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第十一話 『教会の庭』

 塵芥のようにばら撒かれた素材を拾い集める間、六人の間に会話や笑顔は存在しなかった。

 フィールド・ボスを打倒されたこの場所には、小型大型問わず新たな魔物が出現することはない。

 魔物たちが落とした素材をゆっくりと集め、パーティメンバー総員で勝利を分かち合うために設けられた運営の配慮なのだろうが、今この場で勝利を喜ぼうとするような者は、一人として存在していなかった。


 エリアは茫然としゃがみ込み、リリアンは膝を抱えて蹲っている。シグマは両手を地面に着いたまま身体を震わせ、時折何も無い砂地を殴っていた。


 アインハルト、ナディ、オーディンの三人は黙々と素材を集め、自らのアイテムバッグや、パーティ専用の共有倉庫へと送り込んでいた。

 顔の見えない第三者に乗っ取られたこの状況下でも、そういったサービスは問題なく使用できるらしい。


 拾い集める間、普段はアインハルトにベッタリなオーディンも、静かに一人で腰を曲げていた。

 美麗な金髪を流し、エメラルドの瞳を眠たそうに開いてみせるオーディンは、全てを拾い集めたところで、我慢ならなくなったのかそっとアインハルトの体躯に寄り添った。

 屈み込むアインハルトの肩に指先を絡め、黒髪に塗られた後頭部を優しく撫でる。


 二人の間に言葉は無い。アインハルトはそんなオーディンの行動を拒絶することもなく、黙ったまま受け入れていたが。

 不意に立ち上がり、


「先へ、進みましょう」


 と、彼らしくもない、遠慮がちな声音でそっと呟いた。



 ---



 オードゥグ遺跡を抜けると、戦闘禁止区域であるメグルの街へと辿り着く。

 メグルの街とは、NPCが扱うショップや加工市場、さらに神殿や教会など、様々な建設物が立ち並ぶ、休息用のフィールドである。


 通常ここには数多のトッププレイヤーたちが立ち並び、アイテムや素材の交換を依頼したり、別フィールドの情報交換を行ったりする。 

 だが現在のメグルの街は閑散としており、プレイヤーキャラは一人として存在していない。



 短い花卉が敷かれた平原を歩む道中、ナディはエリアを傍に感じることが多かった。

 オードゥグ遺跡を横断する途中からエリアの肉体的接触は増えていたが、アリジゴクとの戦闘後から、さらに増えたように思える。

 気が付けば傍にいて、腕を回して抱きしめてくる。

 オーディンがアインハルトに行うような、一種の依存心のようなものか。


 目の前で他者が殺害される光景を目にすると、人は恐怖を感じるとナディは聞いたことがある。

 当初はそれかと思い、先日学習した気遣いの心をもってエリアと接していたのだが、向けられる視線や仕草から、それは大きな間違いだという結論に辿り着いた。


 初めて今の仲間たちと出会った時、冷静に佇むナディを見て、シグマが理不尽に怒鳴った。あの時と近い感覚が、今この場を支配している。

 涙こそ流していないものの、口数も少なく、目線が若干下を向いている。

 いつも明るいリリアンも、冗談を言ったりして場を和ませるシグマも、飄々として達観した目をしているアインハルトも、三人とも同じような表情で黙ったまま、まるで機械のように歩を進めている。



 シグマが足を止めたのは、天に敷かれたスクリーンが作動し、瞬くような星彩が濃紺の空に散りばめられた頃だった。

 戦闘禁止区域という名の通り、メグルの街に足を踏み入れてから一度たりとも魔物と顔を合わせていない。


 ここを抜けるとまた幾つかのフィールドがあり、その先に黒龍渓谷や、今回の最終地点である近未来都市アーズが存在する。

 実際それ以降のイベントやアップデートにより、アーズ以降のフィールドも解放される予定らしいが、現状ではそこが最終地点だ。


 ここから先は今まで以上にレベルが高く、行動パターンの読みにくい魔物が多く出現するため、この場所に休息地点を作成したのだろう。


「夜になったな、休憩したいやつは休憩しろ。ナディさん、今晩の見回りは必要ないから、あんたも今日はゆっくり休んでくれ」

「今日はどこで転がりますか? ここのフィールドには神殿とか教会とか、見せかけの宿がありますけど」

「好きにしろ。俺はここでいい」


 リリアンの質問にぶっきらぼうに答えると、シグマはその熊のような体躯を倒し、緑豊かな平原に平然と転がってみせる。

 NPCなどが土足で歩く場所だが、仮想空間に物理的な意味での綺麗、汚いの概念は存在しない。

 しかしこうして見ると、大きな熊が平原でふて寝しているみたいだ。


「なんか、休日のお父さんみたい」

 

