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第二十話 『甘美な時間に幸運を』

 黒龍渓谷は、幾つかのフィールドに分かれている。防具や武器を整えるための素材集めフィールドとして扱われており、フィールド・ボスも存在しない。必要な素材をドロップする魔物を重点的に倒しながら進む、ということも可能なのだ。


 もちろん中には絶対に通らなければならないエリアも存在するため、十分に耐久値や攻撃力を上げておかないと、瞬く間に返り討ちにされる。


 黒龍渓谷の名に恥じぬ、恐怖感を煽る容姿をした龍系統の魔物が多く、その他の魔物は出現しても、大抵背後から出現するドラゴンによって、その手を明かすより先に絶命してしまう。

 所謂、破壊オブジェクトと同じような扱いである。


「あれって、さっきのフィールドにいた溶岩蜥蜴ラヴァ・リザード?」


 エリアが指さす先では、見慣れた容姿をした赤黒い蜥蜴が、濃紺色をした飛龍に襲われ、溶岩色の鱗に包まれた血肉を美味そうに啜られているという情景が広がっていた。

 表現すると異様なほど残虐的な光景に感じるが、実際は飛龍――というか翼竜がくちばしをもぐもぐさせ、ひっくり返った溶岩蜥蜴の色彩が徐々に薄まっていくだけの演出なため、特別不快感を催すことはない。


「どうやら龍の巣に迷い込んだ、という設定らしいですね。他にも色々な魔物が出てきますよ。樹木の裏とか探すと、アクセとか作るのに必要な甲虫とか蝶とかも――、ほら、見てください」


 うきうきした様子でリリアンが樹木の裏に手を伸ばすと、鮮やかな色彩をもつ蝶がヒラヒラと二、三匹舞い降りてきた。

 形状や色彩から見て、オオムラサキをモデルにしたと考えて間違いないだろう。

 素材用という理由故か、若干本物より巨大だが。


「お、大きいね」

「えへへ、髪とかにとまるとリボンみたいで可愛いですよ。エリアさんもどうですか?」

「あ、あたしは遠慮しておくわ」


 ヒラヒラと虚空を舞う蝶を瞠目しながら眺め、エリアはナディの鎧にギュッとしがみついた。

 抱きしめるような柔らかい接触では無く、腕や肩の肉を抉ろうとしているのではないかと錯覚するほどに、強い力だ。


「もしかしてエリアさん、虫、苦手ですか?」

「ち、違うけど。昔寝てる時にでっかい蛾が入ってきたのがトラウマなのよ!」


 涼やかに直立するナディを盾にしながら、エリアはオオムラサキを視界に入れないよう、彼の周りをグルグルと回っていた。

 時折気まぐれに蝶が近寄ると、「ひっ」と叫びながら頭を下げ、ナディの背中に隠れてしまう。

 ナディはそれをとくに気にすることは無かったが、その様子を傍で見守るリリアンの表情が意味ありげに綻んでいた。


 暫く蝶とエリアが格闘していると、オオムラサキは哀愁漂う背中を見せながらヒラヒラとどこかへ飛んで行ってしまった。

 あからさまにホッと胸を撫でおろすエリアを見て、リリアンはクスっと愛らしく微笑む。


「どうしますか? アインハルトくんたちのところまで行って、藍色の龍騎兵(コバルト・ドラグーン)を倒すところの見物に行きますか?」


 現在ナディたち三人とアインハルト、オーディン、シグマの三人は、別行動をとっている。

 マギア・ドラゴンの装備で固めているアインハルト曰く、藍色の龍騎兵程度ソロでも倒せる、らしく、一応の面倒見役として前線の二人を付いて行かせている。

 リリアンはリリアンで、このフィールドに初めて来た二人に安全な領域を案内したいと申し出て、今はこうしてピクニック気分で三人で渓谷を歩んでいるのだ。


 ちなみにもう一つ、リリアンには密かな狙いがあった。

 人生経験が豊富では無いリリアンにさえ丸分かりな、エリアがナディへ向ける求愛行動。きっと自分より年齢が上であろう男女の、見ているこっちが恥ずかしくなるような不器用な恋。鈍感な男性を必死におとそうとするんだけど、さりげなく躱されて、しかも夢のような口説き文句を贈られる。

