第三十六話 『オリーブ色の弾薬』
赤紫色の噴煙を噴き出した刹那、究極に甘い百合の耐久値が完全にゼロとなり、光の粒子となって霧散した。
死に間際にこのような派手な散り方をするなど、嫌悪しか感じさせない。アイテム素材による治癒が不可能である状態異常を撒き散らし、絶命する。デスペナルティの軽いILOだからこそなのだろうが、生命の代わりが存在しないデスゲームでこれをされるとなると。
「エリア……、エリア!」
「ん、ダメだよナディさん、あたしに近づいたら、ナディさんまで、感染症に、」
エリアが感染症を患ったことに気が付いた瞬間、ナディは崩れ落ちるナディのもとへ全速力で駆け寄っていた。正方形のタイルが敷き詰められた冷たい床に倒れ込んだエリアを抱きかかえ、座り込んだナディは今、胸の中にエリアを包み込んでいる。
エリアの体躯がドクンと揺れる度、体力ゲージに残された生命の刻が減少する。現在二人の傍には誰もいない。総員一定間隔をあけて、壁際に寄りかかっている。
事実、あれは良い選択だ。むしろ感染症を患っているアバターに駆け寄るなど、自殺行為そのものである。
エリアは自身の体力ゲージを確認し、虚ろな瞳を力なく細めた。
「……もう、ダメみたい。あたしは、ここで終わり」
肉付きの良い腕を伸ばし、ナディの頬を優しく撫でる。ナディの表情はいつも通り変化は無い。でもエリアには分かる。その表情の裏で、彼がきっとエリアの死を心から悲しんでいるだろうことを。
「ね、ナディさん。あたしのお願い、聞いてくれるかな?」
「何だ、言ってみてくれ。最期を看取って欲しいとか、抱きしめて欲しいというのであれば、遠慮なく言ってくれ」
「あー、そう言ってくれると迷いの心が露呈しちゃうけど――。そういう重苦しいんじゃないから」
ヒラヒラと手を振り、エリアは自身のアイテムバッグを指さした。
「感染症のせいなのか、身体を動かすのが気怠くて、さ。その中から、《感染症・治癒》のボトル出してくれない?」
承認を受け、ナディはエリアのアイテムバッグを漁る。オリーブ色のボトルをエリアに手渡す。そういえば前に治癒弾薬の話をしていたな――などと思いつつ。
エリアは「サンキュー」と、その弾薬を魔銃にセット。次いで自身の胸元に先端を押し付け、弾力ある胸が艶やかに形を変える。
「ジロジロ見ないの」
嬉しそうに言いながら、エリアは自害でもするかのように弾薬を自身の胸へと発射。刹那的にエリアの体躯はドクンと搖動したが、とくにそれ以上の危害が加えられた様子も無く、
「回復完了っと! あーもー、武器が二丁魔銃で本当に良かった! それか、もしボトルを持ち歩いてなかったら、今頃あたし、ナディさんを道連れにして死んじゃってたよ」
エリアは笑いながらナディの鼻先を魔銃の先端で突っつく。してやられたような、妙な気持ちになりながらも、元気そうなエリアを見てナディは顔を綻ばせる。
ゲームバランスを崩すような状態異常と聞いていたが、対処法があればそこまでの脅威では無い。
そんなことを考えながらエリアからのじゃれあいにくすぐったさを感じていると、突如エリアは口元を緩め、魔銃の引き金をひいた。
「えいっ」
「――ぎゃ、ぶ、ふぉ!?」
オリーブ色の煙が鼻先に舞い、ナディは思わず咳き込んだ。間違っても思いを寄せる相手には聞かれたくない声を発してしまったことも重大だが、それよりも。
「きゃはっ。ナディさんったら、感染症に感染した人とこんなに密着しちゃってー。今はまだ何とも無かったけど、ナディさんまで感染症に伝染しちゃうぞ」
「な、何ともなかったのなら――」
「予防予防、害は無いから大丈夫だってー。さっきさりげなくあたしの胸見たお返しー」
