第十六話 『泥人形の戦車』
「よぅ、遅かったじゃないか。どこ行ってたんだ?」
四人揃ってシグマのもとへ戻ると、リリアンが三人のハルトと何やら談笑し、盛り上がっていた。
ナディはハルト三人組の表情を目だけで盗み見たが、リリアンを見る目に、ナディの神経を逆なでするような、嫌悪感溢れる視線は含まれていない。
むしろ小動物を愛でるかのような目を向けて、時折リリアンの頭を撫でたりしている。
「えへへ、ハルトさんたちって凄いんですね」
「ああ、レム溶岩界域のフィールド・ボス、泥人形の戦車くらいなら、俺ら三人で楽々倒せるぜ。そこまでのMOB討伐も俺らに任せな。ステータスとかもアップしやすいし、お前らも前線に立たなくて済むから、利害が一致するだろ?」
「ありがとうごさいます! すっごく、すっごく助かります!」
嬉しそうにお礼の言葉を紡ぎ、幸福感溢れる花のような笑顔でハルトたちに意思表示を見せる。
それを見てハルト三人組は頬を染め、ポリポリと後頭部を掻いていた。
こうして見てみると、ハルト三人組は大して危険なプレイヤーたちには見えない。
社交的なリリアンやシグマとはもう打ち解けているようだし、ずっと前線にいてもらえば問題は起きそうにない。
「ではハルト――さん、前線はお任せしてもよろしいでしょうか? 俺たちは後衛を張って、後方から出現するMOBを倒しますので」
丁寧な口調で、アインハルトが申し出る。
実際溶岩蜥蜴は前方のみならず、四方八方からランダムにわらわらと出現する魔物だ。故に人数の少ないパーティにとっては面倒な部類に入る魔物であり、レム溶岩界域付近からソロプレイヤーの数が減少するのも、溶岩蜥蜴による袋叩きが原因だとも言われている。
まあもっとも、喩え群れをつくるMOBがいなくとも、レム溶岩界域に出現するレベル帯のフィールド・ボスをソロで討伐できるようなプレイヤーは、まずいないだろうが。
「構いませんよ」
「じゃあ、こうしよう。ハルトくんたちに最前線でMOB掃討を任せ、取りこぼしを俺が撲滅する。リリアンは、万が一俺らが痛手を受けたときに、回復やステータスアップの魔法をかけてくれ。――だとすると、後衛はアインハルトとオーディンの二人に任せていいか?」
「私もいきます。もちろん、エリアも同じく」
シグマの戦闘計画を噛みしめ、ナディはそこに自分とエリアの参加も表明する。
普段ナディとエリアは前衛とも後衛ともつかぬ、中央辺りをぶらぶらと歩いている。
弓という遠距離武器の特性上、最前線でタコ殴りにするわけでもなく、また後衛まで下がると前方の敵に弓矢がクリティカルヒットしにくい、といった理由からそのような位置にいるのだ。エリアも同じ場所にいるのは、単にナディと一緒にいたいから、というものと――錬金術師という職業柄肉弾戦に向いておらず、いざとなった時に回復魔法をかけたり必要なアイテムを調合する場面が多く見られるため、一番戦闘を行う可能性の低い、中央部に陣取っているのだ。
簡単に表現すると、『遊撃』といった立ち位置になるのだろうか。
もちろん二人にとっては遊撃という立ち位置が一番戦いやすく、自身のステータスを思う存分使用できる戦闘隊形だ。
下手に後ろへ下がっても、あまり良いことは無い。
「――構わないが、弓兵のナディさんと錬金術師のエリアが後衛って……」
「前衛が五人、後衛が四人。バランスもとれていますから、問題は無いと思いますよ」
訝しげな目を向けるシグマに、アインハルトが口をはさむ。
実際その通りにすれば効率が良いというわけでも無く、理由としては最低部類に入るものだったが。
「大丈夫です。俺がみんなを守りますよ」
トッププレイヤーアインハルトのその言葉は、一応シグマの首を縦に振らせるだけの原因とはなった。
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前線にて飛び散るMOBを眺めながら、ナディはエリアの斜め前をゆっくりと歩んでいた。
進めば進むほど、数を増して出現する溶岩蜥蜴を打倒することだけで精一杯らしく、三人のハルトは、さっきからこちらへ妙な視線を送ってくることは無い。
このまま何事もなく杞憂で終われば、それは何よりも良いことなのだが、果たして本当に『気のせいだった』で終わるだろうか。
生身の肉体を持たないナディにとっては、幾日間か仮想空間に閉じ込められても、それが原因でストレスが溜まったり、心の弱さが露出したりなど、そういったことにはならない。
