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第八話 『依存』

 擬態蠍ミミクリー・スコーピオンは、名前の通りその実体は蠍である。

 八本の足を悍ましく動かし、前足に二本の鋏を携え、尾には一本の毒針を持つ、あの蠍だ。

 だがILOの世界――とくにオードゥグ遺跡に生息する擬態蠍は、人々が蠍を聞いて思い浮かべるそれとは形状が異なる。


 蠍というよりかは、擬態という言葉が示す通り、どちらかというとナナフシのような生態をしている。

 小枝に擬態するナナフシがあのような容姿なのだから、サボテンに擬態する蠍がバカ正直に蠍としての形状をしているはずがない。


 砂漠にて悠々と伸びる、あのサボテンを想像してもらえれば分かり易いか。

 体表も濁った緑色をしており、全身にはトゲトゲした無数の針が連なっている。

 サボテンに擬態するのであればそれはまた当然のことなのだが、事実この針こそが、擬態蠍が危険な種類の魔物として悪名高い原因となっていた。



「おい……返事しろ、おい!」


 足を折って座り込むシグマは、全身に無数の穴を開けた状態で倒れた大巨漢と、全身の甲冑をひしゃげさせ微動だにしないシーザーの体躯を、必死の表情で揺らしていた。


 彼らはまだ死んではいない。

 ゲーム内で死亡が確認されたプレイヤーは、そのアバターが粉々に砕け、光の粒子となって消滅するはず。

 それはグラールでの凄惨な殺戮現場に居合わせた者なら、誰もが理解している事実である。


 故に、シーザーも盾を抱えた大巨漢も、まだ生命の刻を停止させていない。

 外部からの刺激に返答を見せることは無いが、その生命を根絶させられてしまったわけではない。


 一縷の望みにかけて、リリアンとエリアは倒れた二人の体力回復に徹していた。


「何なんだ……、何なんだよおい!」

「状態異常『ショック』でしょう。強い打撃や同時に全身を襲うような強いダメージを受けたときなど、そういった時に陥る現象です」


 取り乱すシグマが漏らした言葉を拾い、バカ正直にナディはその疑問についての説明を告げる。

 まだナディは、人が取り乱したときの対処法を知らない。


 冷静に応えるナディをシグマは睨みつけ、次に傍に立っていたアインハルトへと凛然とした視線を向ける。

 アインハルトは漆黒の瞳でシグマを見やり、無表情のままシグマと対峙する。

 オーディンの手に力が込められ、アインハルトの袖が引っ張られ、ギアドラコートに皺が寄った。


「――んで守れなかった」

「俺は、俺は全力を尽くしました」

「何で守れなかったって聞いてんだよ!」


 シグマの太い腕が振り上げられ、不貞腐れたように目を逸らすアインハルトをその拳が捉え――、


 刹那アインハルトをシグマの拳から守るような格好で、金髪碧眼のエルフ剣士、オーディンが間に割り込んだ。

 普段は眠たそうなジト眼をしているのだが、今のオーディンはその透き通るような碧眼を激昂の色に染め、突き刺すような視線をシグマに向ける。

 今にもシグマを斬り殺しそうな面持ちに、シグマは思わず振り上げていた拳を元の位置へと戻す。

 だがオーディンの表情が和らぐことは無く、親の仇を見つけたような顔を崩さず、シグマのことを睨みつけるのをやめなかった。


「オーディン、大丈夫。今回は俺も悪かったんだ。シグマ……さんは、悪くない」

「――本当?」


 鈴を転がしたような声音が奏でられ、オーディンはアインハルトの顔を見つめる。

 その表情に、悲壮や憤怒の色は見えない。


「でもシグマは、アインハルトに危害を加えようとした。拳や剣先を向けられるというのは、とても怖い」


 その声音に怯えや恐れの色が浮かぶのをナディは感じた。

 それがどの部分からなるものか、何に対してオーディンが抱いているのかまでは、さしものナディでも分からなかったが。オーディン自身はシグマを直接的に毛嫌いしているわけではなく、恐怖を感じているようではなさそうだった。


 オーディンはアインハルトに依存している。

 ナディにとって依存とは、サンシローが毎晩のようにルリィを添い寝させていたような、心理的安堵感を生じさせるためのものしか知らなかったが、オーディンがアインハルトに抱いている依存は、それとは違う。

 アインハルト無しではいられない、といった愛念や愛情といった感情では無く、自分がアインハルトを守らなければ、という一種の忠誠心のようなものか。傭兵が生命をかけて皇帝や国を守るような、そんな印象をナディに抱かせる。


 人工知能NPCナディにとって、依存や愛欲といった感情は果てしなく遠い、理解の範疇を超越した事象だが、一つの懸案事項として、ナディは記憶媒体の片隅に仕舞っておいた。


 的確な言葉としては『恩返し』というものが当てはまるような状況だったが、ナディは『恩』という言葉を知らなかった。




「シグマさん、回復終わりました」

「こっちもオーケーよー」


 リリアンとエリアが舞い戻り、険悪な空気に包まれた三人を目にした。何が起こったのかという疑問が湧くのは必然。エリアとリリアンは、それらの一部始終を傍で見守っていたナディに「何があったのか」と聞いたが、ナディは「私にはよく判らない」と真顔のまま呟かれてしまい。二人は困ったように、顔を見合わせるしかなかった。