 リリアンの年齢であれば「まるで漫画みたい!」と、憧れてしまうものなのだ。


 実際は二人っきりにして、陰ながら覗き見と言う名の見守りをしようと思っていたのだが、一応このフィールドは高レベルトッププレイヤーや上級中堅プレイヤーも苦戦する、超高難易度のフィールドである。

 そんなところで二人にして、万が一強い魔物が現れたりでもしたら――。恐怖である。吊り橋効果とかそんなことを言っている場合ではない。

 普段のILOならまだしも、デスゲームでそんなふざけた真似をさせるわけにはいかない。幸いリリアンのレベル帯とスキル・アビリティなら、二人を守りさらに自衛もしながら、アインハルトたちのいるエリアまで逃げることは可能だ。時間をかければ、リリアンだけでも龍一体くらいなら打倒できるかもしれない。


 でもあの二人だけでは、それは不可能だろう。

 リリアンは一応オンバグブーツのスキルの使用により、一定確率で魔法攻撃や火炎などの遠距離攻撃を封殺することができる。ついでに治癒術師の職業才能アビリティによって、身を守るスキル発動の確率を大幅に上げたり、一撃で死滅するような耐久無視などの攻撃を受けた時、体力を微量だけだが残し、留まることができる。


 普段こそ滅多に使用しないアビリティだったが、デスゲームではその二つが何よりも大切な保険となる。この時ほど、回復職のサブを持っていて良かったと思ったことはない。


「どうしよう。戻っても良いんだけど――」


 そう言いながら、エリアはチラチラとナディの顔を窺っていた。自分はこうしたいけど、他の人が嫌なら――とかいった遠慮深い行動ではない。目を見れば大体判る。表情を窺うというよりかは、さりげなさを装ってじっと顔を見つめているような視線だ。アバターは正直だから、リリアンの見解に間違いは無いと思う。


 大方オオムラサキが怖いから戻りたい、だけどロマンチックなこのフィールドで、もっと想い人と一緒にいたい、とそんな感じだろう。

 あまあまじれじれ展開が大好きなリリアンにとっては、今のこの状況、この世のどんなお菓子よりも甘ったるく感じる。VRでこんなファンタジックな恋愛事情を見れるとは、ILOやってて良かった。


「確かに、ここではあまりすることはありませんからね。武器の強化素材は《灼熱の爪》とかレア系が多いですけど、防具のステータスに磨きをかける素材もここでは採れるので、ちょっと散策してみませんか?」

「虫とか出る?」

「流石に蛾は出ませんよ。……ちょうちょは、その、結構いっぱい出ますけど」


 リリアンは心の中で溜息をつく。色鮮やかな蝶に囲まれて逢瀬とか、何よりも幻想的で素晴らしいシチュエーションだと思うのに。蛾と蝶なんて、羽があるくらいで全然似てないのに。


 こうなったら、ちょっと卑怯かもしれないけど。


「ナディさんは、ちょうちょ、お嫌いですか?」

「嫌いじゃ無い。幻想的な色彩も、透明感のある薄羽も、魅力的だ」


「ナディさん、蝶の色は何色がお好きですか?」

「青だな。青色は綺麗だ。とくに桃色の上に乗った青色から煙が出ていると、とても可愛らしい」


 真顔を崩し、ナディは若干緩んだ表情でエリアを見やる。

 リリアンも期待に満ちた瞳をキラキラと輝かせ、同じくエリアへと視線を向けたが。

 エリアは顔を赤らめることも無く、胸の前で腕を組んで拗ねたように口を尖らせていた。


「わざとでしょ、ナディさん」

「……む、すまない。可愛いと思ったのは本音だが」

「そ、ありがと」


 エリアはぷいとそっぽを向いてしまい、ナディは後頭部を掻きながら気まずそうに溜息。いつも無表情なナディが溜息など、リリアンは初めて見た。

 怒ったような背中を見て、リリアンはうーんと首を傾ける。ダメなのか。また桃色の青色乗せ、煙和えが見れるかと思ったけど、流石に怒っちゃった。



 実際エリアはナディに可愛いと言われたことで、若干頬が染まっていたのだが、背中を向けられた二人のプレイヤーが、そのことに気が付くことは無かった。



 ---



 時は数分前。場所は黒龍渓谷、龍騎兵の谷。藍色の龍騎兵含む様々な色彩をしたドラグーンや鎧を身に着けた飛龍が空を舞い、ギャーコラギャーコラと嫌に響く鳴き声を地上へと撒き散らしていた。


