第四話 『残党』
アマセ・コーポレーション代表取締役を務める、天瀬大五郎。彼を一言で表すとなると、所謂『天才』という言葉がピタリと当てはまる。
彼の多大なる経歴や功績を、今更ここに書き記す必要は無いだろう。
大して努力家では無いのに、幸運が勝手に私に付いてくる。という名言を残し、時折ちょっとした自己啓発本や企業経営に関する書籍にて、監修し、名前を連ねていたりする。
近年は著しい成長を遂げた科学、主にバーチャル・リアリティな仮想空間の可能性に目を付けており、VRゲームの作成、開発に現在力を入れている。
その多才な大五郎の一人息子――が、先ほどからしばしば名前の出る天瀬三四郎であり、彼もまた、父親に追いつくほどでは無かったが、一種の才能を持ち合わせていた。
人のため、もしくは自分のために何かを発展させたいと考えれば、ものの数日で、さらにたった一人で、作成までの手引きを作成してしまうし。抱き心地のよい素材をわざわざ外国から取り寄せ、自身のアンドロイドに装着させてみたりと、まあ色々だ。
余談になるが、天瀬三四郎は孤高のメイド好きである。
それも三次元の使用人ではなく、二次元を基にした3Dグラフィックからなるメイド、それをとくに好んでいる。
それが理由かさだかでは無いが、艶やかな黒髪を弾く美形男子な三四郎だが、高校を卒業してからというもの、全く女性との付き合いをもっていない。
彼が電話を取った時、かけてきた男が誰なのか、最初は分からなかった。
聞き覚えの無い声音のうえ、回線が悪いのかくぐもったような低い声。
そのうえ三四郎は酷く苛立っていたため、落ち着いて電話対応をすることができなかったから、というせいなのだが。
『ナディです。ナディ・パープル・キャッツ』
「ナディ、ナディなのか?」
『はい、ナディです。急いでこの回線をルリィに繋いでください。この回線が妨害される前に』
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『ナディ、ナディなのね?』
『そうだよ、ルリィ』
ナディとの意思疎通が可能であると把握した数分後。
三四郎は自宅のアンドロイド――ルリィの番号を入力し、中央管理室の電話を通してルリィのコンピュータと繋ぐことに成功した。
一般市民の自宅を介して社内の電話にかけ、さらにそれを自宅のアンドロイドに転送しているのだから、音声感度は最悪だ。聞き取りにくいったらありゃしない。
だがルリィの聴覚は、人間のそれを遥かに凌駕する。
その上取り込んだ音声情報を正確に識別し、留守番電話サービスよろしく記憶媒体に取り込むことができるので、その点はとくに問題がない。
ナディとの意思疎通が可能になった経緯や原因は未だ解析中だが、緊急事態ということもあって、とりあえず三四郎は深く考えず、現状に身を任せることとした。
『ナディ。あなた今、どこにいるの?』
『《Immortal Life Online》の中だ。深淵迷宮街グラールの高原地帯に、他のプレイヤー数人といる』
『プレイヤーの皆さんは、無事ですか?』
『金髪のアバターから聞いた話だと、仮想空間内で死亡したプレイヤーは、そのまま現実の肉体も死滅させられてしまうらしい。私の視覚範囲でも、何十人といったプレイヤーが死亡した』
ルリィが取り込む会話内容をパソコンで読みながら、三四郎の表情が曇る。
深淵迷宮街グラール脇の高原地帯と言えば、先日のアップデート時に新たな魔物を組み込んだばかりのフィールドだ。
名前は『迷彩河馬』。名前の通り背景に溶け込む色彩をしたカバであり、閃光を伴う熱光線を吐き出し、プレイヤーを攻撃する。
まだ微々調整を行っておらず。『グラールに来たばかりのプレイヤーレベルでは少し強すぎる』といった苦情が、少数であるがサンシローのもとへ届いており、近日中に熱光線の威力を弱める予定であった。
実際後述の理由により、そういった苦情が舞い込んでくることは、そう多いことでは無かったのだが。
《Immortal Life Online》とは、不死と生命という単語を組み合わせたその名の通り、デスペナルティが異常なほど軽いという特徴がある。
死亡してもゲーム内通貨が若干減るなど、それまでに使用した分の回復剤が戻ってこないなどその程度であり、防具・アイテム・武器の消滅、数時間の操作不能などといったストレスの溜まるペナルティは附属していないのだ。
