第一話 『不正改竄』
――《Immortal Life Online》。
世間では、《ILO》などと略して呼ばれている。
不死の生命。永遠の生命を授かった魔物がはびこる、緑豊かな世界観。
ILOの世界に降り立った戦士たちが、人類を襲う凶悪な魔物と対峙し、己の持つ武器やスキルを使いこなして戦う。
所謂、最近流行のバーチャルリアリティなオンラインゲーム。
一家に一台が当たり前となったフルフェイスヘルメット状のVRヘッドギア(発売当初は人造電脳仮面などと呼ばれていた)を被り、データの波が織りなす世界へと吸い込まれる。
数年前の春先――全新聞の第一面を飾ったあの快挙を覚えているだろうか。
VRゲームの開発成功とともに明かされた、人類最高の大発明。
自我を持ち、人類との会話を可能とする高性能アンドロイドの実験成功と、一般家庭への普及決定。
SF世界にしか存在しなかった科学の最先端が、ようやく現実の世界にも姿を現すこととなったのだ。
第一号機である青色に艶めく猫型アンドロイドは、全世界の老若男女に大喝采で迎えられ、日本の科学進歩を世にしらしめすこととなった。
現在ではさらに向上し、女性型、男性型はもちろんのこと。使用人をイメージして作成されたメイド型アンドロイド。古くから大人気であったメカアニメから創造された、ロボ型アンドロイドなど、ありとあらゆる形状をした物が開発されている。
様々な需要に応え、発案し、現在では各一家庭になくてはならない電化製品――家族の一員として迎えられ、個性たっぷりな容姿をしたアンドロイドが、街や屋内を闊歩している。
ナディの実家――というか実際はサンシローの自宅だが、そこにもアンドロイドは存在する。
サンシローの趣味がとことん詰め込まれた、何とも色っぽい女性型アンドロイド。
ルリィと呼ばれ、サンシローは彼女を大切に扱っている。
華やかなエプロンドレスに身を包み、サンシローの今日の予定から全ての行動を管理する、サンシローにとってまさになくてはならない存在だ。
胸元の膨らみをシリコン素材で作っていたり、口腔内の素材も外国から発注した特殊素材で賄われていたりと、別の用途としても時折使用しているらしいが、まあ余談だ。
ナディも、ルリィとは仲が良かった。
ナディに関してはルリィと違い、自我や思考回路を持ち合わせているわけではないので、コミュニケーションを通じてお互いに意思疎通を図ることはできないのだが。
ルリィとナディは同じ充電装置を介し、時折ルリィの方がナディと意思疎通を図ろうと目論んでいたようだ。
またしても余談になるが、現代では、自身のコンピュータに性別を付加するということは、日常的に行われている。
ルリィが女性なのは当然だが、実を言うとナディは男性である。
そのため二人が仲良くしていると、サンシローが嫉妬の込められた視線をナディに向けることも多々あった。
「ルリィ、ナディの調子はどうだ?」
『はい、ご主人様。ナディは最近、お疲れのようです』
「それは、彼がそう言ったのか?」
『いえ、ナディはお身体の不調などをお訴えになりません。ですが、最近のデータ転送量が、近年稀に見る膨大な量でしたので』
サンシローの大好きな女性声優の声で発せられたルリィの言葉を聞き、サンシローは顎に手を宛がい思案気な表情をみせる。
ナディのデータ転送量が増加している。それはおかしい。
最近は今までのナディの活躍によって、不正改竄データやチート素材を使用した問題は、減少の一途を辿っている。
ナディのプログラムも大切な媒体の一つだ。余計な仕事をさせて、プログラムを摩耗させるのは良くないと考え、最近ナディの情報送信頻度は、かなり抑えているはずだったのだが。
「ナディのデータ転送先を、調べることはできるか?」
『分かりました。少々お時間を有しますので、その間わたしへの接触はお控えください』
そう言うと、ルリィは瞑目してその場に座り込む。
サンシローは暫しその様子を眺めた後、自身もパソコンを開き、最近のナディが起こしている不可解な行動を分析し始めた。
ここ数日間、ナディは多くのプレイヤーの情報を取り込んでいた。
