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第十四話 『ハルト-1』

 オードゥグ遺跡や深淵迷宮街と比べて、製作者(主にサンシロー)が、ここレム溶岩界域に何の思い入れも無いことがはっきりと分かる。

 歩けば景色は若干変わるが、時折洞窟のような洞穴を抜け、分離フィールドへ到達するのだが、まるでグラフィックを使い回ししているのではないか、と思ってしまうほどに、分離前と全く変わらぬ情景が広がっている。



 レム溶岩界域横断開始から三日目のこと。

 オーディン、アインハルト、シグマの三人が前線を交代し合い、フィールドを分断する洞窟トンネルを五つほど越えたところで、不意にシグマが立ち止まった。


「何か、前から人の気配を感じないか?」


 頭上に生えるケモミミを揺らし、獣人格闘者(グラップラー)シグマは鋭い瞳を前方へと向ける。

 背後にてリリアンがミリオン・ロッドを構え、アインハルトも剣を抜く。

 オーディンとナディはエリアを守るような体勢で立ち、エリアは二人の眼前に薄青色をしたガラス板のような、魔法板リフレクターを出現させた。


 フィールド・ボスが出るには、少し早すぎる。MOBは溶岩蜥蜴ラヴァ・リザードしか出現しないはず。

 アインハルト、リリアン、シグマ、オーディン、エリアの五人(実質ナディ以外全員)はこのフィールドを踏破したことがあるが、この場所でMOB以外の気配を感じたことは無い。


 深淵迷宮街での恐怖が、脳裏に蘇る。ILOを乗っ取られる少し前に行われたアップデートによって、新たに投入された鬼畜仕様の魔物。もしやそういったものが、ここレム溶岩界域に出現するのではないか。

 MOBの種類が少なくてつまらない、という声は、前からよく耳にしていた。

 その発現が運悪く今回受理され、改変されたという可能性は大いにありうることだ。


「魔物、ですか?」

「解らん、が。ちっぽけなMOBだったら、壁に身を隠してこちらの行動を予測するなどといった知能は、持ち合わせていないと思う」


 MOBに積まれたプログラムは、ひどく簡素なものだ。プレイヤーキャラを見つけたら、アバターに向かって体当たりしろ、というだけの命令もあるし、一定量のダメージを受けたら背中を向けて逃げろ、というものもある。

 相手の予備動作を把握し、それに対抗する手段を使用するとか、プレッシャーを与えるために身を隠し、プレイヤーを攪乱するような真似は不可能だ。

 フィールド・ボスならまだしも、所詮NPCにそこまでの知能は付加されていない。


「魔法か何か、撃ち込んでみますか?」

「いや、もしかするとプレイヤー残党かもしれん。ナディさん、弓矢、撃てるか?」

「ん、」


 短く首肯し、何の躊躇いも無く弓を引くと、一本の矢が風のように虚空を翔けた。

 前方に広がる燻ったような色の火山岩へと、まるで吸い込まれるように矢が走る。


 矢が刺さったと同時に、一人のアバターがそびえ立つ火山岩の向こうから頭を出した。

 黒髪に少年のようなあどけない表情。銀と黒を基調とした身軽そうな鎧を身に着け、警戒するように体躯を半分だけ覗かせる。

 暫しの間視線を彷徨わせていたが、弓を構えたナディの姿を捉えると、安堵したような表情を見せ、黒髪の少年がこちらへ向かって歩いてきた。


「良かった、プレイヤーさんたちでしたか。気配は感じたのですが、新手の魔物かと思いまして」


 艶のある黒髪に、可愛らしさの残る端正な少年顔。身に着けた防具はレア度さえそれほど高くないものの、耐久値やスキルは申し分ない。腰に差した剣はコスモソードに類似しているが、あの武器はイベント報酬のアインハルト特権武器なため、大方似ているだけの他武器だろう。


「ああ、俺もそう思った。しかし、何故君たちは反対側――レム溶岩界域の出口から、わざわざこっちへ来たんだ?」

「えっと、お恥ずかしい話ですが、次のフィールド――黒龍渓谷ですが、僕たちのパーティはまだそこまで行けるほどのレベルに達していなくて。危険だったので、まずここで《灼熱の爪》を集めようかと思いまして」