 可愛げのある感想をこぼし、紫色の髪をふわりと流したリリアンは、遠慮なくアインハルトの体躯に擦り寄る。

 右側にリリアン、左側にオーディンという、これぞハーレムといった状況を自然に作り出したアインハルトはとくに表情を変えることも無く、二人を連れて一つの宿へと足を向けた。

 

 宿だが、その建物に大した特典や意味は無い。

 行えることと言えば、ベッドで寝ることで回復・状態異常治癒が可能なことと、座ったり寝転がったり、といった動作を行うことができる程度だ。


 VRMMOという特性上どこでもセーブ・ロードが可能であり、休憩も各自の判断でとることができる。

 強いて意味をあげるとなれば、解毒や回復を行えないパーティやログインしたての新人プレイヤーなどが回復剤を節約するため、宿に入ることはあるが、オードゥグ遺跡を踏破したようなパーティに回復職がいないとも思えないし、ましてや回復剤まで節約しなければならない初心者が、ここまで来れるとも考えにくい。

 故に実際無意味な建物でしか無いのだ。


「ずっと気になっていたが、アインハルトたちは何をしているのだ」

「え!? ナディさん、毎晩のように見回りしてたのに知らなかったの――ってか、普通に考えれば分かるよ? だってあの子たち、多分プレイヤー本人も学生だろうし、そういったことに興味深々なお年頃なんだよ」

「見回りとは言っても、私がしていたのは魔物の気配を探す程度だからな。アインハルトのテントで何が行われていたのか、私には見当もつかん」


 真面目な顔で言い切ったナディを見つめ、エリアは戸惑いの表情。次いで妖艶に頬を染め舌をペロリと出すと、蠱惑的な上目遣いをナディへと向けた。

 一言で表現するなら、『食べちゃうぞ』といった感じだろうか。


「そっか、そっかー。ナディさんはやっぱり純粋な人だったんだー。今を生きる少年少女は、すごーくマセてるからねー。なんかこういうとあたしが老けてるみたいだけど、そうねー、逢瀬の末に起こるべくことって言えば、鈍感なナディさんでも分かるかなー?」

「逢瀬の末……」


 人工知能NPCであるナディにとって、人間の生殖活動は理解の範疇外にある。

ましてやそれが単なる生存行為では無く、快楽を求めるためのそれだとは考えようにも考えられない。


 しかしナディも、男女の交わりに関して全くの無知を貫いているわけでは無い。

 ナディの家にはサンシローという男性がいれば、ルリィという女性も(アンドロイドだが)いるのだ。

 時折『コンピュータの目』を使って屋内の夜の見回りを行っていたナディにとって、サンシローが夜何をしているのかなど、手に取るように把握できる。


 アニメ風味なエプロンドレスを纏った、サンシロー直々の改造を施されたメイド型アンドロイドルリィ。彼女とサンシローが何をしているのか、それを考えればこの状況を想像するのは容易い。

 つまり、


「裸で抱き合っているのか」

「ナディさん。オブラート、オブラート」


 平原に寝転がるシグマが背中で吹き出し、エリアとナディはチラリと、不貞寝した大熊を見やる。


「シグマさん。もしかして、あの三人って、リアルでも知り合いだったりしますか?」


 エリアの質問に、不貞寝熊は苦笑。

 次いで「やれやれ」とでも言うように微笑を見せると、片腕で頭を擡げてナディとエリアを視界に入れた。


「それは知らないが、あいつらの中身が学生だってのは当たりだ。なんでも――リリアンとアインハルトが最初に出会って、最初は二人でパーティを組んでいたらしいな」

「シグマさんって、最初からいたんじゃないんですか?」


 エリアの質問に、シグマは首を左右に振ってみせる。


「始まりの街で他プレイヤーにちょっかいを出されていたリリアンを、アインハルトが助けたんだと」

「うわー、昔流行ったラノベの主人公みたーい」


 指を絡めて喜ぶエリア。


「オーディンに関しては、俺もよく知らないが。オーディンの仕草を見れば、大体の想像はつくけどな」

「あれは絶対デレてるね。アインハルトくんも満更でもないみたいだし、なんて口説いたんだろう」

「ゲーム内で口説くのは、利用規約に引っかかるぞ」

「ナディさんったら頭かたーい。あれだけ仲良ければ、ラインIDとか普通に交換してるに決まってるってー。あたしだって、前のパーティメンバーの内二人とは連絡とってたし」


