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第三十七話 『休息地点』

 ――高層迷宮二十五階層。


 まるで闖入者を祝福するかのような、力強い揺動。

 暗黒の瘴気に塗れた立方体の室内に、禍々しい雰囲気を醸し出す黒影が顔を覗かせる。

 砂煙のような噴煙に飲み込まれたその巨躯は、抗わんとするプレイヤーの生命を刈り取るためにその刃を――


「――てな展開を予想してたんだけど、何この静けさ。誰か先に来たのかしら」


 五階層に一度の割合で現れる、フィールドボスと呼ばれる魔物。ここ二十五階層へと繋がる階段を上る際、シンゲンの注意喚起が無かったことに違和感を得たのは事実だ。二十一階層から二十四階層までのMOBも数は少なかった。無論攻撃力や耐久値は、今までの比較にならない。シグマやエリアレベルの中堅プレイヤーに毛が生えたような装備をしたプレイヤーであれば、一撃で生命を奪われるであろう驚異的な攻撃力。

 ソロプレイヤーとしては最高レベルのDPSを叩きだすであろうアインハルトの斬撃一閃では滅多に落ちない、破格の耐久値。反撃も手強く、数多くのプレイヤーが生命を落とすこととなった。


 その階層を越えての、これである。安堵したと言えばその通りであるが、実際肩すかしだ。戦線が弱体化した今こそ、プレイヤーの戦意を削ぐ――高めるようなボス系統の魔物を設置するべきでは無いのか。

 警戒心を露わにしながら二丁魔銃を突き出し、颯爽と躍り込んだ自分が恥ずかしい。

 エリアは二十五階層に入り、そんなことを考えた。


「二十五階層は採取エリア兼、休息地点でもあるんだ。喩えMMOだとしても、《Immortal Life Online》はVRMMOだからね。無数に出現するMOBを斬り伏せながら進む疲労感は尋常じゃない。多分運営の配慮だと思うよ。ここでは回復剤とか遠距離武器用の調合素材も採れるし、時間制約も無いから心行くまで心身ともに休ませるといい」


 まるでここを手配したのは自分だと言うような口ぶりで、シンゲンは「くっくっ」と妙な笑いを漏らす。

 ブルジョア感溢れるその言い草にエリアも若干カチンときたが、珍しい情景が目に入り、思わずアバターの表情を驚きのものへと変えた。

 視線の先では、何故かナディまでがシンゲンを睨みつけている。「まったく、もー」などといったものでは無く、怨嗟の念が籠ったような――と言うと大仰だが、ともかく無表情が多いナディには似つかない目だ。

 シンゲンの科白に何か不機嫌になるようなことがあったかと考えを巡らせてみたが、とくに何も思いつかない。


 ナディの状況が変わるまで、エリアはこの場で待ってようと思っていた。だが気が付けば、周りのプレイヤーたちは揃ってアイテムの採取を始めていた。ギルメン同士で集まり、床に座ってまったりと団欒している者もいる。

 エリアだって銃士ガンナーなのだ。先ほどの戦いにて、弾薬はかなり使っている。

 最終階層に辿り着くまでに幾つ使うかも分からない。ここぞという状況で弾薬調合素材がきれ、取り返しのつかない状態を作ってしまうかもしれない。もしそうなったら、悔やみきれない。


 ――ナディさんには悪いけど、この階層では単独行動しよう。


 脳内で、手を合わせてペコリと頭を下げるアクション。

 エリアはくるりとその身を翻すと、まるで草むしりをするかのように薬草を引っこ抜く集団の中へと消えて行った。



 ---



 揺らぎの無い見事な正方形が敷き詰められた紺色の床を踏みしめ、エリアは採取箇所へと赴いた。

 周囲では屈み込んだアバターたちが、薬草や調合素材などをせっせと採取している。

 高層ビルの床に花卉が生えるなど老朽化も甚だしく、改修工事を行っていないのではないかと突っ込みを入れたくなるが、ぐっと我慢する。

 むしろ現実味を含めすぎて、採れるアイテムが投擲用の《石》とか売買用である《壊れた機械》であれば、逆にその不親切さに恨みの言葉を連ねるだろう。


 植物が生存するはずもないような氷山や火山にも、自然豊かな高原でも《薬草》や《解毒草》などは存在する。だからエリアも、人工的な床から植物が生えていても、とくに気にすることは無いのだった。


