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第十七話 『バランスブレイカー』

 フィールド・ボスと定められた魔物が、同時に複数出現するというのは、どう考えてもおかしい事項だ。

 アップデートにより出現地点が変化したり、新たな魔物がフィールド・ボスとして生み出され、元のボス魔物が格下げされることは時折行われる。


 元のボス魔物を、そのままデータから消し去ることをしてはならない。

 グラフィックの無駄遣いだとかそういった理由では無く、消失した魔物がドロップする素材やアイテムの価値が、理不尽なほどに上昇してしまうからである。

 代わりに類似した魔物を出す、という処置をとるMMOもあるが、それこそグラフィックデザインの無駄遣いであり、ILOは今までのアップデートにて、魔物の種類が増えたことはあっても、減らしたり、類似した魔物と交代させた、という事例は無かった。


「嘘だろ、だって……。泥人形の戦車ゴーレム・チャリオッツが、このフィールドのボス魔物なのに……」

「アップデートで改変された可能性が高いな。――となると、まだバランス調整はされていないかもしれない」


 恐れおののく《ハルト・以》とは裏腹に、《ハルト・亜》は冷静に泥人形の戦車を見据えていた。

 流石パーティリーダーだと褒めるべきか、はたまた現実の彼が単に冷静な人間であるだけなのか。そんな対照的な二人を後ろから眺めながら、シグマは歯噛みする。

 フィールド・ボスでないのであれば、先ほどのMOB溶岩蜥蜴(ラヴァ・リザード)同様、わらわらと出現する可能性もある。

 例えば泥人形の戦車が、新ボスの手下として設定されているなどといった場合だ。

 強大なボス魔物がその手で生み出し、歯向かうプレイヤーに制裁を加える。そういった設定を付加されたのであれば、ありえない話では無い。


 ILOとはデスペナルティが異常なほど軽いためか、中間地点を越えた辺りから、途端に魔物のステータスが底上げされる。

 丁度そのステータスが、目に見える変貌を遂げる場所。ウォーゲン湿地帯と言うフィールドであり、攻略サイトではその初見殺しな魔物のステータスを比喩し、『ウォーゲン()地帯』などと呼ばれていたりする。


 しかしいくらデスペナルティが軽かろうと、デスゲーム化してしまった世界では、そんなものは救済処置にならない。

 生きるか死ぬか、それだけなのだ。やり直しは利かない。相手の行動パターンを読むために――なんて『死に戻り』戦法は使えない。


 つい先日行われた大幅アップデート。プレイヤーにとって、魔物の増加や不具合修正のアップデートはイベントともに嬉しいものであるはずだが、今回のアップデートは、恨みや怨嗟の感情しか湧き上がらない。

 深淵迷宮街グラールの時点で思っていたが、今回のアップデートは新しい魔物に関するバランスが非常に悪い。

 一撃でプレイヤーを仕留める透明なカバだとか、溶岩地帯のフィールド・ボスを呼び出す新たなボス魔物だとか、異常だ。


 これが通常のプレイ途中であれば、数多のプレイヤーたちが苦情を申し出ることで、次回のアップデート時にバランス調整を施されるのだが、今回はそれが不可能だ。


 誰かがクリアしなければ、このデスゲームは終わらない。

 まさかご丁寧に、バランスブレイカーを排除するようなアップデートを行ってくれるはずがない。

 望み薄などといった言葉ではなく、期待ゼロだ。

 考えるだけで無駄。そんなものだ。


「シグマさん、どうしましょう。後衛の方々に応援を頼みましょうか?」


 《ハルト・亜》の冷静な対応に安堵しながら、シグマは首肯し、リリアンに視線を送る。


「リリアン、後衛の四人に応援要請の報せを」

「は、はい!」


 天を貫く勢いでミリオン・ロッドを上空へ向け、先端から紫紺の魔弾を一発放つ。

 重力と抗うように飛び出した魔弾は一定高度まで上昇すると、パァンと弾け、紫色をした花火が上空を彩った。



 ---



「見て、アインハルト!」


 空中を彩る紫紺の花火を指さし、オーディンはアインハルトの方へ振り返る。

 伝えたいことが何なのか、そういったことまでは分からないが、わざわざリリアンに花火を撃たせたということは、ここまで来れないほどの緊急かつ重大な事象が生じたというわけだろう。


 アインハルトはそれを視認したと同時に、凄まじい瞬発力で大地を蹴った。

 ギアドラの防具は耐久値に比べて軽量であり、敏捷性スキルの上昇を阻害しない。


 アインハルトのキャラ育成論は、主人公らしい見た目の通り攻撃特化、敏捷性特化であり、耐久値は全てレア防具の基礎ステータスだけで賄っている。

 それだけではもちろん心もとないが、アインハルトは肉を切らせて骨を断つような戦法を使わない。上昇した敏捷性を利用して、今までに培ってきたプレイヤースキルと経験を利用して、まるで剣舞を踊るような軽やかさで、攻撃を躱しながら確実に一撃一撃を打ち込むのだ。