 世界遺産の登録申請を申し出たくなるほどに、美しく幻想的な自然環境。透き通るような湧水が滾々と溢れ、処女雪のように穢れの無い美しい白鳥が湧水にくちばしを付ける。

 水面に映る景色は、緑豊かな樹木と晴れやかな蒼穹だ。時折飛龍の影が映り、優雅に午後のひとときを楽しんでいた白鳥は、せわしなさからは程遠い慎ましやかな動作で飛び立ち、やがて緑の中へとその姿を溶け込ませる。


 そんな優雅かつ幻想的な渓谷に、三つのアバターが姿を現した。

 雄々しい風袋を揺らす黒い樋熊。魅惑的なプラチナブロンドを煙らせる碧眼のエルフ。そして、黒い疾風となって大地を駆ける一人の少年。


 少年剣士アインハルトは、鍛え抜かれた瞬発ステータスと跳躍スキルを使用し、遥か彼方天空を舞う飛龍目掛けてその身を上昇させる。

 腰にはILO最高威力と専用スキルをもつ剣、コスモソードがゆったりと納まっているが、彼は今それを使用する素振りは見せない。

 彼は代わりにどこからかM110に類似した形の狙撃銃を取り出し、天高く舞う龍騎兵の腹を狙い、容赦なく弾丸を射出した。


 狙撃銃とは言っても、バーチャル空間にて対魔物用に設定されたご都合主義な銃である。ガンマニアなどが見れば発狂するような造形に、空中にてジャンピング中でも使用できるという便利設計に、さらには一発一発コマンド入力のみで発出できると言う、形だけ狙撃銃の何でもありな遠距離武器である。


 ちなみにアインハルトは、剣士という職業の裏でサブに狙撃手スナイパーという職業をとっている。実際彼がとった理由としては、狙撃手のもつアビリティに《隠密》や《一撃クリティカル》などといった剣士にとっても優秀なものがあったことと、単にこのゲームを始めた頃のアインハルトの中二心をくすぐったから、という簡単なものである。


 一応龍騎兵の腹を狙ったのだが、そううまく全弾当たるとは思っていない。

 放たれた数発の内二発だけが龍の腹をペチペチと叩き、それを確認すると同時に、跳躍していたアインハルトの体躯が降下し始める。

 

 やはりリリアンを連れてこれば良かったな、とアインハルトは思った。


 魔法使いをメイン職業にしているリリアンであれば、天空を旋回する龍騎兵に何らかのアクションを与えることができるだろう。

 普段はそうしていた。地上からリリアンの魔法攻撃を天空へとぶっ放し、異変に気が付いた飛龍や翼竜が地上へと降り立ち、アインハルトやオーディン、シグマの三人でタコ殴りにする。そうやって戦ってきた。


 ギアドラブーツが地面を捉え、アインハルトの体躯が地上へ降り立つ。すぐさま狙撃銃を仕舞い込み、彼の本分である近距離攻撃を行うため、腰に差したコスモソードを引き抜き、片手持ちに構える。

 左腕には黒揚羽の模様が描かれたカイトシールド。バグガードが装着されている。

 ギアドラコートを翻し、アインハルトは上空から降下する目標を視界に捉えた。

 藍色の体躯を揺らし、急降下して攻撃するドラグーン。地上を駆ける龍と比べて攻撃力は高めに設定されているものの、浮遊できるためか、体力や耐久値は若干低めだ。アインハルト程の攻撃力と敏捷性があれば、スキルやアーツを使用するまでもない。


 降下時に口から放たれる火炎球をバグガードで凌ぎ、右手に持ったコスモソードを斬り上げる。モーションによる速度補正はマイナスがかかり、攻撃補正も碌にかからない攻撃方法だが、片手持ちの場合、この攻撃には硬直時間が生じない。

 斬り上げから派生した両断攻撃により、空中のドラグーンが怯み、地上へと墜落する。コスモソードの剣先が唸り、さらに斬り上げ、両断を凄まじい速度で連続して発動する。現実には起こりえないモーションだが、ILOの物理法則ではそれが可能。重力や抵抗、摩擦などでは無い、硬直時間があるか無いかで全てが決まるのだ。