だが普通の人間はどうなのか。現実の顔も、性別も分からない人々と、朝も昼も夜も休みなく顔を合わせなければならない。従来のMMORPGではまだ、虚偽の世界だという認識が強いために、やり続けてもそこまで精神が摩耗されることは無かった。
バーチャルリアリティの欠落と言えば、その先にあるだろう。
罵倒や侮蔑の言葉、視線から全てが、現実世界で向けられたような錯覚を芽生えさせ、電気信号となって脳内に直接送り込まれる。事実疲労度もかなり高く、延々と仮想空間にドライブし続けることは、やがて脳の老化をもたらしてしまうのではないか、という論文も先日米国にて発表された。
サンシローもその論文には目を通し、ナディにもその一部分をデータとして送り込んでいた。
“人間関係や他者との接触を嫌う人間が、等身大のアバターが闊歩する仮想空間を、心から楽しむことができるのだろうか”
“心無い罵倒や、匿名ということからなる安心感がもたらす負の連帯感が若者の心を押さえ込み、自殺志願者が増えてしまうのではないか”
“虚偽の姿で大人と子供が入り混じる空間では、若者が犯罪に巻き込まれる可能性が上昇するのではないか”
――などと、執筆した本人が仮想空間に入ったことがあるのか無いのか知らないが、妙に正鵠を射た内容もあれば、それはただの偏見だろうともとれるものまで、まあ色々あった。
その中にはやはり“若者の性的欲求を掻き立てる要因になるのではないか”などといった文面もあったが、それは何に対しても向けられる内容であるため、サンシローもナディもとくに気にしていなかったが。
「閉鎖的な空間に長い間いると、そういった感情が爆発することもある、か」
現実世界で溜まったストレスを、仮想空間で発散する。ならば、仮想空間で発生したストレスや欲求は、どこで発散するべきなのか。
ログアウト不可能なこの状況では、現実世界で――なんてことは不可能だ。
溜まりに溜まったストレスや欲望は、どのようにして、どういった方向に向けられるものなのか。
ストレスを感じてもその発散方法を知らぬナディには、未知の感覚であり、把握することはできないが。人間のもつ理性や良心だけでは、抑えきれないものもあるのだろう。
そう考えると、ハルトたちの向ける視線を真っ向から否定するという行動も、少し考え改めなければならないかもしれない。
昔サンシローに読まされた書籍にも、『エサを与えないと、猿は余計に食物を求めて暴れる』だとか、そういった類の一文が書かれていた。
書籍に書かれた内容の全てをナディは信頼するわけではないが、一応記憶媒体に刻み込んでおいた方がいいだろう。
「どうしたの、ナディさん? なんかすごーく難しい顔してるけど」
心配そうな表情をしたエリアに顔を覗き込まれ、何となく胸の辺りが温かくなる。
喩え生物的に仕方がないものだとしても、それにエリアを巻き込むことだけは絶対に許せない。独占欲なのか、単なる嫉妬心なのか。ナディにはよく分からなかったが、とにかくエリアを他者のストレス発散地点として使用されるのは嫌だ。
「問題ない、私は平気だ」
「そか。でももし疲れたりしたなら、いつでも言ってよね。……その、嫌じゃなかったら、この前の夜、宿でしてあげたようなこと、またしてあげるから」
ほんのりと頬を赤く染めると、エリアはぷいとナディから顔を逸らした。
反応の一つ一つが、ナディの心を焼き焦がす。その中で、実体を持たぬ人工知能が、人間相手にこのような感情を抱いて良いのだろうかと、一抹の不安も生じてしまう。
ナディはようやく、『恋』というものを理解しかかってきたのだ。
「――エリア」
「なーに、ナディさん?」
ナディは、エリアに何と発そうとしたのか。声をかけたかっただけなのか、それともエリアの声が聴きたかったのか。
その返答に応えるように、ナディは何かを発そうと口を開きかけたところで、
「うわあぁぁぁぁぁ――――!!!」
少年の声が前方から木霊し、辺りの空気が変貌した。
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最前線にて、三人のハルトは無限に出現するMOB溶岩蜥蜴を殲滅していた。
彼らの目的だったレベル上げも難なくクリアし、《灼熱の爪》も幾つか手に入れることもできた。
シグマやリリアンの手を煩わせることもなく、彼ら三人だけで、フィールド・ボスが現れるだろう地点まで、悠々と歩を進めることができた。
だがこれは、何の仕打ちだろうか。
恐怖が、畏怖が、恐慌が、恐れが、驚愕が、怯えが、驚きが――数多の負感情が渦巻き、澱み、最前線を歩んでいたハルトたちに襲い掛かった。
溶岩の混じった赤黒い泥で生成された、感情の無い泥人形。それらが幾つも重なり合い、結合され、巨大な戦車のような形状となり、三人の前に立ち塞がる。
