている場所がハズレだった場合や、当たりでも調査にも備えて五日ほどの予定だ。残りの二日分は予備ということになる。

 と、なると、一日二食でも全員分は実に百八十食、風妖精で一人前は不要なラミスの分を除いても百六十食というとてつもない量になるのだが、何せ、他の店はともかく食料品を扱う店は閉店が早い。

 保存食とは言え、食事のバリエーションを増やすことと、発注する店側の都合を考えて、いつもの銀槌シルバーポールを含め、予備を含め三十食ずつ六軒の店に発注を終えたところだった。

 そちらは放っておいても明日の朝に届けてくれる予定だから良いとして、問題は明日の晩の食事だ。

 フーコーの町までは乗合馬車なら半日ほどだが、宿泊すると宿代は値が張るので、特にトラブルや問題が無ければ、所持品の最終確認だけしてフーコーの町は直ぐに出発する予定だった。

 つまり、一日目から野営ということになる。

 その一日目の夕飯くらいは自前で、しかも出来るだけ美味しいものを用意したいので、現在は二人で生鮮食品街を歩き回っているところだった。

「あまり考えてなかったけど、遺跡に入り込んでる獣とか居るのかしらね? そういうのが居てくれれば、食事には困らないんだけど」

「流石に鳥くらいは居るんじゃない? 獣となると、生存競争的に駆逐されてないとも限らないけど」

「遺跡までの道で狩りが出来るのが一番いいんだけど、贅沢よね?」

「まぁ、狩るとなると時間が掛かるしね。でも、目標が決まってるのならアリかもよ?」

 リチャードは確か、『遺跡守り』の駆逐を第一目標、『医療機器』の発見を第二目標と設定していた。

「予想では、何日目くらいで『遺跡守り』とやるんだっけ?」

「昇降機が修理リペア出来れば早いんだろ? そうじゃなければ、万全を期して遺跡探索の二日目……えーっと、だ、か、ら、累算で三日目にしようって話だったと思ったけど」

 最低目標の『遺跡守り』駆逐は、相手が上層階に居ることも有って万全を期す予定になっている。

 ただ、問題はその上層階への途中で何かに遭遇しないかということと、階段を登るのが辛いということだ。

 聞いたところによると、目標の位置は四十階。しかも、所々階段が破損していて別の階段へ移動しなければならず、普通に上がっていたら足が棒になって、その直後に戦闘するどころではないらしい。

「大体、四十階って。呆れたを通り越して唖然としたよ。初めて聞いた、そんな階数」

「昇降機、ブラフマンが直してくれないかしらね……」

 この件について期待されているのが、副リーダーでもあるブラフマンだ。

 彼の職人としての技量は同行者の中で抜群だというのは誰も疑いようが無い。

 アスパーンなどにしてみれば、着込んでいる鎧も重いので、頼むから四十階を脚でテクテク登るような事態は勘弁して欲しいものだ。

 一フロア登るのに三十段として、四十階って何段登るんだ。思わず百二十段とか誤魔化したくなる数だ。

 更にそれを徒歩で登るとなると、最早修行である。

 まぁ、恐らくそれを一番恐れているのは、山妖精ならではの膂力を持ってはいるものの、同時に一行の誰よりも重武装で、尚且つ今回は工具も持ち歩くことになっているブラフマン本人だろうが。