「ん――しょ」


 夏休みのお手伝いを思い起こす草むしりの要領で、エリアは床に生す背丈の低い花卉を引っこ抜く。床と植物が放れた刹那ポーンと音がして、『調合アイテム《麻痺消しの花卉》を入手しました』というメッセージが出現した。

 出来る限りの素材をむしりとり、所持限度を超えた素材はギルドの共有倉庫へと送り込む。

 時折内部情報を覗くと、共有倉庫内の薬草などのアイテム総数が若干増えていた。どうやら他のメンバーたちも、同じように余ったアイテムを倉庫に送っているらしい。


「よぉ、ここにいたのか」


 屈み込みながら顔だけで振り返ると、額に汗を滲ませた樋熊――シグマの姿がそこにあった。

 隣いいか? と問いかけながら、エリアの横にどっかりと腰を下ろす。むわっとした空気が漂い明らかに蒸散した汗が舞い上がったような感覚があったが、さしもの仮想現実でも汗の臭いまでは漂ってこない。

 毛むくじゃらな腕で額や鼻の汗を拭いながら、シグマは疲弊の溜まった吐息を漏らした。


「どうにも最近疲れやすくてな。エリアはそんなこと無いか?」

「元気溌剌かって言えばそうは言えないけど、あたしはそこまで疲れないかな」

「そうか――。やっぱ歳のせいなのか、十五階層を越えた辺りから歩くのも苦痛になってるんだ」


 湿気の籠った溜息を吐きだし、シグマの呼気が荒くなる。

 そういえば、エリアはシグマの戦っている姿を見ていない。エリアよりもシグマの方が後ろにいたからというのが実際の原因だが、見ていないことに違いは無い。

 もしかして今までも、MOBとの戦闘が苦痛になっていたのではないか。

 常時覚醒状態の脳に、二児の父親である年齢のシグマの肉体がついていけているのだろうか。


 シグマは文句や心内を遠慮なくぶつける人だが、自身の弱音や辛さを表に出すことは少ない。

 それが彼の個性なのか今までの社会経験からなるものなのか、未だ社会人という肩書を持ったことのないエリアには分からない。


「大丈夫ですか?」

「あー、別に肉体を酷使しているわけじゃないから平気だよ」


 ヒラヒラと毛深い手を振って見せるが、その顔には若干の脂汗が滲んでいる。ILOにて使用されている3Dモデルは万能だ、上っ面の言葉で偽りを申しても、表情までをごまかすことはできない。

 エリアは薬草を引っこ抜きながら、


「他にも、シグマさんと同じような状態に陥っている人とか、いるんでしょうか……」


 エリアとしては思わず口から出ただけの科白だったのだが、シンゲンはエリアの横顔を見やり、力なく乾いた笑いを零した。


「前の方は知らんが、後衛には結構いたぞ。ステータスとは無関係な部分で疲弊が溜まって、膝を着いた一瞬の隙に、天井から落下してきたゾンビに飲まれた奴もいた」

「それじゃ……」

「へーきだよ、俺もそこまでガタついちゃいねーし、大抵隣にオーディンかリリアンのどちらかがいるからな。――守んなきゃいけねえ奴らを頼りにしてるとか、不甲斐ないことだけどな……」


 豪傑、猛獣といった表現が的確であっただろうシグマの姿は、年老いたクマのようにやつれていた。

 目線は下を向き、顔を覆う雫の量も増加している。

 もしこれが通常のプレイ環境であれば、警告アラームとともに強制ログアウトが行われる状況だ。

 強制ログアウトは、エリアも過去に一度だけ体験したことがある。尿意を我慢したからという、非常に情けない理由だったが。


「この突入で、クリアできるといいな。そんで脱出できたら、目一杯息子たちを抱きしめてやる」

「シグマさん、それ結婚するのと同等に一番危険な死亡フラグですよ」

「ははっ……。だったらもっと重ねがけすれば問題無いさ。クリアしたら、ギルメン揃えて無事を讃え合おうぜ、VRMMOの創作物見てると、そういうイベントよくあるだろ?」