 ――とりあえず誰も失うこと無く、赤色蟻と擬態蠍の討伐には成功した。



 ---



 一つ一つのフィールド、そしてフィールドとフィールドを繋ぐ非戦闘エリアが無駄に広大だというのが、ILOがもつ一つの特徴でもあった。

 これには幾つか理由があり、その内の一つは、精根込めて作ったグラフィックやオブジェクト配置を、ピクニック気分で堪能してほしい、というものがある。


 ILOの制作陣――とくにアマセ・サンシローは、そういったクリエイターを尊敬している。次々完成していくグラフィックを見るのを、彼は社内の誰よりも楽しみにしていた。


 そう言ったわけで、フィールドを端から端まで歩こうとすると、予想以上に時間がかかる。

 普段は『ワープ・ゾーン』なる、一度通ったフィールドを丸々飛び越えることのできる機能を使用するため、移動時間や非戦闘エリアの退屈さに関しての苦情が舞い込むことは無いのだが。現在ナディたちは、その『ワープ・ゾーン』を使用する気にはなれなかった。


 理由はいくつかある。

 一つ目に、フィールドを歩む途中で残党を見つけるかもしれない、という淡い希望。

 二つ目に、『ワープ・ゾーン』が正常に機能しているか確証が得られないため。

 三つ目に、万が一この中に、これから先赴くフィールドを一度も通ったことの無い者がいるといけないから。


 以上三つが主な理由である。

 ついでに三つ目は、シーザー、大巨漢、ナディが見事に引っかかっている。

 それらを置いていけばいい、という意見が出そうなものだが。それも不可能だった。

 シグマは一度集結した人間を間引きしたり、理由あって排除することが嫌いなのだ。

 過去に何かあったのか、集団から数名を追い出すことに関して、異常なほどの拒否反応を起こす。そして、エリアとアインハルトの存在もあった。二人はそれぞれ別の理由で、ナディを手放したくない。

 アインハルトは、守りきれない仲間たちを共に守る者が欲しいから。エリアに関しては、ナディを心の拠り所としているからである。


 明るく人好きのする性格のため、初対面のシグマと行動を共にすることができたエリアだったが。実際それは、エリアにとって苦渋の選択だった。

 初対面の人にもガンガン話し、心からの笑顔を振りまくことができることこそ彼女の長所だったが、それを単純に、自然と行っているわけではない。

 人に嫌われたり、その事実を真正面から向けられることが何よりも苦手であり、エリアはそういったことに対してのメンタルが非常に弱い。

 だから彼女は、明るく元気な自分で弱い心を覆い隠し、その事実が他者に露見しないよう、細心の注意を振りまきながらここまでやってきたのだが――。



「ナディさん、あたし、あたしもう無理だよ……」


 オードゥグ遺跡に侵入し三日目の夜。見回り中のナディは、泣きじゃくるエリアに押し倒された。

 滂沱の如く頬を濡らし、感情の奔流は涙となってエリアの瞳から溢れ出る。

 感情が止まらないエリア。しかしナディは、それがデータの海が織りなす感情の渦だと把握してしまう。


 誰かに頼られたこともない、こうして目の前で泣かれた経験もない。

 さらにそれは、単に女性経験がないという言葉では片付けられない、深い理由によるものだ。


 だがナディには、アインハルトとの会話によって人を気遣う学習がされていた。

 ナディは地面に倒されたままの状態で、エリアの青色の髪を優しく梳いた。


「私は、言葉を選ぶのも、会話するのも、人が欲している言葉を正確に出すことも、苦手だ」

「いい! 今は、今はそんなありふれた言葉はいらない! ナディさんに、ナディさんに慰めて欲しいだけ……、聞いてくれるだけでいい! 明るくて良い子を演じるのは、もう疲れたの!」


 感情の絶叫が舌に乗り、エリアの口腔から飛び出してくる。

 いくら大声で叫ぼうと、音声到達範囲外で発せられた声は絶対に漏れない。

 これに関しては、アインハルトが時折入るテントで確認済みだ。

 見回り中にテントの音声を拾ってしまう範囲に入ると、リリアンやオーディン、アインハルトの声が聞こえる。だがそこから一歩でも離れると、静寂がナディを包み込む。


 今現在ナディがいる場所は、シグマたちが眠る(正確には転がり、精神を休ませているだけ)場所からかなり離れている。

 誰かに聞かれるということは、確実に無いと断言できる。


「……エリア」


 もう一度頭を撫でようと手を伸ばしたところで、不意にナディの中で『違う』という言葉が流れた。

 名前を呼びながら頭を撫でる。それだけで、本当にエリアは救われるのだろうか。

 喩え人間の感情というものを理解できぬ身体だとしても、それを正直に全て話すのは、本当に双方にとって良いことなのか。


 ナディのプログラムが、一つの結論に辿り着いた。

 それはナディ自体体感したことの無い、未知なる行動だったのだが。


「…………」

「ナディ、さん?」


 腕をいっぱいに使い、ナディはエリアの体躯を抱きしめた。

 普段のILOでは、過度なアバター同士の接触は厳禁、行えばただちにアラームが鳴り、警告ウィンドウが出現する。

 だが現在、ナディが精一杯思考し、辿り着いた結論を邪魔するプログラムが起動することはない。


 トクトクと鼓動が連なることも、体温を感じることもできぬ、なんとも味気ない抱擁。


 胸の中で感情の奔流を流すエリアを感じながら、ナディはその晩、ずっとエリアのことをその腕の中に抱きしめていた。


 零れては消えてを繰り返す、光の雫をその胸に感じながら。

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