 ここで『もういないんだけどね』などといった言葉を一言も漏らさないのが、エリアという女性だ。

 シグマも大人であり、そこに関しては追及の意を示さない。

 ナディも無駄に言葉を発すること無くエリアの肩に手を回し、ぐっと身体を抱き寄せた。


「ん、ナディさん、ありがと」

「気にするな、抱きしめて胸の中で泣かれた仲だ」

「ちょっ……。今ここでそれ言っちゃうの!?」

「おいまて、エリア。お前やっぱりナディと……。あああ! 男女三人同士のグループだってのに、また俺だけハブにされたー!」

「ドンマイだよ、シグマさん。リア年齢知らないけど、いつかいい出会いがあるって」


 その言葉を待ってましたとばかりに、シグマはしたり顔でブイサイン。


「へへっ、残念だったな。リアルの俺は愛する妻がいるんだよ、ついでに二人の子持ちだ。上が男で下が女」

「それでハブられたなんて言うとか――! 浮気じゃないですか! シグマさん既婚者とか、あたしと同類だと思ってたのに。んもー、頭きた! ナディさん、あたしたちも結婚しちゃいましょう、ゲーム内でのキャラ結婚とか、今は普通にありますからね」


 腕を組んで胡坐を組み、シグマはニヤニヤとエリアを見る。その視線を見返し、エリアは顔を真っ赤にして地団太を踏む。

 ナディは素知らぬ顔でそんな状況を眺める。

 いつもとはちょっと違う光景だ。



「ナディ、ちょっといいか? 話がある」


 エリアの相手をしていたシグマが不意に、ナディへと声をかけた。

 その顔は笑っていたが、真面目な色を少しだけ滲ませている。


「なんだろうか」

「少し、空気が悪くなってしまう話なんだ、が」


 言いながら、シグマはエリアの顔をチラチラと盗み見る。

 どうやらシグマは、ナディと二人きりで話したいらしい。


「あー、はいはい。男同士の大事な話ってやつね、じゃああたしはちょっとこの辺りを一周して来ますから、ごゆっくりどうぞ」

「すまないな」

「んーんー、ナディさんはぜんっぜん悪くないよ。そうだ、せっかくだから加工屋さん行って、性能良い装備品とか探してきてあげる。……えっと、その、フレンド登録してもらえると、ナディさんの持ってる素材を共有倉庫から使えるんだけど……」


 エリアは頬を染め、桜色に染まった箇所をポリポリとかいてみせる。

 そんなエリアを見て、


「なんだ、お前らまだフレンド登録してなかったのか」

「んー、機会が無くてねー」

「分かった、そうすればいいのだ?」


 話に割り込むような形で、ナディはウィンドウをタッチして起動させる。

 エリアに教えられながら、眼前に並んだウィンドウを下げて行き、『フレンド登録』の文字を見つけた。


「これか」

「そ、それであたしの名前を選んで――、ほら出来た」


 フレンドを登録しましたというメッセージとともに、デフォルメされたエリアのアバターがウィンドウに出現する。

 褐色肌に透き通るような青色の髪、羽衣のような衣装。ミニキャラ化しているが、目の前にいる錬金術師エリアと同じだ。


「ナディさんのも登録しとくねー。――ん、成功っ!」


 はしゃぎながらエリアに見せてもらった自身のアバターは、赤茶けた初期装備に身を包んだ、傭兵のような姿だった。唯一違うのは、ミニキャラ化の弊害か、割と老けた面をしているはずが、ナディのミニアバターは若干ショタっぽいところか。


「よしっと、じゃああたし行ってくるねー。もし話し中に戻ってきたら、そんときはメンゴ」

「ああ、ありがとな」


 平原を駆けて行くエリアの背中を見送ったシグマは、嫌に真剣な顔でナディへと振り返った。


「ここじゃなんだ、そこの教会前で話そう」



 ---



 処女雪のように純白な建物の前で、シグマは足を止めた。

 ここもあまりILOでは意味の無い建設物だ。さっきエリアの言っていたキャラ結婚などを行うプレイヤーたちにとっては、雰囲気作りなどに必要な場所らしいが、ゲームクリアまでに絶対に立ち寄らなければならない、という場所でも無い。