「昇降機降りた途端に目の前でお出迎えが有るのもご遠慮願いたいけどね」

「やめてよ。どうしてそういう怖い想像するのかしら。私まで不安になるじゃない」

「いや、でも、有りそうじゃない?」

「……だから余計に怖いんじゃない」

 シルファーンが嫌そうに渋面を向ける。

「あぁ、でも、歩いて登るのとどっちが嫌かって話になると、絶対に歩く方が嫌だけどね、私も」

「そりゃそうでしょ。千段超えそうな階段登り続けるのなんか、俺だって嫌だよ」

 暫し、会話が途切れ、二人で食材を漁る。

 中途、大粒の貝がどっさり並んでいるのが目に入った。

「これ、美味しそうじゃない?」

「いや、貝は危ないよ」

「今日の夕飯でも?」

「明日お腹壊して出発出来なくなっても、私は知りません」

「ちぇーっ」

 シルファーンにたしなめられて、渋々引き下がる。

 それからも、あれが良いと言っては止められ、これが良いと言っては嵩張ると言われ、中々メニューは決まらない。

 そんな中、分厚いバウムクーヘンを見て唾を飲み込んでいると、シルファーンが思い出したように呟いた。

「それにしてもさー」

「……ん?」

 アスパーンの視線は、棒に生地をかけ流し、それを回転させながらジリジリと下から焦がされながら焼き上がっていくバウムクーヘンから動かないが、耳だけを傾ける。

 ていうか、普段気にしないで食べてたんだけど、バウムクーヘンってああやって作るのか。

 ご多分に漏れず、今の身分では高級品なので購入するのはとんでもない贅沢だが。

「私、四十階って聞いた途端に怖くなって訊けなかったんだけど、最上階って何階なんだろうね?」

「……え……アレ??」

 それを確認していないことに気付いたのは、正にこの瞬間であった。



 翌朝。

 朝靄煙る早朝に早起きして、続々と発注を掛けた店からの荷物が届いている間、アスパーンは数を確認するのに必死で周囲のことを見ている余裕が無く、シルファーンもまた昨日の話題を忘れているのか、或いは敢えて訊く気がないのか、何とか皆が集まる頃に全員分を纏め上げた中でも、すっかりその話題を忘れていた。

 アスパーンは実は、朝に弱い。

 普段はシルファーンが起こしに来るくらいで、今朝も何とか起こしてもらった。

 そんな中で続々と届く糧食の数を確認するのはかなりの苦痛で、正直他の面々が欠伸をかみ殺しながら、或いは欠伸をしながら林檎亭に入って来たときは、少しイラッとするくらいだった。

 とはいえ、他の面々に較べて自分には何か用意が必要なわけでもなく、他の面子にしても、これから行く場所の地図を用意したり、必要な道具を厳選したりしていた訳でもないので、文句を言える筋合いでもない。

 ティルトとラミスなら一応専門職として情報の裏取りや必要と予想されうる道具の確認、用意が居るだろうし、ブラフマンとて昇降機の修理を期待されているので最低限工具の確認が必要だ。他方でリチャードやマレヌは、イルミナとルイゾンの二人と詳細な打ち合わせをしなければならなかったし、結局のところ、空いていたのは自分達だけだったのだ。

 加えて、昨日抱いたような疑問はもう既にマレヌ辺りが抱いているだろうし、確認事項として、どうしても自分が直接把握していなければならないようなことでもなかった。

 自分の役目はただ一つ。

 必要になったときに仲間を守り、『遺跡守り』を無力化することのみである。

 ならばせめて、このくらいの仕事をするより他にないのだ。

 百八十食という大量の糧食を人数分に捌いて、持ち運びやすいような適当なサイズに纏め終える頃には、特に調理もしていないのにすっかり食事当番を終えたような気分になっていた。

 持ち運びについてはルイゾンの『無尽の宝物庫』に入れるという手段も考えたのだが、それだと万一分断の憂き目に遭った時に食糧危機を抱える羽目になる。

 長丁場を考えても、それは避けなければならなかった。

 そんな訳で、眠り足りなかった分は乗合馬車の中で眠ることにした。

 朝の八時に出る最初の便に乗ったため、八頭引き、四十人乗りという特大サイズの馬車であったが、早めに並んで、しっかり最後尾の二列を占領し、四時間近い馬車の旅は一瞬で、物足りないようにすら感じられた。

 その時間に乗る客は周囲もほぼ、同じ目的ということも有って、車内はピリピリしていたらしいが、実際に殺気を向けられるわけでもなく、寧ろアスパーンにとっては慣れ親しんだ空気とも言える快適な寝心地だった。