 シグマの提案に、エリアは微笑を浮かべて頷く。

 確かにその案には賛成だ。エリアも、リリアンやオーディンのリアルを見てみたいと思っている。

 それに――エリアはどうしても現実で会いたい相手がいるのだから。


「いいですね、それ。ついでにあたしもクリアできたら婚活しようかな――、言いたかないけど、あたしももうすぐアラサーだし」

「結婚は焦ってするものでも無いがな。俺だって初めて女と付き合ったのは、三十越えてからだ」

「うわー、流石にそれは遅すぎるわー」

「うるせーぇ、時代が違うんだよ。それにその相手が今の嫁さんだ、終わりよければ全て良しさ」

「しかも最後に惚気話とか、売れ残りを心配する未婚女子の前でそれは無いわー」


 脱力するように応え、エリアは解毒草を引っこ抜く。攻撃に使用できるような弾薬素材はあまり採れなかったが、まあよしとしよう。どうせ自分の攻撃など、微々たるものでしかないのだから。


「あー、自分で言っといてなんだけど、リアルで顔合わせするのは何か怖いな。学生三人にアラサーが一人と、年齢不詳が一人。そこに四十後半のおっさんが乱入とか、下手すると不審者扱いされそうだ」

「待って、()()あたしアラサーじゃないから」


 ナディが何歳かは知らないが、エリアとしては同年代の男性を所望している。二十前半の無口な男性ひと。経験は無いんだけど、ネットとかで偏った知識は持ってて、色白スレンダーな自分を女として意識してくれる。

 そんな人を、頭に思描いている。


「さて――と、シグマさん立てる? ここからの道のりはナディさんとあたしで守るから、どうしようも無く疲れるようだったら言って」


 立ち上がり、小麦色の腕を伸ばしながら嫣然と微笑む。

 シグマはその様子を疲弊した目で見ていたが、フッと笑い、広げた手を毛深い手で包み込んだ。


「任せたよ、エリア」

「任されました! あ、あと今さりげなくあたしの胸見たの分かってるからね」

「そんな覚え無いんだけど!?」

「知ってた。冗談だし、シグマさんは人のことそういう目で見ないもんね」

「信頼されてるのか遠まわしに釘刺されてんのかよく分かんねーんだが」


 焦燥を露わにするシグマに笑いかけ、エリアは手を取って歩き出す。

 多分そろそろ他のプレイヤーたちも先へ進もうと言い出す頃合いだろう。

 このままずっとここにいても、何も解決しないんだし。


 重い巨体を引きずるように歩くシグマの手を握りながら、エリアは二十六階層へと繋がる階段へと足を向ける。

 階段の前には既に行列ができており、丁度良かったのかななんて考えながら何気なく振り返ると――。


「……楽しそう、だな」


 無表情でエリアとシグマを交互に見やる、堅実な弓兵ナディの姿がそこにあった。



「あ――――、ナディ……さん?」

「先に言っておくが、嫉妬などではない」


 いや嫉妬でしょ、と突っ込みたかったがエリアはぐっとこらえる。何というか――あれだ、ソフトな風味のヤンデレか何かに好かれた主人公的な立場。

 身の危険は覚えないけど、妙にピリピリした空気を感じる。


 このまま何が起こるのか、とエリアの素肌が粟立つ。

 感情の灯っていないような目を前に向けたままのナディはゆっくりとエリアのもとへと歩み寄り――、


「ナ、ナディさん?」

「…………」


 黙ったまま、艶めかしく顔を覗かせるエリアの肩に手を乗せた。瑞々しい素肌に他者の温度が重なり、何となくこそばゆい。

 ナディはそれ以上何かを言うことは無かったが、エリアの目からは、不機嫌そうな顔の中で、少しだけ嬉しそうな顔をしているように見えたのだった。

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