 今回は用が無かったが、神殿も同じだ。


「わりぃな、ナディさん。夜にエリアと引き離しちまってよ」


 シグマは懐に手を入れる仕草を見せ、やがて物寂しそうな表情で乾いた笑いを見せた。

 寂寥を感じさせる、何とも寂しい笑い。


「いや、気にしないでくれ。真剣な話をする前は、いつも一服やってたもんで」

「構わない、それで、話とは何だ?」


 シグマは溜息をつくと、ナディの顔を見据えた。

 先ほどと同様の寂しそうな笑顔を見せながら、シグマは躊躇うように口を開いた。


「アインハルトたちのこと、どう思う?」

「どう、とは?」

「いや、ナディさんの感想が欲しいだけだ。何でもいい。大人っぽいとか子供っぽいとか、そんな感じでいいんだ」


 シグマの質問が意図することを、ナディは理解できる。ナディにとって、アインハルトやリリアン、オーディンといった学生プレイヤーたちの行動について、どう思っているのか聞かれているのだろう。


 ナディにとって、人間を見て生じた感想を言葉にするというのは、非常に難解な事象だ。

 ナディには所謂、人間が持つ『常識』というものが無い。そのためこの人は普通と比べてこうだとか、そういったことを考え、言葉にすることができないのだ。

 だからナディは、体験したことや直接聞いたこと、そして人工知能として把握して学習した事柄から、その人が持つ人間性といったものを構築しなければならない。


「アインハルトは、強くて、他者を守ろうと彼なりに、頑張っている。現実の年齢は、高校生――中学生程度、性別は男性だと」

「ナディさんも、そう思うか」

「リリアンは、現実も女性――年齢はイマイチ不明だが、アインハルトと同じくらいだと、思う」


 シグマは黙ったまま、ナディの言葉に首肯する。


「オーディンは、現実でも女性――高校生か、もしくは大学生くらい」

「やはり、そのくらいか」


 遠い目をして夜空を見据えるシグマを、ナディは黙って見つめる。

 何か言いたげな、それでいて言葉にすることを逡巡するような、絶妙な均衡を保った表情を見せながら、彼は重々しく口を開いた。


「アインハルトかオーディンに、俺に関して何か言われなかったか?」

「――――」


 珍しく、ナディは口をつぐんだ。

 確かにアインハルトは、シグマの生命を大事にしない戦闘スタイルを貶し、それをナディに伝えていた。

 そういうプレイスタイルは普段こそ――デスペナルティの非常に軽い、ここILOだからこそ許されるスタイルであって、『デスゲーム』なる環境では、決してとってはならない行動であり、それはそのまま、生命をゴミのように捨てる愚行に他ならない。


 その会話内容を一字一句綻ばせず、シグマに伝達することは、ナディにとって簡単なことだ。シグマは直進的で、周りが見えていない。リリアンの回復に頼りすぎて、いつも見ていてハラハラする。もう少しこの世界で自分が出せる限界を、ちゃんと見極めるべきだ。

 いくらでも、言葉を見つけることはできる。


 だがナディは、それを口にすることはできなかった。

 記憶を掘り返して言葉にするのは簡単な行動なのに、それをシグマに伝えることを、ナディの中に潜む何かが、止めようとするのだ。


「直進的で、生命を粗末に扱っている。――とでも、言われたか? それとももしかすると、もっとキツイ言葉で罵倒されたかな」


 乾いた笑いを見せながら、シグマは寂しそうにそんな言葉を紡いだ。

 パーティのムードメーカーで、先陣をきって他者を引っ張る獣人格闘者。

 容姿こそ傲然としているものの、ナディの目に映る彼の姿は、嫌に弱々しく、年老いて見えた。


「あいつらが、心配なんだよ」


 口元を緩め、溜息をつくように弱々しく言葉を発す。

 普段は獰猛かつ暴力的な風体を晒し、一直線に魔物へと突進する攻撃要因。他者の気遣いを知らず、他人と足並みを揃えることを嫌うような、そんな印象を抱かせる風貌。

 仲間を大切にする人であることは、ナディにも分かっていたが。


「人間の生命は、全員同じ重さを持っており、それらに重い軽いといった概念は存在しない」


 それがナディにとって、人間の生命という言葉に関して抱く内容だ。


「哲学的だな。だが俺は、人の生命に優劣をつけることに関して、おかしいとは思わないな」

「何故だ?」


 反射的に発せられたその言葉を咀嚼し、シグマは力なく嘆息。


「あいつらは、未来ある若き少年少女だ。大人に憧れて、背伸びして、これから幾つもの失敗や成功をして、輝かしい将来を手にするべき、大切な存在だ」

「それはシグマも同じことだろう?」

「俺にはもう未来なんて無いさ。――実は俺、大学卒業時から勤続していた会社が、少し前に倒産してな。特技も才能も無い四十代が職を失って、やりなおせるなんてありえない。幸い妻の稼ぎで家族四人は生活できているが――毎日、情けなさに押し潰されそうだぜ」