 目覚めて馬車を降りてみれば、そこは既にバルメースの高層建築から離れた、一月程前までは当たり前に旅をしていた街道の宿場町の空気だった。

「……まだ眠い」

「忘れ物とかない?」

「うん、大丈夫」

 シルファーンの問い掛けに頷きながら、他の面子が降りてくるのを待つ。

 五分もすると、大型の乗合馬車はすっかり乗員を入れ替えて、いななきと共に去っていった。

「早ぇ。一瞬で着いた」

「お前完全に寝てたもんな。結構揺れたのに一回も起きなかったし」

 ティルトが呆れたように息をつく。

「俺、朝だけはホント駄目なんだよね。今日は早かったから、まだ寝足りない」

「寧ろ、起きたらきちんと作業してたことの方に驚いたわ、アタシは」

 ラミスがそう言うのも無理はない。

 アスパーンの記憶の中で、ティルトとラミスの二人と一緒にバルメースを目指していた間、彼らより先に起きた記憶が一度たりとて無いのだから。

「危険なことがある時はパッと起きるんだけどさ。こういうのはホント苦手」

「大丈夫? 何も忘れ物がなければ、直ぐ出発しちゃうけど、ここから徒歩だよ?」

 イルミナがアスパーンの覚束ない足元を見て、不安そうに訊ねてくる。

「顔だけ洗えば大丈夫」

「汲み上げポンプが有るよ」

 イルミナが指差した方向へ視線を巡らせると、確かに汲み上げ井戸が有って、洗濯する主婦たちが立ち話をしていた。

 主婦たちに了解を得て顔を洗わせてもらうと、ようやく視界がはっきりしてきた。

(空が広い……)

 アパートメント等で三階建て以上の建物も多いバルメースに較べて、改めて視界を巡らすフーコーの景色はとても開けて見えた。

 風や大地、木々や水に宿る精霊たちの息吹も明らかに活力に溢れ、様々な精霊が協奏曲を奏でているかのように活気がある。

 ザイアグロスは石畳に舗装されている部分が多いため、大地の精霊達は何処かこう、『俺達仕事してます』という感じで、木の精霊や家の精霊も如何にも『仕事モード』だった。

 それはそれで悪くはないのだが、フーコーの精霊たちの闊達な雰囲気の方がアスパーンには好ましい。

「こういう場所の方が性に合ってるわ、俺」

 大きく伸びをしながら、輪を作っている仲間たちのところに戻る。

「大丈夫か?」

「うん、目は覚めた」

 リチャードの問い掛けに頷いて、その隣に並ぶ。

「よし、じゃぁ出発するか」

「では、これが町の見納めにならないことを祈るかのぅ」

「ブラフマンって、もしかしてそういう黒い冗談が好きなの?」

 ラミスが渋面を作って訊ねる。

 言われてみれば、『神を飲む蛇』との一戦が終わった時にも何だか黒いジョークを飛ばしていたような気がする。

 ブラフマンはやや不満そうに鼻を鳴らす。

「用心を心がけておるだけじゃ」

「……当たったみたいね/図星なんだな/まぁ、図星ってことでしょうね」

 シルファーンとリチャード、マレヌに同時に突っ込まれていた。

 直後、全員でどっと笑いが起こる。

 精霊達のみならず一行の雰囲気も、一先ず良いようだった。



 遺跡までの道中は石畳で整備されていて、凡そこれが前文明時代の遺跡へ向かう道とは思えない雰囲気だった。

「フーコー西遺跡というのは通称で、正式な名前を『ヴォルフガング・ミシェル・シニア遺跡』と言うそうです。遺跡の発見者はヴォルフガング・ミシェル・ジュニア。遺跡の発見者は同時に命名権を持つのが一般的だそうで、ヴォルフガング・ミシェル・シニアという人物もその筋では有名な方だったらしいのですが、どういう訳かご本人の名前を付けることだけは由としなかったそうです。そこで、ご本人が引退した後になって、後を継いだ息子さんが、最初に自分が発見した遺跡にお父さんの名前を残すために父親の名前を付けた、と昨日調べた書籍には書いてありました。この石畳も、後にこの遺跡が遺跡群であることが分かったときに、前文明時代の解明のために役立つのならばと、ジュニアが私財を投じて整備したものだそうです」

 マレヌは解説書をそのまま紐解いたような言葉で、説明してくれた。

「ヴォルフガング・ミシェルといえば、継承されている名前だな。今は確か……」

「五代目だそうです。実際にはもっと後の世代の方だそうですが、遺跡開発ばかりしているわけにも行かなかったようで、実際には本名の他に名乗る『名跡』のようなものになっている様ですね」