 オーディンやシグマが助太刀する隙も無く、アインハルトの眼前にてドラグーンは斬撃の嵐によって息絶えた。光の粒子となって消滅した跡地に、《藍色龍騎の鎧》と《藍色龍騎の爪》が残り、討伐報酬に同じような素材アイテムがズラリと羅列される。

 普通であれば、これだけの量を集めるには数体の魔物を倒さねばならないのだが。


「幸運スキル、ちゃんと発動してる?」

「ああ、報酬画面見てみるか? 凄いことになってる」


 背後からオーディンが駆け寄り、アインハルトの肩から顔を覗き込ませる。玲瓏なプラチナブロンドがアインハルトの首筋をくすぐるが、その感触は伝わってこない。

 アバターの髪の長さでプレイヤー間に差異が出てしまうのは困るためか、髪や武具に付けたアクセサリーは、当たり判定を完全に無視してしまう。実際それで困ることは、プレイヤーであるこちらとしてはとくに無いが。


「これならすぐに、ナディさんの防具造れるかな」

「アーズに確か加工屋が幾つかあったから、その点は問題ないと思うよ。……それよりオーディン、太ももがちょっと、変なところに当たってるんだけど」

「だって、リリアンもいないし。アインハルトくんだって、嫌じゃ無いでしょ?」


「俺はいるけどな」


 背後から押し倒しそうな勢いでぐいぐいくるオーディンを引き剥がすように、後方からシグマのつまらなさそうな声が木霊し、耳朶を打った。


「いくらアバターに年齢の差が無くても、やっぱりリア年齢ってもんは滲み出ちまうものなんかな」

「シグマさんの場合、言動に子供を軽視するような色があるから、すぐに解っちゃうんじゃない?」

「ん、まあ……。俺だって、リリアンとアインハルトの年齢が近いってことくらいなら、分かるけどよ」


 図星だったのか、シグマは矛先を自分から変えた。


「アインハルトくんが学生だから、リリアンちゃんも学生なのかな」

「というか、リアルの年齢予想して何するんですか」


 このまま年齢を当てられても気まずいので、どうにかごまかした。アインハルトは確かに学生だが、だからといって仮想空間でまで子供扱いされたくないし、そもそも通常であればプライバシーに関することを聞くことはマナー違反に当たるはずだ。


 そもそも毎日のようにオーディンと密着し、異性間での接触をいうマナー違反を行っているアインハルトにとって、それをここで堂々と言い放つだけの立場は無い。


「いや、せっかく運営から警告入らないんだし、そういう話できるのは今だけかなって」

「……シグマさん、もしかしてこの状況楽しんでません?」

「人生、楽しまなきゃやってらんねえぜ」

「最初は俺のこと、『脳内お花畑』って罵倒してたのに」


 慣れって怖いな、とアインハルトは思う。最初こそ、様々な現実から逃避することに慣れていたアインハルトやオーディンは落ち着いており、逆にシグマはその状況に憤りを感じていた。初対面のナディに罵声を浴びせたりと、苛々しているという実状は目に見えて理解できた。

 しかし今のシグマに、そのような色は見えない。このままこの状況に慣れてしまえば、今は一応感じているであろう『生命を失うことへの危機感』が、徐々に薄れていってしまうのではないか。


「そういえばナディさんって、歳いくつくらいなんでしょうね」


 思考を遮るように、オーディンの呟きが耳に入った。


「気にならない?」

「そりゃもちろん」

「エリアさんなら知ってるかな?」

「いやむしろ、リリアンだったら訊き出せるんじゃないか?」

「あたしらが何だって?」


 背後から投げられた声音に思わず心臓をやられ、シグマの毛が全身に逆立つ。

 シグマの背後にて仁王立ちするのは、褐色肌の眩しい青色髪の錬金術師アルケミストエリア。その隣で困ったように微笑むリリアン、そして話題にされた張本人だと言うのに、芸術的なほどの無表情を貫く、弓兵ナディの姿が並んでいた。