クルクルと人差し指で魔銃を回し、花のような笑顔を見せる。無邪気な笑みを見て、ナディは「やれやれ」と肩を竦めた。
「エリアさん、これ使ってください」
エリアと共に皆のもとへと戻ると、リリアンが共有倉庫から回復剤を取り出してエリアに手渡した。エリアはそれを「ありがと」と受け取って、口を付けて喉を鳴らす。
「もーぅ、心配したんですよ。いくらエリアさんが心配だからって、感染症にかかった人に駆け寄るなんて」
「心配かけてすまないな」
「まーぁ、私的にはそういうの全然オッケーですけどねー」
紫色の髪を煙らせ、リリアンは頬に手をやる。死にかけた恋人のために決死の覚悟を見せる男の子――悪くないな。そんなことを考えていた。
「――ぷは、ありがと、一応全回復できたみたい」
空になったボトルは中空で消滅し、エリアは「ふぅ」と艶めかしい吐息を漏らす。
流石にエリアも疲れているようだ。
それを察したナディは、エリアを元気づけようといつもの通り手を握ってやろうと手を伸ばしたのだが。
「わ! 見て見て、素材以外のドロップアイテム、全部弾薬用の調合素材じゃん! ラッキー」
手が到達するより先に、バザーで掘り出し物を見つけたかの勢いとテンションで、エリアはドロップアイテムが散乱する場所へと飛び込んでいった。
その背中を眺め、行き場の無くなった手を遊ばせてから元の位置に戻す。隣でリリアンが意味ありげに微笑んでいるのが分かったが、ナディはとくに気にしないでおいた。
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「普段はこの辺りで戻ってしまうんだけど――今回は、案外いけるかもしれないな」
二十一階層とを繋ぐ階段に足をかけながら、シンゲンは独り言のように呟いた。今回の魔物――《究極に甘い百合》も強大な敵だったが、彼女が名を連ねるトップギルド《いせかい☆くるせいだーす》からは犠牲者が出ていない。
ナディやエリアが所属するギルドからも、高層迷宮内では犠牲者が出ていないため、大したことのない功績にも見えるが、そんなことはない。
事実犠牲者が全く存在しないギルドなど、辺りを見渡しても三つか四つある程度だ。無論中には人数ギリギリまで抱え込んだギルドから二人か三人で組んだ小さなギルドまで、その種類は多々あるため、犠牲者がいないイコール強いギルドであるというわけではない。
「……いつもは、この辺りで戻っているのか」
「ん? ああ、そうだよ。――ってか、ナディさんっていったっけ? 独り言をわざわざ拾ってくれたことに関しては追及しないけど、君どこから話しかけているんだい?」
「――? 階段のすぐ下だが」
顔くらい見せて話そうよ――とシンゲンは思ったが口には出さない。そもそも自分が独り言を口に出したのが原因なのだ。頭の中で話すだけなら、こうやって口を挟まれることも無かった。
二十一階層の廊下に辿り着き、シンゲンは安堵の溜息を漏らす。十五階層以降凄まじい勢いで仲間たちが倒され、二十階層に向かうより先に諦めたことが何度あったことか。
その時と比べると、今回の生存者数は十分すぎる。偶然なのか、もしくは今までに無かった何かしらの因子が存在するのか、さしものシンゲンにも分からない。
だが今回はいけるかもしれない、という期待はあった。二十階層を切り抜けるためだけの遠距離プレイヤーがあれだけ残っている。近接プレイヤーはそれ以上だ。無論回復プレイヤーも無事生存している。
「出来るだけ、被害は少なく抑えたいものだ……」
そう呟いてから、シンゲンははたと口を塞いだが。シンゲンは二十一階層の床に足を着いているが、ナディはまだ階段を上っている最中だ。呟きに食いつかれることも無く、シンゲンの独り言は誰からも突っ込まれることが無かった。