 ルイゾンの言葉を受けて、マレヌが頷く。

「とはいえ、このご時世だからな。遺跡の開発よりも自分の住んでる街の復興が先だと考える人も多かろうよ。俺達みたいな冒険者が見つける遺跡も多いし、冒険者が見つけたが故に秘匿されている遺跡も多いらしい」

「その点では、フーコー遺跡群はかなり珍しい存在ですね。ザイアグロスの付近にありながら開発が終わっておらず、尚且つ今後も開発の余地が残っており、開放されている。学術的にもかなりレアなケースですが、これもひとえに、かの遺跡が持つブラックボックスの大きさを意味しているとも言えるでしょう。高層建築が並ぶ場所だというのに、遺跡に近付かなければその姿が見えないそうですから」

「なるほど、四十階とか言ってるのに、今のところ影も形も見えないのは、そういうことなのか」

 リチャードが相槌を打つ。

「これだけバルメースから近い位置に有れば、姿くらいは見えてもおかしくない筈なのに、影も形も見えない。それもまた、前文明時代の技術のお陰らしいです」

「シルバーパレスみたいに、魔術的な効果でやってるわけじゃないの?」

 アスパーンも、興味をそそられて訊ねた。

 バルメースの中心、シルバーパレスは、街の中央にありながら、上のフロアが『不可視化』の魔術によって見えなくなっている。時計のように影ができてしまう時間が生まれるのを避けるためだ。

「その辺が不明らしいです。それを解明しようという大きな意図の下に、今でも多くの冒険者が遺跡に入っては、各々の小さな目的をコツコツとこなしていると言うのが現状です。一つだけ解っているのは、そのシステムを始め、多くの施設の多くの技術が電力を元に稼働しているらしいと言うことだけです」

「電力……って、何?」

「小規模な雷の属性を物理的に発生させて、コントロールしたものだと言うのが『錬金術師』や『遺品使い』達の間では一般的な見解だな」

 マレヌの代わりにアスパーンの問いに答えたのはルイゾンである。

 自らも『遺品使い』である彼は、当然ながらマレヌの講釈などは既知の領域なのだろう。

 九人、風妖精であるラミスを換算しなくても八人という多人数の面子の中でたった一人、手ぶらで歩いているようにしか見えないが、『無尽の宝物庫』という高度な遺品を持つ彼こそがこの件の本職とも言える。

「雷属性は金属を介した伝導性が高い。前時代文明のある時期は、その性質を利用して様々な製品を作り出していたと言われているんだ。尤も、俺の遺品は、使えはするものの何で動いているのか解明されていないんだが」

「良くそんな物使う気になるな……」

 正直なところ、いつ止まるか分からない物を扱っているとしか思えない。

 アスパーンは思わず呟いてから『失言だった』と思って口元を押さえたのだが、ルイゾンは『構わない』というようにそれを笑い飛ばした。

「あぁ、それを解明するつもりで所持しているんだが、いつの間にかこうなってた。今でも解明するつもりで試用してるつもりなんだけどな。使い方のほうははっきりしてきたんだが、まだこれが何を動力にしているのかはさっぱりだな」

「『電力』が前文明時代の遺跡解明のキーワードの一つというのは、大陸と同じですね。大陸では最近、嘗ての文明ではマナ灯の代わりに電気で明かりを灯していたという説が有力視されています。古代語で『配電盤』と書かれた遺品が出回っていることと、壁面に金属線が通った明かりの線が接続されている部分が発見されたそうです」

「へえ、マナ灯の代わりねぇ……」

 マナ灯はジークバリアの都市部における一般的な明かりの一つだ。

 冒険者達の間でも、迷宮に潜る時は炎の精霊を呼び出しやすいという理由から、いまだに松明やランプが重宝されることが多いが、一方で住居や施設などの生活面ではコマンドワードを唱えると一定時間周囲のマナを吸収して発光する石を作成して、マナ灯と呼ばれる明かりを利用することが多い。

 魔術師ギルドの訓練生などが基礎学習の一部として生産に関わっており、ギルドの運営資金にもなっている。

 残念ながら、魔術師ギルドのない地方や小さな町、村などにはあまり普及していないが、一つ有れば、夜間のみの点灯に絞れば半年から一年くらいは持つので普及は進みつつある。