 寂しげに笑い、シグマの双眸がナディを捉えた。

 シグマが溜め込んでいた感情の吐露に対して、ナディは言葉を返すことができない。

 現実世界にてナディが接したことのある数少ない人間たちは、元旦などの祝い事にてサンシローを訪ねる、はっきりいっていわゆる上流階級と呼ばれる人々である。

 時折その人たちが連れた方々とも接する機会はあるが、若くして科学の最先端であるVRゲーム開発の責任者を任されているサンシローとおっかなびっくり対応しており、コンピュータと繋がれて一機械として佇むナディに対し、何らかのアクションを見せることは無い。


 稀にサンシローがナディのことを紹介することもあったが、数えるほどしかない。

 大抵は紅茶を運んで参ったルリィに興味を向けられ、嬉々としたサンシローがルリィのスペックや何やらの話を開始させ、ナディへの関心は瞬く間に消失する。

 ナディはルリィと違って自分から他者へアクションを放つこともできないため、一度でも来客の興味が余所へ行ってしまえば、あとは部屋の装飾物としての義務を果たすだけとなる。

 すなわちナディは、そういった『一般市民』が抱える問題に関して、思考したり解決策を探したりといったことを、したことがないのだ。


「だけどアインハルトたちには、輝かしく眩い、未来がある。後は朽ち果てていくだけの俺とは違って、この状況から脱出しなければならないという、理由があるんだ」

「シグマ、」

「それにな、喩えゲームだとしても、多感な時期である子供たちに、そうほいほい臨死体験をさせるわけにはいかないんだよ。俺が子供の頃流行った俯瞰視点の――ポータブル機器のゲームならともかく、VRMMO(この世界)は、ちとリアル過ぎるぜ」


 シグマはそう言って身体を伸ばすと、軽く腕を回して深呼吸。話に区切りがついたことを察したナディは真顔のまま星芒を見据え、


「シグマは、何もかもが生々しい、バーチャル・リアリティな世界は嫌いか?」


 感情の起伏を感じさせぬ、平坦な科白。ナディにとって、ILOの大地は故郷であり、自分を実体化できる唯一の場所である。人々を楽しませようとサンシローが心を込めて考えた、夢と希望の溢れる世界。そこにスリルや現実感を出すために――戦うという概念を生み出すと同時に、“死”というものはどこまでも付きまとう。


 VRゲームが出るまでにも、ゲーム上の死を巡って数多のトラブルや問題がメディアに取り上げられてきた。

 何時の時代でも大人にとって、子供が簡単に“死”を感じることは、どうしても避けたい事実なのだ。


「嫌いだったら、俺はここにいねぇよ」


 トゲトゲした牙を剥きだしにして、シグマの表情が笑顔へと変わる。


「ナディさんは、ILO、好きか?」

「ああ、大好きだ。この世界に平穏が取り戻されることを、何よりも願っている」


 これだけは、ナディの本心だ。

 自分の存在意義を見出せる場所で、またたくさんのプレイヤーたちと顔を合わせたい。

 それが、ナディの求める平凡だけど幸せな日常なのだから。


「ゲームクリアのためにも、ナディさん。あいつらを護らなければならない。今生き残っているプレイヤーが、全員生きて意識を取り戻すこと。それが、俺たちが目指さなければならない、最終地点ゴールなんだからな」


