第三十一話 『黒い歴史』
十一階層からは、やはり魔物のステータスは格段に上がった。黴や菌のようにわらわらと繁殖するMOB。それらの一撃だけで、数多のプレイヤーが瀕死の状態へと叩きのめされる。
十二階層まで到達するまでに、回復が間に合わなかったプレイヤー数人が死亡した。中には突入前にシンゲンたちとひと悶着を起こした、かりあげ筋肉エルフやモヒカン筋肉エルフの姿もあった。実にあっけない死である。出現した魔物を打倒しようと踏み出して魔物と交錯。筋肉エルフのもつ近接武器が触れるより先に、魔物のもつ鉤爪がエルフの脇腹に到達。そこでゴッソリ体力を削られ、そのまま流れ作業で二発目のひっかき攻撃。狼狽した筋肉エルフにそれを防ぎきるだけの精神力は無く、気が付けば死んでいた。同じような死を迎えたプレイヤーは、何人もいる。
十三階層へ向かう頃になれば、警戒心が高まり、死亡者は目に見えて減少していった。
しかしそれで、全ての不注意や事故死が抹消されることはない。
味方を庇って爪の餌食になった者。傷ついた戦闘職プレイヤーを回復しようと背中を向けた際に、背後から切り裂かれた回復職のプレイヤー。先陣をきって突っ走っている途中で、不意打ちを食らった者。
――精神疲労のためもあってか、思わぬところでその生命を奪われていった。
「アインハルトくん、大丈夫ですか?」
「おかげさまで大丈夫ですよ。レミリスさんは平気ですか?」
MOBからの攻撃をレミリスに守られながら、アインハルトは片手を挙げて無事を表示。レミリスはホッとした様子で、とろ甘な微笑。妖艶に指なんか舐めようと口元までやり、フルフェイスアーマーだったことに気が付き、カチャリと音をたててシュンとする。
その様子を眺めながら、リリアンの手に力がこもる。仮想現実世界ではありえないことだが、力の込め方がミリオンロッドをへし折る勢いだ。
現在オーディンは遥か彼方、後方にいる。シグマの傍でMOBを蹴散らしているのだ。軽量なミスティックブレードで乱舞するか、重量あるクォーツソードで重い一撃を叩き落とす。オーディンの戦術なら、MOB掃討に苦労は無いだろう。きっと後ろの方で頼れる女騎士様として活躍しているはずだ。
オーディンが後ろで手が離せない。そんな状況で、黙って時間を無駄にするようなことは絶対に避けたい。リリアンだって年頃の女の子で、アインハルトに少なからず――むしろ結構な好意を抱いているのだ。それを近衛騎士よろしくアインハルトにベッタリなオーディンにことごとく邪魔され、ここ最近不満が募っていた。
そして今がチャンス! と乗り込んでみれば、何ということでしょう。アインハルトはガチガチフルプレートの騎士様と楽しそうに談笑しているではありませんか。
温厚なリリアンも、その光景を目にしては平常心を保ってなどいられない。リリアンはヒロインになりたいのだ。健気に慎ましく、格好いい主人公を傍で見守るベッタリヒロインを目指している。
学生とは言えど、リリアンだって中堅プレイヤーの一人だ。もしかするとトッププレイヤーと呼ばれてもいい頃合いかもしれないがさておき、リリアンもVRMMOをこよなく愛する一人のプレイヤーだ。VRゲームの開発とともに復刻された古い書籍も、何冊も読んだ。面白かった。とくにリリアンは、主人公が反則級に強い作品を好む。妄想癖のあるリリアンにとって、書籍に出てくるヒロインは全て自分だ。ハッピーエンドが確約されている、第二の主人公。そういったものに憧れていたのに!