 因みに、冒険者の間では魔導魔術師が明かりの魔法を使えたり、精霊魔術師が月明かりから光の精霊を呼び出したりすることができるので、あまり持ち歩かない。

 ブラフマンのような錬金術師がマナ灯を持ち歩くことが有るが、ブラフマンが持ち歩いているのかということをアスパーンは確認したことはなかった。

「ワシは一応、今回は自前のを一つ持ってきた。この人数になると、人が分散することと孤立することは考慮に入れておかんといかんしのぅ」

 アスパーンの視線に気付いたのか、ブラフマンは冗談めかして自分の目を指差した。

 そうか、言われてみれば山妖精は闇を見通す目があるのだった。

「あ、ウチも持って来てるよ。遺跡に潜る錬金術師としては当然の嗜みだね」

 イルミナが耳をヒクヒクさせながら、自分の目を指す。

猫型の半獣人もまた、闇を見通す目の持ち主だ。

「俺は一応、本物を持って来てるよ。残念ながら魔術的な素養はあまりないんでね。魔力の無駄遣い防止の意味も込めて、だな」

 ルイゾンは苦笑いしながら腰のポーチを指差す。

 『無尽の宝物庫』に入っているという意味であろう。

 ティルトもまた、職業柄元々夜目が利く上に精霊魔術師として光の精霊を使うのを得意とするラミスから離れることもないだろうし、アスパーンとシルファーンもまた、光の精霊を呼び出せる。魔導魔術師であるマレヌは杖の先に明かりを灯すような魔術が有るので、言わずもがなだ。

 ……アレ、一人残っているような気がする。

「因みに、俺はそんなこと考えてもみなかった。はぐれたら俺、多分死ぬからな。くれぐれも皆、俺からはぐれないように」

 リチャードの当たり前と言わんがばかりの口調が、また一同の笑いを誘った。



 数時間後、日も暮れかけて予定通りの道程をこなした辺りで、野営をすることになった。

 残念ながら、食料になりそうな獣の類には遭遇しなかった。

 まぁ、これだけ人の手が入っている道を、大人数で通行していれば、食用にしやすい草食の獣は警戒して近寄ってこないだろうが。

 夕飯はシルファーンが前日に林檎亭の厨房を借りて下ごしらえして置いた鶏のスープということになった。

 昨日の市場で絞めてもらったものを血抜き、骨抜きをして、ガラでスープをとったものに野菜を加え、今朝林檎亭にある冷蔵庫から氷の精霊を拝借して固めておいて、それを解凍したのだ。

 ルイゾンに頼んで『無尽の宝物庫』に調理具一式と共に保存してもらい、それを取り出してもらってから火に掛けて、シルファーンが改めて調理した。

 調理具を持ち込んだのは、今後狩りの機会が有れば、調理が出来るかも知れないからだ。

「明日からは保存食ばかりで、きちんと調理したものには出来ないだろうから、今日くらいはと思って」

 用意していた器に出来上がったスープを注ぎ分けながら、シルファーンは控えめにそう言っていたが、骨が総て取り除かれていたことなどから準備に時間を掛けていたことは誰の目から見ても明らかだったので、反応は上々だった。

 アスパーンもまた、下ごしらえをシルファーンに任せた分、一人で保存食の準備を頑張ったのだが、いちいちそんなことを言っても仕方ないので黙っていることにした。


 ――――食後。


 近くの水場で調理に使った大鍋を洗っていると、シルファーンが近寄ってきて『お疲れ様』と頭を撫でてくれたのが、妙にこそばゆかった。

 これから、この生活が当たり前になるからには、子供の頃のように頭を撫でられて喜んでいる場合ではない。

 誰も気付かなかった仕事にシルファーンだけが気付いて、それを彼女なりにねぎらってくれたのが嬉しかった反面で、自分がこの一行の中で勤める役割とは、こういう物でいいのだろうかと、僅かに考えた。

 取り敢えず、この仕事を続けるのなら覚えるべきは美味しい保存食の仕入れ元だろうか。

 食べ歩きとかした方が良いのか。

 一応、今回の仕入れ元は、集団で食事を摂る限り、複数の種類を組み合わせれば、それなりのバリエーションの物が作れるように工夫をして仕入れてきたのだが、主食に関してはどうしても固い乾パンの類に頼らざるを得なくなる。