この階層から出るMOBはどのようなものだったかな、などと考えながら、シンゲンは真っ黒な肢体を揺らめかせ、消失点を見せる直線的かつ長ったらしい廊下を歩んでいった。
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「よー、ぅ」
「あれ、シグマさん。どしたの、こんなところで」
疲れ切った表情を見せる獣人格闘者シグマは、エリアとナディのもとへと歩み寄り、毛深い後頭部を照れくさそうにわしわしと掻いた。
エリアやナディが歩を進める場所は、近接プレイヤーたちに囲まれた安全地帯だ。遠距離から補助弾薬を撃ったり、天井などの近接武器では届かない箇所のMOBを打倒するのが彼らの役目であり、MOBからの攻撃は受けにくい場所だ。故に完全近接プレイヤーである獣人格闘者シグマがこの場にいるというのは、些か妙である。
「グラップラーがこんな後ろに来て何するんだって話だが、自分の体力管理もできないやつが、他の奴を守るだなんて偉そうなこと言えないからな」
重い溜息をつき、シグマは力なく笑みを浮かべる。シグマのアバターに物理的な擦過傷や裂傷は存在しない。だがILOでは回復剤などを服用することで、身体についた傷や怪我をも治癒させる効能がある。故に回復が完了してしまえば、其の者がどれだけのダメージを負っていたのか、第三者からは分からないのだが。
シグマという人はナディやエリアから見ても、かなり無鉄砲に突っ走るプレイヤーだと思っていた。だから彼がこうも自身の安全を重視しようとすることに、一種の不安を感じていた。彼がこうまで怯えるほどの傷を、どこかで負ったのだろうか。
「――どうした二人とも、そんなに怖い顔して」
当の本人は冗談めかして笑ってみせるが、やはりその顔に自信や余裕は感じさせない。
不器用で、考えなしに突っ走る人間だが、やはり心の中ではエリアと同じく他人を心配させたくないという思いがあるのだろう。
ナディのその考えを察したのか、シグマはその獣的な瞳を細めた。
「心配ねーよ。俺が戦う時はいつだって隣にリリアンがいる。滅多な事じゃあ死んだりはしない」
「そのリリアンは、今どこに……?」
「ん? ああ、――アインハルトとベタベタしてるタンカー騎士に後れをとってたまるかーっ! とか言って、前の方に……いる」
虚勢と現実に矛盾が生じたことに気が付き、シグマは顔を逸らす。その反応を見て、ナディは何となく居心地の悪いものを感じる。なんかこう、「ヤバい」とかそういった言葉で表現したい心情だ。
「失言、だったか」
「いやいや、ナディさんは何も悪くない。――とにかく、俺は大丈夫だ。心配ない」
ニッと歯を見せて力強いサムズアップ。その姿を見ていると、本当に大丈夫であるような気がするのだから不思議だ。
現れるMOBを打倒する様を遠目に見ながら、シグマは遠い目をする。己の獲物を存分に使用して立ちはだかる魔物を討伐する――それがこの空間で自分があるべき姿なんだろうがな。
「そういえば、俺はさっきまで後ろの方で戦ってたが――二人は今までの階層をどうやって時間潰してきたんだ?」
「世間話よ」
「世間話だな」
機械のように抑揚の無い声音で真っ直ぐに告げられた。何となく気が付いていたことだったが、それを直接告げられるとやはりくるものがある。もちろんMMOの楽しみ方は人それぞれだと思うし、それをどうこう言えるような場合では無いことも重々承知している。だがシグマもトッププレイヤーの端くれだ。
「じゃあまさか、俺も今から――」
「不意打ちにだけ注意しながらの、隠居生活の始まりですよ」
エリアの放った死刑宣告に、シグマは屈み込み、頭を抱えた。