 黒い影と化したアインハルトが突進し、漆黒の旋風が赤黒い大地を駆け抜ける。

 アインハルトの象徴でもあるイベント武器、コスモソードを両手持ちに持ち替え、ギアドラコートを翻して地面を蹴った。


 ぶわりと風を受けてコートがはためき、アインハルトの体躯が空中を翔ける。

 横殴りにコスモソードを振り抜き、真一文字に泥人形の戦車を斬り付ける。

 虚空に浮かぶことのできる無敵時間を利用し、アインハルトはコスモソードを袈裟懸けに振り下ろした。


 ゴミ溜めのように積み重なる泥人形ゴーレムの腕を斬り落とし、アインハルトは軽やかなステップで地面に降り立つ。


 辺りの状況を一瞬確認。シグマとリリアンは奥のチャリオッツに猛攻を加えており、ハルト二人組はスキルやアーツ、アビリティを酷使してもう一体のチャリオッツの車輪を滅多打ちにしていた。

 どうやら車輪から攻撃をすると、効率よく討伐できるらしい。


 無限軌道キャタピラの音を軋ませながら、アインハルト目掛けてチャリオッツが向かってくる。

 速度は大したこと無いが、轢かれれば結構な痛手を受けるだろう。現実世界であれば確実に轢殺されるであろう威力だ。


 アインハルトは横向きに回避行動を起こし、チャリオッツの攻撃範囲からギリギリの距離に離脱する。

 全体像を見ることも適わない巨躯が目の前を通り抜け、強い圧迫感がアインハルトに襲い掛かった。

 しかしアインハルトは怯むこと無く、コスモソードを片手に持ち替えて一心不乱に剣を振り回す。

 コスモソードの特殊技能の一つ。片手持ちにすることで、威力は下がるが普段の倍近い速度で剣を振るうことができる。腕が吹き飛びそうな速度でコスモソードを振り回し、チャリオッツが傾いたところで緊急回避。

 身体を回転させながら回避行動を起こし、横転したチャリオッツの倒壊範囲から軽やかに逃れる。


 キャルキャルと音を立てながら、残ったキャタピラが虚空を引っ掻く。アインハルトはそんな光景に目もくれず、無防備に寝転がるチャリオッツへ斬撃と言う名の制裁を加える。

 コスモソードの剣先が走り、凄まじい勢いでチャリオッツの巨躯に無数の裂傷が刻み込まれる。アインハルトの拳に斬撃の感触が伝わらなくなり、刹那チャリオッツの体躯が光の粒子となって弾け飛んだ。




「アインハルト、無事か!?」


 ボロ雑巾というか穴の開いたズタ袋というか、ボロボロの満身創痍になったシグマが、赤黒い大地を這いながらそんなことを言った。

 誰が見ても「無事じゃないのはあんただろ」と突っ込みが入りそうな状態だったが、あまりに凄惨な姿にアインハルトはそんな冗談を言う気にはなれなかった。


 その内にリリアンが到達し、痛ましい表情を見せながら精一杯の回復魔法を施す。

 時間を巻き戻したかのようにみるみる傷が消失し、全身を包み込んでいた紫紺の輝きが弾かれた頃には、普段通りの獣人格闘者シグマの姿に戻っていた。

 欠落した鎧の破片まで治せるというのが、ゲームにおける回復魔法のファンタジックな部分だよな、とアインハルトは思う。


 リリアンに労わられるシグマを見て脱力するような吐息を漏らすと、アインハルトは前方にて蹲る二人のプレイヤーを視界に入れた。

 声をかけようかかけまいか若干逡巡したが、結果的に声をかけない方で脳内会議を終了させる。どうせ何か言ったとしても『お前には分からないだろ!』とでも逆ギレされるのがオチだ。理不尽な怒りを無駄にぶつけられることは、アインハルトが最も嫌いなことの一つだ。


 そういったわけでハルト二人組は無視。アインハルトは回れ右をして、後方にてこちらの様子を窺う三人に「大丈夫だ」と手を振ってみせた。

 顔の横で慎ましやかに手を振るオーディンが視界に入り、何とも嬉しい気分。最近テントも張っていないし、宿などの休憩地点も無いから、ちょっとその辺で抱きしめてあげたい。


 などと思春期真っ盛りな青少年のようなことを考えながら戻ると、心配そうな表情をしたオーディンが、そっとアインハルトへとしなだれかかってきた。


「おかえり、アインハルト」

「ただいま、オーディン」


 新婚の若夫婦みたいな言葉を交わし、アインハルトはオーディンの体躯をギュッと抱きしめた。出来るだけ人目のつくところではやりたくなかったが、たまには良いだろう。どうせここにいるエリアとナディだって、することしてるんだろうし。