しかしそれは、何もおかしい話ではない。
ひと月ほど前に《Immortal Life Online》は、その不正改竄に関する対策の高さが認められ、とある有名雑誌にてインタビュー記事が取り上げられた。
その甲斐あって、このゲームも今まで以上に知名度が上がり、プレイヤー人口も爆発的に増加した。
そのせいもあって、ナディが取り込む新しいプレイヤーの情報が増加することは、何も不可思議な事象ではないはずなのだが。
「このキッドっていうプレイヤー、前にも取り込んでなかったか?」
《Immortal Life Online》ではプレイヤーの意思の尊重を一番に掲げているため、プレイヤーの名前が被ったりすることは多々ある。
だが名前が同じでも、種族に職業、サブ職業までもが同じというプレイヤーとは、ほとんど出会うことが無い。
もちろん皆無とは言えない。
数年前に爆発的に流行ったVRMMOでも、とある有名ネット小説の主人公を模したプレイヤーの数が、物凄い勢いで増加していたことがあった。
サンシローもまた、当時その名前を使用し、同じ装備を使ってプレイしていた一人なため、一概に人のこととは言えないのだが。
だがキッド、そんな名前でガンナーかつシーフなど、そんな有名なキャラがいただろうか。
逆は確かに多く存在する。
だが所詮ネタキャラ扱いのサブキャラクターだ。
月上の奇術師とか呼ばれるどこかの宝石泥棒がそんな名前だったような気がするが、このゲームでシーフは不遇職なため、冗談で作成するにしても大して使われない。
ついでに言うと『魔法使い』や『手品師』というサブ職業も存在するため、それを狙ってアバターを作る人々は、大抵そっちの職業を使用する傾向が強いのだ。
まあそれは置いておいて。
サンシローの指先が軽快にキーボードを叩き、本社と自宅を繋ぐ特殊回線を使って中央プログラムに保管されたデータの海を引っ張り出す。
待つこと数十秒。
全顧客データが保存されたRARファイルをコピーし、二百二十七桁の複雑なパスワードを打ち込み、解凍。
ルリィに任せればこれも全て一瞬で終わるのだが、そうもいかない。
だがサンシローのもつパソコンのスペックも中々のもので、莫大なデータ量を詰め込まれたファイルは、ものの数分間で解凍された。
「ここから同じデータを探すのは骨だな」
『ご主人様、ナディの通信先が特定できました』
ルリィと繋がれたコンピュータに、何やら妙な映像が流れ始めた。
サンシローはとりあえずそれを無視し、先ほど彼が解凍したファイルから被っている顧客情報が無いかどうかをルリィに調べるよう命令する。
次いでサンシローは、ルリィが特定した通信先を調べようと、インターネットブラウザを開き、検索サイトをクリックした。
アマセ・コーポレーション中央管理室。
そこで一人の男性――アマセ・サンシローが、机に突っ伏しながら頭を抱えていた。
流石大手ゲーム会社の中央管理室と言うべきか、素人には使用目的の分からない機材が無数に並べられ、膨大な量の画面が壁中に設置されていた。
普段は様々な情報や状況を映し、色彩豊かなゲーム画面を上映するそれらの機材は、真っ暗な闇夜を映し込んだまま、ピクリとも動かない。
砂嵐さえ映さず、電源を消したテレビ画面のように黒く、頭を抱えるサンシローの姿を、鏡のように反射していた。
「嘘だろ、そんなバカな。あんなに、あれほどまでに不正改竄に対してセキュリティを万全にしてきたというのに!」
ガンと机を殴り、その音を聞きつけたメカ型アンドロイドのゾンデが、サンシローのもとへと駆け寄ってくる。
『アマセ社長、どうなさいました』
「どうもこうもねえ、《Immortal Life Online》の全データから操作媒体も管理プログラムも全て、どこかの野郎にハックされやがった」
サンシローは頭を掻き毟り、鬱蒼と茂った堅牢な黒髪をわしわしと引っ掻く。
失態だった。
ゲーム内の不正改竄に関してあそこまで念入りに対策していたと言うのに、まさか外部からの不正闖入に関して何のセキュリティも反応しないなんて。
実際は外部からの不正対策ソフトも、アマセ・コーポレーションでは用意されており、毎月のようにバージョンアップさせていた。