「おまっ……、こそこそと聞き耳立ててたのか!?」

「ちがうわよ。エリア移動したら、シグマさんとオーディンの声が聞こえたのよ」

「黒龍渓谷はエリア毎に音声情報を遮断していますから、同じエリア内で会話している内容は、全部筒抜けなんですよ」


 眉を下げ、「えへへ」とはにかむリリアン。思わず現実リアルと勘違いしてしまいそうになるほど精緻なグラフィックだが、そういうところはやはり人の手を介した仮想空間だ。一応個人会話(チャット)を使用すれば内密な話をすることはできるが、VR空間でログを引っ張り出して虚空をタッチするのは面倒なため、メッセージ作成など残しておきたいログがある場合以外はあまり使われない。


 その上使用時には画面をタップする必要があるため、第三者の目の前で行うと、あからさまに省いていることが分かってしまう。

 一応有料アプリには、個人同士だけで会話をすることができるものもあるが、あまり普及していない。しかも自分だけでは無く相手もそのアプリを持っていなければ使用できないため、非常に不便だ。その不便さの中に、徒に他者を省かないでください、というメッセージが込められているような気もするが、さておき。


「まあそれは別に良いけど、ナディさんの防具作る素材、集まったの?」

「あと一、二体倒せば確実に作れるよ。必須素材はオーディンの《幸運》スキルのおかげで全部集まったし」


 アインハルトはそう言って立ち上がると、狙撃銃を構えて上空へと飛び上る素振りを見せたが。


「あ、アインハルトくん。私がやるから大丈夫」


 リリアンがトテトテと危なっかしげに駆け寄り、ミリオンロッドを掲げて短めの詠唱を唱える。

 刹那の間の後、ミリオンロッドから紫紺の細い光線が放たれ、上空を旋回する藍色の塊に小さな爆撃が発生した。


 途端、攻撃を感知した龍騎兵ドラグーンが顎を引き、弾丸の如く天空から降下する。それを確認してアインハルトはコスモソードを構え、臨戦態勢をとった。


 作業感は拭えない戦闘だが、アインハルトは何となく楽しかった。

 意味も無くただただ魔物を打倒するより、自分とは関係なくとも、倒した魔物の素材が誰かのためになる。その方が良い。何が良いとは説明しにくいが。アインハルトにとって、この程度の魔物を倒すことには何の苦痛も疲労も感じない。それならばこの行動が誰か他の人のためになるということを喜びとして感じることは、効率最優先であるMMOではおかしいことなのだろうか。


 人それぞれだよな。


 アインハルトはそんなことを思った。自分のように全プレイヤーの頂点に立つことを目的にしようと、エリアのように他プレイヤーのために補助をしようと、ここにはいないが、採取目的で初心者フィールドを探索していても、それは全て《Immortal Life Online》の楽しみ方だ。他人にどうこう言われる筋合いは無い。


 眼前に到達した藍色の顔面を、コスモソードの切っ先が容赦なく抉り取る。

 この行動一つ一つに意味があるというのは、嬉しいことだ。

 ドラグーンを両断しながら、アインハルトの口元は緩んでいた。



 ---



 通算三体目の藍色の龍騎兵(コバルト・ドラグーン)を打倒したところで、アインハルトはフゥと溜息をつき、コスモソードを鞘に戻した。

 オーディンの《幸運》スキルもあってか、凄まじい勢いで防具作成用の素材が集まった。


「これだけあれば、一人分の防具くらい楽々造れると思うよ」

「ありがと、アインハルトきゅん」


 甘ったるい声音を出しながら、エリアは起伏の激しい弾力ボディでアインハルトを抱きしめた。エリアにとっては、労をねぎらう単なるフレンドシップのようなものなのだが、お年頃の少年であるアインハルトにとって、この接触は大事件である。


「エリアさっ、当たってる。当たってます」

「いつもオーディンとくっついてんじゃん。仮想空間なんだし、別に減るもんじゃ無いし、今はお姉さんに甘えちゃいなさーい」


 エリアのじゃれあいに捕らえられたアインハルトを見やり、ナディは心の中に何となく妙な感覚を覚える。

 珍しくナディのアバターが眉を顰めており、半眼で口元がへの字に曲がっていた。

 ここで二人の間に割り込み、エリアを自分の方へと引き寄せることは簡単だ。ナディとエリアの仲は悪いわけでも無く(むしろ良い)、エリアに関しても今の行動は単なるお遊びであるため、ナディがこの状況に嫉妬心を抱いていると知れば、悪い気は起きない。しかしそれでいて、ナディは二人の間に割り込むことが出来なかった。少し前なら、このよく分からないモヤモヤに耐え切れず、アインハルトとエリアを引き剥がしただろうが、行動に移そうと考えを巡らせると、どうにも自分が我儘なプレイヤーに見えてしまうような気がして、足踏みしてしまう。