 シグマの質問に、黒髪の少年は照れ臭そうに頬を掻いた。

 次いで、前方の火山岩から二つの影が顔を覗かせ、新しく二つのアバターがこちらへと向かってきた。


 容姿は最初の彼と同じく、黒髪に幼さの残る少年顔。身に着けている装備こそ違っているが、色彩や形状は一見では見間違えそうなほど類似している。


 ついでに名前も全く同じだ。《ハルト》という全く同じ水色の表示が、三つ仲良く並んでいた。


「……ハルトって、あれだろ? 何年か前に流行った、VRゲームの主人公の名前」


 シグマの科白を聞いて、ナディはその単語を思い出した。

 そういえばサンシローが前にはまっていたVRMMOで、彼も《ハルト》という名前を使って、同じような容姿に同じような装備でキャラメイキングを行っていた。

 極度の廃課金プレイヤーだったが、まあそれはよい。


「しかし一人、二人――六人のパーティと出会えるとは心強い。どうでしょう、黒龍渓谷まで、迷惑でなければ一緒に行動したいのですが」


 ハルトの提案に、シグマは逡巡することなく首肯する。他メンバーに了承をとらないのか、と聞きたくなるが、むしろこの状況でNOと答えるメンバーはいないだろう。

 話に聞いたところハルト三人組はレム溶岩界域を踏破しており、装備から見るに攻撃要員だ。シグマ、アインハルト、オーディンで前線を交代することに若干無理が出ているこちらとしては、前線を張れるメンバーの増加は願ったり適ったりだ。


「えへへ、よろしくね、ハルトさん。えっと、どうやって呼び分けたらいいかな?」

「あ、そっか、全員同じ名前だもんな。んじゃあ、一応パーティリーダーだから、俺のことは《ハルト・亜》とでも呼んでくれ」

「俺、副リーダーだから《ハルト・以》な」

「じゃあ俺は、《ハルト・宇》で」


「……ごめんなさい、多分呼び分けても、区別つきそうにないです」


 縮こまってキョロキョロしたリリアンは、申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。

 その様子を見て、ハルト三人組はからかうようにお互いを突っつきあう。

 もしかすると、リアルでも知り合い同士なのかもしれない。


 そんなことを思考しながらナディは真顔で前方を眺めていると、背後からエリアの甲高い声がキャハキャハと響いた。

 最初こそうるさい声だと思ったが、今ではその声音一つも安らぎを感じさせる。

 耳に響くような声だったが、シグマやハルトたちのいる場所までは届かないだろうと思い、ナディはとくにエリアを嗜めることなく、静かにその声へ耳を傾けた。


「あのハルトって三人組さー、アバターがアインハルトそっくりだよね。もしかしてオーディン、あの人たちタイプだったりしない? だとしたら逆ハーじゃん!」


 凄まじいほどにくだらない内容に、思わずナディの真顔が崩れる。

 そういえば名前も似ているな、などと思ったが、とくにそのことには触れず、ナディは崩れた表情のまま振り返った。


「エリア、あまりからかうんじゃ――」


 エリアを嗜めるつもりで振り返ったのだが、オーディンの顔が目に飛び込んだ瞬間、ナディは思わず普段の真顔へと表情を戻した。

 同じくそれに気が付いたらしいエリアも、困惑した様子でキョロキョロして、ナディに助けを求めるような仕草をみせる。


 俯き、目を見開いたオーディン。アインハルトに寄り添うことも忘れて、カタカタと小刻みに身体を痙攣させている。

 アインハルトはその様子を見て、抱きしめようとそっと手を伸ばしたが、オーディンの震えは止まらない。

 尋常ではないそんな状況に、普段は楽天的に振舞うエリアも動揺して顔が青ざめる。

 このままではエリアにまで震えが伝染しそうだったため、ナディはエリアの体躯を優しく包み込んだ。


「ごめん、その……逆ハーとか言って、からかっちゃって」

「だい、だ、大丈夫、です」

「でも」

「エリアさん、オーディンが怯えているのはエリアさんのせいでは無いので、大丈夫、です」


 罪悪感に苛まれていたエリアを救うかのように、アインハルトは穏やかな口調でエリアに告げる。

 刹那的に安堵の表情を見せたエリアだったが、自分が原因ではないのなら、オーディンがこうなったのだと疑問に思う。ハルトたちが現れてから、オーディンに関しては何かしらのアクションも行っていない。


 魔法やら何やらで遠くから何かをされた――それはありえない。ILOには他者に見えない魔法攻撃やアイテム攻撃は存在しない。これは一方的なPKを防ぐためであったり、エフェクトのない攻撃など面白くもなんともない、という制作陣の思いからなる事項なのだが、結果としては“そんなものは無い”ということで集結する。

 

 エリアやナディと比べて、オーディンやアインハルトと付き合いが長いであろうリリアンやシグマの様子を見ても、オーディンがあのハルト三人組のいずれかと何らかのトラブルを起こしたことも、一方的に何かしらの迷惑行為を行われたということも無さそうである。