次のバージョンアップ日は、ちょうど三日後だ。
ソフトの発注元に問い合わせたところ、三日後のバージョンアップでは今回使用されたウィルスに対しても、弾き返すプログラムを入れていたのだとか。
ようは、狙われたのだ。
何者がどういった目的で《Immortal Life Online》を乗っ取ろうとしたのか、サンシローには分からなかったが、このタイミング、この規模から察するに、確実に自分のとこを狙って、念入りにハッキング時期を考察していたのだろう。
「ゾンデ。プレイヤー達がどのような状況に陥っているか、解析できるか?」
『申し訳ございません。わたくしのスペックでは、この膨大な量のデータを読み込むことはとても』
ルリィなら、とサンシローの頭を過った。
だが危険だ。ルリィなら確かに、これだけの量のデータを読み込み、サンシローの自宅にあるパソコンに情報を流すことができるだろう。
だがもし、ルリィの身に何かあったらと思うと、サンシローは、その決断を口にすることができない。
喩え膨大な量の顧客の生命がかかっているとしても、自分の家族を危険に晒すなど、そこまでの覚悟をサンシローは持ち合わせていない。
否、もし安全が保障されるのであれば。ルリィを使用して、内部との通信を錯誤しようとは考えることができる。
だがそれは、安全が保障されるなら、という前提あってのことだ。
ルリィまで破壊されたら、この状況を救うことのできそうなアンドロイドやコンピュータはこの場に存在しない。
現に、中央コンピュータが丸々乗っ取られているのだ。
この社内にあるコンピュータでは、ハッキングされたそれらを全て修復するなど、確実に不可能だ。
どうするか、とサンシローは唇を舐めて湿らせる。
ルリィと同等のスペックをもったアンドロイドを購入し、早急にこの場を取りまとめるか。
サンシローの脆い決意が固まり、製造元へ連絡をしようと電話に手を伸ばした刹那。軽やかな電子音が鳴り響き、今まさに手に取ろうとしていた電話が着信を告げた。
「誰だ。こんな時に」
悪戯電話か、それとも他社からの取引停止の連絡か。
苛つきながら電話をとり、あからさまに不機嫌な声音で対応する。
第一声が嫌悪溢れる言葉だったら、そのまま切ってしまおうという迫力で。
『どうも、アマセ・サンシローさんですか?』
「ああ、そうだが」
サンシローにとって、聞き覚えの無い声。
くぐもったような声音なため、ひどく聞き取りにくい。
『ナディです。この電話回線を、ルリィと繋いでいただけませんか?』
「ああ!? どこのナディだ。しかもうちのルリィに繋げだと? ふざけんな」
悪戯か、とサンシローは電話を耳から離す。
電話の対応としては最悪の分類に入るが、今まで難なく成功を収めてきたサンシローにとって、こうした電話の対応には実を言うと慣れていない。
血が昇った頭を掻き毟り、受話器を叩きつけんと振り上げたところで、
『ナディ・パープル・キャッツです。現在私は、《Immortal Life Online》の深淵迷宮街にて、辺りを解析中です』
振り下ろしかけた腕を押し止め、サンシローは受話器を耳元へ戻した。
「ナディ、ナディなのか?」
『はい、ナディ・パープル・キャッツです。「ここは危険だぜ、回復剤を忘れるなよ」のナディです』
サンシローはあまりの驚きに、受話器を落としかける。
ナディ――の名は、社内でも知っている人々は大勢いる。だがナディ・パープル・キャッツの名は、サンシロー以外知るはずの無い名称だ。
NPCだから、という理由で何となく付けた名前だが、サンシローも何となく気に入っていたので、自宅のみではナディのことを時折フルネームで呼んでいた。
逆に外出先では、その名を口にしたことは一度たりともない。
その名を知っているということは、この電話をかけている相手は、まごうことなくアマセ家のナディであって。
『ルリィを、ルリィをお願いします。この回線を妨害される前に、ルリィと繋いでください!』
感情を持たぬはずのNPCが、サンシローを救おうと奮起している状況を、ただただ認めるしか無いのであった。