三四郎としてはこのゲームを、VRMMO初心者でも楽しめるよう設定したために、そういった状況になっているのだが。
いくらデスペナルティが軽かろうが、復活不可能という状況下の中ではそんなもの全く意味が無い。
というか、自分たちの作ったゲームをそのように乗っ取られることなど想定していなかった。
当たり前の話だが。
『ルリィ。そちらから仮想空間にアクセスして、この状況を打開することはできるか?』
『ごめんなさい、それは無理よ。中央管理室はもちろん、ご主人様の自宅からもアクセスしようと何度も試みたんだけど、強力な外部通信遮断ソフトが邪魔して、入ることができないの』
『外部通信遮断ってことは、今この仮想空間を支配しているのはアマセ・コーポレーションのプログラムじゃないってこと?』
そうよ、と呟き、画面の中のルリィは三四郎へと顔を向ける。
その顔を見て、三四郎は顔を逸らした。
あれだけ不正改竄に対して対策を練っていたのに、と三四郎はこの失態を認めたく無かった。
『ルリィ、よく聞いて。私が直接聞いたわけでは無いんだけど、どうやらこの世界を救うことができるかもしれないんだ』
会話ログを眺めていた三四郎は、その言葉を見て目を見開いた。
『それって……』
『このゲームをクリア――すなわち近未来都市アーズの高層迷宮最上層に行って、最後の魔物を倒すこと、それができれ――ば、たぶ、――られ』
『ナディ、どうしたの!? 聞こえないよ!』
『――せば、出ら――、ら心配し――、――ぶ』
『ナディ、ナディ!』
バツンと音がして、ナディからの通話は途切れた。
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「すまない、通話が切れてしまったようだ」
「ああ、仕方ない。多分あちこちのプレイヤーがこれで連絡を取っているから、煩わしく思ったテロ野郎が、通信電波でも遮断したんだろう」
ナディが通信端末をアインハルトに返すと、彼は別段気にしていない様子で微笑。
不機嫌だったシグマも大分落ち着いたようで、辺りに腰を下ろす他のアバターと何やら談笑していた。
笑いの中にも若干の悲壮が滲んでいる他プレイヤーと違い、獣人格闘者シグマは、心から笑い、場を和ませようとしているようだ。
「しかしこれで、ここにいる皆は自宅のアンドロイドに連絡がついたのだな」
「ゲーム内で死ななければ現実の肉体は安全と言われても、お腹が空いて栄養が無くなったら、みんな死んじゃうもんね」
シグマの言葉に、紫色の髪をした魔法職の少女が柔らかに応える。
ふわっとした髪を流し、髪と同じ色に煌めく瞳を、ネコのように愛らしく細めて笑う。
紫紺に輝く虫の素材で作られた三角帽子をかぶり、同様の素材からなっているであろう鮮やかな色彩のマントと、闇に溶け込むブーツを履いていた。
装備品としてステータスが出現するのはそれだけであり、その繊細かつ柔らかそうな体躯を包み込む白い魔法装束は、どうやらインナーのようなものらしい。
頭上を見ると、水色の文字で『リリアン』と表示されている。
何となく気になってNPCの目で見てみると。
名前:リリアン。
職業:魔法使い。サブ職業:治癒術師。
種族:人間。
性別:女。
となっていた。
あからさまなほど可愛らしい容姿に、あざとく魅惑的な仕草。一瞬だけナディもリリアンをネカマの一種ではないかと疑ったが、NPCとしての勘(根拠は無い)により、中身も女性だろうと考えた。
まあナディにとっては全くもってどうでもいい話だ。ナディは便宜上男性という性別を頂いてはいるものの、性行為をして子孫を増やすでも無く、愛する異性を傍に感じ、心を安らげる必要もない。
目の前にいるリリアンの中身が男性だろうと、シグマやアインハルトの中身が女性であろうと、ナディは接し方を変えるつもりもないし、否定するつもりもない。
サンシローの目指す最高のゲーム設定の基礎には、性別や容姿の自由な選択、という項目も入っていたから。
「それではこれからどうするか、ちょっとした会議を開きましょう。ナディさんも、一緒に座ってください」
アインハルトのその言葉が終わるや否や、全身を鈍色の甲冑に包んだ無言の騎士とリリアンがそっと身体を寄せ合い、ナディが座る場所を作ってくれた。