 食に拘りのない者ならばあまり気にしないのだろうが、ザイアグロス時代からアスパーンとシルファーンは可能な限りバリエーションを豊かにするように努力してきた。

 食事の傾向とバリエーションが、活動へのモチベーションになるからである。

 ここは出来れば、他の冒険者の意見を訊いてみたいところだった。

「あ、イルミナ!」

 そこで、野営中、偶然同じ時間の当番になったイルミナである。

 遺跡探索を繰り返してきたという彼女なら、その辺りのことにも詳しいかも知れない。

「ん? にゃんだね? アーちん。ウチはお腹いっぱいでそろそろオネムじゃよ?」

 イルミナは満足そうに伸びをすると、ブラフマンの口真似をして顎の辺りを擦る。

「イルミナ達は、普段遺跡に潜るときとか、食事はどんな感じにしてるの?」

「んー、ウチらは普段、焼いたり煮たり塩や胡椒を振ったりする程度だね。今夜みたいな良いものが食べられるとは思ってもみなかったよ。今くらいの時期はまだ良いけど、冬場はさー、辛いんだよねー。今日は『鶏ウマー』って感じだった。すっごい幸せ」

 獣よけの炎に照らされながら、イルミナは夕飯の味を反芻するように幸せそうな笑顔を見せる。アスパーンとしては、この笑顔のために時間を割いたのだから、自分が朝に弱いのを我慢した甲斐も有ったというものである。

「あれはさー、シルシルが作ったんだよね?」

「シルシル? ……あぁ、シルファーンが作ったんだよ。何か、初日だけなら作った方が英気を養えるし、みたいな話になって」

 ふと、ルイゾンに聞いたイルミナの癖を思い出した。

 イルミナは、仲間に変わった愛称をつけて呼ぶのが好きなのだそうだ。

 それはつまり、自分たちもまた、イルミナにとって『仲間』だと認識されたと言うことだ。

 『林檎亭』に入って間もないアスパーンにしてみれば、それはこそばゆい感覚でも有るが、嬉しくも有る。

「いいよねー、いいお嫁さんになるよー。正しく今日の鶏さんのように骨抜きにされてスープのダシにされちゃうよー」

 イルミナは身体をくねらせながら『骨抜きー』と身体で表現する。

「いや、それはどちらかと言うとホラーなんじゃないかな……」

 骨のない生き物と言うと、アスパーンにはタコとクラゲしか思いつかないが、ふと、子供の頃楽しそうに豚を捌いていたシルファーンに微かな恐怖を感じたのを思い出した。

 解体される側の恐怖。

 言うなればそんな感じだ。

 魔導魔術師同士の冗談めかした掟として、遠見の魔術を覚えても異性の部屋と風呂場と調理場だけは覗いてはいけないという話を聞いたことが有るが、多分アレのことだろう。

 正直、解体される側の目線で見たらトラウマになる自信がある。

「比喩だよ、比喩。メロンメロンのトロットロにされちゃうイメージだよ~」

 イルミナはニャハハと笑いながらアスパーンにくっついてくる。

 どうにも憎めないというか、感情表現の多彩な人だった。

 だが、そう思った直後、空気が抜けるような軽い音が鳴ると共に、アスパーンと接触していたイルミナの身体が小さく跳ねた。

「あっ!?」

「何!?」

 明らかに苦痛を含んだ声色に異変を感じて、直ぐにアスパーンは訊ねる。

「あぁ、いや、何でもないよ。ちょっとね」

 イルミナは慌てて身体を離すと、両手を振って否定を示した。

 その左の手首に填められているブレスレットが、僅かに明滅している。

(……古代文字……数字か?)

 十八。

 アスパーンの記憶に残っている古代語で間違いなければ、それは数字だ。

 明滅は直ぐに止まり、イルミナはそれ以降、口を開こうとしなかった。

 アスパーンもまた、イルミナの放つ空気に押されて、それ以上訊くことを避けることにした。

 ただ、一瞬の苦痛の声に、違和感だけを覚えながら。


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