『なんで、なんでこんなコメディーキャラっぽい立ち位置にいるわけ!?』
悲痛の叫び。しかし大人しく大それたことのできない淑女リリアンは、そんな心の絶叫を舌に乗せて外界へとさらけ出すようなはしたない真似はしない。閉鎖的な空間に閉じ込められたために蓄積された鬱憤は、全て手元のメモ帳に書き込んである。
それを時折削除するのが、リリアン流ストレス発散方法だ。
意外と健康的で、精神面は健やかなほうである。
「はぁ……。つまんないの」
ふんわりと煙る紫色の髪を長し、リリアンは踵を帰した。人の波とは逆方向に歩を進め、辺りを見渡す。そんなリリアンを見て優しい声をかけてくれるプレイヤー幾人かとはすれ違ったが、今はそんな慰めの言葉はいらない。
「エリアさん、ナディさん」
現在のリリアンにとって、エリアとナディの二人はまさに理想の関係だ。人一倍自分の想いを告げようとするのに、照れちゃってからまわり。ナディはナディで鈍感の朴念仁なのに、ここぞと言うところで欲しい科白をかける。じれじれの恋とまではいかないが、うんざりするようなベタベタカップルでもない。
「お二人はどうやって、そんなに仲良くなったんですか?」
「――な、仲良く!? べ、別にあたしとナディさんは普通に一緒にいるだけよ!」
見ている方が恥ずかしくなるほどの慌てぶり。リリアンはチラとナディの顔を盗み見るが、至って変わらぬ無表情だ。普通隣にこれほど分かり易い人がいれば、思わずニヤけてしまいそうなものなのに。
「どうした? 私の顔を、さっきからチラチラと窺っているようだが」
「ばーれーてーたーっ!」
「え!? リリアンちゃん、ナディさんの顔、見てたの? ――だって、リリアンちゃんはアインハルトくんを――」
「パニくって口滑らすのはやめてください!」
何の騒ぎだと周囲のプレイヤーがこちらを見た。しかしそんな視線もすぐに剥がされる。辺りでは現在進行形でMOBが出現しているのだ。そんな状況でよそ見をしていては、自分たちの生命が危ない。
リリアン含めナディたちがこうして無駄話に時間を割くことができるのは、彼女たちの職業がMOB相手の戦闘向きではないからである。回復職であるリリアンやエリアは、時偶傷ついたプレイヤーに治癒魔法を施したり、回復弾をぶっ放したりするのだが、ナディに関してはそれすらない。さしものILOでも、これほど強いMOBが天井から降り注ぐような鬼畜仕様はない。故に三人は近接プレイヤーに囲まれ、実質周囲を守られているような状態になっているのだ。
「アインハルトくんも戦闘職だし、傍にいてあげたらいいのに。男の子って結構、依存されたり頼りにされるのに弱いから」
「なるほど。エリアさんが言うと、すっごく信頼性がありますね」
現在進行形で腕を絡めているエリアの言葉は、リリアンの身に深く沁みる。オーディンだっていつもアインハルトとベッタリで、彼もそれを悪くは思っていない。
しかし、
「でも今アインハルトくん、騎士さんと一緒にいるみたいで」
「騎士って――。《いせかい☆くるせいだーす》のタンカー騎士?」
エリアの疑問にリリアンは首肯。レミリスとか言ったか。手の甲を顎に当てたりしている、挙動不審な人だった。
確かに、主人公が年上のお姉さんに想いを揺らしてヒロインをほっぽってしまうというのも、そういった作品の定石かもしれない。
でもアインハルトは、普段からオーディンというクーデレお姉さんとベッタリだ。たまの手待ち時間まで年上さんをはべらすとか、流石にそれは耐えられない。
「そっか――。リリアンちゃん、その騎士さんに嫉妬してるんだ」
「そんな汚れた感情は持ってません!」
嫉妬という言葉を聞いて、真っ先に七つの大罪が頭に浮かんでしまったのは内緒だ。やはり年頃のゲーム好き女子。そういったサブカル的な響きは大好きである。
オーパーツとかを真剣に考察し、一冊のノートに書き記したのは、今では相当な黒歴史である。抹消したい。
と、そこまで考えたところで。
リリアンは一つ重大なことを思い出した。
「あの、お二人は何か、人に見られては困るものとかを、お部屋とかにそのまま放置してますか?」
「あたしは一人暮らしだし――、とくに無いけど」
「私も無い。所有物は少ないからな」