 ナディにとって、人の目を気にしてしまうという感覚は初めてだ。今までは自身の私利私欲(自体、感じたのは最近だが)のためなら、とくに遠慮はしなかったし、我慢したり堪えたりする場面は無かった。


「ナディさん、どうされました?」


 鈴を転がしたような声が奏でられ、ふと視線をそちらに向ける。

 紫色に煙るふんわりとした髪にオンバグの三角帽子を乗せた魔法使いリリアンが、ナディに肩を寄せてコスモスのように微笑んでいた。


「いや、何でも無い」


 ナディは顔を逸らしたが、リリアンはナディとエリアを交互に見やると、意味ありげに顔を綻ばせた。


「ちょっと、待っててくださいね」


 リリアンの言葉が終わるか否か、ポーンと軽快な機械音が頭の中に響き、目の前に薄紫色のウィンドウが開かれた。


『リリアンさんからフレンド申請が届いています。申請を承諾しますか。YES/NO』


 リリアンを見ると、普段通りの花のような微笑。とくに不信感を抱くこともないため、ナディはそのポップアップを承諾する。


 リリアンさんがフレンド登録されました。というウィンドウが出現し、数秒の後眼前から消滅する。リリアンが虚空を指先で軽快にタップすると、今度はピコーンと軽やかな音が響き、


『エリアさんに聞かれたくなければ、ここで聞きますよ?』


 と、薄紫色をしたウィンドウが眼前に出現する。

 個人会話(チャット)か、とナディは納得する。デスゲーム開始までNPCだったナディは使用したことが無いが、時折使用しているプレイヤーを傍目から見たことならあった。もちろん喩え不正改竄を摘発するプログラムだとしても、いち人工知能であるナディがその会話ログを見ることは出来ない。だがまあ、使い方は何となく解る。雑念の入りやすい環境では不評だが、一応この個人チャット、普段の会話と同じように頭の中に考えた言葉をそのまま文字にすることも出来るのだ。もちろん改行や漢字変換、送信などその他諸々の操作をするために虚空をタッチしなければならないことに違いは無いが。


『別に、大したことじゃ無い』

『エリアさんとアインハルトくんの距離が近くて、嫉妬しているんですよね?』


 嫉妬――嫉妬か。どうなのだろうな。嫉妬という言葉を客観的に理解したことは今までにもあったが、自分が体感したのは今回が初めてである。


『解らん。二人を見ていると、胸の辺りがちと苦しい』

『あー、分かりますよ、それ。オーディンとアインハルトくんが必要以上にベタベタしてると、私も胸の辺りがキュンキュン痛みますから』

『リリアンも、なのか?』

『女の嫉妬は怖いですよー。私は集団内の空気が壊れる方が嫌いなので、とやかく愚痴ったりはしませんけど』


 冗談めかして微笑み、ナディにだけ見えるようにパチコンとウィンク。


『ですから私は、秘密の会話を他の人に話したりはしませんよ。もし何か、他の人に聞かれたくないけど話したいこととかがあったら、遠慮なくどうぞ』

『その時点で、リリアンという他の人に話してしまっているようだが』

『えへへー、ナディさんからはまだ信用無いかー』


 そうは言ってみたものの、なるほど、今の会話ログが他者に見られないというのは事実らしい。もし見えていたら黙っていなさそうなエリアやシグマも、別段気にした素振りも見せずに辺りの景色を眺めている。


「それでは、行きましょうか」


 ふわっとした感触と共に、リリアンの小さな手がナディの手に重ねられた。

 温かいような柔らかいような、エリアとはまた違った触覚を感じていると。


「あー、リリアンちゃん! 手なんか繋いじゃって、ナディさんから離れろー!」


 腕をぶんぶんと振りながら、エリアはリリアンを抱きしめた。

 その様子を見て口元を緩めていると、ナディの眼前に薄紫色のウィンドウがピコンと出現した。


『ね、女性って、こんな感じなんです』


 違いないな、とナディは思った。

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