「前衛の状況はどうだ?」

「うちのパーティに損失は出なかったけど、ハルトの内一人が、生命を落としたらしい」


 真顔で問われた内容に、砕けた言葉で返答する。


「そっか、死んじゃったんだ。――どのハルトか、分かる?」

「リーダーでないことは確実ですけど、残りのどちらかまでは」


 エリアが紡いだ言葉に抑揚は無かったが、その表情には若干の揺らぎがあった。


 見ず知らずの人間が惨たらしく殺害された事件とかをニュースで見た時なんかに、アインハルトの母親がこんな表情をしていた。

 つまるところ、同情はするし可哀想だなとは思うけど、よく知らない人だから、そこまで気にしなくても良いのかな。あ、でもやっぱ少しは心配しないといけないかも。――とか、大方その程度だろう。


 ナディは始終真顔なため、何を思っているのか分からない。オーディンに関しては、顔を胸に埋められているので表情が見えない。見えたとしても、きっと彼女も通常通りの表情を貫き通していそうだが。


「ハルト二人の様子はどうだ」

「背中しか見てないから解らないけど、悲しんでるんじゃないかな――と、思います」


 言ってから、ナディはきっと自分より年上だろうと思って言葉づかいを正す。


「進めそうか?」

「一応平気だと思いますけど、もう一度陣営を組みなおした方が良いと思いますね。そうなると、俺とオーディンも前線に並んで、お二人はリリアンと一緒に中距離を保ってもらうことになりそうですが」

「それって、ハルトさんと同じ場所に並ぶってこと?」


 オーディンが顔を上げ、アインハルトの顔を上目遣いにじっと見つめる。

 エメラルドの瞳に動揺や不安の色が滲んでいる。オーディンが飛び入りプレイヤーを好まないことはアインハルトも重々理解しているが、流石に気にし過ぎではないか、と思ってしまうのが正直な感想だ。


 もちろん彼だって年頃の少年なため、異性に服を脱がされかけるなどといった暴挙を現実世界で受ければ、きっと部屋に閉じこもって、一生外に出ようとは思わなくなるだろう。

 女心を理解できるような年齢では無いが、少し度が過ぎるな、とも思ってしまう。

 どうせアバターの身体なんて、自分じゃなくてプログラムが作り出したポリゴンの塊じゃないか、というのが彼の正直な考えだった。


「見たところあの二人は俺と同じで、攻撃特化敏捷性特化っぽかったから、一撃離脱するオーディンとは、戦闘中に同じ位置に立つようなことは無いと思うよ」

「ん、分かった」


 オーディンは一応納得したらしく、しなだれかかるのをやめて深く深呼吸をし始める。

 それを見て、もし本格的に怯えていたら自分が守るしかないのかな、などと考える。

 もっともチャリオッツと同程度のフィールド・ボスであれば、先ほどの通りノーダメージで打倒することが可能だが。


「もしかすると、苦戦を強いられるかもしれません」

「そっかー。心もとないかもだけど、一応あたしも今回は攻撃に参加するから、ね」


 元気づけようとしてくれたのか、エリアは腰に差した二丁魔銃に指を通し、西部劇のガンマンよろしくクルクルと人差し指で回してみせた。


 不意に停止させると、出てもいない煙をフゥと吹き、パチコンと妖艶なウィンク。


「遠距離武器ってこともあって攻撃力は大したことないけど、状態異常特化弾薬の調合はすぐにできるから、ちょっとした補助程度ならできるよ」

「エリアさん、弾薬の調合素材普段から持ち歩いてるんですか?」


 そうだよー。と告げ、エリアはアイテムバッグを躊躇なく広げてみせる。乙女の秘密が詰まった鞄をご開帳――とは言っても、男性用と全く変わらぬ普通のアイテム収納用鞄だ。

 回復剤やら何やらのアイテムは少ないが、代わりに細々した調合素材やら雑貨やらが順番通り入っている。どうやら『アイテム整理』のコマンドを念入りに入力する方のようだ。失礼を承知で思うが、遊び好きそうな見た目と違って几帳面だ。


「俺、錬金術師アルケミストのアイテムバッグ、初めて見ましたけど……」


 完全に別世界だ。流石に化粧品とかは入っていないが、効率特化な戦闘職であるアインハルトの荷物と比べると格段にその入っているアイテムの種類が多い。

 こんなに必要なのか、と思わず心の中で問いかけてしまう。


 よく見ると、化粧品っぽい乙女的な色彩のボトルも幾つか入っていた。興味本位でちょこっとそれを手に取ってみると。


「……毒の瘴気。麻痺の瘴気。感染症の瘴気。睡眠の瘴気。……etc」

「状態異常の弾薬素材だよ。ボトルデザインが可愛いから、結構気に入ってる」


 パッと見だと香水の小瓶にも見えるのだが、中身は劇薬――危険物だ。

 調合素材なため、もし何かのはずみで蓋が開いたりしても、ここにいるプレイヤーたちに被害が及ぶことは無いのだが。


「……なんか、怖いから返すよ」


 いくら安全を保障されているとしても、劇薬を手に持っているというのは精神的に何かくるものがある。


 アインハルトはボトルをエリアに返すと、重い溜息を口から漏らした。これが現実世界での出来事なら、きっと背中が汗でじんわりと湿っていただろう。

 何となく気になって背中を触ってみたが、とくに湿ったりはしていなかった。

 まあ、当たり前のことではあるが。

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