第二十四話 『高層街の弓兵』
近未来都市アーズの街並みを簡潔に表現するのであれば、高層ビルの立ち並ぶ大都会という表現が的確だろう。天を削りとる勢いで伸びる建物の全てが、進入可能な領域であり、内部にも精緻なグラフィックが敷き詰められている。
中でも空を翔ける高速道路はかなりの評判で、現実世界では車を運転することのできない幼少プレイヤーなどがよく赴く。もちろんここまで来ることができたプレイヤーという時点で、トッププレイヤーの端くれではある。
NPCショップの立ち並ぶ商店街《素材売買街》を通り抜けると、天使を象った銅像や噴水の設置された広場が存在する。弓矢を持った銅像は仮想空間内での逢瀬を行うとき、よく目印にされている。噴水の周りを歩むと一定確率で水しぶきのエフェクトともに涼やかな風が吹いたりと、プログラム一つ一つに手が込んでいるフィールドだ。
広場を抜けると、次に姿を現すのは高層街と呼ばれる休憩施設だ。ギルド毎に部屋を借りることが可能であり、安全に過ごすことができる。錬金術師などの調合・生産職をもつプレイヤーがいれば、装飾物やボードゲームなどを作成することができるよう、作成方法が記された書籍なども置かれているのだ。もし生産職をもつプレイヤーがいなくとも、ちょっとした小道具やゲームであればNPCショップでも販売している。ゲームの中で暇つぶしをする意義はと問われると疑問の残る手配だが、大方ここまでの道のりを簡単に踏破したプレイヤーたちが飽きないよう、運営が色々配慮した結果このように自由度の高いフィールドができたのだろう。
高層街の一角。チンという音とともに、薄緑色をしたエレベーターの扉がゆっくりと開く。赤茶色の無精髭を撫でる弓兵。バルドラコートをはためかせながら、蛍光灯の並ぶ広々とした廊下を、足早に歩んでいる。腰には特殊防具であるバルドラベルトを携え、その中には漆黒の艶をもつ鋭利な矢が無限に仕舞い込まれている。背中に差した弓は、《ギアドラの弓・改》と言うレア武器だ。一発一発が大気を抉り、空気に悲鳴をあげさせると比喩されるほどの、最高レベルの攻撃補正をもつ弓矢である。
黒光りする弓を揺らしながら、トッププレイヤーの風格を醸し出す弓兵はだだっ広い廊下を無言で歩み進めた。途中他のプレイヤーとすれ違う度に、彼が抱える武器へと視線が集まる。ギアドラの武器は大抵防具または近距離武器の素材に使われることが多く、大抵は全部位の素材が揃うまでアイテム倉庫に仕舞いこまれるものだ。こうして遠距離武器などに使われるなど、近未来都市アーズを闊歩するトッププレイヤーでさえも、滅多に見ない光景だ。しかも《改》など。超高性能強化素材《ギアドラの延髄》を使用しなければ、作成することもできない武器だ。
なんなんだこいつは。
行きずりのトッププレイヤーたちは、揃いも揃って同じ感想を漏らしながら弓兵の横を通り過ぎて行く。
そんな彼らの心内を知ってか否か、謎の弓兵は果てしない廊下の奥へと消えて行った。
---
「おかえり、ナディさん」
バルドラの防具に身を包んだ謎の弓兵ことナディは、高層街の一角に伸びた建物の中――ギルドルームの扉を開けた。ご丁寧に自動ドアである。
真っ先に迎え入れたリリアンはナディの身体を上から下まで舐めまわすように眺めると、トタトタと絨毯を踏みしめ、嬉しそうにソファへとダイブした。ポムンという音がして、リリアンは天使のようにまったりとした微笑みを見せながら、ソファに乗せられた柔らかいクッションを抱きしめた。
クリーム色の壁紙に、黄緑色の絨毯。緑色のソファがテーブルを囲うように並べられた、明るい色をしたワンルームだ。装飾の一環としてトイレやシャワー室なども附属しているが、使用する意味は無い。テレビも設置されており、普段は外界にて報道されているニュースがランダムで流れているのだが、現在は真っ暗なまま電源が入らない。