 シグマの太い腕が伸ばされ、ナディはそれを見つめて無表情。何のアクションも見せないナディの腕を、獣の手が掴む。

 毛深くて大きなシグマの手がナディの手を包み込み、そこに力が込められる。

 それは電気信号が織りなす錯覚などでは現すことのできない、強い覚悟や意思が詰まっており、


「絶対に、この世界に平穏を取り戻す」

「ふふ……頼もしいな、ナディさん」


 守るべきものを再確認した二人の男たちは、教会の敷地内にて強く手を握り合った。



 ---



 溜め込んでいたものをぶちまけたシグマは、実にすっきりした様子で教会から姿を消した。

 思ったより話が早く終わってしまい暇を持て余したナディは、夜空の下にて夜景を見つめながら、静かに佇んでいたのだが。


「……いつから、いた?」

「あ、あー……。ナディさん、もしかして探知系のスキル特化させてたりする?」


 抑揚の無いナディの言葉に、気まずそうな顔をしたエリアが教会の裏から姿を見せた。

 薄青色の羽衣を身に纏い、健康的な褐色肌が肩や脚から顔を覗かせる。

 星芒に照らされた青色の髪がふんわりと煙り、エリアは髪の先端を弄りながら、えへへとはにかみ笑い。


「シグマさんが、四十代で職を失った、あたりから、かな?」

「そうか」


 感情の起伏を感じさせぬ、無感動を貫いたナディの返答。エリアはその声音を聞いて若干つまらなそうな表情を見せると、ゆっくりとナディへと歩み寄った。


「ナディさんって、無口だし堅実そうだから、心の奥底の溜め込んだ愚痴とかを、つい喋っちゃうのかもしれないね」


 エリアはいつものようにナディへとしなだれかかると、その場にストンと座り込み、ナディにも座るように促す。

 ナディはその仕草を真顔のまま見つめ、やがてその意味に気が付いたのか、黙ったまま首を左右に振り、教会の壁に背中を押し当てた。


 シグマやアインハルトなどの声はおろか、芝生を踏みしめる行動音さえ存在しない。

 静寂が二人を飲み込み、虫の音一つ響かない。

 時折教会の庭を通り過ぎるそよ風が、芝生に生えた雑草を揺らすが、そこに何かしらの音は附属しない。風が吹こうが星彩が瞬こうが、この場を彩る音は奏でられない。


 やがてカサリ、と音がして、エリアの体躯がナディの脚に傾いた。

 いつもはうるさいほどに話題を出してはナディに話しかけるエリアだが、今は彼女さえ、声を発さない。



 どのくらいの時間が経っただろうか。

 夜空に浮かぶ星彩は徐々に移動し、数時間程度の時間経過を認識させる。

 そこに正確な時間は存在しない。時計アプリを開いて確認すれば、一応は現在の時刻を把握することはできるであろうが、ナディはともかくとして、エリアもそんな無粋なことなど行動に移さない。


「――ねぇ、ナディさん」


 空の星芒が一斉に移動すると同時に、エリアの口から声が漏れる。

 何かを確認するような、不安のこもったか細い声。


「人の愚痴とか聞いて、それで溜め込んで、平気?」

「問題ない、現実世界リアルでも慣れている」


 コンピュータとはいつの時代も、ご主人から罵倒を受けたり、怒りをぶつける対象とされてしまうものだ。

 とくにサンシローはルリィを可愛がっているから、溜まったストレスの物理的発散の結果は、ほぼ全てナディが被ることとなるのは必然である。


 幾何かの人間と会話をして接してきた今なら、そんなサンシローのことを疎ましく思い、怨嗟の意を示したであろう。

 だが当時のナディは、学習能力を付加されただけの人工知能だ。サンシローと彼を褒め称える人間以外の生物とコミュニケーションをとったことのないナディは、そのことに関して『苦痛』という感情を抱くことはなかった。


「あんまり溜め込むと、疲れちゃうぞ」

「愚痴や感情の吐露を聞くのは、慣れていると」

「それだけじゃないでしょ」


 意を決したようにエリアは立ち上がると、顔を背け、ナディの腕をガッシリと掴んだ。

 進む右足、さらに前へ出る左足。芝生を踏みしめる音を立てながら、エリアはナディの腕を掴み、そのまま歩き出した。


「ど、どこへ……?」

「この間、ナディさんの胸の中で泣かせてもらった、そのお礼」

「お、お礼……?」


 エリアに引っ張られるように、ナディはぐいぐいと歩を進める。教会から出て、メグル街を分断するように誂えられた道を通り抜け、先ほどシグマが寝ころんでいた場所まで戻ってきた。

 背中を向けて横になるシグマを見かけたが、エリアは振り返ることも足を止めることもなく、ナディを連れて足早に歩を進める。


 薄灰色をした石を積み重ねたような神殿をも通り抜け、先ほどアインハルトたちが入った宿の前で、エリアは不意に足を止めた。

 青色に踊る髪が邪魔をして、ナディの位置からエリアの表情を読み解くことはできない。


 二呼吸程度の間。エリアは顎をクイと上げて、宿の中へとナディを連れ込んだ。

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