物を持たない生活ってやつかな、とリリアンは思う。いや、今はそれは重要ではない。
「も、もしかしてリリアンちゃん……」
「はぅぅぅん……。ふぁぁぁぁぁ……!」
頭を抱えて蹲り、妙な声を漏らしながら体躯を揺らす。リリアンの部屋には、もちろん鍵がかかっている。中高生の部屋に鍵――などと思われるかも知れないが、乙女の部屋というのはそう易々と入られては困る場所なのだ。見られたくないものだって、いっぱいある。
しかし今リリアンの部屋に鍵はかかっているだろうか。答えは否だ。確実にノーと言える。ノーと言える日本人だからとか、そういったくだらない理由などではない。
現在リリアンは、こうしてILOの世界で意識を保っている。閉じ込められてから、もう一ヶ月近く経っているのに。アンドロイドに電話をかけて、閉じ込められた旨は内線専用の留守電に入れた。きっと両親はそれを聞いて、鍵を壊しただろう。
いや、壊したはずだ。でなければ、今リリアンは生身の身体が空腹を訴え続け、餓死しているはず。でもリリアンはピンピンしている。喩えアンドロイドでも、勝手に人の部屋をこじ開けることは無いだろうから、両親がリリアンの部屋に闖入したという事実は拭えないだろう。
それはつまり、リリアンの机の上に広げられた数多の私物を見られたわけで――、
「いやぁぁぁぁぁ! 絶対いや! 私のバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカぁ――――!!」
悲痛の叫び声を上げ、リリアンはぶんぶんと首を左右に振ってみせる。
リリアンの机に積まれた私物。彼女の趣味をこれでもかと捉えた趣旨のラノベや、知り合いのお姉さんに頼んでこっそり買ってもらった同人誌。はたまた思春期まっしぐらな妄想が詰め込まれたノートに、自作のイラストetc。
引き出しの奥を漁れば、過去に想いを寄せていた男子生徒の写真(しかもその人の部分だけ切り取ったやつ)なども姿を現すかもしれない。我が娘はもう戻って来ないのだ……。とか勝手に言って、遺品とか言って、人の私物を漁っているかもしれない。
極めつけは、背伸びした友人たちとパシャパシャやった自撮り写真だろうか。あのテンションに流されて写した変顔は、乙女として実親に見せられるような代物ではない。
「――あー! あああ――――!! あぁぁぁぁ――――――!!!」
「ま……、まあっ。ほら、学生って、そんなもんだよ? あたしだって中学生とか高校生の頃、勝手に部屋掃除された経験あるし! ね、ナディさん? ナディさんだって男の子だったんだから、そういう経験あるんじゃない?」
ナディの部屋――は、いつもルリィが丁寧に掃除をしている。開けてはいけない場所や、掃除をしてはならない箇所をルリィは知っているので、サンシローのいない間に、彼の秘密を暴かれることはない。無論ナディも同様だ。そもそもナディは生まれてこのかた、守秘感情というものを持ったことがない。言いたくないことは時折生じたが、特別隠し立てしたいことはない。もちろん見られて困る私物など存在しない。無敵だ。
「私には、そういった体験は無いが……」
「ナディさ――――ん!!」
空気読め、とでも言うようにエリアに叫ばれたが、ナディにはどうすることもできない。ナディはサンシローの私物であり、精密機器だ。何かあれば勝手に記憶媒体を除かれるし、それを社内全体に流されることもある。ナディにとって、プライバシーという言葉は何よりも理解しがたいものなのだ。
「……てかさ、リリアンちゃんはともかく、アインハルトくんとかはもっと大変なんじゃないの?」
ふと気が付いたように、エリアはいじわるく瞳を細めた。
前々から思っていたが、エリアは話を逸らしたり差し替えたりするのが無駄に上手い。
ナディが視線を泳がせると、リリアンの表情が若干揺らめいていた。思案げな顔だ。思春期女子が抱く思春期男子の感想。有り体に言えば、異性への関心が爆裂している獣だろうか。バカやってる弟、という解釈もできるかもしれない。
学生時代、異性が互いにどのようなことを考えているのかと疑問に思うことは多々あるだろう。だがナディは学生時代を経験したことがないので、とくに何も思わなかった。