ベージュ色のカーテンを開けると、燃えるような夕日が空を彩っていた。視線を下に向けると、豆粒のようなプレイヤーたちが地上を歩行する姿を確認できる。こういうとき思わず口から出てしまう有名な大佐の言葉があるが、ナディは映画をあまり観ないため、とくにその言葉が口から飛び出すことは無かった。
ナディはカーテンを閉じて、もう一度部屋を見渡してみる。今部屋にいるのは、ナディの他にはリリアンしかいない。シグマとエリアは《灼熱の爪》を買い漁り、現在NPCショップで防具の耐久値やスキルを底上げしている。アインハルトはオーディンを連れて、近未来都市アーズの観光をしているらしい。ナディが帰宅するより前の話なので、その時リリアンがどういった顔で二人を見送ったかは分からない。
「リリアン」
「何ですかー?」
チェック模様のクッションを抱きしめ、ソファの上でゴロンと寝返りを打ち、勢い余って絨毯の上に落ちた。
痛かったのか。リリアンは腰の辺りをさすりながら、紫紺の瞳を揺らめかせてナディの姿を捉える。目の端に涙が浮かんでいた。
ナディはソファに腰を下ろし、リリアンのすぐ隣へ寄り添った。普通なら思わず距離を置いてしまいそうだが、リリアンはとくにそういった素振りも見せず、むしろ積極的にナディの方へと向き直り、
「何でしょうか」
再度、問いかけた。
「ん、エリアのことなのだが」
「――おお!」
改まって腰を下ろすナディに若干訝しげな視線を送っていたリリアンだったが、エリアという名前が出た途端にその表情はほんわかしたものとなる。身を乗り出し、クッションを抱きしめる力も強まった。爛々と瞳を輝かせ、ナディの眼をじっと見つめる。
「何でしょう! 私でよければ、何でも相談に乗りますよ」
「私は、エリアを手放したくない。そして、一緒にいると……何故だか解らないが、安心するんだ」
「はい、分かります!」
「……リリアンにも、そういった人がいるのではないか?」
期待に満ち溢れていたリリアンの表情が盛大に曇った。満開の向日葵が一斉にしぼんだような感覚を得て、ナディは『失言だったか?』と自らの口を塞いだ。
その仕草を見て思うことがあったのか、リリアンは「はぁ」と溜息をつき、
「エリアさんの気持ちには鈍感なのに、私のは気付くんですか」
「エリアに対しての気持ちが解ったから、リリアンが抱えている思いに気付いたんだ」
リリアンは両手で頬を包み込み、肘をテーブルの上に着いた。キャラメイク時にどういったプログラムを打ち込んだのか知らないが、体重のかかったリリアンの頬は、マシュマロのようにぷにっと潰される。ナディはとくに何も感じなかったが、見る人が見れば触らずにはいられないであろう柔らかさと弾力だ。ふんわりと若干幼いリリアンの顔つきとも相まって、非常に魅力的であることには違いない。
「アインハルトくんの、ことですよね」
「ああ、そうだ」
「前に、とやかく愚痴ったりしないって言ったはずですけど」
「しかしエリアが、溜め込むとよくないと、言っていた」
ナディの饒舌さが失われたことに気が付き、リリアンはナディの顔を見やった。何か言葉を選んでいるような、難しい数学とかの問題を解こうとしているときみたいな、そんな表情をしている。リリアンも数学は苦手だったが、ここではあまり関係無かった。
「ナディさんって、調子に乗っている、とか言われたことありますか? 陰で」
「――無い、な」
私はありますよ、と言い放とうとしたところで、不意にリリアンの口が閉じられた。リリアンの瞳に映ったもの。本当に辛そうな表情をしたナディの顔だ。今まで人間味を感じさせない無表情を貫いていたのに、ここ最近表情が豊かになったなとは思った。でもこんなに、こんなに辛そうな表情なんか見せなくても。
「少し、調子に乗っていたのかも、しれない」
「……え」
「心の吐露を誰かが聞くことで、誰もが幸せになれるのだと思っていた。しかしリリアンは、そうではないようだ」
リリアンはふと壁にかかった鏡を見た。そこには、ナディと比較しても劣らない程に、辛そうに顔を歪める自分の姿が映り込んでいた。
「……うそ、私」