ナディがそこに腰かけると、リリアンが天使のような微笑みで迎える。
「えへへ、よろしくね。ナディさん」
「ああ、よろしく、だ」
「ナディさん、そんなに照れなくっても大丈夫ですよ。ほら、見てくださいよ、あの二人なんか」
天女が纏うような羽衣に身を包んだ青色髪の女錬金術師が、アインハルトに寄り添う金髪碧眼のエルフ女剣士を指さしてみせる。
頭上を見ると、錬金術師の上には『エリア』と表示されており、金髪碧眼のエルフの頭上には、『オーディン』と表示されていた。
オーディンと表示された剣士はアインハルトの肩を撫でつけながら、しなだれかかるように身を寄せ、横顔を見つめてはじっとりとした視線を送り、とろんとした目つきでアインハルトを眺めていた。
アインハルトの方も満更でもないような様子でオーディンの髪を撫でつけ、柔らかく微笑み返している。
「良いよねー、あーいう若い二人の青春もさ。あたしはもっと渋いおじさんとかが好みだけどさー、……ナディさんみたいな」
「私の本体は、あなたが望むような見た目をしていないぞ」
「いや分かってるけどー。つーかあたしだって、こんな端正な顔立ちもしてないし、胸だってこんなロケットしてないし、むしろペチャだし。てゆーか、別に口説いたわけじゃないしィー!」
キャハキャハと騒がしく笑い、バシバシとナディの背中を叩く。
痛覚などを感じることは無いが、叩かれている、という感覚は生じるらしい。
生身の肉体を持たぬナディとしては、この感覚は新鮮だ。
気が付けば、無言の甲冑騎士が集団から孤立している。
ナディは、あれもNPCだったかと一瞬戸惑ったが。
名前:シーザー。
職業:剣士。サブ職業:無し。
種族:人間。
性別:男。
と、NPCの目にデータが映り込んだ。
一応プレイヤーキャラらしい。
「さあ、第一回イモータル会議、始めますよ!」
アインハルトがパンパンと手を叩き、辺りに腰を下ろすアバターたちが拍手で自身の同意を示してみせた。
ナディは最初こそキョロキョロ周りを見渡していたが、世話焼きなエリアに両腕を掴まれ、同じように手のひらを打たせられた。
エリアは健康的な褐色肌を多く露出する、女性的な起伏が激しくスタイルの良いアバターだ。
現実の肉体は色白で、痩せてはいるが胸も無いというのは本人の談。
一昔前に流行った日焼けアイドルを参考にキャラメイクしたのだとか、マイルームで防具を脱ぐと日焼け跡が結構色っぽいのだとか、ナディとしてはとくに興味の無い話を、マシンガンのように喋り続けていた。
「さて、一応二人か三人以上で一組を作り、突然の奇襲に備えようと思うのですが、いかがでしょう」
「良いですね、賛成です。ではアインハルトくん、私と一緒に組みましょうか」
「あっ、ズルい。私も、私もアインハルトくんと組む!」
金髪碧眼のオーディンはもちろんのこと、さっきまでシグマと仲良く話していたはずのリリアンも、高々と手を挙げてアインハルトの元へ駆け寄る。
それを見て、シグマは渋柿を食べたような顔をして苦笑い。
「はいっ! じゃーあ、あたしナディさんと組むから!」
「…………ん」
「さっきから思ってたけど、俺忘れられてないよな?」
エリア、シーザーとともに、先ほどから全く会話に入っていなかった、巨大な盾を持った大巨漢がナディの元に寄り添い、三人、四人と綺麗に分かれた。
「気が付いたら余っちゃった!」
と思えば、さっきからリリアンに訝しげな視線を向けていたシグマが、たった一人で頭を抱えて蹲っていた。
人数制限をかけなくとも、こうして余ってしまう人間はどこにでもいるのだなと、ナディは達観したような目でシグマを見据え、
「ナディさん、その目はやめて! すごく心にくる!」
シグマのそんな悲鳴によって、一同は思わず破顔一笑。シグマの見せる大仰なリアクションも相まって感情を堪えきれず、そのまま辺りに大爆笑の渦が巻き起こった。
リリアン、アインハルト、オーディンは顔を見合わせ遠慮がちにクスクスと。
エリアはナディの背中をバシバシと叩きながら、キャハキャハとけたたましく。
そんなナディは、口元を緩めるだけでフッと。
甲冑騎士は無言のまま顔を逸らし、大巨漢は指を差してゲラゲラ。
シグマも思わず、舌を出して大笑い。
集結した皆の性格を表すように、夜空の下にて、生き残った八人の笑い声が、静かな世界へと響き渡った。