「オーディン、大丈夫。前にも言っただろ? 俺が絶対、お前を守るからって」

「突っ込んだ質問だけど――その、オーディンとあの人たち、前に何かのトラブルでもあったの?」


 だとしたらシグマさんに後で、別れるよう頼むから。と続け、エリアはオーディンの手を握り締めた。

 ナディは『性別的な違いによる精神的感覚』を理解するにまだ至っていないが、オーディンの怯えが多少緩んだことで、エリアとオーディンの中身が同じ“女性”であることをはっきりと確信した。


「確かに、オーディンのこと、二人には話しておいたほうが良いのかもしれないな」


 アインハルトは感情を消失した表情でオーディンを捉え、小さく首を傾けてみせる。

 話してもいいか、とオーディンに問いかけているようだ。


「あたしは色々なとこが軽く見えるかもしんないけど、秘密とか言われたく無いこととかを面白がって喋ったりしないから大丈夫よ。ナディさんだって、かなり口堅いし」

「ああ、それは知ってる。エリアさんはともかく、ナディさんは信頼できるよ」

「ちょっと! 今の話聞いたうえでそれ!?」


 吐息の混ざり合う距離まで身を乗り出し、腰に手を当てると言うお姉さん然としたポーズでアインハルトを威圧。日焼け跡の妖艶なエリアに近寄られて刹那的に頬を染めたアインハルトだったが、すぐに普段の飄々とした涼やかな表情を取り戻す。

 腰を突き出してアインハルトをじっと睨みつけ、「さーて、どうしてあげようかなー?」などと言いながら、桜色の下で唇をペロンと舐めとる。


 ナディはその様子を見て「ふふ……」と口元を緩めたが、ふと遠くから妙な視線を感じたような気がして、そっと目線だけでそちらを捉えた。


 視線の主は、シグマたちと談笑するハルト三人組――その中の二人のものだ。一人はシグマと熱心に語り合っており、他二名はリリアンと向かい合って何かしらの計画を立てている――ようにも見える。

 しかしよく見ると、ハルト二人の視線はリリアンを飛び越えて、現在進行形でアインハルトを誘惑するエリア――その腰の辺りへと熱く降り注がれている。


 視線の色を見て、ナディの中で妙な既視感が芽生えた。

 目つきが――二人の目つきが、サンシローが夜にルリィを見る時の目つきと非常に似ている。いや、まだサンシローの方が嫌悪感を生じさせない健全なものだった。


 サンシローはルリィに性的な魅力を感じるより先に、自分のために身を削って働いてくれる彼女を尊敬していたし、汚らしい劣情よりも、萌え要素としての愛らしさを重点的に捉え、心から彼女を愛でていた。


 だがそれと違い、ハルトたちの向ける視線に『尊敬』や『愛情』といった色を把握することはできない。3Dモデルの表情機能は確かにまだ改良の余地があるが、それは逆に、そのような聖人でも内に秘めた感情を無理やりに押し殺さない限り、隠し事をすることができないということだ。


 数年前は、もっと酷かったと聞く。

 嫌な人と出会えば、あからさまに溜息をついたり、好きな人を見つけると、顔が真っ赤になってしまうとか。今では確かに改良されてはいるが、それでもまだ未熟なことに変わりは無い。

 所詮人間が描いているグラフィックで、同じ人間のもつありとあらゆる感情表現を、全て正確に表現することなど出来るはずがないのだ。


 ナディはその視線に、ひどい嫌悪感と耐え難いほどの不快感を味わった。

 理由はよく分からない。だがエリアがその視線に晒されているという事実は、どうしてもナディには耐えられない。


 ナディはハルトたちに気付かれぬよう、さりげなさを装ってエリアの腰回りを自

身の陰に入れた。

 流し目にハルト二人を捉えると、舌打ちでもするかのように歪んだ表情を見せ、こちらへ向けていた視線を逸らした。


「……なんだ、一体」

「ナディさんも、感じた?」


 気が付けば、オーディンがナディの纏う防具の裾を摘まんでいた。

 眠たそうな碧眼は光を失い、薄い唇がギュッと締められている。


「あの、視線か」

「やっぱり感じたよね。アインハルトとエリアさんは、気づいていないみたいだけど……」


 横目で二人を捉えると、エリアがアインハルトを関節技紛いの技術で地面へと押し倒していた。色々な部位が絡み合っており、若干変な方向に曲がっているようにも見えるが、バーチャル空間で骨折や窒息をすることはないので、とくに気にしないでおいた。


 ゴミを見るような目つきでその様子を眺めていると、不意にオーディンがナディの手をとった。

 小さくて、女の子らしい可愛い手だ。


「ナディさん、ちょっといいかな」


 オーディンは少し辺りを見渡すと、口元に人差し指を立てて軽くウィンクを見せ、


「ちょっとだけ、ナディさんにお話があるの」


 そう言ってオーディンは、火山岩に隠れた小さな洞穴へとナディを誘導した。


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