「すまない。忘れてくれ」
ナディが顔を逸らしたことで、リリアンの感情を押しとどめていた防波堤が決壊した。ボロボロと涙がこぼれる、というわけにはならないが、目の端にじんわりと雫が浮かぶのは自分でも分かった。この状況が辛いのは事実だ。男の子がハーレムを欲して、複数の女の子に慕われたいと思うことも、まあ解らないわけではない。
リリアンだって人並みに承認欲求はあるし、小学校の頃に二人の男の子から恋
心を向けられたときなど、喩えようもない優越感を得ていた。結局両方とも手を引いてしまい、リリアンは小学生という若い時点で『二兎を追う者は一兎をも得ず』という言葉を身に染みて理解していた。だから分かってる。
言い方は悪いが、リリアンは現実世界でも結構モテる。女子からの評判はあまり良くないようだが、話しかけるとよく笑い、他人を色眼鏡や偏見の目で見ずに誰とでも仲良くできるという先天性の才能もあり、男子生徒からは割と好かれていた。中には多分、恋愛的なものもあったと思う。残念ながら大人しい子が多かったこともあって、その想いを言葉として受け止めたことは無い。そんなリリアンだ。
仮想空間で初めて、全力を尽くして自分を守ってくれた同年代の男の子を、好きになってしまっても、仕方ないよ。
オーディンとばかり一緒にいる。理由はリリアンも知っているのだ。彼女がプレイヤーキルを受けかけて、他プレイヤーにひどい恐怖心を持っているということも。オーディンがアインハルトのことを慕っていることも、知っている。
「ナディさんは、ナディさんはもし、エリアさんにもう一人、恋い焦がれる相手がいたら、どうしますか?」
「エリアに、か」
ひどい質問しているな、とリリアンは自覚している。でも最初に話を振ってきたのは、他でもないナディなのだ。自分でも逃げているのは分かるけど。これくらいのズル、許してもらおう。
「胸の奥が、痛くなるだろう。エリアに自分の気持ちに気付いて欲しく思って、寂しくなるだろう」
リリアンの気持ちを代弁するような言葉に、リリアンは「おや?」と首を傾げる。
今の質問に対する答えは、「嫌だ」とか「許さない」とか、そういった結果論や自分の感情を吐露すると思っていた。でもナディが言った内容は、そのときに感じる心の痛みであって。
「――ん、んん?」
何かしらの違和感。ナディとここまで腹を割って話したことが無かったので、今の今まで気づかなかった。だが何か、何か違う、という言葉がリリアンの中をグルグルと渦巻く。
「ナディさん。ナディさんって、もしかして――」
「たっだいまぁー! はぁー、疲れたー。――って、ちょっとリリアン、ナディさん! また二人でそんなくっつき合っちゃって! あたしも仲間に入れろーっ!」
扉が開くと同時にエリアが飛び込み、リリアンを飛び越えるようにナディの身体へダイブした。次いで乾いた笑いが聞こえて、シグマのノッシリとした足音が絨毯を擦る。
エリアの纏う羽衣も、シグマが身に着けるプロテクターのような武術着も、最大限まで強化されている。アインハルトの防具と比べれば耐久値もスキル性能も雲泥の差だが、オンバグの防具と比較するときっと二人の方が耐久値は高いだろう。
若干の心配は残る。しかし、やれるだけのことはやったのだ。それに今回は自分たちだけではない。無類のトップ集団とともに潜り、力を合わせて最上層まで行こうという計画だ。
リリアンの思案げな表情を別の意味と誤解したシグマは、彼女の隣に腰かけて穏やかな声音で言葉を紡いだ。
「心配ない。今回はアインハルト並みのプレイヤーたちと共に進むんだ。レム溶岩界域のようなことには、ならないさ」
つい娘を撫でるような感覚で手を伸ばしかけたが、シグマは悟られぬようそっと手を下ろす。守るべき相手ではなく、共に戦う戦友として対応しなければな。
赤々と燃える夕焼けが沈み、宵闇が若干の星彩とともに現れる。
様々な思いの込められたギルドルームを、ゆっくりとその闇で飲み込むかのように。