レム溶岩界域のフィールド・ボス、泥人形の戦車だ。
黒曜石で作られた車輪を軋ませながら、死ぬまでプレイヤーを追ってくる魔物――フィールド・ボスに相応しい強大な風貌。見上げるような巨躯。積み重なった泥人形の最上部は、溶岩から噴出される湯気によって隠匿され、視認することができない。
ハルトたちにとって、それは見慣れた光景に過ぎない。次のフィールド――黒龍渓谷へ参るためのレベル上げに、何度もお世話になった謂わば『歩く経験値』というやつだ。
三人で囲めば問題なく倒せるし、誰一人痛手を負うことなく楽々進むことのできる魔物。
しかし、
「――嘘だろ。何でこんなところでこいつが出てくんだよ!」
「フィールド・ボスが出現するのは、もう少し先のエリアだったはず。だが俺らなら、問題なく倒せるだろう」
「ああ、それに今回は俺らだけじゃない、獣人格闘者のシグマさんや、上級魔法使いのリリアンさんがいるんだ。ちょっとくらい体勢が崩されても、死ぬことにはならないさ」
ハルトたちは顔を見合わせて頷き合うと、一斉に腰の剣を振り抜き、泥人形の戦車へと飛び込んだ。
強烈な斬撃を三方向から繰り出し、みるみるうちに泥人形の戦車の体力が減少していく。
手慣れた手つきで攻撃を躱し、行動パターンを完全に熟知しているのか、一瞬だけ晒した無防備な状態を見逃さず、スキルやアーツを使用した超攻撃を休みなく撃ち込んでいく。
「神撃強打!」
《ハルト・亜》が持つ片手剣が閃き、視認不可能な速度で上から下へと降下する。
凄まじい剣閃が舞うと同時に、泥人形の戦車の車輪が弾け飛び、バランスを崩したその巨躯が横転する。
「連撃解放!」
《ハルト・以》の双剣が振り抜かれ、マチェットナイフの残像と剣閃が吸い込まれるように泥人形を捉えた。
全身に裂傷が刻まれ、キャルキャルと音を立てながら回っていた車輪が粉砕し、泥人形の戦車は身動きが取れなくなった。
「今です、シグマさん、リリアンさん!」
「うがぁぁぁぁぁ――――!!!」
「一点集中ー!」
シグマの雄叫びとともに、リリアンのロッドから紫紺の弾幕が展開される。
鉄槍の爪の猛攻を受けながら、横倒しになった泥人形の戦車は抵抗する術も無く、無防備に体力を削りとられ――、
「シグマさん!」
「了解だ!」
飛び退き、刹那紫紺の弾幕が一斉に泥人形の戦車目掛けて撃ち込まれた。叩き落とすといった表現の方が的確かもしれない。
凄まじい威力の魔弾が炸裂し、泥人形の戦車は光の粒子となって消滅する。
想定外の出来事であったが、一応予定通りの動きを行い、相手に抵抗する時間を与えること無く完全に討伐することはできた。
「倒したか!?」
「やりました!」
「すっごーい! ハルトさんたち、強い、すごい!」
両手を叩きながら飛び上り、はしゃぐリリアン。コスモスのような笑顔に鈴の音のように愛らしい声音で褒められ、《ハルト・亜》と《ハルト・以》は照れくさそうにはにかみ笑い。
幼さの残る少年らしい笑顔は、実に可愛らしい。
「では、先に進みましょうか。もうフィールド・ボスが出ることは無いと思いますが、もしかするとアップデートか何かで、次のエリアでもう一体の泥人形の戦車が出るかもしれません」
「用心に越したことは無いからな――と、あれ? さっきから気になってたんだけど、《ハルト・宇》どこ行ったよ?」
辺りを見渡してみるが、三人目のハルトの姿は見えない。
いつからいなかったか、と四人で記憶を掘り返していると、不意に前方からキャタピラが大地を擦るような音がキャルキャルと奏でられた。
次いで、ボタボタと液体がこぼれ落ちる音。
リリアンのパッチリとした瞳がさらに大きく見開かれ、両手で口を覆いながら顔を青ざめる。
シグマも同じく身体を小刻みに震えさせ、煌めく双眸は一点を捉えたまま動くことができない。
二人の目に映る状況。そして現在も奏でられる無限軌道の移動音。
視界を真っ二つに割るように、真紅の液体がドボドボと大地に吸い込まれていく。
「ハ、ハルト?」
「ハルト、さん……」
真紅の液体が止まったと同時に、黒髪の少年アバターが光の粒子となって弾け飛ぶ。
そして、シグマたちの眼前に、先ほどと同様の魔物――泥人形の戦車が。
「嘘だろ……嘘」
「うわぁぁぁぁぁ――――!!!」
《ハルト・以》の絶叫。
彼らの眼前には、泥人形の戦車が三体並び、速度を緩めること無く、シグマたちを捉えて無心に前へと進んでいた。
歯向かい、抗わんとするプレイヤーを容赦なく潰さんと、無限軌道の音をけたたましく響かせながら。