「そっか、そっか。そうだよね。アインハルトくんだって、男の子だもん。私よりも、もっと見られたくないものとか抱え込んでるよね」
「そうそう。同級生の女の子には口が裂けても言えないようなものとか、大量にあると思うよ」
落ち込んでいたリリアンの表情が、柔らかなものへと変わり始めた。
若干一名、いない場所で様々な疑惑を被せられた少年がいるが、ともかく。
「アインハルトくんには悪いけど、リリアンちゃん元気取り戻せて良かったね」
「良かったのか、私には計り知れんな」
「ねえナディさん。本当にナディさんは、学生時代お母さんとかによからぬ私物を発掘されたこととか、無いの?」
言葉尻は疑問系だったが、エリアの表情は期待感に満ち溢れている。他人の恥ずかしい過去を聴くのは楽しいことだと、ナディも聞いたことはあったが。
「無いな」
「……そうか、ナディさんは物を隠すのが上手いんだ」
とんちんかんな結末に辿り着かれ、ナディは思わず苦笑い。どうやらエリアの中では、男の子イコール隠さなければならない私物があるもの、という方程式が出来上がっているらしい。ナディ本人はどうでなくとも、サンシローが時折開いているフォルダの中身を知っていれば、エリアの科白を全面否定することはできない。
発言が正鵠を射ているのが、これまた憎い。
「でも、浮気は隠したからっていいものじゃないんだからね」
「ああ――。突然何の話だ?」
不意に変わった話題に、思わずナディは目をしろくろさせる。人工知能であるナディの処理速度が追いつかない。パニックとまではいかないが、若干アバターの動きが停止して――――動き出した。
「ナディさん、大丈夫? 何か今、首がぐいーんって動いたけど」
「問題ない。ただ少し、理解と反応が遅れただけだ」
処理に手間がかかり、顔の向きを変えるのに時間がかかった。エリアはきょとんとした顔でナディを見つめている。
その視線を感じて、ナディは頬の辺りが熱くなるのを感じた。次いで頬が薄い桜色に染まり、ボンと音がしてつむじから真っ白な煙が上がった。
「えと、ナディさん?」
「……違う。そんなんじゃない」
照れたのだ。エリアの目の前で、処理落ちしてカクカク動きを行ってしまうという醜態を晒したと言う事実に、ナディの中で妙な感覚が芽生えていた。
実際ナディのアバターが起こしたアクションは、強烈な羞恥を感じた時に生じるものだ。第三者として眺める分には微笑ましいものだが、自分で体験すると非常に居心地が悪い。エリアの視線が少し上を向き、可愛らしく口を開いているという事実が、さらにそこへと拍車を掛ける。
ほんのりと染まった頬を掻きながら、エリアはさっと目を逸らした。
「ナディさんったら……。あたしが“浮気”とか、言ったから」
そのまま両手で頬を包み込み、ほわーんとした顔でクルクルと回る。ナディが照れた要因をエリアは勘違いしているのだが、そこに気が付いた者はいない。一部始終を耳にしていたリリアンでさえ、エリアと同様の間違いをしている。ナディはナディで、エリアとリリアンが途方も無い思い違いをしていることに気が付かない。
妙な均衡が、ここでは保たれているのだ。
「はぁー。お二人を見ていたら、何か元気が出てきました」
そう言いつつ、リリアンは天井に向かって伸びをする。ネコのように目を細め、しなやかな体躯を心地よさそうに伸ばしてみせた。
「アインハルトくんのところへ行ってきますね。騎士だかタンカーだか知りませんけど、突然現れた余所者にアインハルトくんを盗られるわけにはいかないから」
「うんうん、若いんだから、物事はポジティブに考えた方が良いに決まってるもんね」
「エリアさんも、充分若いと思いますよ」
「純真な目でそう言われると嬉しいけど、現役女子学生にそう言われても、ちょっと複雑だわ……」
しょんぼり、といった様子で眉を垂らすエリア。それを見て、リリアンはえへへと微笑み雑踏の中へ。名前を表示するアイコンが消えたところで、ふとエリアはナディを見た。
「ねー、ナディさん。あたしって、若く見える?」
「……気にするな」
ポンポンと肩を叩き、ナディは顔を背ける。
ナディとしては気を使ったつもりだったのだが、エリアはその返答を耳にして、より深く落ち込んでしまった。




